家族
夫婦別姓訴訟 独りよがりの裁判闘争の狙い
わが国の伝統的な家族制度を破壊しようとする文化共産主義勢力の動きが活発化し始めた。事実婚夫婦らが2月14日、夫婦同姓を定めた民法750条は個人の尊重や男女平等を定めた憲法に違反するとして東京地裁に提訴した。彼女らは国などを相手取り、総額600万円の損害賠償などを求めている。夫婦別姓についての違憲訴訟は初めで、弁護団は「国会では夫婦別姓を選べる制度への道が途絶えているため、提訴に踏み切った」(団長・榊原富士子弁護士)としており、国会の民法改悪に連動させようとしているのは明白である。
本格的な夫婦別姓裁判闘争が始めたと言ってよい。訴訟を起こしたのは、富山市の元高校教諭、塚本協子氏(75=結婚で改姓するも旧姓を通称として使用)と東京都荒川区のフリーライター加山恵美氏(39)・会社員渡辺二夫氏(43)の事実婚「夫婦」1組ら計5人だ。国の法制審議会が1996年に選択的夫婦別姓を導入する「民法改正」案の要綱をまとめたが、国は法改正を怠り精神的苦痛や損害を受けたとして、加山・渡辺氏の事実婚夫婦に150万円ずつ、他の3人に100万円ずつ支払うよう求めている。
夫婦別姓訴訟の背景はすでに「今日の視点」1月9日付で詳述したところである(参照されたい)。原告の富山市の元高校教諭は子供権利や反戦、憲法9 条、フェミニズム運動、被差別民問題などを行っている文化共産主義グループの代表者である。加山と渡辺なる事実婚「夫婦」は結婚後に「ペーパー離婚」したという身勝手な人物。弁護団長の榊原富士子弁護士はジェンダー法学会理事などを務めるフェミニストである。夫婦別姓裁判闘争の狙いは、「同姓で苦しんでいる人がいる」といった国民へのアピールと、国連を使って日本政府に夫婦別姓導入の圧力をかけることの2点だ。女子差別撤廃条約が国内法で」「救済」されなかった場合、問題を国連に持ち込めるとしているからだ。それで裁判闘争を仕掛け、敗北すれば(同姓は合憲なので間違いなく敗北する)、国連に提訴するという構図を描いている。
それにしても馬鹿げた訴訟である。原告側は夫婦同姓規定が憲法13条の定める個人の尊重を侵害している、また結婚は男女の合意のみに基づいて成立し男女は本質的に平等と定めた憲法24条に違反する、と憲法を振りかざして訴訟を起こしているが、憲法をはなはだしく履き違えている。
憲法第13条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とする。確かに「個人の尊重」は人類が隷属から解放され、信教や思想の自由を獲得した証として尊ばれ、現行憲法も「個人の尊重」を普遍的原理としている。だが、個人が尊重されるには平和な社会が必要であることは言うまでもなく(安全保障も個人の尊重に欠かせないのだ)、また何よりも重要になるのは人が生まれ、育まれ、尊厳ある人生を送る基盤となる家庭の安寧である。人権を問うとき、家族もまた問われるのはそのためである。
1948年の国連の第3回総会で採択された世界人権宣言は「家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する」(16条3項)と明記し、66年に採択された国際人権規約も「できる限り広範な保護及び援助が、社会の自然かつ基礎的な単位である家族に対し、…与えられるべきである」(人権A規約10条1項)と定めている。世界人権宣言も国際人権規約も、個人が尊重され人権が守られるためには家庭、家族が守られ、援助されなくてはならないとしているのである。このように家族の守護が「個人の尊重」の前提とされていることをまず想起しておかねばならない。
