共産主義は間違っている!
国際共産主義勢力、文化共産主義勢力の攻勢に勝利しよう!

勝共運動による救国救世

1968年、ドイツに生まれた著者は、生きる目的を探すなか16歳で禅に出会う。初めての坐禅で得たのは「身体の発見」だという。…続きを読む

越後配流後の親鸞を新聞に連載中の五木氏と、親鸞を「二、三年後に書き上げるはず」と言う梅原氏の対談は、おのずと親鸞の意味を問うことに集約されてくる。…続きを読む

「生きることは苦である」と喝破した釈迦が、最後に残した言葉は「この世界は何と美しく、人間の命は何と甘美なものなのだろう」。…続きを読む

来年、宗祖法然の没後八百年を迎える浄土宗では、大々的な遠忌事業が計画されている。…続きを読む

著者は元NHKのアナウンサー。50過ぎに千葉でセカンドハウスを借りたら、家主が宮司で、跡継ぎにと頼まれ、…続きを読む

東大史料編纂所教授の著者が、意外と豊富な日本キリシタンの史料を引用しながら、“殉教”をテーマに日本人の気質や死生観を探究している。…続きを読む

春夏秋冬の題材をめぐる禅話的なエッセー。四季への対応が最も鮮やかなのは動かない植物だ。…続きを読む

江戸時代は儒教が官学に採用され、寺檀制度によって寺が幕府の下請け機関になり、葬式仏教になってしまったことから、近世の仏教には見るべきものがないとされてきた。…続きを読む

葬式仏教と批判されながら、生きた人の苦しみに向き合い、支えになろうと努めている僧たちは全国にいる。…続きを読む

著者の父・手島郁郎は日本発祥のキリスト教運動「原始福音神の幕屋」創始者。…続きを読む

和語としての「しあわせ」は、室町時代には「仕合わせ」と書いていたという。…続きを読む

全国に7万余りある寺のうち1万5000寺が住職のいない空き寺で、その数は増え続けている。…続きを読む

『教行信証』は浄土真宗の宗祖・親鸞が52歳の頃に完成した同宗の根本経典。20年の歳月を要し、さらに生涯にわたって推敲し続けた跡がある。…続きを読む

『道元禅師』で泉鏡花文学賞と親鸞賞を受賞した立松氏と『親鸞』を書いた五木氏の対談集。…続きを読む

自由主義神学の父とされるシュライエルマッハーと、彼を克服する弁証法神学のカール・バルトなどの著作を読み解きながら、現代における国家と宗教とのかかわりを論じている。…続きを読む

この書評は2011年5月に投稿されました。

迷える者の禅修行

著/ネルケ無方 新潮新書 税込777円

日本人に「大人の修行」を

迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教 1968年、ドイツに生まれた著者は、生きる目的を探すなか16歳で禅に出会う。初めての坐禅で得たのは「身体の発見」だという。
 鈴木大拙らの活躍でドイツにも禅道場がある。もっとも曽祖父は日本の三井で貿易に携わり、牧師になった祖父は4歳まで東京で育ったから、縁はあった。曽祖母はリルケに岡倉天心の『茶の本』を紹介したほどの人。
 禅僧になろうと、ベルリン自由大学から22歳で京都大学に留学し、兵庫県の山奥にある曹洞宗の修行寺・安泰寺に入る。来日して戸惑ったのは、日本の僧は仏ではなく住職になるために修行し、一般人は仏教を知らないこと。
 25歳で出家した出家した著者は、臨済宗の本山でさらに修行し、安泰寺に戻る。そして、無宗教化した日本でこそ布教すべきだと考え、大阪城公園でホームレス生活をしながら坐禅会を始めた。この時、ビジネスパークの無料パソコンでホームページを立ち上げる。
 理想的な雲水生活をしていた著者に、安泰寺の住職が事故死したとの知らせが。葬儀の後、2002年に住職を継ぐ。修行を始めた頃、指導を求めた著者に「修行は自分でするもの」と答えた亡き師匠。著者は「ここで大人の修行をする」と決めた。
 その後、安泰寺の修行者は外国人が過半となり、共通語は英語。「日本人は支柱が必要なトマト、西洋人はひもをたらせば勝手に伸びていくキュウリだ」と言う。日本人が得意な居眠りが、ドイツ人にはできないとも。身体感覚の違いだろう。
 日本人が優れているのは「和」の感覚で、自我の強い西洋人は苦手だという。著者が目指しているのは、両者の長所を取り入れた修行だ。例えば、起床を2時間早めるだけで、生活がかなり合理化されたという。
 大阪城公園で知り合った女性と結婚。息子を授かって親の気持ちがわかり、「子供こそ、大人を大人にしてくれる」と言う。しかし、彼が僧になると言ったら、必ずほかの寺に修行に出すそうだ。

