●特集● 拉致事件 原点は「文世光事件」
■韓国が外交文書を公表、日本の無策が浮き彫りに
今なお反省ない政府・マスコミ
韓国政府は1月20日、1974年8月15日に在日韓国人の文世光によって引き起こされた朴正煕大統領夫妻銃撃事件(陸英修夫人死亡)の「文世光事件」に関する外交文書を公表した。それによると、韓国政府が事件発生3カ月前から日本における北朝鮮のスパイ活動に警告を発していたにもかかわらず、日本政府は対応せずに事件を招いたことがわかった。また事件後も韓国側のスパイ活動取締まり要請を聞かず、朝鮮総連の不法活動を放置したことも明らかになった。当時、日本政府が警告を真剣に受け止めて適切な措置をとっていれば事件を未然に防止できたばかりか、一連の拉致事件を防げたことは明白である。今なおスパイ防止法すら制定しない日本は文世光事件や拉致事件に対して何ら反省していないと言っても過言ではない。〔別掲図参照〕
今回、韓国政府が公表したのは「文世光事件」に関する公電や日米会談記録、捜査関連資料など計15件、約3千頁。これらを基に改めて「文世光事件」を考察してみると、同事件は一連の拉致事件の始まりだったことが明白になってくる。 文世光事件は1974年8月15日(韓国の光復節)に、ソウルの記念式典会場で22歳の在日韓国人・文世光が演説中だった朴正煕大統領に向かって発砲、凶弾は大統領夫人・陸英修女史と女子高校生に当たり2人が死亡した事件である。文世光に狙撃を指令し資金、偽装パスポート、射撃訓練を行ったのは、大阪の在日朝鮮総連生野支部政治部長の金浩龍。文世光は大阪湾に停泊中の北朝鮮の万景峰号の船中で朝鮮労働党対外連絡部の工作指導員から朴大統領射殺の指令を受けた。
朝鮮総連が工作拠点 日本人らも巻き込む
文世光が共産主義者になったのは、1968年に爆弾教祖といわれた太田竜の創設した「レボルト社」(『世界革命運動情報』発行)を訪問、ここで朝鮮革命を学んだからだ。同社で活動していたのが、東アジア反日武装戦線の佐々木則夫(日本赤軍に合流、国際手配中)らで、彼らは70年代初め「朝鮮研究会」の一員になって朝鮮革命運動に加わった。朝鮮研究会は朝鮮総連が北朝鮮の対日・対韓工作の一環として日本人活動家を獲得するために組織したものだ。
ちなみに東アジア反日武装戦線は、文世光事件直後の74年8月30日に東京・丸の内の三菱重工本社ビルを爆破し、多数の死傷者を出したのを皮切りに、各地で爆弾事件を起こした。この一連の爆弾事件の背後にも北朝鮮の対日革命工作が存在しているのである。
文世光は74年2月、東京都足立区にある朝鮮総連系の赤不動病院に偽装入院し、そこで共産主義教育と狙撃訓練を受け、同年5月に大阪港に入港していた万景峰号に案内され船内で北朝鮮工作員から朴大統領の暗殺指令を受けた。これを実行するために北朝鮮工作員の支援を受けて大阪市内の高津派出所から犯行用の拳銃を盗み出した。
北朝鮮は工作網を日本人にまで広げていた。文世光を日本人としてソウルに送り込むため、工作した吉井美喜子を使い夫の吉井行雄のパスポートを準備、文世光は日本人「吉井行雄」として難なく韓国に入国し、ソウルの光復節会場に入ることができたのである。
吉井行雄はその後、北朝鮮の対日工作の日本人組織「キムイルソン主義研究会」で活動、同会の関西責任者として81年9月に「金日成主席著作研究会全国連絡会議訪朝団」(団長=大安和彬信州大学教授)の秘書長として2週間にわたって北朝鮮を訪問し、朝鮮労働党の指導を受けている。
この吉井行雄にオルグされ北朝鮮にわたって、よど号犯・柴田泰弘の妻となった(後に離婚)のが、有本恵子さんの拉致を告白した八尾恵・元店主である。彼女は吉井行雄によってよど号犯グループの妻になるため77年に北朝鮮に送り込まれ、柴田と結婚。よど号犯グループのリーダー故・田宮高麿から「日本を金日成主義化するため、革命の中核を担う日本人の獲得・育成が我々の課題」と言われ、83年に「ロンドンで日本人、25歳ぐらいまでの若い女性を『獲得』せよ。それまで『獲得』した男性と結婚させる」という任務を受けた。この「獲得」したとする男性が80年4月から6月にかけてスペインから行方が消えた松木薫さんと石岡亨さんである。2人は田宮の妻・森順子らによって拉致された。
韓国のスパイ摘発要請を無視した日本政府
今回公表された韓国外交文書によると、韓国政府は事件発生3カ月前の1974年5月18日、朝鮮総連の規制を求める口述書を日本政府に提出している。口述書は「53年3月から74年4月までに日本を経由して韓国に浸透し、検挙された北傀(北朝鮮)のスパイは約220人に達している。また、50年9月から73年12月まで日本国内で日本警察に逮捕された北傀のスパイだけでも、32件55人に達している」と指摘、「韓国政府は、日本政府が朝鮮総連の破壊活動を阻止するために誠意を持って有効な措置を取るよう求めた」のだ。
だが、日本政府は何ら対応しなかった。その結果、文世光事件が起こった。事件後、韓国政府は「日本政府が、口述書を通した韓国政府の要請を受けて、適切かつ有効な措置を取っていたら8・15大統領狙撃事件は、未然に防止することができたと確信している」と、日本政府の対応を非難している(毎日新聞1月20日夕刊)。