世界人権宣言がいう「家庭の保護」について、わが国は民法に家族条項(第4編・親族)を設けて対応しているのである。婚姻は届け出によって成立し(法律婚)、夫婦の氏(姓)は「夫又は妻の氏を称する」(750条)としてファミリーネームを一つにし、子の氏については「嫡出である子は、父母の氏を称する」(789条)とする(非嫡出子は母の氏を称する)。このことによって「家族は一つである」ことを明確にし、それによって安定した家庭生活、夫婦関係、親子関係を保護している。それで重婚を禁止し(民法732条)、「夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない」(752条)とし、配偶者に不貞な行為があったときは離婚の訴えを提起できるようにし(771条)、守操義務を課しているのである。さらに民法は親族の扶(たす)け合いを責務とし、婚姻や夫婦財産、親権などの権利と義務を明示し、家庭の安寧を図っている。夫婦同姓とするのは「家族の保護」という立場に立つからであって、そのことによって、「個人の尊重」がより守られると考えるからである。夫婦同姓が憲法違反とするのは独りよがり解釈にすぎない。
憲法第24条1項は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とし、同2項は「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない」とある。ここから「両性の合意のみ」とか「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚」だけを取り出して拡大解釈し、同姓は違憲とするのも独りよがりである。確かに24条は舌足らずの欠陥憲法ではある。異様なことに「離婚並びに婚姻及び家族」と離婚を真っ先に書き、婚姻と家族はその後の付け足しのように扱われている。とはいえ、これをもって同姓が違憲になることはない。
夫婦別姓を日本に持ち込もうとしているのは、家庭倫理・性倫理を破壊し、社会全体の倫理規範を打ち破って不倫、フリーセックス、不道徳社会をもたらそうとする輩である。こうした人々は「結婚や家族のあり方が多様化してきた」とか「時代が変化してきた」と称して巧妙に家族破壊策を浸透させようとする。選択的夫婦別姓はその最たるものと言わねばならない。選択的夫婦別姓とは婚姻届を出すとき、夫婦それぞれの姓がバラバラでも構わない(つまり旧姓のまま)、従来どおりの同姓でも、あるいは別姓でもどっちでもよいというものである。世界では同姓か別姓か、どちらかに統一しており、選択的といった社会混乱を招きかねない曖昧な制度はどこにもない。それを日本に持込み、家族をばらばらにしようというのが選択的夫婦別姓導入の狙いである。
夫婦別姓だけでなく、民法の他の家族保護条項も改悪しようとしている。女性の再婚期間の短縮(746条=6カ月から100日)や離婚300日以内に生まれた子は前夫の子と推定する300日規定の撤廃(772条2項)、非嫡出子の相続区別撤廃(900条4項=嫡出子の2分の1)などである。こうした民法の規定はいずれも家族を守護するためにあるものだ。再婚期間の300日規定は、家庭倫理を守り、子供の権利を守るためのものである。すなわち前夫の子供を懐妊したまま再婚するのは倫理上好ましくないし、その期間に生まれた子供に対して仮に前夫も現夫も父親と認めなければ子供の人権を守ることができなくなる。あくまでも家族を守護し子供の人権に考慮してこうした規定がある。厚生労働省によると、非嫡出子は2万3000人で出生数全体に占める割合は2・1%であるという(08年)。こうした非嫡出子あるいはその関係者の一部から相続を嫡出子の半分とするのは平等権の侵害とする主張があるが、仮にそうした不利益があるなら、それは親子などの当事者間で解決を図るべきであって、98%が嫡出子である日本社会まで巻き込んで、従来の秩序(法律婚)を壊してまで権利要求するのは筋違いもはなはだしい。そもそも非嫡出子の「区別」は相続にのみ限定されており、1991年に東京高裁は「(民法は)法律婚主義を尊重し奨励するという目的から制定された規定であり、違憲ではない」とし、95年に最高裁大法廷は「相続分の区別は合理的理由のない差別といえない」と合憲判断を示している(15裁判官中5人が反対意見)。