この書評は2011年5月に投稿されました。

仏の発見

著/五木寛之・梅原猛 平凡社 1470円

親鸞がこだわった「悪」をめぐり

仏の発見 越後配流後の親鸞を新聞に連載中の五木氏と、親鸞を「二、三年後に書き上げるはず」と言う梅原氏の対談は、おのずと親鸞の意味を問うことに集約されてくる。悪人正機や女人救済という浄土教の核心を説いた法然の教えを、弟子の親鸞は徹底させる。
 具体的には、法然もしなかった妻帯である。梅原氏は「大乗仏教を一つの革命とすれば、もう一つの大きな革命が、親鸞仏教ですよ。日野家の出身ならば、摂関家の兼実の娘と結婚しても、おかしくないと考えたのでしょう」と言う。
 法然に帰依していた関白の九条兼実(かねざね)は、罷免された上、地獄に落ちる恐怖から異常な精神状態になり、阿弥陀如来への念仏により誰もが等しく救われるとする法然に「女をたくさん知った私と、あなたのような清僧の念仏は違うのではないか」と問う。「同じだ」と答える法然に兼実は、弟子の中から清僧を選び、自分の娘の玉日(たまひ)と結婚させるよう迫った。そこで法然が選んだのが親鸞である。
 五木氏は「当時の結婚という形態を考えてみると、ちょっと疑問が残りますね」と応じる。男が女の家に通う通い婚が一般的だったからだ。京都・伏見区にある西岸寺には、玉日が住んでいた兼実の屋敷を寺にしたとの伝承がある。梅原氏は、そんな伝承を採集して親鸞を書こうとしているという。
 親鸞が戒律を破ることにもなる妻帯に踏み切ったのは、自らの悪に向き合うためだったのだろう。性愛から生じる悪は、自身と不可分の悪として自覚せざるを得ない。それでも如来の救いを信じられるかが親鸞の思いであり、師への信頼がそれを乗り越えさせた。
 両氏の原点には、不幸な死を遂げた母への思いが共通している。五木氏の母は敗戦後の朝鮮の混乱の中で、梅原氏の母は氏を産んだ1年3カ月後に、それぞれ亡くなっている。子を生かすために死んだ母の救いを願う思いが、女性をめぐって悪の意味を問い続けた親鸞に、両氏を傾倒させているようだ。

この書評は2011年5月に投稿されました。

官能仏教

著/西山厚・愛川純子・平久りゑ 角川書店 1470円

人生を甘美にしてくれる信仰

奈良の都―その光と影「生きることは苦である」と喝破した釈迦が、最後に残した言葉は「この世界は何と美しく、人間の命は何と甘美なものなのだろう」。人生が苦だけなら、人類ははるか昔に滅んでいたに違いない。生き続けているのは甘美だからだ。インドでその意味を探求し、官能仏教と造語した奈良国立博物館学芸部長の西山氏と2人の女性が、楽しいエッセーをつづっている。
 「官能を性的なものだけと考えるのは間違いで、本来、すべての感覚で得る快さのことを指す」と西山氏は言う。言葉はその感覚の一部を表現したにすぎない。
 わかりやすいのは密教の歓喜天(かんぎてん)で、よく「聖天(しょうてん)さん」と呼ばれ、夫婦和合、商売繁盛のご利益があるとして広く信仰されている。象の頭をした2人の仏が抱き合っている不思議な仏像で、古代インドの神、ガネーシャが仏教に取り込まれたもの。元は悪い神だったが、女好きなのを利用して観音菩薩が仏教に帰依させたとされる。
 金剛界で最高の明王とされる愛染(あいぜん)明王は、密教が生み出した愛の願いをかなえる仏。真っ赤な体に憤怒の表情で、手には弓矢を持っている。意味からすればギリシャ神話のエロス(キューピッド)と同じなのだが、激しい怒りが呪力の強さをうかがわせる。後三条天皇は愛染王法の力で後冷泉(ごれいぜい)天皇の死を早めさせたという。
 茶々・淀殿も信仰していた「弁天さん」は、古代インドの水の女神サラスヴァティー。弁舌と知恵の弁才天が弁財天にも転じ、女性や商人の信仰を集めている。香の秘法が特徴で、仏教に奥深い香りをもたらした。
 湯屋の中で全身が膿んだ男の体から、口で膿を吸い出したという光明皇后は、まさに観音菩薩の化身。男性にとって、女性と母の理想像とも言えよう。父藤原不比等の邸宅を国分尼寺の総本山・法華寺とし、そこに施薬院や悲田院を建てた。尊敬する父がつくったこの国を、女性の力で支えようとした願いが伝わる。真筆『楽毅論(がっきろん)』から、力強さと大雑把さがうかがえるというのも面白い。

