皆様、こんにちは! 長らくお待たせしました!(拍手)今日私たちは、この日本を愛する思いを改めて皆様と確認するためにこの場所に集まりました!(拍手)そして私たちの思いは一つであります。私たちは勝共運動を貫徹するのです!(拍手)昨年は国際勝共連合創設55周年の節目の年でございました。今日と同じように、この場所で会合を持たせていただいた。そこに来られた来賓の、今日もご挨拶いただきましたが、増渕元県議の先生が、「寂しいなぁ」と。「来賓は俺一人か」と。「確か5年前、(国際勝共連合)50周年の式典にやはり呼ばれて来たけども、その時には現職の国会議員が50人も来たではないか」と。「たった5年で、その人たちは一体どこに行ってしまったのか。残ったのは俺一人か」と。こんなふうに嘆いておられたのでございます。そこで今日会場に来られた(増渕)先生に思わず、「先生、今日は昨年より少しは賑やかになっている」と。何しろ、昨年私がここで雄叫びを上げて、この1年間の間に、本当に多くの仲間たちが、日本全国津々浦々で、国を愛し、歴史を紡ぎ、またこの日本を世界に誇るために声を上げ続けてくれたんです!(拍手)
そして、今日はそのほんの一握りの代表でございますが、所狭しと、やはりこの会場に詰めかけてくださったのでございます。(拍手)そして今日は、もはやブラウン管と言わないそうでございますが、スクリーンの向こうに、日本各地、そして全世界から多くの仲間たちがこの時間共にしているのでございます。(拍手)
そのような皆様の熱い思いと、応援の声と、魂に支えられまして、今日私は、大胆不敵にも「日本の針路と勝共運動の使命」と題して、しばしお時間をいただき、お話をさせていただきます。皆様、戦いの用意はいいでしょうか?(拍手)
まさに「国難」、2017年秋でございましたが、国会を解散した安倍元総理大臣は、「国難突破解散総選挙」と銘打って選挙を戦いました。その時言われたのが、まさに「内憂外患」の国難でございます。内に少子高齢化、日本の社会のあり方がガラッと変わってしまうんだと。さらに「外患」として、国際的に安全保障環境があまりにも急激に変わってきているのに対し、日本国は、法整備も遅れ、もっと言えば、国民の意識が立ち遅れている。これは「国難」と言うしかない。そのような意識に立って、「内憂外患」を訴えられたのでございます。今、この日本を見た時に、もしかしたら「最大の国難」は、安倍晋三がいないことかもしれません。(拍手)しかし私たちは、何とかこの国難を突破していかなくちゃいけない。今日はそんな意味におきまして、一体何が私たちの国を難しくしているのかということを、皆様と考えさせていただきたいと思うのでございます。
今年1月8日でございましたが、国際政治学者でユーラシア・グループの代表を務めます、イアン・ブレマー氏が、「2024年の10大リスク」というものを発表いたしました。これ一つ一つを紹介すると、それだけで時間が終わってしまいます。今日はこの中で2つ、最初に、「米国の敵は米国」。アメリカ大統領選挙が騒がれておりますけども、「誰が勝っても、どちらが勝っても、分断と機能不全は変わらずより一層深刻化する」。このように言われております。すなわち「アメリカの敵はアメリカ」。アメリカの国内の分断が、「世界の10大リスク」の第一に数えられているという。このことでございます。そして5つ目、「ならず者の枢軸」という問題が、昨今ニュースの中でも大きな話題となってきている。今日はこの2つ、先ほどの「内憂外患」になぞらえまして、これらのリスクに対して、私たちが一体どのように相対峙していかなくちゃいけないのかということについて、皆様と考えていきたいのでございます。
アメリカのシンクタンク、「ピュー・リサーチ・センター」というところがホームページ上で紹介しているデータでございます。アメリカには二大政党、共和党と民主党がございます。ところが、1994年、これは冷戦が終わって間もない時期でございました。「G1」、「アメリカ一強」の時代と言われたその頃でございます。この表を見てみますと、共和党、民主党がそれぞれ、その政治的な傾向というものが、およそ中道に収まっていて、左右に大差がない状況が展開していたことが見受けられます。