以上のように家族破壊にまで広げていこうとするのが、夫婦別姓裁判闘争の狙いである。我々は断じて容認できない。
2011年2月15日
秋葉原事件 死刑求刑は当然だが背景も検証を
東京・秋葉原で無差別殺傷事件を引き起こした元派遣社員、加藤智大被告(28)に対する論告求刑公判が1月25日、東京地裁で開かれ、検察側は「日本犯罪史上まれに見る重大事件」と断じ、「模倣犯も発生し社会的影響も甚大」などとして死刑を求刑した。判決は3月24日に言い渡される予定という。死刑求刑は当然だろう。裁判で弁護側は起訴事実をほぼ認め、犯行時の責任能力を争点にした。だが、起訴前の精神鑑定では「精神障害は認められない」としており、事件3日前からナイフを購入し犯行を準備したことなどから、「現状認識や判断力に問題はなく、完全責任能力を有していたことは明らか」(検察側)と見るのが妥当だろう。したがって我々は死刑求刑を支持する。しかし、その背景については今一度、検証する必要があると考える。弁護側は加藤被告が母親の厳しい教育が人格に影響したと主張しているが、これには一理ある。もちろん被告は成人で、かつ自立した社会生活を営んでおり、親の養育責任が大きいとして罪を免れることはできない。
秋葉原事件は2008年6月8日、派遣社員、加藤智大被告(当時、25)が2トントラックで歩行者天国に突っ込み、殺傷力の高いダガーナイフで次々と通行人を刺し、7人を死亡させ10人に重軽傷を負わせた凶悪な無差別殺傷事件である。なぜ凶悪犯罪に及んだのか。裁判でもあまり明らかになっていない。事件発生当時、メディアは格差や派遣の所為(せい)だといった責任転嫁論を声高に叫んだ。加藤被告は静岡県の自動車工場に派遣社員として勤務し、携帯サイトに派遣への不満を書き込み、そこから派遣やワーキングプアが凶悪事件を招いたと報じるメディアもあった。確かに、加藤容疑者にはいつリストラに遭うかという不安はあっただろう。しかし、自給1300円で月約20万円の収入があり、独身者の生活としてはけっしてプアとは言えない。本人も「他人に仕事を認められない底辺の労働の中ではマシな方だと思います」と携帯サイトに書き込んでいた。それがなぜ、凶行に走ったのか。
やはり生い立ちを見なければならない。加藤被告は長男として期待を背負って成長したが、親から異様に甘やかされ「親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、親に無理やり勉強されられたから勉強は完璧」(本人のサイト書き込み)で、県内トップの進学高校に進んだ。だが、中学時代から親子関係が一層、歪(いびつ)になり、高校に入って勉学や部活に挫折。短大に進むも「高校でてから8年、負けっぱなしの人生」(同)と認識するようになり、職を転々として、ついに犯行に至った。
犯罪心理学者の作田明氏(聖学院大学客員教授)は米国ではこうした無差別殺人が増加したため、その心理的メカニズムの探求が進んできたという。それによると米国の場合、彼らの多くが普通以上の知的資質を持って生まれ育っており、長男であるケースも多く、幼い頃から両親の期待を担って成長。だが、両親に甘やかされて育った結果、脆弱な性格であることが多く、比較的小さなストレスでもそれを克服することが難しく挫折しやすい。「もともと甘やかされ苦労を知らずに育てられた彼らは自己中心的であり、社会的孤立から情緒的交流への志向を失い、更には自らの境遇が不当に悲惨なものだと思い込むことにより人類に対する憎しみが強まっていく」と作田氏は指摘している(産経新聞08年6月4日付「正論」)。日本の場合、①家族崩壊状態で子供が投げ出され、親族や地域社会のサポートが弱い②挫折した人々の再チャレンジの機会が少なく、放置されている③学校や家庭の状況がひ弱で対人能力の欠如した若者を増やしている─の3つを事件の背景に上げている。