この書評は2011年4月に投稿されました。

法然と秦氏

著/山田繁夫 学研 1,890円

渡来系に生まれ日本人の芯となる

法然と秦氏来年、宗祖法然の没後八百年を迎える浄土宗では、大々的な遠忌事業が計画されている。厳しい修行や教学によらなくても、ただ「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで死後、浄土にいけるとした法然の教えは、仏教が大衆に浸透するきっかけとなり、鎌倉仏教の開祖たちの出現を促した。その意味で、日本に宗教改革を起こした人物と言えよう。宗教紙「中外日報」で浄土宗を担当してきた著者が、ジャーナリスト的な視点から法然とその出自である秦氏との関係を探っている。
 秦氏は、秦の始皇帝を始祖とする新羅系(百済系との説も)の渡来人で、5世紀後半に日本に来たとされる。最も有名なのは、聖徳太子に仕えた秦河勝で、太子から授かった仏像を本尊に、京都・太秦に広隆寺を開いた。氏から連想される機織をはじめ土木や金属、酒造など多彩な技術を持っていたとされ、渡来人の中では最大規模。1133年に美作国久米(今の岡山県久米南町)に生まれた法然は、母が秦氏と記録されている。父の漆間氏も朝鮮半島の加羅から渡来した秦氏系の辛島氏と同族である。
 金属技術を持ち、大分の香春岳で銅を採掘していた辛島氏と宇佐氏、大神氏の氏神が融合したのが神仏習合の八幡神で、東大寺の大仏造立に協力することで中央に進出する。さらに京都を開拓した秦氏は、長岡京・平安京遷都の陰の実力者となる。著者は、比叡山から奈良に遊学した法然が、今の右京区を通る回り道をしているのは、秦氏の支配地を訪ねたからだと推測する。
 秦氏は蘇我氏のように権力を目指さず、地道な技術者として地域を支えた。そうした生き方は、貴族から庶民へと日本仏教を大転換させた法然の姿勢と重なる。既成仏教から迫害を受け、四国に流される途中、舟でこぎ寄せた来た遊女に女人往生の教えを説いたのも、慈愛の人法然らしい。さらに著者も力説するが、親鸞の悪人正機説は法然がオリジナルだ。神仏習合の信仰やものづくりの伝統を培った秦氏は、渡来人ながら日本人の中心をつくったとも言えよう。

この書評は2011年4月に投稿されました。

神道講話への誘い

著/宮田修 戎光祥出版 1,890円

日本人が日本人に帰るために

神道講話への誘い―聴き手を幸せにする話のテクニック著者は元NHKのアナウンサー。50過ぎに千葉でセカンドハウスを借りたら、家主が宮司で、跡継ぎにと頼まれ、「人助けだと思って」神職を継いだ。全くの偶然なのだが、神職になって「伝統的な日本人の遺伝子に目覚めた」と言う。神主のいない神社が多いため、今は32の神社を預かり、季節ごとの祭りや地鎮祭など行っている。
 アナウンサーは人に分かりやすく話すのが仕事。一方、神道には古来から「言挙げしない」伝統があり、祝詞にしても何を言っているのか分からない。しかも文明社会は、神道が生まれた自然や文化を失い、日本人が日本人である意味さえ忘れかけている。そんな神社の現場に立ち、神道の通信教育で目覚めた遺伝子が、NHKで鍛えられた技術で花開いたのが本書だ。
 話のこつは、㈰話の引き出しを準備しておく㈪聴衆の中から3〜4人のモニターを選び、顔を見て、理解を確かめながら話す㈫聞き手を、一人の人間として関心を持つ㈬最後に話すことを決めておく㈭間を取る㈮楽しく、明るく話す。
 講話例は神道理解にも役立つ。例えば、年初めの歳旦祭は、字の説明から始める。聞いても分からないからだ。皇居では天皇さまが四方拝と歳旦祭をされると続け、日本の国のかたちを話す。「天皇さま」と言うのは親しみを込めるため。
 春祭りの祈年祭(としごいの祭り)、年には1年と米の2つの意味がある。秋祭りの新嘗祭は収穫を感謝する祭り。今では11月23日は勤労感謝の日だが、それでは米と共に生きてきた日本人の歴史が伝わらない。
 著者は、日本の神はあらゆるものの中に、そして人の心の中にいるものだと言う。生活の中で神を大切にすることにより、事故や悪を避けることができる。神職の階位にも使われる「浄、明、正、直」に日本人の価値観、美意識が現れている。
 神職になり、祖父母、両親、子供たちとの命の繋がりを実感できるようになったと言う。今の日本人に一番欠けていることではないだろうか。