ところが、これが近年になって、大きくそのリベラルとコンサバ、保守と革新が、開きを見せてきている。左右に分極化、そして対立の構造というものが、一層激化してきてしまっていると。このアメリカの分断の背景には一体何があるのか。これについては、2021年、あのFOXニュースなどで有名なマーク・レヴィン氏がその著書『アメリカンマルキシズム』、日本語でも本が出されまして、『アメリカを蝕む 共産主義の正体』と邦題が名付けられました。この内容を見てみますと、このアメリカの分断の背景に、アメリカを分断させようとする、リベラルな思想、もっとハッキリ言えば、「新しいマルクス主義」の存在があるのだと。これらは資本主義を否定し、過剰なまでに反差別をあおって、アメリカの統治システムや歴史、そして宗教的価値観や伝統、これらを根本からひっくり返そうとする。その攻撃の対象は、もはや現代人、すなわち、今今の政治家だけでなく、歴史上の人物もその対象になってしまっていると。これを指して、もはやこれは、既存の価値観を全否定する、アメリカ版の「文化大革命」ではないかと。こんなふうに分析する学者も出てきているのでございます。
さて、このようなアメリカの国内における分断化は、アメリカという国の弱体化を進めてきております。彼らは、自らのイデオロギーと勢力を拡大するために、あるいは「ポリティカル・コレクトネス」、「アイデンティティ・ポリティクス」、そして「キャンセル・カルチャー」などというようなことばかりをしながら、「融和」でなく、「対立」を促進していると。こんな状況が、一体どういう思想を背景にして行われているのか。
「クリティカル・レイス・セオリー」というものがあるそうです。これは「批判的人種理論」と訳されるものでありまして、白人は生まれながらにして、特権的有利な立場。だから白人は生まれながらにして、「レイシスト」、すなわち「人種差別の元凶」だと言うんです。ここで皆様にご紹介申し上げますのは、「1619プロジェクト」。これが今アメリカの高教育、歴史の教科書にも紹介され、なお推進されているという。中身を見てみたら、びっくりでございます。アメリカの建国は、一般的には1776年、その独立宣言を持ってなされたと私たちは学んできた。しかし、これを1619年、すなわち、アメリカ大陸に初めて黒人が奴隷として連行された、その年をもってして、これをアメリカの起源とする。このように、アメリカの歴史を「黒人迫害の歴史」と位置付ける。こんなふうな歴史教育が今、白人と黒人を分断させるかのごとく進んでいるというんです。まさに、国を分断する「歴史修正運動」というものが、アメリカ国内でにわかに盛り上がってきていると。傍から見てわかりにくいが、アメリカ国内に、民主党、共和党の分断の前に、もうすでにアメリカとは何なのかという、このアイデンティティのクライシス、これが進行しているということでございます。根っこはどこにあるのか。
皆さん、あのボリシェヴィキ革命が成功し、ソビエト連邦がなり、東ヨーロッパが共産化されていくあの勢いの中で、これ(共産主義)が西側には広がらなかった。そんな中で、イタリアの社会主義者アントニオ・グラムシという人物は、イタリア共産党の創設者でございますが、この国で共産革命を起こすのは、暴力革命を起こすは難しい。何しろバチカン市国をいただくお国柄である。しかるにここで、真に共産革命を起こそうとすれば、それは暴力革命によってではなく、精神革命・文化革命によってなされるのであると。このようにして、精神革命・文化革命を起こそうとした。このような、いわゆる西側ヨーロッパで広がった、文化に浸透した共産主義、これはドイツのフランクフルト大学に拠点を置いた「社会問題研究所」、いわゆる「フランクフルト学派」、ここにホルクハイマーとアドルノの写真を皆様にご紹介申し上げているが、彼らが先頭に立って、この「文化共産主義革命」といったものを西側ヨーロッパで進めた。これをユーロコミュニズムの流れというわけです。
しかし彼らは、ナチス・ドイツに追われて、国外に出ざるを得なかった。どこに行ったのかと言えば、それはアメリカでございます。東海岸はコロンビア大学、そこに拠点を移して、そのアメリカで、今度は文化共産主義を広げる拠点となっていったのです。ここに活躍したのが、ヘルベルト・マルクーゼを代表する、文化マルクス主義者たちでございました。時にアメリカは、ベトナム戦争で戦争疲れ、厭戦気分というものが、若者を中心に広がっていった。そこで、彼らは、この国に対する、社会に対する不満というものを持っている、ここにかこつけるようにして、彼ら(若者)に対し、反戦運動、そしてアメリカの伝統を否定し、社会を否定し、国家のあり方を否定する、そのような運動というものを展開し、あるいはこれが青年の中に、ヒッピー、ヤッピーと、このような運動として広がっていく中に、アメリカの伝統的精神というものが揺らいでいった時期があるわけでございます。
