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共産主義唯物論その3

哲学を党派性で捉える
[キーポイント]

共産主義唯物の三つの特徴のうち「宇宙の根本は物質である」という物質観と「人間はサルが労働によって人間となった」との動物的人間観の誤りをこれまで見てきました。物質観では物質の概念を歪曲していること、人間観では「労働」を人間の創造主に据える間違いを犯していることがわかりました。今回は第三の特徴である「唯物論は革命に奉仕しなければならない」とのいわゆる哲学の党派性について探ります。

その主張

私たちは共産主義の唯物論を単に唯物論と呼ばず、「共産主義唯物論」と呼びます。それには理由があります。
 思想の自由を認めている自由社会ではさまざまな思想があり、神や霊魂の存在を否定するヒューマニズム的な唯物論者も少なくありません。だからといって、こうした人々(一般的な唯物論者)は神仏を信じる唯心論の人々を排撃し社会から排除・抹殺しようとは考えないでしょう。ところが共産主義の唯物論者は違うのです。唯心論者を唯物論者に”改宗”しなければ気がすまないのです。それが共産主義の使命でもあると言います。
 ですから、例えでいえば一般的な唯物論者が良性腫瘍とするなら共産主義唯物論は悪性腫瘍です。良性腫瘍はその細胞だけが腫瘍でとどまっていますが、悪性腫瘍は他の細胞までも腫瘍に変えていきます。ガン細胞がそうで、ついに全身に転移して死に至らしめます。共産主義唯物論がまさにそれで、だから「戦闘的唯物論」なのです。自由国家が生存していくには勝共が不可欠である理由がそこにあります。

さて、共産主義唯物論がなぜ戦闘性を帯びるのでしょうか。
 マルクスは「哲学者たちは世界をさまざまに解釈したにすぎない。大切なことはしかしそれを変えることである」(フィイエルバッハに関するテーゼ)と言い、レーニンは「この理論はまた教条ではなく、真に大衆的な、また真に革命的な運動の実践と密接にむすびついてはじめて最後的につくりあげられるものである」(共産主義における左翼小児病)、さらにスターリンは「理論は革命的実践と結びつかなければ、対象のないものとなる。これとまったく同じように、実践は、革命的理論がその道をてらさなければ、盲目的なものとなる」(レーニン主義の基礎)と言います。
 つまり共産主義は理論と実践の一致を強く主張し革命の正当性を強調するのです。
 理論と実践の一致を説くのは共産主義だけではありません。ソクラテスは「知行合一」、朱子は知と行は互いに補い合う関係にあるが知が先で行は後であるとの「先知後行」、王陽明は知が真の知となるのは行においてであるとして「知行合一」を説きました。
 こうした先哲の知行合一論は道徳的な正しい生活を導くためのものです。これに対して共産主義の場合は革命を導くための概念として理論と実践の一致を説いているのが特徴です。

そして、すべての哲学は必ずある階級の利益に奉仕する、すなわち党派性をもっていると主張します。レーニンは「最新の哲学は、2000年前と同様に党派的である。あい闘いつつある党派とは、博識ぶった山師的な新しい呼び名、また愚鈍な無党派性によっておおいかくされてはいるが、事がらの本質上、唯物論と観念論である」と言いました。
 共産主義によれば、ギリシャ時代のアリストテレスの哲学は、奴隷時代は本来天から命ぜられたものであるとして支配階級に奉仕したのであり、中世のトマス・アクィナスの哲学は、宇宙は封建的ヒエラルキーを成しているとして法王および国王の支配を合理化したのであり、また近代の機械的唯物論は、世界が独立の諸原子から成り立っているように資本主義社会において対等の人間原子である労働者と資本家が自由契約によって結ばれていると主張して資本主義社会を合理化した、と言うのです。
 つまり、これまでの哲学は支配階級に奉仕するという党派性を有し、それゆえに観念論であったが、共産主義の唯物論は被支配階級すなわちプロレタリアート解放を勝ち取る(世界を変える)哲学なので真の唯物論であるとします。
 こうして「唯物論は革命に奉仕しなければならない」という「戦闘的唯物論」として共産主義唯物論ができあがったのです。