この書評は2011年4月に投稿されました。

殉教

著/山本博文 光文社新書 819円

日本キリシタンの奇跡に迫る

殉教 日本人は何を信仰したか東大史料編纂所教授の著者が、意外と豊富な日本キリシタンの史料を引用しながら、“殉教”をテーマに日本人の気質や死生観を探究している。
 1549年に鹿児島に上陸したフランシスコ・ザビエルがキリスト教をもたらしてからわずか半世紀で4000人もの殉教者を出したのは、キリスト教会史においても特筆されること。同様に宣教された中国では殉教はほとんどなく、迫害が繰り返された朝鮮でも殉教者は支配階級の両班に限られていた。本家のヨーロッパでも、異端狩りや魔女裁判はあっても殉教はほぼなくなり、正当な信仰に基づく殉教は日本でのみ起こったという。
 日本での宣教が成功したのは、第一に大名たちが貿易の利益から入信したこと、さらに領民を半強制的に入信させたことだ。それだけだと現世利益的だが、本物の信仰に到達した武士からは、信念を変えるよりは潔く死を選ぶという武士道のエートスから、積極的に殉教する者が出てきた。
 土俗的で因習的な信仰レベルにいた民衆は、キリスト教のもつ近代性と平等な信仰共同体に触れて感動し、中世ヨーロッパに見られる聖遺物信仰さえ生まれている。火あぶりの刑に処せられた殉教者の遺物を競って持ち帰り、拝むようになったのである。その意味から、庶民レベルでもヨーロッパ人と同じレベルの信仰を持っていたと言えよう。
 もっとも、信仰のありようは一様ではなく、厳しい迫害が始まってから20年ほどで、宣教師をののしるような棄教者が出てきたことも事実だ。宣教師の中にも“転ぶ”者がいて、遠藤周作の名作『沈黙』のモデルとなる。隠れキリシタンにしても、彼らが真正の信仰を維持したかどうかは疑わしい。
 他方、死が待つことを知りながら日本を目指した多くの宣教師にも触れ、著者はそこに武士的なエートスを見る。副題にある「日本人は何を信仰したか」は、おそらく一つの答えでないだろう。それは、日本人でなくても同じだ。

この書評は2011年4月に投稿されました。

四季の公案

著/玄侑宗久 佼成出版社 1,470円

変わることで変わらない自分

四季の公案 春夏秋冬の題材をめぐる禅話的なエッセー。四季への対応が最も鮮やかなのは動かない植物だ。「学ぶべきはその覚悟と生き方である」と著者は言う。春に新芽を吹き、夏に葉を茂らせ、秋に紅葉して、冬に葉を散らせる。変わり続けることによって変わらない自己がある。それを故人は「風流」と呼んだ、とも。
 常緑の「松」も人知れず葉を散らし、新陳代謝している。人はかつて落ちた葉をかき集め、貴重な燃料としてきた。そんな暮らしから遠のくと、四季の移ろいに鈍くなってしまう。人間も、細胞が生死を絶えず繰り返しているから、「相変わらずでいられる」。だから、過去や未来にとらわれず、今を生きようというのが禅の真髄だ。
 「雪」では、道元の言葉「冬雪さえて冷(すず)しかりけり」には覚悟があると言う。栄西と異なり道元は権力から遠ざかろうとした。それは、自然のままに生きたい、人工的な都市には近づかない——との思いからだと。
 「梅華」では、「梅が咲くことで春を呼び込もうとしている」と能動的な生き方を勧める。「つらい境遇のなかに、ちょっとしたよい兆しを見つけてゆく」と。不幸には敏感だが幸福には鈍感な自分だ。紅梅、白梅の写真があるのもうれしい。
 「薫風」は初夏の風。人生の面白みは、思惑を超えたところにある。「風まかせ」「のらりくらり」が最も素晴らしい——と言うのは良寛的。「竹」のように、風を受ければしなる「柔弱」が老子の中心思想だ。
 「行雲流水」では、相手とのかかわりのなかで、その時その場だけに現成するのが「私」であり、あらゆる状況に応じられるのが「自由」だと語る。私を固定せず、枠組みを緩くしていくことで、よりよく生きられる。なんだか肩の荷を降ろせそうだ。
 禅では「月」を仏性と見る。丸い月が満ち欠けするのは、私のいる地球のせい。日本人が月に思い寄せるのは、月のような仏性が自分の中にもあると思っているから。内なる輝きを大切にしていきたい。