こういったことに警鐘を鳴らしたのが、このパトリック・ブキャナンという人物。この人は、ニクソン、フォード、レーガンなどの大統領の顧問を務めた人物でございますが、2015年(実際は2002年)の著書に『病むアメリカ、滅びゆく西洋』という著書がございます。「アメリカに今起こっている革命は、これはアメリカの伝統的な精神文化を壊そうとする革命である。まず彼らがやろうとしていることは、文化を支配する。それができれば、国家は労せずして崩壊するであろう」と。そうやって「既存の社会秩序・文化を否定する運動こそが、アメリカの今日の危機である」ということを訴えたのでございます。
このような今、いや、アメリカに蔓延り、今日なおこの分断を、社会の分断を進めてきている思想というものが、果たして日本にとって、対岸の火事なのかということなんです。決してそうではない。まさに今私たちの足元にまでこれが忍び寄ってきているんです。これは物議を醸すことを承知で私が、今日はこのことをお伝えしたい。あの「LGBT理解増進法」、正式には、「性的指向およびジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」とされました。この法律は本来、あの「2020東京オリンピック」、実際には21年に行われましたが、この五輪憲章に基づいて、東京オリンピック・パラリンピックの前に、「多様性と調和」というテーマを掲げた、政府によって議論が進められました。そして、特命委員会の委員長を務めた稲田朋美氏らを軸に与野党の合意まで持っていった。しかし、自民党党内の反対の声、懸念の声が高まってこの法案提出は、当時は見送られたのでございます。「慎重に判断をしなくてはいけない」ということが再三語られたにもかかわらず、昨年でございます。2月3日、岸田総理の秘書官でございました、荒井秘書官の、マスコミを前にしたオフレコであることを確認して語ったその言葉が新聞に紹介され、この差別発言をもって、荒井秘書官が辞任に追い込まれる。
さらに、かねてからこれを進めようとした公明党への配慮、そして5月に準備されていました「広島サミット」。ここにおいて、あるいはアメリカの圧力があったのか、なかったのか。バイデン大統領の来日を実現しなくちゃいけない。あるいはこの広島で、共同声明に「核兵器の全廃」という一言を入れたい。このような政治的な思いが、国際社会のその波に対して、妥協をせざるを得ないような状況を生み出したのかもしれない。そして、駐日アメリカ大使の発言もございました。こんなものが、政治運動として日本の姿形を大きく変えていこうとしている。十分に国民の中に、このことがなったら、一体どんな社会になっていくのかということが議論され、確認され、国民一人ひとりが自分たちのこととしてこれを捉える前に、性急に物事が進んでしまったということがございます。このように、今私たちの知らないうちに、私たちの目の前にまで、この「ステルス共産主義」とも言うべき、文化的な変化の波というものが押し寄せてきている、ということを言わざるを得ません。
文化だけではない。今日の中国のこの勢いというものは、これは大変なものである。
一つ前のあのアメリカ大統領選挙。2020年のことでございますが、その大統領選挙を控えた7月、トランプ大統領の懐刀、国務長官を担当していたマイク・ポンペオ氏が、カリフォルニアのニクソンを記念して建てられたニクソン記念図書館、そこで、「共産主義の中国と自由世界の未来」という題目で演説を行いました。そこでこの人はハッキリと言った。「共産中国から自由を守ることは、今日に生きる私たちの時代の使命である」。そうやって、今日の中国のこの広がりに対して警鐘を鳴らしたのでございます。
