日本人はなぜ日本のことを知らないのか
著/竹田恒泰 PHP新書 756円
ここで言う日本とは、建国された当時の古代日本のこと。国民の多くがその由来を知らない建国記念の日は、『日本書紀』によると神武天皇の即位が西暦では紀元前660年2月11日になるからだ。
もちろん、著者はその通り主張するのではない。三輪山周辺に巨大前方後円墳が造営され始めた3世紀前後が大和朝廷の成立期であり、神武天皇に該当する最初の指導者が出現したのは、「およそ二千年前か、それ以上」と表現するのが妥当だろう、とする。天皇による統治が続いている以上、日本が現存する世界最古の国であることは間違いない。中国のように、王朝ごとに歴史は分断されてはいない。
では、古代日本の完成をいつとするか。第42代文武天皇の時代、701年に大宝律令が定められた時だとする。律令国家の完成で、「日本」の国号と「天皇」の称号も法律に明文化されたからだ。
古墳時代までの日本は多くの部族が連立していた。弥生時代は環濠集落が防衛的で、傷付いた人骨もあることから、戦乱の時代だったと推測される。そうした苦難を乗り越え、大和朝廷により統一されていったのである。神武東征や日本武尊の苦難の旅は、その一端を物語っている。事績が伝わっておらず、存在が疑問視されている第2代から9代までの天皇の時代は、国譲りのような婚姻による同盟の拡大が進められたからだろうという。
しかし、4世紀から5世紀の日本も、和による国づくりを目指した聖徳太子も、中国の冊封を受けることは嫌った。日本の独立を損なうからだ。大化の改新以来、元号も日本独自のものを使っている。「朝貢すれども、冊封は受けず」は、今で言えば「貿易はするが、隷属はしない」で、その気概が感じられる。
日本人が建国史を知らないのは、学校で『古事記』を教えないからだ。著者は、自然観、死生観、歴史観から成る日本人の価値観を教えるには『古事記』が最適だとして、その試論も展開している。
決断できない日本
著/ケビン・メア 文春新書 819円
学生への講義で「沖縄はゆすりの名人」と言ったと報道され、著者は2011年3月、米国務省日本部長を解任された。ところが直後の大震災で「ともだち作戦」の調整官に任じられ、被災地救援と原発事故の対応に忙殺される。本書はその体験を踏まえた日本論でもある。
講義録を元に告発したのは沖縄研修旅行に行った学生で、それを企画したのは護憲派弁護士の日本女性、学生たちは記事を書いた共同通信記者の自宅に泊まったというから、著者は嵌められたのだ。沖縄総領事を務め日本人の妻を持つ著者は大の親日家である。
原発事故の際、米国が最も懸念したのは、日本政府が対策を東電任せにして、正確な情報を得ていないこと。そのため一時、原発から200キロの東京の米国人にも退避勧告を出そうとしたが、著者は日米関係が揺らぐと反対、ぎりぎりで見送られたという。
東電は大津波による全電源喪失を「想定外」と発表したが、対テロ戦争中の米国は、原発がテロでそうなった場合も想定し訓練している。原子力とは国家の責任で管理する必要があるほど危険なエネルギーなのだ。危機への認識が、安全保障と同じように日本政府は不十分である。
東アジアの安全保障において「米国は槍、日本は楯」が持論の著者は、中国から見た日本列島の地図を示し、その戦略的重要性を力説する。韓国にも、日本の協力がなければ米軍は韓国を守れないと説得している。その意味では、日米同盟は非対称だが不公平ではない、と。
米政府が鳩山政権を信用しなくなったのは09年12月、社民党との連立を優先し、普天間基地移設の決断ができないと通告してきた時で、小沢一郎は自分の利益のためには日米同盟も犠牲にする「政治屋」だと思われているという。
「決断できない」のは和を優先する社会の欠点だが、同時に日本は「果断に決断するサムライの文化を有していた」と期待を寄せる。