最大の問題は家庭であるのは誰の目にも明らかだろう。何が正しく、何が悪いかという価値観(規範)は本来、家庭でしつけられるべきだからだ。それが学校教育を通じて普遍化され、大人になって社会に出たときの行動基準となる。だから加藤被告がその道を違えた、最初の一歩は幼少年期にあったと見るのが妥当である。加藤被告だけでなく近年、通り魔が増加している。そうした事件を招く基礎的な背景は、家庭にあることを忘れてはならない。加藤被告の死刑求刑は当然としても、そうした凶悪犯罪の芽を摘むために家族の価値(ファミリーバリュー)を再構築することを改めて問いたい。2度と「誰でもよかった」といった無差別殺人事件を許さないために。
2011年1月31日
夫婦別姓訴訟は「家族破壊」闘争だ
夫婦別姓を望む男女5人が「結婚に際し夫と妻のどちらかが改姓しなければならない民法の規定は、個人の尊重を定めた憲法13条や、両性の平等を定めた24条などに違反する」として、1人当たり100万円の国家賠償を求め、近く東京地裁に提訴するという(毎日新聞1月7日付)。これは国連ウィメンの設立と(1月6日付・本欄参照)、第3次男女共同参画基本計画に選択的夫婦別姓の導入検討が盛り込まれたことを受けた「家族破壊」闘争の一環である。その狙いは2つある。ひとつは、裁判闘争を通じて夫婦別姓キャンペーンを張ること、もうひとつは裁判で敗北した後、国内法では救済されなかったとして国連に訴え、国連を通じて日本政府に圧力をかけ、それが国際社会の要請であると称して選択的夫婦別姓制をわが国に導入させるためである。わが国の伝統的基盤である家族を破壊させようとする策動を許してならない。
新聞報道によると、民法の夫婦同姓規定(750条)をめぐる違憲訴訟は初めてで、夫婦が希望すれば結婚後もそれぞれの姓を名乗れる「選択的夫婦別姓制度」の導入論議に一石を投じそうだとしている。いったい誰が訴えたのか。原告の1人は富山市の元高校教諭、塚本協子という75歳の女性で、「ななの会(選択的夫婦別姓の会・富山)」代表。1960年に結婚、戸籍上は夫の姓だが旧姓の塚本を通称として使ってきたが、「戸籍名を本名とされることで、強い自己喪失感を味わうなど精神的苦痛を受けた」と主張している。彼女は左翼運動家である。「ななの会」のメンバーは子供権利や反戦、憲法9 条、フェミニズム運動、被差別民問題などを行う、まさに文化共産主義者らである。他の原告は東京都のフリーライター、加山恵美と会社員、渡辺二夫という30代の男女。2人は夫の姓で2000年に婚姻届を出し、女性は通称で加山を名乗ったが、各種手続きで本人確認を求められる煩雑さに耐えられず、形だけ離婚届を出す「ペーパー離婚」したという、身勝手な人物である。弁護団長の榊原富士子弁護士はジェンダー法学会理事などを務めるフェミニスト。「国会の動きが滞っている間に、別姓を望む人たちの不利益は切実さを増した。法廷で民法の規定の違憲性を明らかにしたい」と、明らかに国会の動きに連動させようとしている。こうした動きの背後に民主党内のフェミニスト集団がいるのは間違いない。富山県在住なら富山地裁に提訴すればよいものを、わざわざ東京地裁で起こしたのはマスコミへのアピールを考えているからだ。
夫婦別姓裁判闘争のもうひとつの狙いは、国連を使って日本政府に別姓制を導入させようとしていることだ。国会のフェミニスト集団(すなわち福島瑞穂元男女共同参画担当相、岡崎トミ子現担当相、小宮山洋子厚生労働副大臣ら)は女子差別撤廃条約の「選択的議定書」の批准にも動いており、裁判闘争はこれとも連動している。このことを見逃してはならない。