今、ウクライナ戦争が一体どのようにさらに展開していくのかということを、世界の人々が注目をしている。これが一体どのようにして始まったのか、というその原点を見てみますと、あの2022年の2月、ちょうど北京冬季オリンピックが行われた、その頃です。オリンピックの開会式のために訪中したプーチン大統領は、それを前にして、習近平主席と向き合い、中露首脳会談を行いました。そこでハッキリと両国は、「制限なき」協力関係ということを誓い合った。このように中国の無条件の後ろ盾を確固たるものとした土台の上に、オリンピックが閉会し、パラリンピックの開催を待つあのタイミングで、ウクライナ侵攻は起こったんです。
そして翌年なお、プーチン大統領と習近平主席は、今度はモスクワ、クレムリン宮で会談を行い、そこで「両国関係は史上最高のレベルである」ということをお互いに確認した。そしていよいよ習近平主席が、クレムリン宮を後にしようとしたその刹那に振り返り、プーチン氏に言った。「今世界は、100年に一度の大変動が起きている。その変化を私たちが促している」と。プーチン大統領は「その通りだ」と答えたと言われております。この「100年に一度の大変動」とは一体何なのかと。100年前に一体何があったのか、ということを振り返ってみますと、ちょうどその頃は、第一次世界大戦が終わった頃でございました。それまで、7つの海を制覇したパックス・ブリタニカ、大英帝国の栄華の時代、これが第一次世界大戦を一つ区切りにして、いよいよ陰りを見せた。その後に、世界の最も影響ある国として、今日まで約100年にわたって世界をリードしてきたのは、紛れもないアメリカでございます。習近平主席が言った「100年に一度の大変動」とは一体何か。そのアメリカ一強、アメリカのリーダーシップによって世界が導かれる。そのような時代が終わりつつある。その変化を我々が促しているというふうに、プーチン大統領に言ったのでございます。まさに、「世界秩序に対する挑戦者である」ということをハッキリとこの場で言った。
この間、上海協力機構の会合があったと思えば、今度はその直後にNATO首脳会談がつい先日行われました。ここでウクライナ戦争、その他について、NATOがこれを懸念するという、そのような会合でございましたが、そこでハッキリと首脳宣言の中で確認されましたのが、このウクライナ戦争、中国がその決定的な支援者であると。今、中国は、ロシアの軍需産業を下支えしている、戦争の決定的な支援者であるということを、彼らは名指しでこれを非難し、その支援を停止することを強く求めたということが言われております。さらに、このNATOの事務総長は、「ロシアが輸入する工作機械の70%が中国製である」ということを、ここでハッキリと言ったわけでございます。今日の世界の秩序というものが、大きく揺るがされているという現実は、その背景に、中国の勃興、中国の勢い、中国の目論見というものが見え隠れするということが言えるのではないかというふうに思います。
もう一方では、6月に北朝鮮、そしてロシアとの間に、「包括的戦略パートナーシップ」の条約が締結されました。こういったことを受けまして、台湾海峡、そして朝鮮半島の危機というものが、より現実味を増してきていると。こういった、いわゆる「内憂外患」のうち、「外観」の部分でありますが、このような危機に対峙して克服するためには、これら「体制共産主義」の間違い、そして、文化に浸透した共産主義の脅威、こういったものをハッキリと世に示して、そういった脅威に今、私たちの現実の生活が晒され、脅かされているということを多くの国民に知ってもらわなくてはならないのでございます。(拍手)
このような世界の危機を早くから察知し、「アメリカが大変なことになっている」。「アメリカがその建国精神を失い、神から離れつつある」。そういった状況を目の当たりにし、私たちの運動の創設者、文鮮明総裁は、アメリカに渡りました。
そしてこの1973年10月1日のカーネギーホールにおける講演を皮切りに、全米53カ都市で「希望の日講演会」を実施し、「アメリカよ、神へ帰れ」「アメリカが病気になったから、私は医者としてアメリカに来た。アメリカが火事になったから、私は消防士としてアメリカに来た」「アメリカよ、神へ帰れ。建国精神に立ち返ろうではないか」ということを、アメリカの若者たちに訴えたのでございます。(拍手)そして、ニクソン大統領を訪ねては、「どうぞ強く雄々しく、自由民主主義の諸国の盟主として、自由民主主義を守るために、強く雄々しく立ってほしい」ということを訴えた。