日本の伝統とは何か
監修/梅原猛 ミネルヴァ書房 1,890円
日本の伝統を著者は聖徳太子の「和」から説き起こす。著者は「仏教の精神を和と捉えたのは太子の慧眼だ」と言う。古くは縄文人と弥生人、近くは蘇我・物部戦争を踏まえての和である。それは、妥協や迎合の和ではなく、立場を超えて議論するための和で、理を生み出すもの。理は利に通じ、人々を幸福にする。その和は今も生きている。
もう1つの伝統は、「草木国土悉皆(しっかい)成仏」を説いた天台本覚論である。インド仏教は動物までしか生命を認めなかったが、日本仏教は植物や鉱物にも命があるとした。著者は、天台本覚論は最澄の天台宗と空海の真言宗を総合したものだという。これが土台となって神仏習合、つまり日本の神々と仏の共存が可能になり、浄土教(浄土宗、浄土真宗、時宗)、禅宗(臨済宗、曹洞宗)、日蓮宗の鎌倉仏教が生まれた。今の日本人の思想は、これらのどれかに基づいている。
鎌倉仏教が大衆に行き渡る室町時代が、日本人が最も宗教的だった時代で、能楽や茶道、華道などの文化として花開く。著者は天台本覚論を最も的確に表現したのが観阿弥や世阿弥の能だとする。彼らの始祖が聖徳太子を支えた秦河勝で、河勝は太子の子・山背大兄皇子一族が滅ぼされた翌年、中臣鎌足により赤穂に流された。そうした経緯から、能が怨霊を描くようになり、怨霊史観を唱える著者の今の関心は能にあるという。
日本の伝統を大きくゆがめたのが西洋近代思想を受容した明治の日本だった。ホッブスの国家論に倣い天皇や国家を神とする国造りを目指し、伝統的信仰を破壊する神仏分離令を発した。それにより仏像など多くの文化財が失われ、その禍根は今も続いているという。
近代思想との戦いは、著者自身の哲学研究の歴史でもあり、80歳を超えてますます旺盛な著作活動を展開している。近年の発掘で出雲王国の実在性が強まると、それに合わせて自説を書き換えるなど頭脳も若く柔軟だ。西田哲学を超える梅原哲学の誕生を期待したい。
知っておきたい「日の丸」の話
著/吹浦忠正 学研新書 830円
大学時代に国旗と憲法の論文を書いたのがきっかけで、1964年の東京五輪で国旗担当職員を務めた著者が、日の丸の興味深い歴史を紹介している。
藤原京時代(694〜710)の高松塚古墳で著者が注目したのは、飛鳥美人の脇に描かれていた日像と月像。『続日本紀』では、朝賀の儀に日像・月像が立てられたとの記述があるからだ。これを、著者は日の丸の起源ではないかと推測する。古代日本人は太陽への崇拝心から日像を描いてきたのだろう。那須与一が屋島の海で射落とした小舟の扇にも、日の丸が描かれていた。
現存する最古の日の丸は、奈良県五條市吉野町の堀家に伝わる旗に描かれたもので、元弘年間(1331〜34)に後醍醐天皇が笠置山に行幸した折、錦の御旗として下賜されたという。
戦国時代には、天皇に認知され、その権威の下で天下を統一する印として、武将たちが競って日の丸を使うようになる。川中島の合戦では、武田信玄が白地に赤丸の、上杉謙信が紺地に赤丸の旗を使っていた。豊臣秀吉の朝鮮出兵で出陣した日本軍も日の丸を掲げていたことが、当時の絵で分かる。
江戸時代初め、京の豪商・角倉了以の船が東南アジアとの朱印船貿易を行ったが、清水寺には船尾に日の丸を掲げた船の絵馬が奉納されている。鎖国してから、日の丸は幕府の船の印として使われるようになる。
国旗としての日の丸を幕府が採用したのは嘉永7年(1854)のことで、薩摩藩主・島津斉彬の提案による。そして、万延元年(1860)に太平洋を渡った咸臨丸が、外国で最初に日の丸を掲げた。
先の大戦の記憶から戦後、日の丸は不運な歴史を背負うことになったが、近年、五輪やサッカーW杯などで使われる機会が増え、国民の間に素直に国旗として認知されてきたのを著者は喜ぶ。同時に、外国の国旗にも関心を向けるよう勧めている。国旗には、その国の歴史や文化が凝縮されているからだ。
