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自分に負けない生き方とは
 今回の大震災や原発事故では「想定外」の言葉がたびたび使われたが、将棋のような勝負の世界では想定外が当たり前で、それに対処するために日々自分を鍛えている。…続きを読む

平城遷都1300年祭が行われている奈良に住む万葉の花研究家の著者が、万葉集に詠まれた100の花を、美しい写真と共に紹介している。…続きを読む

飽食の時代には、「何を食べるか」より「何を食べないか」が問題なのだという。…続きを読む

年を取るとともに名誉欲や金銭欲など俗的なものが削ぎ落ち、天命のままに自由に生きているような老人を見て、うらやましく思うことがある。…続きを読む

この書評は2011年5月に投稿されました。

大局観

著/羽生善治 角川oneテーマ21 760円

自分に負けない生き方とは

大局観  自分と闘って負けない心自分に負けない生き方とは
 今回の大震災や原発事故では「想定外」の言葉がたびたび使われたが、将棋のような勝負の世界では想定外が当たり前で、それに対処するために日々自分を鍛えている。中学生でプロ棋士になり、40歳で十分老成した風格を漂わせている著者が、「六十歳、七十歳になっても伸びる能力はまだまだある」と、これからの生き方を展望する。
 昨年10月、清水女流王将(当時)がコンピュータと対戦し、プロ棋士として初めて敗れ、話題を呼んだ。コンピュータは膨大な情報の中から最善の手を選ぶのだが、人間は反対に「極力手を考えない」という。経験から、「ここが急所かな」というのが「なんとなく」見えてくるからだ。だから、指し手を見れば、人間かコンピュータかはすぐ分かる。つまり、将棋は「読み」と「大局観」のゲームなのだ。
 その大局観を「いかに読まないか」の心境だ、と著者は説明する。手を読む能力は体力のある若手が優れているが、大局観は年齢を重ねるごとに進歩するので、それが闘う柱となる。しかし、そのためには「精神的に強くなる」のが条件だ。
 将棋界には「反省はするが、後悔はしない」という言葉があるという。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」とも。年を重ねるとは失敗を重ねることであり、骨身に染みる反省で知恵を得るのだが、うじうじ後悔していたのでは何にもならない。負けから学び、失敗をばねに勝った人だけがプロとして残っているのである。
 悔やまないためには、「自分の将棋は次の一手から新たに始まる」と思うこと。そして、「どんなにひどいミスをしても、すぐに忘れる」ことだという。失敗を引きずると、もっと大きな失敗を犯しかねない。
 そして、「地道にプラスになるような小さな選択を重ねることで、いつか大きな成果に至る」と言う。直感やひらめきも一つの才能だが、「確実に、一歩一歩進み続けることができる」ことこそが、最も素晴らしい才能だ、と。

この書評は2011年4月に投稿されました。

万葉の花

著/片岡寧豊 青幻社 1,890円

万葉集に歌われた四季の花々

万葉の花 四季の花々と歌に親しむ 平城遷都1300年祭が行われている奈良に住む万葉の花研究家の著者が、万葉集に詠まれた100の花を、美しい写真と共に紹介している。奈良時代末に成立した万葉集は、平安時代の古今和歌集に比べ人々の感情が素朴に表現されている。それだけ自然が近く、心が大らかだったのだろう。
 春のツバキでは、「我が門の 片山椿 まこと汝(なれ) 我が手触れなな 地(つち)に落ちもかも」(物部広足)。花が落ちやすいツバキに「私が手を触れないうちに、散ってしまわないだろうか」と、故郷に残してきた女性を心配している。東大寺二月堂や白亳寺(びゃくごうじ)などツバキの名所も紹介されているので、奈良を歩く時には持参したい。
 夏のアジサイは、「言問はぬ 木すらあぢさゐ 諸弟らが 練りのむらとに 詐かれけり」(大伴家持)。好きな女性に贈った歌で、「物を言わない木でさえ、アジサイのように色変わりするのだから」と女性の心変わりを嘆いている。60種1万株のアジサイが咲き誇る矢田寺は6月、あじさい祭りで賑わう。
 秋はハギ。「高円(たかまと)の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに」(笠金村)は分かりやすい。もっとも今は、ハギの花がきれいだと大勢の人が押しかける。中でも前述の白亳寺の山門に至る石段脇のハギは見事。ちなみに、日本一美しい石段と言われている。
 冬のウメは、「春されば 木末隠(こぬれがく)りて うぐひすそ 鳴きて去(い)ぬなる 梅が下枝(しづえ)に」(山氏若麻呂)。古代の花見はサクラではなくウメだった。「桃栗3年、柿8年」は「梅はすいすい13年、柚子の大馬鹿18年」と続く。いずれも日本人が愛した果樹である。
 万葉の花に魅せられて40年の著者は、遷都祭でも花のオブジェを担当。花の不思議について、庭に巻いたカタクリの種が開花するまで7年かかったと言う。寄生植物のナンバンギセルは、ススキの根に種をまぶした。丁寧な作りの本書には、工夫と研究の成果が収められている。

