音楽家・元埼玉県教育委員会委員長 松居 和 氏「人間の幸福の源泉は『家族』にある」

世界思想2月号を刊行しました。今号の特集は「今こそ『家族』を守れ」です。

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【インタビュー】人間の幸福の源泉は「家族」にある

 幼児と過ごす時間によって親心は育まれる。それを知るために「1日保育体験」で社会に人間性を取り戻そう

 

音楽家・元埼玉県教育員会委員長

松居 和 (まつい・かず)氏  

保育園落ちた子の真意

 -- 「幼児教育無償化」政策と、2016年に話題だった「保育園落ちた日本死ね!」で待機児童問題、「働く母親の権利」が俎上に載ったが、どう考えるか。

 日本も批准する国連の「子ども権利条約」に「幼児期に子どもは親を知り親と過ごす権利を有する」とある。ユネスコの「子ども白書」にも、「幼児期に子どもは、特定の人間と愛着関係を育てることが大切だ」と書いてある。「働く母親の権利」もわかるがどちらを優先すべきかと言えば、子供の方が優先になる。子供は主張できないからだ。この優先順位が社会にモラルと秩序を生み出してきた。

   それが今、マスコミ含め「強者」の世界優先の世界になってきている。だから、「保育園落ちた日本死ね!」という主張が報道され国会で論議され流行語大賞にノミネートされたが、曖昧あいまいになったのはこの言葉の中に二つの人生が存在していること。保育園を落ちたのは子供。「日本死ね!」と言っているのはその母親。「二つの思い」が乖離かいりしている。義務教育が普及した社会の特徴とも言える。子育てを結果から見ている。

 

   保育園に子供を預けようが、東大を出ればOKという感じ。だからこそ「仕事と子育ての両立」という言葉が成り立つ。子育ては、育てる側と育てられる側との「両方の、双方向への体験」であって本来結果で測るものではない。

   子供は、心の中で「保育園落ちた、バンザイ」と呟つぶやいているかもしれない。人類の進化を支えてきた、親の善性を引き出そうとする、その思いに、最近誰も気づかない。「待機児童」はほぼ0・1・2歳児。3歳児以上は幼稚園と保育園で全員預かっている。

   言葉で主張できない0歳児。その時、脳の仕組みが整い人生を決定づける思考形態ができつつある乳児が、社会の一員として「親を育てる」という役割を果たそうとしていることを、誰も考えない。

 

   2016年に安倍晋三首相が国会で「40万人の子供を保育で預かる」、そうすれば「女性が輝く」と言った。「保育の受け皿」は「子育ての受け皿」。同時に40万人の「幼児の願い」を踏みにじる、と自覚していない。首相が0・1・2歳児を母親から引き離せば女性が輝くと言ったのは重い意味をもつ。経済競争に参加することが「輝き」だと宣言しているのだ。

   カトリック教徒たちが聖母子像を崇拝してきたのは、そこに「輝き」があったから。仏教でも母子観音があるように、ほとんどの宗教で母親が乳飲み子を抱く姿は尊崇の対象となってきた。首相の発言は、宗教的、人間的幸福論を、経済論で否定したとも言える。

 

   第1次安倍・福田政権の経済財政諮問会議委員を務めた八代やしろ尚宏なおひろ・昭和女子大教授は、「全ての子供を保育園で預かれば、保育費用より働く女性の納める税収の方が多くなる」と試算したが、まったくの失敗だった。保育の新制度で、働いていない時間も保育園に預けられるようになり、保育が権利ではなく利権と見なされ、0歳児を預けることに躊躇しない母親が急に増えた、と役場の人たちが口を揃える。その親の子が数年後に義務教育に達する。

  「小1プロブレム」(児童が小学校に適応できず、集団行動がとれない、授業中に座っていられない、先生の話を聞かない等、「学級崩壊」に陥るケースも)に直結してゆく。義務教育が限界に来ている。

1日保育参加で親が自分自身を体験

 -- 先生の提唱している「1日保育体験教育」とは?