皇位継承の危機いまだ去らず
著/櫻井よしこ・大原康男・茂木貞純 扶桑社新書 798円
2000年、124回にわたる男系による皇位継承の伝統を打ち破り「女性・女系天皇の容認」と「(男女にかかわらず)長子優先」を柱とする皇室典範改正の試みは、平成18年9月6日の悠仁親王のご誕生で頓挫し、事実上、棚上げとなった。しかし、半世紀後に皇位を継承されるのは、現在、お一人だけ。決して皇統の危機が解決されたわけではない。そこで、3人の論客が、皇室の歴史から皇位継承にかかわる問題を解説している。
櫻井氏は、今上天皇が皇太子の時、美智子さまへの電話で、常に公務を優先する立場であることを話されていたことを挙げ、ご成婚当初から、国民の上に立ち、日本を象徴する存在としての覚悟を備えておられたことを強調する。
「天皇のご存在こそ日本文明の核」と言う茂木氏は、神話に起源を持ち、伝承と歴史が境目なく現代につながっているところに大きな意義があるとする。
大原氏は、天皇は宗教的・文化的な共同体の首長で、実力で天下を取り、支配してきた「覇王」ではないとし、聖徳太子の十七条憲法にその精神が表れていると言う。
万世一系の皇統は直系で嫡系が優先されたが、それが不可能の場合、宮家による傍系と側室による庶系が支えてきた。側室が廃止されたのは時代の流れに沿うものだが、戦後、11宮家51人が皇籍を離脱し、26人いた皇位継承者がその資格を失ったのは、日本弱体化を狙ったGHQ(連合国軍総司令部)の圧力による。
皇位継承をより安定的なものにするには、旧宮家から可能な方に皇族の身分を取得していただくのが考えうる最適の道であろう。大原氏は、「復帰」ではなく「取得」だと言う。そのほうが、視点と意識を未来に向け、一般にも理解しやすいからだ。皇籍を離脱した人が再びその身分を取得し、皇位に就いた例は、宇多天皇、醍醐天皇など数例ある。
さらに宮中祭祀の公務化など、伝統継承の視点から皇室典範改正の議論再開を求めている。
わたしが国家について語るなら
著/松本健一 ポプラ社 1365円
小学校高学年から中学生を対象に、人生を真面目に語る「未来のおとなへ語るシリーズ」の一つ。ほかに、死や正義、仕事、家族、探究などが語られている。
今の日本人が日本という国を意識するのは、どんなときだろう。パスポートを持って海外に出るときや、五輪やワールドカップで日本を応援するとき。つまり、ほとんどの時間を私たちは国を意識しないで暮らしている。つい60年前、国のために戦わなければならなかった時代と比べ、何という違いだろう。
しかし「いくら暮らしが物質的に豊かになっても、民族の誇りとしての道徳や固有の文化を失った日本に魅力があるでしょうか」との思いは、多くの人にある。それは、誰よりも自分自身に向けられる問いであり、ならば同じ語り掛けを、子供たちにもすべきだろう。
世界は今、ウエルス・ゲームからアイデンティティー・ゲームの時代に入りつつある、と著者は言う。金儲けよりも、生きる意味が重要になっているのだ。その意味の大きな部分を、国が占めている。だから、国とは何か、私にとってどんな意味があるのか、考えなければならない。
「坂本龍馬が愛したのは、法律や制度で定めた近代的な国家であるとともに、故郷のように懐かしく思う日本という国だったはずです」と、著者は国と郷土のかかわりを語る。幕末から明治の日本が直面した最大の課題は、多くの藩の連合体のような日本を、いかにして欧米のような国民国家にするかだった。
その道を端的に語ったのが、福沢諭吉の「一身独立して、一国独立す」である。国民一人ひとりの精神的独立があって、国の独立は支えられる。逆に言えば、国民一人ひとりを大事にする政府でないと国民国家足りえない、ということだ。
