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マルクスの人間疎外論その3

疎外の本質を捉え間違う

現在の人間は本来の人間らしさを失っている、つまり人間疎外の状態に陥れられている、そこからいかに解放され真の人間性を取り戻すのか――それがマルクスの人間疎外論のいわんとするところです。マルクスは人間が本来の人間でなくなった理由を心や精神、人間愛の欠如といった見方を捨て、つまり「宗教は阿片である」との見解に達し、疎外からの解放はあくまでも経済的政治的に扱わなければならないと考えました。はたしてその結末はどうだったでしょうか。
 マルクスが疎外論を著したのは『経済学・哲学草稿』(1844年)で、パリ時代のことです。
 パリに亡命したマルクスはここでフランスの思想的影響を強く受けます。プロイセンの国家学者のシュタインは『現代フランスの社会主義と共産主義』の中で、プロレタリアートを「私有財産の否定という目的の下で自覚した統一体」と定義していましたが、マルクスはこれを無条件に受け入れたとされます。私有財産の否定についてはアナーキスト(無政府主義者)として知られるプルードンがすでに1840年に『財産とは何か』を出版し、「財産とは盗奪である」と論じてフランスの知識人に大きな影響を与えていました。マルクスはこれも受け入れました。
 この結論を説得力ある著述に結びつけようと思索しているときに、マルクスはエンゲルスの『経済学批判大綱』に出会います。エンゲルスはイギリスのマンチェスターでの工場経営を通じて当時の労働事情に精通しており、それに基づいて既存の経済学批判をまとめた小論が『経済学批判大綱』です。これがマルクスに衝撃を与えたといわれます。マルクスはエンゲルスと意気投合し、彼の助力を得て書き上げたのが『経済学・哲学草稿』だったのです。さらにロンドンで後にこれを補強するために『資本論』を著しました。

では、マルクスの人間疎外論とはどのようなものでしょうか。
 彼が経済学研究から発見したのは次のことだといいます。資本主義社会では「労働者は一個の商品」だということ、そして資本主義社会の経済は労働者からの搾取によって成立しており、労働者がいかに熱心に働いても、その労働生産物(商品)はすべて資本家に収奪され「労働者は彼が富を多く生産すればするほど、…それだけ貧しくなる。労働者は商品をつくればつくるほど、それだけますます彼は安価な商品になる」ということでした。

 これが労働者の疎外にほかならないとマルクスはいいます。そして彼は資本主義社会における労働者の「疎外の構造」を初めて明らかにしたというのです。
 それは四つの疎外からなっています。まず第一は「労働者からの労働生産物の疎外」で、いくら労働者が商品を生産しても、それは自分のものにならず、資本家のものとなる。そして資本家の私的所有物となった労働生産物は資本を形成し、その資本が労働者を支配するというのです。
 第二は「労働者からの労働の疎外」です。資本主義社会では労働行為そのものが資本家のものとなってしまい、したがって労働は強制的であって、喜びがなく苦痛となるというのです。第三はこうした疎外によって人間は本来の自由なる創造活動(これこそ人間の類的な生活)が営めなくなり「人間からの類の疎外」がもたらされています。第四は、その結果、「人間からの人間の疎外」に陥ることになるというわけです。
 以上のような四つの疎外の中に労働者は置かれているばかりか、実は資本家も疎外それているといいます。それは資本家の「快適な生活」も所せん人間的生存の外見にすぎず、真なる人間性の生活ではないからで、彼らも失った人間性を取り戻さなくてはなならないというのです。
 結局、疎外の出発点は「労働者からの労働生産物の疎外」に始まっているのであり、これがすべての人間の「人間性の喪失」を招来せしめている、そして資本家の手に移った労働生産物は「資本」を形成し、これが労働の生き血を吸いながら絶えず自己を増殖していく疎外(または搾取)の元凶である、これがマルクス人間疎外論の結論です。

このようにマルクスは単なる物(生産手段や貨幣)である資本をあたかも貪欲な生き物か吸血鬼であるかのように描き、そして資本の蓄積の出発点となった「本源的蓄積」を「原罪」として扱ったのです(資料・用語解説参照)  こうした資本(原罪)を排除しない限り人間の疎外からの解放がないということになります。具体的にはどういうことでしょうか。
 マルクスによれば資本とは特定の生産関係つまり資本主義的生産関係の下におかれた私的所有としての生産手段をさし、その資本を独占する資本家は「彼(資本家)の魂は資本の魂である。……資本はすでに死んだ労働であって、この労働は吸血鬼のようにただ生きている労働の吸収によってのみ活気づき、そしてそれを吸収すればするほどますます活気づくのである」(『資本論』)とします。
 ですから、原罪をもつ「吸血鬼」である資本家階級(ブルジョアジー)を、原罪をもたない神聖な労働者階級(プロレタリアート)が打倒しない限り、真の人間が取り戻せないことになります。ここから革命絶対論が生まれます。