同条約は締結国の女子差別撤廃の進捗状況を検討するため女子差別撤廃委員会を設置し、締結国(わが国は1985年締結)に報告書を提出させ審査するが、NGOなど民間団体が独自のレポートを提出できるものの間接的な関与にとどまっている。これを直接関与できる仕組みを作ろうというのが「選択的議定書」で99年に採択された。議定書は国の報告を待たず、個人やNGOが「違反」を直接通報ができ(個人通報制度)、委員会がこれを受理すれば、その国に調査団を派遣できる(調査制度)。国が調査団派遣に同意しなければ、「人権侵害国」と認定されるほか、国に委員会の見解や勧告の広報義務を課し、これらによって事実上の拘束力を持たせているのが特徴である。選択的とするのは、締結国が批准するかしないか自由に決めることができるからで、法治国家であるわが国は批准する必要はまったくない。しかしジェンダーフリー勢力はこの批准を目指し、民主党のマニフェストにも盛り込ませた。
では、ジェンダーフリー勢力はこれまで何を「差別」としてきたか。それは①従軍慰安婦②賃金の男女格差「間接差別」③夫婦別姓④婚外子差別⑤家庭の無償労働などで、これらを委員会に働きかけ日本政府に圧力を掛けてきた。議定書が批准されると、これらだけでなく民法の家族保護条項なども「差別」として通報しようと目論んでいる。現段階では国内法で救済されなかった場合に国連に持ち込めるので、裁判闘争を仕掛け、それに敗北すれば(同姓は合憲なので敗北するはずだ)、国連に提訴するという構図を描いている。したがってこうした策動との戦いは長期戦になる。夫婦別姓による家族破壊の策動に対して毅然と戦い、その動きを潰さねばならない。
2011年1月9日
民法300日規定問題
伝統的な家族観を崩壊させようとする動きが強まっている。その一つが「離婚後300日以内に誕生した子は前夫の子」と推定する民法772条を改悪しようというもので、野党は今国会に議員提案する構えを見せている。これは夫婦別姓制度の導入と連動するもので、与党内のリベラル勢力や民主党のジェンダーフリー派が策動しているものだ。伝統的家族観の崩壊を目指す、こうした動きに警戒が必要だ。
民法772条とはいったい何だろうか。同条は民法の第3章「親子」の第1節「実子」の条項で、親子・家族観の根本となるものである。
すなわち772条は「①妻が婚姻中に懐妊した子は、夫の子と推定する②婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取り消しの日から300日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する」というもので、「嫡出推定」条項と呼ばれる。
民法の親子間は生物学的なものでなく、あくまでも人倫に基づく家族観に基礎を置いており、第1項で婚姻中の子を夫の子と「推定」するのは家庭と子供の平和な暮らしを保障するためだ。
また2項はたとえ離婚後の出産でも300日規定で父親の責任を明確にして子供の地位を安定させるために設けられている。実際、300日規定で救済された子供たちが少なからず存在する。
また「推定」となっているのは、同条に続く条項で嫡出の承認や否認を規定しているからで、いずれにしても親子や家族、結婚についての民法の中核的条項が772条なのである。
それがなぜ、問題にされるのか。民法制定時の明治時代には想定されていなかった300日よりも早い出産での子供の生育が可能となり、離婚後に再婚して妊娠、現夫の子であるにもかかわらず300日規定で「前夫の子」と登録されてしまうケースが出てきたからだ。
しかし、そうだからと言って安易にこれを短縮すれば前記のような本来、守られるべき子供がその地位を失いかねない。また婚姻中の懐妊を夫ではない別の男性の子として認めれば、それこそ一夫一婦制度を否定し、親子・家族関係を根底から破壊しかねない。
こうしたことから772条問題で与党は離婚後の妊娠が医師の証明で明確なら現夫の子として出生届が受け付けられることにし、法務省は4月中に同条運用の新たな通達を出して対応することになった。きわめて常識的な対応と言える。
ところで、なぜ772条がにわかに問題視されるようになってきたのか。その背後にはわが国の一夫一婦制の伝統的な家族観・結婚観を覆そうとするリベラル・文化共産主義勢力の策動があることを見逃してはならない。