   義務教育を成り立たせるには1日保育体験、施策としてこれを徹底させるしかないと私は考えている。

   道徳教育など、子供が学校に入ってからどう教育するかが議論されるが、それまでに「親がどう育っているか」が重要。順番からすれば、親が「育」って初めて「子育て」が成り立つ。教育も同じ。その「親を育てる」のが子供たち、特に幼児たち。「1日保育体験」は、1人ずつ親を園児に漬つけこむことで始まる意識改革。100人ぐらいの幼児に囲まれると、特に男性は、「子育ての遺伝子」がオンになり「人生が変わる」。体験した男性が沢山、そんな感想文を書いてくれる。

   モラル・秩序に関わる人間性を、学校教育で育てられると勘違いする連中に解決策は見出せない。学校教育は、ごく最近のもの、試行錯誤の実験段階にすぎない。「家庭」とは歴史の長さが違う。

 

   人間性とは、「古いにしえの法則」のようなもの。幼児たちが命をかけて生み出すもの。幼児が生きられなければ、人類は存続できない。幼児が親たちに「いい人間性」を体験させる。それが子育てという進化のための絶対条件なのだ。

   幼児がまず「親を育てる」。その「法則」に立てば、小・中・高生らによる保育体験も幸福感を伴う「生きる力」を育むために、もっと徹底して実施されるべき。この国に人間性というものを取り戻せるとしたら、幼児たちの力をもう1回思い出す、幼児たちの社会的役割を再確認することしかないだろう。

   この「1日保育体験」を県単位で進めようとしているのが埼玉・福井・高知で、市単位ではもっとある。福井県の保育体験者のアンケートでは97%が「よかった」という結果だ。

 

   小学校5~6年生から幼・保育園に出向く体験を持たせ、「幼児と過ごす幸せ感」を身につけさせる。「幼児たちが一番幸せそうな人間だ」ということを確認させること。人間はやはり、幸せになることが人生の目標、目標とすべき人たちが3~4歳児ぐらいで、彼らは、頼り切って、信じ切って、幸せそう。その人たちを眺め、学び、そして守る。それが人生の価値観と重なればいい。

 私はインドに住んでいた時、遊んでいる幼児を眺めない日は1日もなかったと思う。人類は、何千年、何万年にも渡って、誰が一番幸せそうかを日々確認しながら進化してきた。保育体験には様々なプログラムがあり、義務教育で組み合わせれば、20~30年後には随分違ってくるだろう。

 

父と子と遊ぶ日本の文化

 この「幼児が人間を育てる」仕組みは、義務教育が普及した先進国ではずいぶん弱まってきたが、発展途上国ではまだ日常生活の中に根付いている。

 

  ――日本でも昔は小学生が「子守」をする文化があった。

 5歳にもなれば働く、それが普通。親が子供に教えることがたくさんあって、社会全体に忍耐力が育まれる。インドでも子供が5歳頃から子守をする。その頃から幼児たちとの一体感が生まれ、ごく自然に親になってゆく。

 日本について『逝きし世の面影』(渡辺京二・著)を読むと、「これほど父親と子供が一体の国はない」と外国人が称賛する。それはこの国の特徴なのだ。そもそも男とは、ある意味で女性より遙かに精神的には「子供」。だから男たちが幼児と一緒に過ごすのは自然。

 欧米では、「神=父」だから、男性は「権威者」でなければならないという観念・習慣が強い。だが日本では天照大神あまてらすおおみかみに始まり、「母性信仰」が強く、それが欧米との文化の違い。

 

  ――心理学者の河合隼雄は西洋社会を「父系社会」、日本社会を「母系社会」と分析した。

 確かに。でも分析の段階は終わっている。母系社会が父系社会を単に真似るのは愚の骨頂。欧米型父系社会はいまや経済優先の強者に都合のいい社会であって、家庭崩壊がやがて経済をも破綻させると思う。

 日本はその個性を失ってはいけない。政府は「経済論」を強調し、「勝つことが善」なる考えに支配されている。日本文化の下地でもある仏教的考え方の特徴は、「欲を捨てる」こと。『男はつらいよ』『釣りバカ日誌』『ドラゴンボール』、みな仏教的な美学が下地にあって、それが実はまだ支持されている。

 

 家族というシステムを存続させてきたこの文化が今、壊されようとしている。「経済論」に傾き「愛国心」が希薄なのではないかとさえ思う。国を愛することは、まず幼児たちを愛し守ること。愛すべき国としての優先順位を守って欲しいと思う。

 領土を守ることだけではなく、国の中身を守らないと意味がない。第2次世界大戦で、国を守ろうとした人たちの純粋な気持ちを忘れてはいけない。その人たちが本当に守ろうとした国、その美しさを、国が壊そうとしている。

 

