北の後継者キム・ジョンウン
著/藤本健二 中公新書ラクレ 756円
『金正日の料理人』など、金正日ファミリーに身近に「仕えた」数奇な運命と経験で、話題を呼んだ藤本氏の新著。著者が、「王子」たちの遊び相手ともなってきたとして、知られざる金正恩氏の人となりの一端を伝えている貴重な資料と一言える。
そこで窺える「若大将」の素顔とは、茅沢氏のアプローチとは真逆だ。要するに、余りに身近すぎて「主観的」で、「客観的」記述と言えない。そのため編集上、専門家の「解説」を併録する。北朝鮮から「脱出」してきた著者の身とは言え、金正日体制の全面批判とはなっていない。むしろ先頃の後継レースから外れた長男の正男氏による数々の発言の方がむしろ「客観的」と言えるほどだ。もちろん藤本氏の場合、北朝鮮に妻子を残してきたということも、勘案されなければなるまい。
興味深いのは、著者の藤本氏が故・高英姫夫人の息子、正哲・正恩兄弟の「遊び相手」を務め、少年時代の二人を「大将」と呼んでいた事実。兄を「大きい大将」、弟を「小さい大将」と呼び、兄への対抗心を露わにした正恩少年の意を汲み、著者は「小さい」を取って「大将」と呼ぶようになったという。そんな親愛と郷愁の念からか、著者は地の文でも二人を「大将」と「愛称」で記述。注目すべきは、「正恩大将」は後継者と成るべくしてなった、と理由を述べる点。正男は離婚した先妻の子で、正哲は聡明だが、豪胆さに欠ける。正恩は親分肌で政治向き、という人物評だ。日本人拉致被害者への気遣いも垣間見えるが、新指導者への期待感が強いのは否めない。
北朝鮮帰国事業
「壮大な拉致」か「追放」か
著/菊池嘉晃 中公新書 840円
菊池氏は読売新聞記者。駆け出しの頃に出会った北朝鮮帰国事業問題への取材を重ね、韓国留学での修士論文をベースに本書が書き上げられた。戦後の日朝関係で際立つのは日本人拉致問題(含むスパイ工作)と帰国事業問題だ。このうち、拉致問題は小泉訪朝を契機に国民的関心事となった。ところが「人道上」から進められた「帰還事業」は、当初の誇大喧伝にもかかわらず、いつの間にか忘却の彼方に置かれ、日本人妻里帰り問題としてわずかに認識される程度である。
1959年から四半世紀にわたって行われた北朝鮮帰国事業。「地上の楽園」と宣伝された彼の地に在日コリアン、日本人妻など約十万人が渡った。だが帰国後、彼らは劣悪な生活環境・監視・差別に苦しむ。本書はその帰還事業の全貌を、近年公開された資料や証言を含め、長年にわたる丹念緻密な資料収集に基づいて善かれた労作と言ってよい。
エリートコースを擲っても祖国建設のために生きたいと北朝鮮に渡るも収容所に送られ、挙句はスパイ容疑で粛清……といった逐一挙げられる例が生々しく、本当に現実なのかと思わされるほどギャップがある。しかしこれが「地上の楽園」と謳われた北朝鮮という「収容所国家」の実態である。
菊池氏は、帰還事業が開始された背景に、「在日社会を差別と貧困の中に事実上放置していた当時の日本政府、帰国運動を後押しした日本の支援者、マスメディア、赤十字をはじめ関係国団体の対応にも一定の責任があるとしながらも、帰国者・日本人妻の「悲劇」を生んだ直接の要因は、①北朝鮮国内の人権抑圧体制、②帰国意思形成に決定的な影響を与えた宣伝と情報統御(北朝鮮の実態隠蔽)であり、その主たる責任は北朝鮮当局にあると指摘する。
日本が韓国と国交が回復する以前、冷戦下にもかかわらず「人道」という安易なヒューマニズムが闊歩したことが悲劇をより深刻なものにした(公平公正であるべきジャーナリズムが北朝鮮の片棒を担いだ事実は消すことができない)。帰国事業の背景でもある在日コリアンの来歴について遡って記述している点は、偏見を抜きに評価されてよいだろう。