先人たちは、外国から侵略されるかもしれないとの危機感から国づくりに励んできたが、今の私たちは国内の、国民の心の中の危機から、改めて国について考え、語ることが求められている。
何かのために sengoku38の告白
著/一色正春 朝日新聞出版 1050円
海上保安官の職を賭けて尖閣ビデオを流した理由とその経緯が、本人の口から語られている。国家とは領土とは何か、公務員は誰のために、私は何のために生きるべきなのか、わが身に重ねて考えさせられる。
著者は国立富山商船専門学校を出て商船会社などに勤務した後、海上保安専門学校門司分校を出て1998年、30過ぎで海上保安庁に入った。韓国漁船を取り締まる職務上の必要から韓国語を学び、そこで知り合った韓国人女性と結婚、息子2人が生まれた。
ビデオをYouTubeに投稿した昨年11月4日の翌5日、電話で妻に伝えると泣きだした。代わって電話に出た長男に「お父さんがいないときは、おまえがお母さんと弟を守れ」と言うと、「まかしとけ」と無邪気に応えた。失職は間違いないので、まず考えたのは家族のことだ。帰宅すると、妻は笑って「好きなようにしなさい」。著者は「この女を必ず幸せにする」と誓ったという。
ビデオを偶然、目にした著者が、その公開を決意するようになるのは、一連の措置で日本がますます情けない国になり、国に命を捧げた先人に申し訳なく、日本の漁師に顔向けができない、自分たちの仕事が否定され何のための海上保安庁なのかと思ったためだ。
その一方で、国家公務員の守秘義務違反には当たらないと考えた。ビデオは職務上入手したものではなく、中国人船長を釈放したことで裁判が開かれることはなくなり、物証の価値を失っていたからだ。
著者は最初、米国のテレビ局に匿名でビデオを郵送したが、何の反応もなかった。事件発覚後、取材に来た日本の記者に、あなたの社に送れば報道したかと聞くと、答えは否定的だったという。官庁だけでなくメディアも保身的なのだ。
渦中の著者を最も助けたのは5年間寮生活を共にした友達。官僚組織の崩壊を心配した仙谷由人前官房長官には「守るべきは役所か国か」「公務員は誰のために仕事をしているのか」と問う。
国家の命運
著/薮中三十二 新潮新書 714円
国益を懸けて外交交渉に当たる外交官は、必然的に愛国者になるようだ。外務事務次官を退官したばかりの著者の主張にも、それがうかがえる。在任期間中の外交交渉を概観し、世界の中で日本が生きていく道、その心構えを述べている。
アフガニスタンなどでの人道支援が、日本の平和貢献として認められてきたというのは喜ばしい。今後の日本の成長戦略は、成長著しいアジア市場で主導権をとり、韓国、中国、ASEAN諸国を巻き込んでアジア標準のシステムを作ることだという。それが、やがて世界標準となる可能性が大だからだ。そこで創業者利益を最大化するのが、日本の生き残り戦略となる。南米での地デジ売り込み成功がその一例で、欧州勢に一矢報いる形となった。
世界が日本についてもっとも心配しているのは人口動態、少子高齢化である。904兆円、GDP196%もの債務残高は、先進各国の60%を大幅に超える。1400兆円の個人金融資産も人口動態からして減少傾向は明らかで、1990年代に15%だった家計貯蓄率も今では米国並みの2%台に落ち込んでいる。GDPは世界3位だが、一人当たりだと23位に後退した。デフレの正体も生産人口の減少だが、著者はそれに対する危機感が政府にも国民にもなさ過ぎる、と嘆じる。
さらに心配なのは若者が内向きなことだ。米国に留学している学生の数は、インド9・4万人、中国8・1万人、韓国6・9万人に対して日本は3・3万人にすぎない。また、著者が日本の大学で講演すると、最初に質問するのは中国人学生で、次に韓国人学生だという。彼らの必死さに日本の学生も学ぶ必要がある。