米国教育界の試行錯誤

 ――1980年代に米国の教育政策はどう転換され、どうなったか。

 87年頃ブッシュ政権が教育問題を国家の存続に関わる緊急かつ最重要問題(Nation in Crisis)と定義し、1年間大騒ぎした。

 その年、子供世代の平均学力が親世代のそれを米国史上初めて下回った。親世代が50%だった高校卒業率が76%になり、より多くの子供が高等教育を受けたにも拘かかわらず、平均学力が下がり目標と反対の結果になった。高卒の2割が読み書きできないなど、数々の問題が噴出していた。

 この状況から、私は「義務教育が普及すると家庭が崩壊し、家庭が崩壊すると義務教育が成り立たなくなる」という図式に気がついた。それを映像や本にすると、日本の保育士たちが「その通り」と言った。30年前のこと。「いい保育をしようとすればするほど、親たちが親らしさを失う。だからいい保育は隠れてやらなければならない」とある園長が言っていた。この「Crisis」の後、米政府は様々な試行錯誤をする。

 

 シカゴでは「第3世界的教育」と称して教育委員会を撤廃、親に授業内容を決めさせ、親の意識を喚起したり、親に「成績をつける」、小学校1年からの成績別クラス分けなど。だが一番成績の悪い学級に一番いい先生が行くわけではなく結局、小学校から「格差社会」を生むことになった。

 ボルチモア市で、教師に「学校教育を立て直すにはどうしたらよいか」と調査したら、「5%の《しょうもない子》を排除して」という回答から、アフリカのケニアに1年間、5%に入った子供たちを寄宿させる実験的政策をやった。彼らはケニアの貧しい子供たちに触れ、教師も昔風の鞭を使う厳しい先生だった。後の調査では寄宿したほとんどの子供が帰ってきて大学進学したという。

 

日本は「欲がない」土壌

 実はそうした中にヒントがある。「豊かさ」がむしろ、人間の成長と社会の存続を危うくする。貧しければ、家族という単位が絶対に必要になる。それを基盤に社会の絆も深まる。豊かさの中で、絆の必要性が曖昧になる。しかも、豊かさを求めること、勝者になることが学校教育の目標になってきている。子供達に「夢を持ちなさい」と言うことは「欲を持ちなさい」ということ。

 それが目標になると、例えばアメリカで約5%の人間が約9割の富を握っているという資本主義社会の現実とぶつかる。

 「敗者」が半数以上出て、その敗者が家庭でやる「パワーゲーム」が、「児童虐待」と「女性虐待」になる。だから、「勝つことがいいこと」と学校教育で教えることがどれほど危険かを、日本も欧米を見て学ぶべき。

 

 「日本の子供は夢がない」と学者が言う。世界中の子供たちのアンケート調査で、「金持ちになり地位が上がることはいいことだ」という観念で、中国の子供が8割、米国の子供が6割程そうで、日本の子供は4割だから、「夢がない、意欲がない」という。だが、私に言わせれば、それは日本の子供には「欲がない」ということ。

 この国の土壌がそういう結果を生んでいる。それは良いことだと私は思う。子供たちに支持されている『ドラゴンボール』には、「心が清くなければ雲に乗れない」などという、なかなか哲学的なことが書いてある。そうした「本当の哲学」を学んだ子供に、学校教育で「欲を持て」と教えようとしてもぶつかるだけ。高校生になるころに、学問は信用を失う。

子育ては格闘ではなく天国

 ――先生が強調する「親心」とは自然に備わるものか、それとも子育てで格闘して生まれるものか。

 親心とは、子育てをする営みの中で自分の善性に気づき、「幸せを感じ生まれてくるもの」。「格闘して」生まれくるわけではない。子育ては大変とか、イライラの原因という連中は確かにいるが、それは子育てをやっていない、実感もない人だと思う。

 数人の大人が、よってたかって1人の子供を可愛がっていれば、拝んでいれば、子育ては幸福と重なる。それが「一対一」という不自然な形をとるから、「大変」となる。それは、子育てを「一対一」の関係にしてしまう社会が悪い。

 

 さらに子育てはキャリアの邪魔になるとか女性が輝かないという洗脳やイメージの植え付けが激しすぎる。だから0・1・2歳児を預けるのを躊躇しない親が増えてきている。

 幼稚園で講演すると、0・1・2歳児を育てた親たちが、幸せそうな顔になる。大学を出ても、子育てで自分の人生ムダにしているのではとか、自己実現できてないのではという疑問や不安を、少なからず心に持っている。それを2時間の講演で払拭できるのは、0・1・2歳児を育てたことが、自分の人生の中で一番素晴らしい体験だったということを、ほとんどの人が既に感じているから。