この書評は2011年4月に投稿されました。

近世の仏教

著/末木文美士 吉川弘文館 1785円

近代を生み出した信仰の展開

近世の仏教―華ひらく思想と文化江戸時代は儒教が官学に採用され、寺檀制度によって寺が幕府の下請け機関になり、葬式仏教になってしまったことから、近世の仏教には見るべきものがないとされてきた。哲学的な奈良仏教や魅力的な宗祖が活躍した鎌倉仏教に比べると、いかにも影が薄い。しかし、明治の近代を生み出した土台として江戸時代が見直されているように、著者は近世仏教に新しい光を当てている。
 武士出身の曹洞宗僧侶、鈴木正三(しょうさん)は、士農工商がそれぞれの職務を果たすことが仏法であると説き、仏教を世俗の倫理に転化させた。マックス・ヴェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を発表したのより300年も前の話だ。さらに正三が、寺を犯罪防止に役立てる構想を語っていることから、幕府の宗教政策を受け入れる土壌が寺側にもあったことを、著者は指摘する。
 徳川家康の宗教ブレーンとして活躍した天台宗の天海(てんかい)は、100歳以上の長寿で秀忠・家光にも仕え、幕府の宗教政策・朝廷政策を方向づけた。織田信長、豊臣秀吉に続いて家康を神格化する際、吉田神道ではなく山王神道の形式で権現とし、日光東照宮に祀った。これを著者は、天台宗の本覚(ほんがく)思想を現世的に発展させたものだとする。
 興味深いのは、同様の仏教の展開は明でも起こっていたことで、その成果は隠元(いんげん)の黄檗宗(おうばくしゅう)としてもたらされた。臨済の厳しい禅を説く半面、欲望は積極的に生かすべきだとの教えから、黄檗僧は干拓など社会活動にも熱心で、煎茶道や伊藤若冲(じゃくちゅう)らの絵画にも大きな影響を与えている。
 さらに、旅行が安全になったことから、伊勢参りや富士参りなどの互助組織である講が発達し、幕末から明治の新興宗教の土壌を形成した。
 近代というと合理的な面のみが強調されるが、人間は当然、不合理な面も抱えているので、歴史は両者間のダイナミズムによって展開する。その視点から近世の仏教を見直す著者の考察が面白い。

この書評は2011年4月に投稿されました。

ルポ仏教、貧困・自殺に挑む

著/磯村健太郎 岩波書店 1995円

人の悲しみに寄り添う僧たち

ルポ 仏教、貧困・自殺に挑む葬式仏教と批判されながら、生きた人の苦しみに向き合い、支えになろうと努めている僧たちは全国にいる。新聞記者の著者が、貧困と自殺問題に取り組む彼らの活動を追いながら、現代社会における宗教者の役割を問う。
 都内浄土宗の僧たちの「ひとさじの会」は月に2回、隅田川沿いにいるホームレスの人たちに、約200個の手作りおにぎりを配っている。心掛けているのは、同じ人として接すること。法然が四天王寺の門に横たわる病人たちの口に、かゆをひとさじずつ運んだという話が活動の動機だ。
 宮城県亘里(わたり)町にある曹洞宗の行持院は現代の駆け込み寺。どんな人でも無条件で迎え、寝床と食事、風呂を提供している。ここで気持ちが落ち着くと、それぞれ自立の道を探る。「何も聞かず、絶対的に信頼する」というのが住職の信念。
 大阪市西成区に無料のシャワー室と診療所を開いた浄土宗の寺がある。風呂に入れず、病気を抱えている人が多いからだ。釜ケ崎を赤い自転車で走り回り、孤独な人の相談相手や葬儀を行っているのは浄土真宗の僧。お盆の夏祭りでは、この1年間に亡くなった人々の追討法要を営む。「生きてる間はキリストさんの世話になるけど、死んだら仏さんの世話になる」と話す人が多いという。
 西本願寺では自殺にかかわる経典研究を本格的に行い「釈尊は自殺について価値判断をしていない」との結論に達した。それを踏まえ、相談者の感情に寄り添うよう、僧らに勧めている。目指すのは「安心して悩むことができる社会」だ。
 自殺率が最高の秋田県。人口4千人の藤里町では、曹洞宗の僧が出前サロンでじっくり町民の話を聞く活動を始めた結果、年に3〜4人いた自殺者をゼロにすることができた。「かつての優しさと、快適な自由や人権を調節しながら、関係性を再構築したい」と言う。どこの地域でも多くの人がそう思っているだろう。一歩踏み出した僧たちが触媒になり、絆が再生されつつある。

