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マルクス主義認識論その1

「認識はなぜできるのか」の命題
人は何を感じ、どう理解し悟るのか—
その論理をさぐるのが認識論である

私たちは目で自然や人を見たり、耳で音を聞いたり、あるいは手で触ったりして、そこから何かを知り、あるいは感じ、理解し、悟ったりして日々を暮らしています。これらを一般的に認識と呼びます。こういう認識をなぜできるか、そもそも認識とは何なのか、といったことを論じるのが認識論です。今回からマルクス主義認識論に入ります。
 認識の起源は何か、認識の本質は何か、その方法は何か、といった問題はすでに共産主義唯物論や弁証法的唯物論で見たように観念論か唯物論かという本体論の問題と密接に結びついており、今日まで多くの哲学者たちによって研究されてきました。最初に従来の認識論から見ましょう。

従来の認識論とは

これまで認識は何によってなされるのかという認識の起源に関する論争と、認識の対象は何であり、それは実在するか否かという認識の本質に関する論争がありました。前者には経験論と合理論(理性論)があり、後者には実在論と観念論があります。
 まず認識の起源については、人間の認識の能力には感性、悟性、理性があり、そのうちどの段階で認識が決定されるのかというのが認識の起源の問題です。感性(感覚)で認識されるとするのが経験論、悟性や理性でされるとするのが合理論(理性論)です。つまり経験によって認識を得るというのが経験論、理性によるというのが合理論というわけです。
 経験論では、ベーコン(1561〜1626)が客観的観察と実験的方法による学問を主張して帰納法を提示し、ロック(1632〜1704)が『人間悟性論』で経験論を体系付けました。彼は、人間の心は「白紙」で知識は先天的でなく経験から得られ、その経験には外的経験(感覚)と内的経験(反省)があり、感覚と反省で得られる単純経験が悟性の働きによって複合し高度な複合観念になるとしました。認識とは観念相互の結合・一致や不一致・矛盾を知覚することに他ならないとしたのです。
 その後、経験論はバークリー(1685〜1753)、ヒューム(1711〜76)へと引き継がれますが、ヒュームは因果性の観念は主観的な信念に基づいて成立すると主張し、懐疑論に陥りました。
 このようなイギリス経験論に対して感覚によっては正しい認識は不可能で、理性による演繹的、論理的な推理で正しい認識が得られるとしたのが大陸合理論です。デカルト(1596〜1650)は真の認識に至るために全てを疑うことから始め(方法的懐疑)、感覚的なものの確実さを疑い、我が疑う(思惟する)との事実だけは疑いえないとして「われ思う故にわれあり」という命題に到達しました。
 合理論はスピノザ(1632〜77)、ライプニッツ(1646〜1716)に引き継がれますが、次第に事実に関する認識を軽視するようになり、ヴォルフ(1679〜1754)に至ると一切を合理的に理性によって認識しうると考え、ついに独断論に陥りました。
 一方、認識の対象の本質をどう見るかについては、認識の対象が客観世界に主観とは別に存在しているとするのが実在論です。これに対して客観世界にあるのではなく人間の心の中に観念としてのみあるとするのが主観的観念論です。
 実在論は、素朴実在論や科学的実在論のほか、対象の本質は人間の心とは独立に存在する精神(観念)であるとする観念的実在論(例えばプラトンのイデア、ヘーゲルの絶対精神)のほか、共産主義実在論があります。
 主観的観念論は、客観世界は人間の意識から独立には存在せず人間の意識の現われる限り、その存在を認められるとするもので、「存在とは知覚されるということである」(バークリー=1685〜1753)、「自我の働きを離れて非我(対象)が存在するかどうか全く言うことができない」(フィヒテ=1762〜1814)、「世界は私の表象である」(ショーペンハウアー=1788〜1860)らの考えがそうです。
 英国の経験論は懐疑論へ、大陸の合理論は独断論に陥りましたが、この二つの立場を総合して、新しい見解を立てたのがドイツの哲学者イヌマエル・カントです。

カントの先験的方法

カントは、経験論は認識の起源が経験であるとして理性の働きを無視することによって、一方、合理論は理性を万能なものと見なしたことによって、両者ともに誤ったとしました。
 そこで正しい認識を得るためには経験がいかに認識となりえるかという分析から始めなければならない、そのためには理性の働きの検討、すなわち理性の批判をしなければならないと考え、『純粋理性批判』を著しました。
 その中でカントが見いだした最も重要なことは、認識する主観のうちに先天的(アプリオリ)な認識の形式(概念)が存在するということであり、対象からくる感覚的内容(色、香り、形、音など)が主観の先天的形式によって秩序づけられることによって、認識の対象が構成されるというところにありました。
 つまり、対象から来る感覚的内容が直観形式を通じて直観され、思惟形式(カテゴリー)と結合して認識の対象として構成されることによって、初めて認識が可能になるとしました。カントは思惟形式(カテゴリー)として図のような十二の形式を挙げています。
 従来の哲学がいずれも対象をそれ自身の姿において把握するとしたのに対して、カントは認識の対象は主観によって構成されると言い、その考え方を「コペルニクス的転換」と自賛しました。このようにカントの認識論は対象そのものの認識を目指すのではなくて、対象についての先天的な認識がどこまで可能であるかを追求するものであって、これを先験的方法(あるいは超越的方法)と言います。
 ここからカントは批判的(形式的)観念論、先験的観念論の創始者と位置づけられるのです。

カントの「認識」は神と道徳へ

 カントはライプニッツの形而上学とニュートンの自然哲学を深く研究し、物資の起源と生命に起源とを追い求め、現象界(自然界)における認識がいかにして成り立つかということを『純粋理性批判』で論じた。それを踏まえてカントは形而上学(霊魂や神の認識=現象界の背後にある物自体の世界=叡智界)が果たして可能かを検討し、感覚的内容のない霊魂や神は直観の対象になりえず、したがって認識することはできないとした。
 このように理論理性による形而上学的認識は不可能となり、それをカントは『実践理性批判』で補完した。つまり、絶対的に従うことを命令(定言的命法)する道徳的法則に従うときに意志の自立としての自由が成立する。そして、ここから徳と幸福の一致としての最高善を目指す無限の前進のために、霊魂の不滅と自由と、道徳と幸福との一致を保証する神の存在が実践理性の要請の形で積極的に説かれることになる。マルクス認識論が道徳や神へと向かわず、ひたすら革命を目指したのとは対照的と言えるだろう。

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