1980年代の米国は国力を衰退を外国人の受け入れで回復させた。日本も、日本語をバリアとせず、その道をとるべきだろう。所得の減少から来る閉塞感を打ち破るには、経済のパイを大きくするしかない。世界の中で生きていく道を真剣に探る中から、領土を守る意識も高まってくるように思える。
日本的
著者/玄侑宗久 海竜社 1500円
著者は冒頭「最近の私は、『この国のかたち』を自分なりに模索する文章を書いてきたような気がする」と述べる。グローバリズムという化け物が闊歩し、地域社会共同体ばかりか家族という最小ユニットの内実までが怪しくなってきている日本を危ぶみながら。
著者が属する臨済宗の中興の祖、白隠禅師が強調したのは4つの誓願と菩提心だ。前者は、衆生は無辺だが必ず救おう、煩悩は無尽だが必ず断とう、法門は無量だが必ず学び尽くそう、仏道は無上だが必ず成就しよう、というもの。「要するに、これらは不可能であるがゆえに、永遠の誓いなのである」と言う。菩提(悟り)を求める心も永遠の道であり、生きているうちに完成することはない。だからこそ永遠の誓願を立て、「動中の工夫」を白隠は最も重視した。いわば暮らしの中の工夫で、それが勤勉な日本人を育ててきた。
さらに著者は好きな荘子の言う「両行(りょうこう)」に日本人のダイナミズムを見る。両行とは両義性、相対性のこと。ベネディクトは『菊と刀』で、菊を丹精する日本人が同時に刀で人を切る武士を尊敬するのを矛盾ととらえたが、著者はそれらが縦糸と横糸のように織り成されているのが日本人だとする。臨済禅師が「釈迦に逢ったら釈迦を殺せ」と言い放ったように、どんなものも絶対化しないのが、中国と日本の伝統だ。
中国の古典にさかのぼりながら、仏教者にもキリスト教に負けない罪の意識があることを論証した上で、「ただただ誓いが足りないだけなのではないか」とし、師の前で誓うのが仏教の伝統であることから、一番の問題は「師弟関係の希薄化ではないか」と言う。これを家庭や職場や地域の人間関係に敷衍すると、より高い価値につながる縦的な関係の喪失である。
そこで問いかけるのは「覚悟」だ。不可解な人生や心に、(理屈ではなく)覚悟をもって向き合うことが最も大事で、その覚悟がなければ、どんなにモードを変えても逃げになる、と。
日本人へ
国家と歴史編
著者/塩野七生 PHP研究所 1365円
イタリアに住む塩野七生氏によると、日本の一家大の欠陥は戦略のなさだという。外国人の歴史家ならば、「持てる力を活かせないでいるうちに衰えてしまった民族、と評するのではないだろうか」(『日本人へ 国家と歴史編)と。
これには、指導者の覚悟の度合いが大きいようだ。沖縄返還の「密約問題に関連して、「たとえ自分は地獄に落ちようと国民は天国に行かせる、と考えるような人でなくてはならない」と、自分が天国に行きたがる指導者ばかりなのを嘆じている。密約が成されたから敗戦で失った沖縄が帰ってきたのであり、それのない北方領土はいまだに取られたままだ。
八月のメディアは戦争の「反省」一色だが、「はっきりしているのは日本が敗れたという一事で、負けたから侵略戦争になってしまったのだ」と。そして、論じるべきことはただ一つ、「どうやれば日本は、二度と負け戦をしないで済むか」だと。
日本がなすべきことは、安定政権の樹立と、憲法改正により海外派兵を可能にすることだ、と明快。そのための大連立の実現を小沢一郎氏に進言している。
私は日本を守りたい
家族、ふるさと、わが祖国
著者/稲田朋美 PHP研究所 1575円
日本的伝統と価値を重んじ「道義大国」を標榜せよという稲田朋美衆院議員の新著。外国人参政権や、人権擁護法案、民法「改悪」といった「亡国法案」を次々と繰り出す民主党に断固反対する舌鋒の鋭さは、靖国訴訟や「百人斬り」裁判で国側弁護人に携わった、さすが法律のスペシャリストである。