この書評は2011年4月に投稿されました。

ユダヤ教の霊性

著/手島佑郎 教文館 1890円

生活の中で生きた神と出会う

著者の父・手島郁郎は日本発祥のキリスト教運動「原始福音神の幕屋」創始者。ユダヤ神秘思想に関心を持った著者はイスラエルのヘブライ大学に留学し、哲学と旧約聖書学を専攻して1967年、日本人では初めて同大学を卒業した。その後、米国ユダヤ神学校大学院でユダヤ哲学を研究し、「ハシディズムと禅仏教の比較」でヘブライ文学博士号を取得した。本書はそこから禅の部分を除き、「ハシディズムを通してユダヤ教の内面を紹介した」もの。なお、著者は「幕屋」からは1980年に退会している。
 ハシディズムは18世紀のポーランドで始まったユダヤ教復興運動で、深い祈祷による神との出会いと生活での実践を特徴とする。今も保守派として存続し、黒い帽子にフロックコート、ひげを生やしているからすぐに分かる。宝石などのビジネスに従事している人が多いためか、著者もビジネスコンサルタントとして活躍している。
 宗教運動としてのハシディズムは「過度の主知主義に対する真摯な反省から出発している」と言う。創始者のバアル・シェム・トブ(1760年没)は、信仰の喜びと礼拝の感動、そして神に密着しつつ営む日常生活の大切さを教えた。確かに禅に通じている。
 もちろん、神秘主義の伝統は古代からユダヤ教にある。しかし、それが世俗と切断される傾向にあったため、大衆から離れていったのだろう。仏教で言えば出家主義になる。彼らが行っていたカヴァナー(精神集中)を普通の人が行える祈祷や瞑想の方法に発展させたのがハシディズムの宗教改革だった。
 この影響を受け、ユダヤの実存哲学者マルチン・ブーバーは「われと汝」の対話の哲学を提唱した。ちなみに著者は、ブーバーを自宅に訪ねた折「困難とは、君がそれを乗り越ええるべきことを意味するのだ」との言葉を贈られている。
 生活の中で働く神という感覚は、山川草木悉有仏性を生み出した日本の風土に合っている。

この書評は2011年4月に投稿されました。

しあわせる力 禅的幸福論

著/玄侑宗久 角川SSC新書 840円

心をほどいて周りと和す

しあわせる力 禅的幸福論和語としての「しあわせ」は、室町時代には「仕合わせ」と書いていたという。その意味は、周りの人や環境に合わせること。幸は「さいわい」と読み、「さきわう」こと、花が賑やかに咲いている状態を示していた。これも一人では無理で、要するにすべては人間関係で決まる、と日本人は考えていたという。
 それに対して幸福はハピネスの訳語で、明治以降、仕合わせのことを幸福と言い始めて、日本人のしあわせ観に西洋的な考えが入り込んでしまった。個性や自由を大事にし、計量できる「最大多数の最大幸福」を実現しようという、近代合理主義の考えだ。
 世界では仏教というと禅が有名だが、その禅を広めた鈴木大拙は、日本人の心根は浄土教の「無縁の慈悲」と禅の「無心」によって形成された、と述べている。前者は「袖摺り合うも多生の縁」と同じ、誰もがつながっているという考え、後者は「三昧」「無意識」といった意味で、何事にもとらわれない心が自由な状態と言えよう。それを著者は「ほどける」と言い、仏もそこから来ているという。
 つまり、幸せになるには、心を自由にして相手に合わせ、心地よい関係を作っていくことが大事だと。しかし、付和雷同になったのでは、結果的に自分が惨めになるので、その前に自分に対する絶対的な自信を持っていなければならない。これが、著者が修行してきた臨済禅の根本だろう。
 さらに著者の考えは柔軟で、「無心になれないなら、人のいいところを探せばいい」と言う。周りに感謝する気持ちを持っていると、心が軽くなる。そんな気持ちや言葉は周りにも影響し、自分を見る目が温かくなってくる。そんな相乗効果で、自然に恵まれた日本列島にすむ人たちは、和の共同体社会を作ってきたのだ。
 古来からの神道の基盤の上に外来の仏教や儒教、道教を受容し、インドの神々も日本の神仏にして、平等に敬うような精神世界を形成した。そのよさを再発見することが、私自身の幸せにつながる。