 

 政府が「保育所を増やせ」として保育士資格が取れる専門学校を10年前に増やした。いま、定員割れで誰でも入学でき、ほぼ誰でも資格が取れる。その「資格」は、複数の0・1・2歳児と1日8時間、年に260日「一緒に過ごし、その安全を守る」という資格だ。だがこの資格を与えてはいけない養成校の学生が、恐らく半数はいる。実習生を見れば分かる。

 そんな学生に資格を与えた瞬間、学校教育は、その本来の目的を自ら裏切っている。その向こうに幼児たちがいることを、養成校の教授らが考えていない。考えたら、彼らに資格を与えてはいけないとする教授が現れなければならない。それをやってしまうと、次年度から応募学生が減る。高等教育がビジネスになり、自転車操業している。だからいい保育士がいなくなる。

 

 養成校が保育士資格を乱発するビジネスになっていることを知りながら、あと40万人預けると総理大臣が言った。高校の進路指導にも問題がある。心を病んだり、一般社会で通りにくい生徒らに「保育科に行ったらどうか」と指導する進路指導の教師たちには、遙か向こうにいる幼児たちの姿が見えていない。もはや学校教育の「終焉」と言ってもいい。

 さらに、その仕組みの中で保育士が足りないから、小規模保育は半数資格なしでもいいという規制緩和を厚労省がやる。学童保育などはその仕組みさえまだ定まっていない。いま進んでいる保育改革は保育崩壊につながると厚労省もわかっていると思う。しかし、閣議決定されたら仕方ないのだと思う。実は「保育所保育指針」という法律に、「子供の最善の利益を優先する」との文言がある。だがそれを内閣の大臣たちは1人も知らないのではないか。

しつけは親がすべき理由

 -- 先生の提唱している「1日保育体験教育」とは?

   最近、保育所保育指針の改定で「教育」という言葉が保育に入ってきた。保育園でひらがなや算数を教えてほしいのではない。基本的には「しつけ」をしてほしい。学校教育に耐えていけるだけのしつけを幼稚園・保育園でしてくれということ。

 しかし、親の感謝に基づく信頼関係がない保育の中で行われる「しつけ」は、「虐待」につながる可能性が強い。「しつけ」は本来、親がするべきもの。しつける過程を通し「親が育つ」ということが第一義的な目標なのだから。

 

 最近、オムツ取りから始まり、保育園に預ければ子供をしつけてくれる、と平気で言う親がいる。でも保育士がしつけた子供は、小学校4~5年生ぐらいでキレる、とある園長先生が言っていた。その時親が育っていないと、いじめや不登校の原因になっていく。

 軽度の発達障害と言われる子供たちが増えている。これは、「発達障害×愛着障害」だからだ。人間は皆発達障害。だが他人に迷惑をかけるか否かは、周りにどれだけ絆があるか、相談相手がいるかで決まってくる。

 この発達障害的部分が、「本当の絆」を生むための「パズルの凸デコ凹ボコ」みたいなもの。この発達障害的部分のため、人間は「社会」という「パズル」を形成できる。本来、人間が絆をつくるために必要だったこの「凸凹」が摩擦の原因になっているのは、やはり「家庭」という単位が崩れてきたからだ。

 

古えの法則の根本認識を

  ――憲法改正で「家族条項」を盛り込む議論をどう考えるか。

 家族は法律で云々する問題ではない。むしろ「家族の大切さ」は「心の憲法」としてあるべきもの。今の憲法の論議は、パワーゲームの中での別次元の議論だ。そうした議論の間に、小1プロブレムで学級が崩壊しているように、足下から崩れてきている大問題が理解されていない。

 こうした法律論より、「古えの法則」に基づき、毎朝、クラスごとに輪になって踊ったり、年に1度は親に保育士体験をやってもらうことを勧めたい。「最近の法則」では「親が子を育てる」が、「古えの法則」では「子供が親を育てる」。最近の法則は、経済や法律が「絆」を作ると思っているが、古えの法則では、子育てが絆を作っている。子育ては男女という社会の最小単位がお互いの「善い人間性」を確認し合うこと。

 

 ――教育無償化や待機児童対策は「ハード」の問題で、「人が子を産み育て親になる」体験が、人生にとりどれだけ素晴らしいかという教育、「ソフト」の充実が蔑ないがしろだ。フェミニストや社会学者が「伝統的価値観の押しつけ」と騒ぐ声が大きく、ソフト面の議論ができないのでは?

