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人間疎外論の克服その1

マルクスの誤りを動機から正す
なぜマルクスは人間疎外の解放を実現できず逆に人間性を蹂躙したのか。
人間疎外論の克服を通じて真の人間解放の道を探る最終章

今回から最終章すなわちマルクスの人間疎外論の批判と克服に入ります。疎外論については本シリーズの最初に見ました。マルクスは疎外からの解放をテーマに思想を発展させていき、弁証法的唯物論、唯物史観そして資本論へと共産主義思想を体系化していったのです。それらは疎外論の延長上に成立したものです。
 では、マルクスの思想によって私たちは疎外から解放され、真の人間を取り戻したでしょうか。答えは誰が見てもノーでしょう。旧ソ連をはじめとする共産主義国の人々は資本主義国よりも著しい疎外の中に陥れられ、悲惨な人生を余儀なくされたことは周知のとおりです。
 なぜ疎外からの解放を掲げて逆に疎外を一層深め人間性を蹂躙する結果を招いたのでしょうか。その真因をさぐり、真に人間疎外からの解放を探っていくのが本章のテーマです。

出発点は家庭の葛藤

マルクスの人間疎外論は本シリーズの初めに見ました。それをまず、おさらいしておきましょう。マルクスの思想形成の概略は別掲の図のようになります。
 その出発点はカール・マルクスが生まれたマルクス家の葛藤にあります。ユダヤ教の由緒あるラビの家系だったマルクス家ですが、父ハインリッヒがキリスト教に改宗、それをめぐる母ヘンリエッテとの確執の中で、カール・マルクスは1818年、プロシア(ドイツ)のトリールに生まれました。それは単に家族内の問題でなく、当時のプロシア社会の抱える問題すなわちユダヤ人への差別、自由主義に対するプロシアの弾圧など社会矛盾を象徴するものと言ってよいでしょう。
 その中で育ったマルクスにとって、こうした矛盾が「第一の心理的衝撃」となったのです。そこから孤独感や疎外感、屈辱感を抱き、反抗心や復讐心、闘争心をつのらせます。反抗心は差別を受けたキリスト教とユダヤ教に向けられ、宗教に対する押さえ難い憎悪心を沸き立たせ、ついには「宗教の抹殺」「神殺し」を希求するようになります。これがマルクスの思想形成の本質的動機です。彼がこの動機から解放されることは生涯ありませんでした。
 ベルリン大学時代にヘーゲルの思想(とりわけ左派)に出会い、ヘーゲルの説く「真の自由の獲得」に大きく引き寄せられます。しかし、大学卒業後のライン新聞時代に現実問題に直面して挫折、ヘーゲル哲学に懐疑を抱きます。それに追い打ちを掛けたのが、結婚をめぐる家庭的葛藤です。
 母がマルクスに対して父の遺産分配を拒絶し、幼なじみのイェニーとの結婚にも猛反対、家族との亀裂が決定的となったのです。孤立感を一段と強めたマルクスは、私有財産に対する反感をつのらせ、ついに祖国に見切りをつけてパリに亡命します。これが「第二の心理的衝撃」です。
 マルクスは当初、ヘーゲル左派であるフォイエルバッハの人間主義の立場に立っていましたが、そうした心理を背景に人間主義を放棄し、フランス共産主義(プルードンら)の影響を受けます。
 そこから『ヘーゲル法哲学批判序説』(1844年)では「宗教は民衆の阿片」と規定し、現実問題の解決は市民社会の外にいて苦悩を背負い人間性を喪失させられた階級、すなわちプロレタリアートによる人間解放、私有財産否定によって実現するとしたのです。

労働生産物からの疎外

ここで初めてマルクスは「プロレタリアートによる解放」という概念を自らの思想に取り込んだのです。このようにヘーゲル哲学とその批判から「プロレタリアートによる解放」との概念に至ったマルクスは、従来の哲学的思考から経済学的思考に進み、フリドーリッヒ・エンゲルスとの出会いを通じて、マルクス疎外論を構築するようになります。
 エンゲルスの経済学の見方に意気投合し、『経済学・哲学草稿』(1844年)において「マルクス疎外論」を次のように展開したのです。
―「労働者は一個の商品」であり、資本主義社会の経済は労働者からの搾取によって成立している。労働者がいかに熱心に働いても、その労働生産物(商品)は資本家に収奪され「労働者は彼が富を多く生産すればするほど、…それだけ貧しくなる。労働者は商品をつくればつくるほど、それだけますます彼は安価な商品になる」―。
 これが労働者の疎外にほかならないというのです。彼は資本主義社会における労働者の「疎外の構造」をこう分析しました。
 第一は、「労働者からの労働生産物の疎外」。いくら労働者が商品を生産しても、それは自分のものにならず、資本家のものとなる。そして資本家の私的所有物となった労働生産物は資本を形成し、その資本が労働者を支配する。第二は、「労働者からの労働の疎外」。資本主義社会では労働行為そのものが資本家のものとなってしまい、したがって労働は強制的で喜びがなく苦痛となる。
 第三は、こうした疎外によって人間は本来の自由なる創造活動(これこそ人間の類的な生活)が営めなくなり「人間からの類の疎外」がもたらされる。その結果、第四は、「人間からの人間の疎外」に陥ることになる─と。
 以上のことからマルクスは、疎外は「労働者からの労働生産物の疎外」から始まっているのであり、これがすべての人間の「人間性の疎外」をもたらしていると主張したのです。そこからマルクスは、人間疎外からの解放の道は資本家の私有財産と化した「労働者から奪われた労働生産物」を取り戻すべく、私有財産の止揚、共産主義を提唱するに至ったのです。

疎外論の延長の『資本論』

そういう最中にマルクスはプロシアによってフランスから国外追放され、ブリュッセルへの移動を余儀なくされます。この仕打ちにマルクスは怒り、プロシアへの憎悪を一層掻き立てられ、ドイツ国籍を放棄(四五年十月)することによって、この怒りが沸騰します。
これがマルクスにとって「第三の心理的衝撃」となったのです。それ以降、『ドイツ・イデオロギー』(一八四六年)や『哲学の貧困』(一八四七年)を通じて唯物史観を樹立し、暴力革命を正当化して、ついには『共産党宣言』(一八四八年)を発するに至ったのです。
 その後、マルクスはロンドンに移り、『資本論』(第一巻、一八六七年)をまとめます。『資本論』は人間疎外論を土台として、その延長線上に展開されたものです。これは資本主義社会における人間の疎外は、労働生産物の疎外であるとした初期の疎外論の立場を経済問題に置き換えたものです。
 『資本論』は経済的装いをした疎外論だったのです。ここでは疎外論ですでに告発した資本主義の罪状を具体的に暴くために、より多くの罪状を羅列しました。その羅列は、あらかじめ定めた目標(私有財産制の廃止、暴力革命による資本主義の打倒)を合理化する方向に演繹的に仕組まれたものです(捏造と言ってよいでしょう)。
 こうしてマルクスは革命によって人間疎外を解放するとしましたが、その革命が成就した社会主義社会ではどうだったでしょうか。誰もが認めるように、人々が疎外から解放されることはけっしてありませんでした。
 マルクス疎外論の批判と克服は、①人間疎外の本質の把握の間違い②人間疎外の基盤とされた資本主義社会の把握の間違い③人間疎外問題を解決する方法論の間違い―の三点で根本的に間違っていたことを明らかにしていきます。
 そのうえで代案を提示し、マルクスも成し遂げられなかった真の人間解放の道を共に探っていきたいと考えています。

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