稲田代議士の論点は「排外ナショナリズム」のように見える向きもあろうが、その実、「人権の名の下に人権を傘に着てゴネ得を貪る人々、親の出生届や不法入国といった当事者の不作為を棚に上げた法の盲点を突く裁判闘争など、とかく、「道義」という古きよき美徳を失った日本の「異様さ」との戦いにおいて最前線に立つ著者の姿が浮き彫りとなる。道義的におかしいものはおかしいと率直に発する勇気を買いたい。「世界第2の経済大国」という形容詞が今後の日本から失われたとしても、真面目に生きる者が損をしない社会、世界から尊敬される「道義国家」をめざすため、憲法改正など「7つの提言」を説く著者の、政界での奮闘ぶりに今後とも注視していきたいものである。
日本辺境論
著者/内田 樹 新潮新書 777円
構造主義などポストモダン思想の論客、内田神戸女学院大教授による話題のベストセラー近著。先著『私家版・ユダヤ文化論』は、山本七平以来のユダヤ論と絶賛された。これに倣って言えば本書は「私家版・日本文化論」ということになる。
内田氏によれば日本及び日本人は典型的な「辺境の民」だという。「世界標準」という物差しばかり気にかけて追い求め、「自分で物差しを拵える」ことをしない民族だという。それは確かにそういう側面はある。特に幕末・明治以後は特にその傾向が強い。
だが、それまでの武家政権は「閉じられた一つの完結した体制」であったに違いなく、西洋的中世の尺度では測れない気がするのだが。
内田氏はしかしこれも「辺境」であることの「柔軟性」の利点をも指摘している。
内田氏の「辺境」とは、中国の儒教世界を中心とした「華夷秩序」における「中華」の対義語としての「夷荻」という捉え方ももちろんあるが、新しいパラダイム(知の枠組み)を提示したりすることもない、それが良くも悪くも日本人に染みついた性向だというのだ。とはいえ、面白いのが日本の漫画文化に関しては、西欧的スタイルを改めっていると評価する点だ。
ただ、日本に根深く横たわる「辺境人根性」を説明するために、多くの歴史的事例を引用してくる。なるほどと唸らされる点も少なくないのだが、首を傾げる部分もある。
例えばヴェルサイユ体制と日英同盟の解消という点には、黄禍論が横たわっていたのであり、それゆえに次席全権の牧野伸顕が「人種差別撤廃条項」を提案したが、人種問題を抱えていた米国に斥けられたことだ。
その他、「日本」という国号は、中原(中国)から見て日出づる方向にあるというが、聖徳太子は隋の煬帝に対し「日没する処の天子」と表現している。だからあくまで中国を中心とした見立ではない。
またドラマ「水戸黄門」は「日本人と権力の関係についての戯画」とシニカルに評するが、これはフーコー的な深読みで、大多数の日本人は勧善懲悪の定型ドラマだからこそ安心できるエンターテインメントになっているのだ。
日本人は考えず馬鹿なことをやっている、だからもっと自分が示して見せたように考えろというのが、著者の本音なのだろう。ただし、感心するのは著者が一貫してフェミニズム論客の本質を鋭く批判している点だ。イリガライの「言葉を女性自身のものに」という受け売りを主張する日本のフェミニストは、日本語の「女性の言葉」の存在を無視していると、その欺瞞性を衝いている点はさすがだ。
ともあれ、哲学というものは、右にしろ左にしろ縛られるのが嫌いなようである。だからこそ「哲学は世界を変革するのではなく解釈してきただけ」というマルクスも「哲学は党派的」というレーニンも哲学を信用しなかったのである。
王道の日本、覇道の中国、火道の米国
著者/青山繁晴 PHP研究所 1575円