この書評は2011年4月に投稿されました。

お坊さんが隠すお寺の話

著/村井幸三 新潮新書 714円

没落したわけと、再生への道

お坊さんが隠すお寺の話全国に7万余りある寺のうち1万5000寺が住職のいない空き寺で、その数は増え続けている。原因は、檀家の減少、葬式の非宗教化など。都会では、病院などから遺体を直接、火葬場に運ぶ直葬や、僧侶を呼ばないお別れ会式の葬式が増えている。直葬は東京で20%以上だという。経済の約70%を葬式に依存している寺の基盤が弱まり、後継者も減っているのだ。
 背景には、高度成長期に多くの人たちが地方から都会に移住し、檀那寺との関係が切れたことがある。一般的に、寺が成り立つには400軒の檀家が必要だとされる。檀家の人たちの成仏を約束する代わりに、檀家は檀那寺を支えるという、江戸時代にできた檀家制度は人々の定住が前提で、人口流動の現代には合わない。
 さらに、檀家制度に依存する寺が、戒名や布施、寺の改修などで、高額を檀家に求めるようになったことから、それに不満を持つ人たちが、寺とのかかわりを見直し始め、檀那寺を変えたり、抜けたりしている。江戸時代の檀家制度は、幕府による政治の一端を占めていたので強制的なものだったが、信教の自由が原則の今では、好きな寺を選んでいいし、葬式に宗教者を呼ぶ必要もない。
 葬式の変化は昭和30年代に斎場が作られ始めて起こる。寺から斎場へ、僧から葬祭業者へ、葬式の主導権が移っていったのだ。今や多くの僧は業者の下請けになっている。宗教性を失った僧に、人々が価値を感じなくなるのも当然だ。
 こうした現実を前に著者が提言しているのは、㈰檀家制から会員制への移行㈪戒名の廃止㈫住職の公募㈬本山への上納金の廃止——など。どれも容易ではない。根本は、自分の死を委ねたい僧に、地域の人たちが相談に来たい寺になることだ。そのためには、日々修行を重ね、開かれた寺にする必要がある。寺は地域の文化財でもある。そこに集うことで、人々は地域の歴史を思い、助け合いの心を取り戻す。そんな心のセンターになるしか、寺が生き残る道はない。

この書評は2011年4月に投稿されました。

『教行信証』を読む

著/山折哲雄 岩波新書 840円

悪人往生に至る葛藤の記録

『教行信証』を読む―親鸞の世界へ『教行信証』は浄土真宗の宗祖・親鸞が52歳の頃に完成した同宗の根本経典。20年の歳月を要し、さらに生涯にわたって推敲し続けた跡がある。著者はそこから、法然の専修念仏による浄土往生をさらに発展させた親鸞の思索の深まり、葛藤の経緯を読み解く。
 最大の課題は、父殺しアジャセのような悪人も救われるのかどうか。法然の浄土宗では、母殺し、父殺し、聖者殺し、仏の身体損傷、教団の破壊という五逆と正法(仏法)を誹謗する者は例外とされていた。法然に帰依しながら、後に袂を分かっていった要因は、親鸞がそこに違和感を覚えたことにある。
 9歳から20年間、比叡山において仏典を学んだ親鸞は、膨大な教えの中から、自らの直感に合う経文を探し出す。そしてたどり着いたのが、仏陀の晩年から入滅、その後のことが記された『大般涅槃経』(だいはつねはんぎょう)だった。その基調は悪人をも救われるとする「一切衆生悉有仏性」の思想である。
 驚かされるのは、苦難の果てに親鸞がたどり着いた教えが、既にインド古代の仏典に記されていることだ。長い歳月をかけ、あらゆる思索が深められていたからだろう。それに中国での思索が加わった膨大な経典の中から、親鸞は自らの信仰に合う経文を拾い出し、紡いだのである。そうでなければ認められない仏教界が形成されていたからだ。
 さらに、経典に記されていても、それが定着するかどうかは、その地の風土や人柄、歴史によることも分かる。つまり、浄土教は日本という風土にたどり着き、法然、親鸞などの宗祖、日本人という衆生を得て、初めて結実したと言えよう。
 もちろん、悪人往生の背景には深い懺悔がある。そこに至る深い自己洞察があって、初めて言えることだ。本書は、壮年から老年に至る著者の思索の披瀝でもあり、読者はそれをたどることで、難解な経文を普遍的な人間の課題として理解することができる。表面的な仏教ブームに終わらせない、深い考察へと導いてくれる好著である。