この書評は2011年4月に投稿されました。

1食100円「病気にならない」食事

著/幕内秀夫 講談社α新書 880円

「ご飯に味噌汁」をしっかり

1食100円「病気にならない」食事飽食の時代には、「何を食べるか」より「何を食べないか」が問題なのだという。避けるべきなのは、マヨネーズ、ケチャップ、ソースなどの調味料を使った食品、乳製品、粉食など。「フードは風土」という著者が勧めるのは、ご飯に味噌汁が基本の和食だ。
 間違っている食の常識は、厚生労働省が奨励していた「1日30品目」など多様な食品を食べること。むしろ、「シンプルな食事がいい」と言う。
 季節の野菜を入れた味噌汁に、煮豆や佃煮などの常備食があれば十分。ご飯8におかず2の割合で、栄養は取れるし、米の消費が増えるので農家も喜ぶ。
 末期のがん患者が多い帯津三敬病院で食事指導をしている著者は、乳がん患者に乳製品を好む人が多いと言う。「乳酸菌がお腹をきれいにする」からとヨーグルトを食べるなどの「牛乳・乳製品神話」は今や崩れつつあるらしい。酪農家には気の毒だが、確かに日本の風土には合っていない。
 コンビニのおにぎりも、鮭や梅などシンプルなものがいい。外食なら、ご飯に焼き魚など。ご飯だと調味料で品質をごまかせないからだ。チャーハンなど味付けのご飯になるほど、素材の質が落ちるという。
 100円の食事とは、ご飯30円に、味噌汁20円、白菜漬け6円、いわしのみりん干し33円、焼き海苔11円など。ご飯をおいしく食べるには、玄米で買い、家庭用精米機で食べる量だけ精米すること。米も生鮮食料品なのだ。多く炊いて冷凍保存してもいい。
 「無添加」や「カロリーオフ」などの表示にもだまされないこと。実際には5%以下の糖分が入っていたりするからだ。スポーツドリンクも避けよう。そもそも特別な事態のために開発されたもので、日常的に飲むものではない。子供の間食も「おにぎりと水で十分だ」と言う。そう言えば、昔はお釜の底のおこげを握ってもらっていた。
 要するにシンプルな伝統食に戻るべきだという著者の考えは、一つの文明論でもある。

この書評は2011年4月に投稿されました。

いい人ぶらずに生きてみよう

著/千玄室 集英社新書 714円

平和のため、一滴の茶となる

いい人ぶらずに生きてみよう年を取るとともに名誉欲や金銭欲など俗的なものが削ぎ落ち、天命のままに自由に生きているような老人を見て、うらやましく思うことがある。著者もその一人。2002年に裏千家家元を嫡男に譲ってからは、国連親善大使などとして、世界の平和のために茶道文化の紹介に努めている。
 同志社大学3年のとき召集され、特攻隊員となるも、出撃しないまま終戦。家に帰り、家元になる修行をしていたとき、早稲田大学にいた戦友から、米軍のダイク代将が「日本には古くから茶道という民主主義があった」という講演をしたとの連絡があった。そこで、著者は茶道紹介のため渡米したいと手紙を書き、やがてGHQ(連合国軍総司令部)民政局を通して米国でのホームステイ実現となる。現在の活動の原点だ。
 もっともそれは、千利休の茶道が表千家と裏千家に分かれた3代目・宗旦(そうたん)の2人の息子にさかのぼる。隠居した宗旦は、表の宗左に直立不動の独楽(こま)の紋を、裏の宗室には回っている独楽の紋を与えた。伝統を揺るがず守り、外に向けて発信する——2つの役割を車の両輪のように果たすためだ。
 同志社との縁は、新島襄夫人が祖父の弟子だったことから。海外に目を向けようと、著者の父・淡々斎(たんたんさい)を同志社に入れた。全講義が英語で行われ、おかげで淡々斎は戦後、米軍の将校らを茶でもてなすことができた。天命といっても、代々積み重ねられた努力の賜物であることが分かる。
 狭い茶室の中は誰もが平等。心の内を話し合えることから、武将の間に茶が広まる。2007年、著者は米下院外交委員会の議場で平和の茶会を開いた。慰安婦問題で騒がしい議会に落ち着きをもたらそうという、ラストン同委員会委員長の計らいだった。
 「利休様の教えを守り、人類の平和のため、一滴の茶となる」と決めたとき、ようやく「いい人ぶる」自分と決別できた、と言う。歴史が人をつくる、人に結実する好例だろう。「さて、私の場合はどうだろう」と考えさせられる。