与党内のリベラル勢力は当初、特例法を作って772条を変えるばかりか、再婚禁止期間を縮小しようとしていた。これでは家族・結婚観が崩れるとして自民党内から批判が噴出、結局、前記の法務省通達での対応となった経緯がある。
だが、リベラル派新聞はこれに一斉に異議を唱え始めた。たとえば毎日新聞は社説「民法300日規定/一歩前進で終わらぬ議論を」(4月7日付)で、「今こそ法的な親子関係を抜本的に問う直す必要がある」と叫び、日経新聞に至っては社説「『300日問題』は子の立場から」(同13日付社説)で、長勢法相が「貞操義務」を主張したのはお門違いだと批判した。
こうしたリベラル派の主張を鵜呑みにすれば、国家の基礎となる法律婚は限りなく軽視されるばかりか、事実婚、乱婚を容認し、男女間は何でもあり、といった不倫理・不道徳社会に陥ってしまうのは必定である。家族観の乱れによって少年非行が多発していることを想起すれば、リベラル派こそ子供の幸せを奪う輩と断じざるを得まい。
もともと772条問題はリベラル派メディアが無戸籍の「かわいそうな子供」がいるとして騒ぎ立てたのが始まりである。キャンペーンを張ってきたのは毎日新聞だ。昨年12月24日付社会面で「離婚後300日以内で誕生は『前夫の子』/戸籍なく2歳に/父親『娘は自分の子』」と、最初に報じた。
だが、記事を読むと、あきれる内容である。女児は母親の離婚成立から226日後に誕生、このため役所から「前夫の戸籍に」するよう求められたので父親が反発、戸籍に登録されず、このままで学校にも通えないとしている。
確かに女児はかわいそうだが、その責任は父親にあることは歴然としている。なぜならこうした場合、民法では前夫に対して親子関係不在確認の訴えを起こし、現夫の子(父親)にすることが可能だからである(だから772条は「嫡出推定」条項なのである)。
にもかかわらず、記事によると父親は怠慢にも「前夫とはかかわりを持ちたくない」などとして放置してきた。子供の将来を考えない、あまりにも無責任かつ身勝手な態度と言うほかない。しかも「母親は今年3月に家を出たまま行方が分からない」と言い、常識を疑う親なのだ。
ところが、毎日記者はこの親の責任をまったく問わずに七七二条批判だけに焦点を当てている。いかに恣意的な記事か知れるだろう。
そのほか、毎日新聞で紹介された「かわいそう」な事例では、次のようなものがあった。盛岡市に住む女性(39)は、17年間の結婚生活で子に恵まれなかったため「どうしても子どもがほしい」と、結婚中に他の男性と付き合い、離婚から266日後に出産。いまだ戸籍に登録されていないとしている(同1月8日付)。
子供が欲しいからと離婚もせずに他の男性と付き合うのを世間では「不倫」というが、これを認めよというのはまさに乱婚の勧めと言うほかない。ちなみに、この女性は民法に従って訴訟中で近く現夫の子として認められるというから、別に772条が問題ではない。
ところが、こうした報道に振り回され、あるいは利用されて与党のリベラル派や民主・社民のジェンダーフリー勢力が772条改訂へと走り始めた。とりわけ野党は与党の法務省通達に対抗して今国会に同条改定案を上程するとしている。
だが、「かわいそうな子供」を救済するのに772条を持ち出す必要はまったくない。毎日が紙上で紹介した事例の大半はすでに民法に則って解決済みだ。それに親の責任を啓蒙し、民法の300日規定の周知徹底を行なえば問題は解決するはずだ。
事実、毎日の自治体アンケートによると、300日規定などを離婚届時に説明している自治体はわずか17市・区(調査全体の8・3%)、チラシで知らせているのは東京都千代田区と福岡県東区の2カ所だけである(1月19日付)。
要するに民法の周知徹底が足りないだけの話である。加えて現行民法で解決でき、さらに法務省通達で救済も図られる。それなのに家族や結婚制度をぶち崩す論議にまで広げていこうとする。それが文化共産主義勢力のやり口である。
2007年4月15日