理論と実践を一致させなければならないとの主張に私たちも異論はありません。問題はその理論と実践の中身が正しいものなのかということです。
 共産主義理論が間違っていることは本欄で詳細に見ていきますが、間違った理論を実践した結果、20世紀が「革命と殺戮の世紀」になったことは周知のとおりです。共産党の一党独裁、国中に張り巡らせた秘密警察と強制収容所によってもたらされた大量粛清、言論・思想・信教の自由剥奪と弾圧、文化の圧殺等々、共産主義理論の実践によって「人間疎外からの解放」どころか「より一層の人間疎外」に陥れられたことは否定のしようがありません。
 また共産主義は、思想はすべて党派性があるといいますがこれは独断でしかありません。思想において本質的なことは党派性ではなく真理性です。真理性こそが思想の本質なのです。もちろん、思想はそれが登場した時代性(時代的真理)やあるいは部分的な真理であったりする相対性(相対的真理)を免れないでしょう。しかし不易流行という言葉があるように、時代とともに流れ去っていくものと時代が変わっても変わらない普遍的なものとがあります。不易ということはそこに真理性があるということです。
 たとえばアリストテレスが奴隷制を擁護したのは、彼の政治思想が当時のポリス社会という特殊事情を基盤としていたという点では時代的真理にとどまっていたといえますが、それによってアリストテレスの思想全体が党派性をもっていたとはいえません。アリストテレスが著した『倫理学』や『政治学』は非党派的・超時代的な要素が少なくないので、今日に至るまで政治思想に大きな影響を与えているのです。
 トマス・アクィナスの思想もそうで、絶対的神を中心とする時代的制約性があっても時代や地域を超えて、その思想体系はキリスト教に影響を与え続けています。レーニンは思想を唯物論と観念論の白と黒の二つの党派に分け、あたかも観念論は常に支配階級に奉仕し唯物論は進歩的な革命勢力(被支配階級)に奉仕すると断じましたが、これも事実ではありません。たとえば奴隷制のローマ帝国で過酷な迫害を受け、ついにローマ帝国を屈服せしめたキリスト教は唯物論ではなくて純粋に観念論的でした。
 共産主義の哲学の党派性の主張は、労働者解放のために共産主義のみがプロレタリア革命を成し遂げる唯一の思想であることを合理化しようとしたものにすぎません。それこそ真理性を蔑ろにした党派性の所産というほかありません。

批判と代案

・理論と実践の一致は当然だが、問題は理論と実践の中身が正しいかである
 これまでの哲学が述べた知行合一は道徳的生活のためのものだが、共産主義の理論と実践の一致は革命に駆り立てるためのものである。理論が間違っていたのでその実践の結果、共産国に恐るべき非人権政権が登場した。 
・思想は真理性が問われるべきであり、すべて党派性で捉えるべきでない
 思想の本質は真理性である。これまでの思想は時代的真理や相対的真理という制約があり、ときには権力者が自らの支配のためにその思想を利用した(党派性)こともあるが、あくまでの思想の本質は真理性であり、すべてを階級的な党派性で捉えるのは事実に反することである。
・「唯物論は革命に奉仕する」は偽善的主張でしかない
 思想を観念論と唯物論に二分し、前者を支配階級、後者を被支配階級の思想と位置づけ、さらに革命のための唯物論だけを正しいとするのはプロレタリアを革命に駆り立てようとする共産主義特有の偽善的な主張にすぎない。

共産主義の党派性

 「マルクスとエンゲルスは、哲学において終始党派性であり、『最新の』傾向のうちに、唯物論からの逸脱と観念論および信仰主義にたいする寛容とを、あばきだすことができた」(レーニン『唯物論と経験批判論』)

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