韓国政府は事件後、日本に対して・強制捜査の催促・日本の陳謝・犯罪人引き渡し・朝鮮総連など反韓国団体の活動抑止を求めたが、日本政府は単独犯行説をとって動かなかった。当時の田中内閣は「日中国交の次は日朝国交」といったデタント・ボケに陥っており、木村俊夫外相は「北からの脅威はない」と発言して韓国国民の怒りを買った。外交文書では当時、韓国政府は対日断交まで検討していたことがわかった。
田中内閣は74年9月、椎名悦三郎自民党副総裁を特使として韓国に派遣、口頭で朝鮮総連の規制などに言及して沈静化を図ったが結局、韓国側から提示された捜査結果を無視し、強制捜査も朝鮮総連に対する規制も行わず、北朝鮮の工作活動をそのまま野放しにした。
すなわち金浩龍ら事件関係者の逮捕も、赤不動病院など関係施設の捜査も行われず、万景峰号は相変わらず日本に入港し続けた。こうした日韓関係のやりとりを見ていた北朝鮮はその後、大手を振ってスパイ活動を行うようになり、一連の拉致事件を引き起こすことになった。
当時のマスコミは73年、金大中事件が起こったこともあり、「朴政権悪玉論」に立ち、朝日新聞をはじめとする大半の大手新聞・テレビは文世光事件を軽視し、北朝鮮に肩入れしていた。そうしたこともあって、朝日新聞のように今回の韓国の外交文書公表を小さく報道するマスコミが多い。
北朝鮮による国家テロを許した結果、文世光事件以降、日本国内での一連の拉致(77年9月〜78年8月)・欧州での一連の拉致(80年4月〜83年6月)・ビルマ・ラングーン爆弾テロ(83年11月)・大韓航空機爆弾テロ(87年11月)などが発生したのである(韓国内でのテロ等を除く=図を参照)。
今こそスパイ防止法制定を
「対日工作継続」の現実を直視せよ
文世光事件の背景は次のようなものだ。
北朝鮮は、1962年のキューバ危機でソ連のフルシチョフの対米妥協に驚き、同年12月、「四大軍事方針」(全人民武装化・全国土要塞化・全軍幹部化、全軍現代化)を決定し、対韓工作を激化させ、朴大統領を抹殺すべく68年1月、武装ゲリラを南派するも失敗。そこで日本経由の対韓工作に本格的に乗り出し、文世光事件を画策した。70年のよど号事件に触発され、朝鮮革命に日本人を利用することを考え、日本国内の過激派グループと接触し組織化した。
73年2月、金日成主席は「三大革命小組」を組織し、金正日後継体制を始動させ、同年9月に金正日は党中央委書記に選出、さらに74年に政治委員になり、それ以降、「党中央」と呼ばれ、対外革命工作の総指揮をとるなど絶対的権力を振るうようになっていた。したがって文世光事件以降の拉致をはじめとするテロ活動はすべて金正日総書記の直接指揮と見て間違いないことである。
金正日総書記は拉致事件について「一部の妄動主義、英雄主義者による拉致」(02年9月の日朝首脳会談)と述べているが、これが真っ赤なウソであることは疑う余地もない。金正日総書記の命令を至上とする工作機関に「妄動主義」も「英雄主義」もあり得ないからだ。
昨年11月に平壌で開かれた第3回日朝実務者協議で北朝鮮側が拉致被害者の横田めぐみさんのものとして提出した「遺骨」がDNA鑑定の結果、別人のものであることが判明し、これまで北朝鮮側が示した情報はことごとく偽造されていることが明白となった。ここまでして北朝鮮が拉致被害者の「死亡」を偽装するのは、生存しているからにほかならない。「特定失踪者問題調査会」によれば、安否不明者は日朝交渉での10人だけでなく、その他に拉致濃厚者28人、疑いが持たれる約370人(氏名公表・169人)がいる。これらの人々が生存している可能性が高く、そして日本に帰さないのは対日工作活動に従事させ、今なお対日スパイ工作を継続しているからである。
拉致被害者は 生存している
拉致被害者は最も機密性が要する分野で「任務」につかされている可能性が高い。事実、田口八重子さんは大韓航空機爆破犯の金賢姫元死刑囚の日本人教育係「李恩恵」であることが日本側の調べで判明している。だから拉致被害者を北朝鮮は何がなんでも「死亡」にしようとしているのである。
韓国の外交文書が明らかにするように、文世光事件が拉致事件の原点であり、これに対する対応を誤ったがゆえにテロ事件を続発させた。この原点に立ち戻って日本の平和と安全を再考察すべきなのである。北朝鮮の元工作員は「日本にはスパイ防止法がないから安心して侵入できるとの教育を受けた」と証言、03年1月に当時の佐藤警察庁長官は「国内におけるスパイ活動を防止するための法整備が必要」と言明している。
スパイ防止法は過去にあったらよかったという話ではなく、現在必要不可欠であるにもかかわらず、いまだ制定されていない。これでは北朝鮮の対日工作を阻止することはできない。文世光事件の教訓を無に帰すべきではない。スパイ防止法を早急に制定しなければならない。
(「思想新聞」2005年2月1日号 (c)IFVOC 2005)