しかし、1917年のロシア革命以後、世界の三分の一を占領し20世紀をして「革命の世紀」たらしめた共産主義国では、はたして人間疎外からの解放がなされたのでしょうか。現実は・経済的停滞・自由のはく奪・労働の強制の苦痛・新たな特権階級の登場で、より一層の(恐るべきというべきか)人間性の蹂躙を招きました。
 なぜ共産主義は人間疎外からの解放に失敗してしまったのでしょうか。
 第一は、人間の疎外(本来の人間になっていない状態)の本質を捉え間違ったことです。人間の心(精神)を軽視し、物(資本)をあたかも生き物のように捉え、そして同じ人間でもプロレタリアートを神聖視したことで、結局、疎外から解放されず、かえって疎外を増やしました。
 第二は、資本主義社会の性格の把握に誤りを犯しました。ここでも物という側面でしか資本主義社会を見ず、その基盤となっていたキリスト教やプロテスタンティズム(マックス・ウェバー)を軽視し、資本主義者社会の自己改革を否定してしまいました。
 第三は、疎外問題を解決する方法を誤ったことです。疎外からの解放(革命)を正当化するために弁証法的唯物論ならびに唯物史観を構築したばかりかプロレタリアート独裁論を樹立しました。これによってかえって疎外が深まったのです。
 以上の点を今後、このシリーズで詳しく探っていきます。私たちはマルクスそしてその思想を信奉する人々、そして全ての人々にに人間の疎外からの真の解放には何が必要かを考えてもらいたいのです。マルクス主義者でも真の自由を獲得したいというマルクスの原点に帰れば、自ずからマルクス主義の間違いに気付くのではないでしょうか。

原罪としての「本源的蓄積」

「本源的蓄積が経済学で演ずる役割は、原罪が神学で演ずる役割とだいたい同じようなものである。アダムがリンゴをかじって、そこで人類の上に罪が落ちた。……神学上の原罪の伝説は、われわれに、どうした人間が額に汗して食うように定められたかを語ってくれるのであるが、経済学上の原罪の物語は、どうして少しもそんなことをする必要のない人々がいるのかを明らかにしてくるでのある。……このような原罪が犯されてからは、どんなに労働しても相変わらず自分自身よりもほかにはなにも売れるものをもっていない大衆の貧窮と、わずかばかりの人々の富とが始まったのであって、これらの人々はずっと前から労働しなくなっているのに、その富は引き続き増大してゆくのである」(『資本論』)

登場人物
ロレンツ・フォン・シュタイン(1815~90)

 ドイツの法学者・社会学者。キール・イエナ両大学に学び、フランスにも留学、ウィーン大学教授。ヘーゲル哲学より国家と社会を区別して国家学を確立、とりわけ行政法に詳しい。伊藤博文がシュタインのもとで憲法学を学んだことで知られ、帝国憲法の生みの親の一人とされる。

ピエール・ジョゼフ・プルードン(1809~65)

 フランスの社会主義者。貧しい印刷工から奨学金を得てパリで学ぶ。1840年に『財産とは何か』を著し名をはせる。政府を最初に否定したアナーキスト。フランスの労働運動に多大な影響を与えた。プルードン主義社会主義の理想は相互扶助の社会で、マルクス主義者からは空想的社会主義と呼ばれた。

用語解説
資本の本源的蓄積

 15世紀半ばからイギリスで大規模に行われた地主による共同地・解放地の囲い込みによる土地私有化(エンクロージャー)の拡大によって、農民を生産手段である土地から切り離して資本主義の成立に必要な資本ー賃労働の関係を創り出す過程のことを、資本の本源的蓄積(または原始的蓄積)と呼ばれる。農民層のうち一部は都市に流出し産業革命期の賃労働者となった。マルクスによれば「資本は、頭から爪先まで毛穴という毛穴から血と汚物をしたたらせながら生まれてくる」(『資本論』)ということになる。

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