この書評は2011年2月に投稿されました。

親鸞と道元

共著/五木寛之・立松和平 祥伝社 1575円

対極でありながら近い教え

親鸞と道元『道元禅師』で泉鏡花文学賞と親鸞賞を受賞した立松氏と『親鸞』を書いた五木氏の対談集。09年秋からエンドレスで始めたが、昨年、立松氏が62歳で急逝した。若い頃からの付き合いなのに、本格的な対談は初めてだという。魂が響き合うように思いのたけを語っていて、中断したのにもかかわらず、すべて語り尽くされたように感じる
 鎌倉仏教を代表する2人でありながら、浄土真宗の親鸞と禅宗の道元は対極にある。信仰姿勢も、他力と自力で正反対だ。しかし、鈴木大拙が「浄土真宗と禅宗によって仏教は日本に根づいた」と述べたように、両者は日本人の精神形成に大きくかかわり合っている。
 それについて立松氏は「日本に来た仏教諸派を見たら浄土真宗は一番(釈迦の)仏教から遠い、一番近いのは禅宗だ。……最も遠いけれど、逆に近い。人間の業、人間の本質に迫っているのは親鸞聖人の思想ですね」と言い、五木氏は「一回りして近くまで来ているんです」と応じている。
 釈迦仏教と日本仏教の大きな違いは、後者に戒律がないことだ。平安時代の末期、比叡山延暦寺に学んだ親鸞と道元は、仏教の聖地でありながら世俗の欲望にまみれている状況を見た。五木氏は「守れないなら、偽善的な振る舞いをやめ、自らの悪を深く自覚して他力をたのめ、というのが親鸞の立場です。ところが道元の立場は、守れていないんだったら、守ろうじゃないかというほうですよね」と2人の違いを語る。
 立松氏は道元の言葉「仏道を習うというは自己を習うなり、自己を習うというは自己を忘るるなり」を引いて、自力の究極は他力であり、「宗教は結局、他力だ」と言う。両者に共通するのは、「個人の信仰」への道を開いたことだろう。近代以前の日本的個人主義の萌芽とも言える。そして、来世ではなく現世での救いを説いたことだ。
 立松氏の本名は横松。「縦でも横でもいい、生きることが大事なんだ、という居直りがあった」と五木氏は回想する。

この書評は2011年2月に投稿されました。

はじめての宗教論 左巻
ナショナリズムと神学

著/佐藤 優 NHK出版新書 819円

国家と宗教を今どう論じるか

はじめての宗教論 左巻―ナショナリズムと神学自由主義神学の父とされるシュライエルマッハーと、彼を克服する弁証法神学のカール・バルトなどの著作を読み解きながら、現代における国家と宗教とのかかわりを論じている。
 市民政治家に率いられる民主党政権下で、日本という国家が急速に弱体化している。この危機の本質を見極めるには、「見えない世界」への洞察が不可欠だ、と著者は言う。「政治家や官僚などの政治エリートが合理主義の限界に気づき超越性を回復することが、社会と国家の強化のために不可欠」だと。それを2000年間、最も深く、広く考えてきたのが神学なので、それに沿って学ぶことが今必要とされている。
 科学的な知見に基づく啓蒙主義により宗教が権威を失墜しつつあった18世紀末、シュライエルマッハーは「宗教の本質は直感と感情である」と定義して、その危機を乗り越えた。その結果、神は天上ではなく、各人の心の中にいることになり、信仰が近代と調和できたのである。
 ところが、人々の心の中にナショナリズムが発生し、それに宗教が結びついて世界大戦の勃発を招いたことで、自由主義神学は崩壊する。そこで、カール・バルトらは、人間の心理作用から超越した神を再確立しようとした。「人間が神について語ることではなく、神が人間について語ることに虚心坦懐に耳を傾けるべきである」と。
 では、さまざまな苦難にどう立ち向かっていけばよいのか。著者はそれを桑田秀延が戦前に書いた『基督教神学概論』に沿って説く。この世には悪が自立して存在しており、それは必ず苦難をもたらす形で現れるから、救済に至る道は、私たちの中にある悪と闘いながら、苦難を乗り越えていくことである、と。
 近代の終焉には、弁証法神学の一部がナチズムと結びついたように、宗教が偽りの処方箋を提示することもある。近代神学の流れを俯瞰しておくことは、共同体の回復が課題となっている時代に不可欠のようだ。