ところが、この後ニクソン大統領が「ウォーターゲート事件」で挫折をし、辞任を余儀なくされます。アメリカは、国内が大混乱、国論が二分され、アメリカの人々は自信を失っていった。その最中に、文先生はまた立ち上がります。そして、マディソン・スクエア・ガーデン、ニューヨーク・ヤンキー・スタジアム、さらにはここ、ワシントンモニュメント(記念塔)の前に30万人の人々を集めて、そこで「許せ、愛せ、団結せよ! 強いアメリカを取り戻そう!」と訴えたのでございます。(拍手)
この運動は、さすがにアメリカ社会が反応いたしました。あの週刊誌「ニューズウィーク」誌が、文師に対して、インタビューを行った。表紙がこれでございます。「The Moon Movement」。そうやって、アメリカで強いアメリカを取り戻すために、「アメリカよ、神へ帰れ」と訴え続けた。
そしてレーガン政権が立った時、ふとレーガンが周りを見た時に、自分が四面楚歌であることに気づいた。すなわちワシントンにはもうすでに、保守新聞紙がなくなっていて久しい。レーガンの政策を後押しする新聞社がない中に、アメリカの財閥の人々を集めて、もう一度、あの「ワシントン・スター」、「保守紙を復活してもらえないか」ということを訴えた。採算が合わなくて倒れた、このアメリカの日刊紙を、保守紙をまた復活させるということは簡単なことではなかった。そこで立ち上がったのが、文鮮明先生なのでございます。(拍手)1982年、ワシントンタイムズ社を創設し、レーガン大統領の政策を後押しいたしました。レーガン大統領が、ホワイトハウスで朝起きて最初に見る新聞がワシントンタイムズという噂が飛び交ったのでございます。(拍手)この運動を文先生は日本にも推進されました! すなわち、勝共愛国運動を、この国の青年たちの心に火をつけ、国を愛する気持ちを湧き上がらせ、私たちの先人たちをして、国のために、国を愛し切る戦いを、全身全霊で日本の津々浦々で展開することを指導されたのでございます!(拍手)
「国を愛する」ということは、「国難を克服する運動する」ということです。当時の国難は一体何だったのか。勝共の50年の歴史にあって、様々な取り組みをして参りましたが、今日はあえて、このことを皆様にお訴え申し上げたい。当時、様々なスパイ事件が露呈をいたしました。ここに紹介されている「レフチェンコ事件」、あるいは「宮永スパイ事件」、こういった外国勢力が、まさに日本人スパイを通して、「間接侵略」を行っていっている、この現実が、新聞、その他メディアで訴えられるようになった。ここに「スパイ防止法」、すなわちスパイを取り締まる法律を作って、「スパイ天国」となってしまった、日本の汚名を返上しなきゃいけない、このような声が巻き上がっていったのでございます。これは1985年の当時の自民党の機関紙「自由新報」でございます。「一刻も早く『秘密法』の制定を」。叫ぶようにしてこのような活字が述べられた。そしてそのような運動は、1985年の6月6日、自民党を通して、第102回通常国会に、この法案が提出をされました。ところが、これは難産でございました。生まれもしなかった。すなわち法案に対する様々な反対の意見、主張というものが、これを巻き返していったのでございます。法案に反対する主な主張といたしまして、「国民の知る権利を侵害する」「言論・表現の自由、報道の自由を侵害する」「国家秘密、スパイ行為の定義は広範囲、無限定なので、恣意的判断で誰にでもスパイにされる」「戦前の治安維持法が復活する」「これで民主主義が終わってしまう」。
特に反対したのが「日弁連」でございます。
1985年、「人権擁護大会」を行った日弁連は、「国会に提出されている法律案は、調査、取材活動、言論、報道活動、日常的会話などの全てがスパイ行為に含まれ、人権侵害の危機が極めて大きい」と、これを批判しました。それだけじゃない。1987年の5月30日の第38回日弁連の定期総会におきまして、「今後また、スパイ防止法のような法律案が再び国会に提出されることに強く反対する」という決議を行って、政治的圧力を加えたんです。こうやって、マスコミや、あるいは弁護士を中心に、「スパイ防止法は通すべきでない」という声が上がった。このような声に反対すれば、それはもう、蜂の巣を突いたように攻撃されるに決まっているんです。ところが私たちは、これが国のためになると信じたのでございます。(拍手)