 教育無償化など経済支援策が「少子化」解決への対策にはならないと、エンゼルプラン策定時、少子化対策委員会などで私は10年前に言った。当時から少子化対策は少子化だから子供を増やそうという政策ではなく、子供が減ることで減る税収を、女性を働かせて補おうという施策。合計特殊出生率が2%を超えてもすぐに人口は増えない。分母になる女性が減っていくわけだから。

 

0歳児を預けない親へ支援を

 無理やり保育士を増やそうとして既に10年経っている。この間、保育の現場から、保育理念が消え始めている。むしろ、0歳児を保育に預けない家庭に月3万円の支援をするという鳥取県のような施策の方が、家庭にも子供にとってもいい。保育にかけている税金からすると、7万円まで可能になると思う。5万円でも0・1・2歳児を預けずに自分で育てる親は7割くらいにはなると思う。直接給付金を出さなくても、埼玉県では7割が0歳児を自分で育てている。横浜市も約75%が幼稚園を選択していた。保育園に預けなくていい状況で預けている親は全国的に3割程度いるはず。ニセ就労証明書が相当出回っているのを、厚労省は把握していると思う。

 

 保育園しかない自治体が全国に2割あるが、預けている親が全員働いているわけではない。しかも新制度では働いてなくても働こうとしていると言えば預けられる。そして、1日4時間働けば11時間預けられたのが、2時間でよくなった。なぜここまで保育士を追いつめるのか。土曜日も就労証明なしでも預る自治体もある。「3人目はタダ」などというのはもう第3子の人権問題。3人目に生まれただけで、親と過ごす時間が剥奪される。

 土曜日に3人目の子だけ預け、親は上の2人の子を連れてスキーに行くという光景を保育士が目にする。いい保育士は「自分は子供の幸せを願って保育士になったのに、何をやっているのか」と悩んで辞めてしまう。

 

 「伝統的価値観の押しつけ」というが、人間の遺伝子に組み込まれた宇宙の法則のようなもの。「押しつけ」でなく、「伝統的価値観の勧め」と言うべき。その発想が学者の論法で「常識」にされてしまっている。

 約20年前に「先生の講演は性的役割分担の押しつけでは」とある母親に質問された。私は驚いたが「押しつけではなく、勧めです」と答えた。そもそも男女は「相対的発達障害」とも言える。「陰陽の法則」で互いを必要とする。

 

 

幸福論なき男性に保育体験を

 ――与党は安全保障と共に「少子高齢社会」が「国難」と強調した。2100年に5千万人まで減少する試算で要因とされるのが生涯未婚率の増加。結婚に希望がない社会的状況を、どうすれば解決できるか。

 国難とはここ15年来の子育て政策が、まさに国難だ。義務教育が普及すれば少子高齢化は仕方がない。子育てが数ある選択肢の一つにすぎなくなった。それは仕方がないが、どう対応するかが問題。いまの「対応」の目標があくまで「経済論」で、「幸福論」ではないことに気づくべきだ。

 男性の生涯未婚率が3割程度になっている。男たちに生きる力がなくなり、「幸福になる生き方」が分からなくなっている。それは男性が0・1・2歳児に接していないことにも問題がある。その意味でも小学生からの保育体験、父親になれば「1日保育士体験」をする仕組みにして、自分の遺伝子の働きに感動させるしかないと思う。

 

 小・中・高生にも保育士体験をさせている自治体はたくさんあり、いい結果を残している。これを日本全国でやる、と国が動けば、流れが変わるはず。

 そして、0・1歳児を自分で育てる親には月5万円を支給する。この方が保育園を増やすより安くつく。これらの簡単な政策で日本は良くなると思う。

 

【まつい・かず】1954年東京生まれ。慶応大哲学科からカリフォルニア州立大(UCLA)民族芸術科に編入、卒業。尺八奏者として『ウィロー』『太陽の帝国』など多数の映画に参加。1988年、米国における学校教育の危機、家庭崩壊の現状を報告したビデオ『今、アメリカで』を制作。東洋英和女学院短大講師、埼玉県教育委員会委員長を歴任。「先進国社会における家庭崩壊」「保育者の役割」に関する講演を保育・教育関係者、父母対象に行い、欧米の後を追う日本の状況に警鐘を鳴らしている。著書に『家庭崩壊・学級崩壊・学校崩壊』『21世紀の子育て』『なぜ、わたしたちは0歳児を授かるのか』など。 ブログ: http://diary.luci.jp/  ホームページ: http://kazumusic.com/


 

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