学生の頃、共産党の学生組織・民主青年同盟盟の幹部に質問をぶつけたことがある。「軍事費削って福祉にまわせというが、米軍が撤退し自衛隊もなくなった時、どこかの国が攻めてきたらどうするの?」と。学生自治会(教養部)の委員長も務めたことのある彼は一瞬、絶句して苦笑するばかり。むしろ「どこかの国に攻めてきてほしいと望んでいるのか?」と真面目に勘ぐったほどだった。これを論破できない共産党(幹部候補生)に未来はないと確信した出来事だった。
さて、「海上自衛隊は海外に行かせない、海上保安庁で十分」という民主党政権の安保政策は、あまりにも自衛隊を蔑視している。「事業仕分け」による劇場型政治も、十分な議論もなく一時間で決着をつけるという「やっつけプロレス型」であり、教育や国防などの重量級も、印刷費云々という軽量級も十把一絡げの議論は大いに疑問符がつく。ともあれここでは防衛予算の本体は政治判断されたものの、在日米軍基地移転問題における迷走ぶりは、平和ボケここに極まれりという様相を呈している。民青幹部氏同様、民主党政権も「日本が攻められたら」は思考停止状態のようだ。だが、その深刻さを指摘する大手メディアは産経新聞ぐらいだ。日米同盟がギクシャクし、親中路線に日本政府が走れば、誰が見ても中国の思うツボなのは明白なのにである。
青山氏の著書は、冒頭で「ヤルタ協定」による現在の「日本領」が国際法上に照らしていかに理不尽なものであるかを示している。北方四島はもちろんのこと、南樺太すら正式に「割譲」されていないことを強調するのだ。実際に、帰属が唆味なのである。問題なのは、戦後の日本が「国土保全」への意志を失ってしまったことだ、と著者は指摘した上で、「国境地帯」としての対馬、北方領土、与那国島などを直接訪問しその脅威を実感したリポートともなっている。日本がこうした「国土保全への意志と戦略」を持たずして「東アジア共同体」云々とは、笑止千万だ。すなわち台湾ばかりか、沖縄が「琉球」にされる脅威に、中国の覇権主義が改まらない限り、常にさらされ続ける。
そう考えると、中国の戦略がいかに強かであるかが窺えよう。民主党の政策(沖縄・北海道の「地方主権」という名の国家分断)はもはや、中国の覇権戦略と軌を一にしているとさえ言える。
それにしても、青山氏の筆致はテレビのクールな印象と違って熱い。それは裏返せば、危機感の顕れだ。表題の「火道」とは著者の造語で火によって物事を改めることを比喩している。
日本よ、「戦略力」を高めよ
「憲法9条」「国連至上主義」の呪縛を解く
編/櫻井よしこ 文藝春秋 1100円
櫻井よしこ女史を理事長とする国家基本問題研究所による緊急シンポジウムといった体裁の書だ。櫻井女史のほか、外交評論家の田久保忠衛・杏林大学客員教授、拉致問題の「救う会」副会長の島田洋一・福井県立大教授、田久保氏の時事通信の後輩の冨山泰民らの論文が集成されている。いずれも現在の半世紀を迎えた日米同盟を基軸とする外交戦略から民主党政権はブレるな、という警鐘を鳴らしている点が共通の基盤にある。
最悪のシナリオは、アメリカが日米同盟から離反・撤収し、中国をパートナーとした上で、米中がそろって日本の「核武装の阻止」へと動くことだ。オバマ米政権がナチスの野望を野放しにした英首相のように「チェンバレン化」する可能性は、既にオバマ訪中の体たらくが示唆している。もちろん米国側にも、日本と中国、どちらがより「危険」なのかを、よくよく認識させる必要がある。
その意味で自由と民主主義という価値観においてナイーヴなはずの米国民は一体どこに行ってしまったのだろう、という気もしないでもない。
そしてその「眼」を曇らせているのが、ウォール街を大伽藍に見立てた唯物的拝金主義だとしたら、米国の衰退と凋落は、本格的に始まっていると言わざるを得ない。
さらに言えば、日本も自分の生活」をもうけて、国家を滅すという亡国の道をたどらざるを得ないだろう。そうなることがないためにも、この1冊を一読する価値は十分にある。