全国津々浦々で、スパイ防止法制定のための国民運動を展開したのでございます。
これ(写真)は何を隠そう、私の父親なのでございます。(拍手)
当時私は小学生。玄関で父を見送るんだけども、その見送る中で、横で母が泣いているんです。「お母さん、なんで泣くの」と言ったら、「お父さんと会えるのは、今日がこれで最後かもしれない」。「なんだ父は、一体外で何をしているんだろうか。そんなに命を狙われるような怖いことしてるんだろうか」と。「なんで我が家は、人様のように平凡な暮らしができないんだろうか」と、そんなふうに自らの運命を呪ってみたこともあるのでございます。
ところが後に知ってみれば、私たちの先輩たちが選んだ道は、家庭的な平安を超えて、日本の国を守るために、日本の国民が、平和で安全な国に暮らし続けることができるために、自らの精神を賭して、自らを、あるいはその家庭をも犠牲にしてでも、国を愛する運動を貫徹したのでございます。(拍手)
1984年、「スパイ防止のための法律制定促進議員・有識者懇談会」ができ、86年、87年と、様々な分野で有志たちが集まって参りました。なんと昭和59年、1984年2月までの段階で、全地方議会のうち、27の県議会をはじめ、その他、地方議会1486、そして後には、最終的には1800を超える地方議会において、スパイ防止法を早期に制定することを求める意見書が、地方議会において採択されたのでございます。(拍手)
当時の朝日新聞でございます。朝日新聞は、朝刊見開きで、国際勝共連合を名指しで批判いたしました。「いつから、誰が、いつの間に」。そして、「勝共連合がその活動を支えている」。皆さん、これは悪口を言われているようですが、もう一方では、私たちこそが、愛国運動を貫徹していたということの証左に他なりません!(拍手)
勝共の歴史が56年になる。しかし今なお、共産主義の脅威というものは、私たちの生活を脅かしております。それは、今日その冒頭から私が声を張り上げて、お訴え申し上げておりますように、私たちの文化に浸透し、共産主義の看板を掲げずに、あるいは他の名前でもって、どっかで聞いた「正体隠し」のように、私たちの生活に忍び寄ってきている。
そして、体制をもって私たちに危機として迫ってくる、共産主義の外圧というものも、一方ではある。これは、昭和の時とも、平成の時とも違う。今日のまた独自の私たちの目の前にある危機などでございます。しかし私は、今日改めてこの日本は、昭和でも平成ではない、歴史と地球儀を俯瞰する視座に立った、令和の国家ビジョンに立って、日本の愛国運動を進めていかなくてはいけない、このように皆様と確認をしたいのでございます。(拍手)
安倍総理が「自由で開かれたインド太平洋構想」を訴えられた。そしてそこで、実に今日、グローバルサウスの盟主を自認する、インドのモディ首相と、一体どれだけの会談を積み重ねてきたかわからない。そこにどれほどの深い信頼、厚い友情というものを育ててきたかわからない。今日世界が多極化していくと、アメリカ一強の時代から中国が勃興し、しかしもう一方で、かつて「第三世界」と言われた国々が力を蓄えて、今日「グローバルサウス」、一大勢力として、世界でその存在感を大きくしてきている。そのような多極化する世界の中で、西側世界は、このグローバルサウスに対して、説得力を持ち得ない一面がございます。何しろ、グローバルサウスの多くの国々には、「反宗主国感情」というものが今なお根強く残っている。数百年に及ぶ植民地支配と、人種差別の辛い記憶というものが、彼らの根底にあるのでございます。
皆さん、自由と民主主義という政治思想、これはある意味、ヨーロッパで産声を上げたんです。ところがその理念が、実体的な国として展開したのは、アメリカ合衆国の国の建国を持たざるを得ませんでした。ところがそのアメリカ合衆国が掲げる、この自由と民主主義の「人類普遍的な価値」と言いますが、しかし、その根底に、彼らの白人至上主義のような発想というものは、今日を待たなければ、当時の世界にはダブルスタンダードのようにして聞こえたに違いありません。この自由と民主主義というものが、真に世界に普遍的な価値として定着するためには、多くの犠牲があった。公民権運動を進めたキング牧師の犠牲がありました。あるいは、あの南アフリカで、アパルトヘイトと戦ったマンデラ大統領の姿があったし、そして、インドの聖人、ガンジーの独立運動がございました。これみんな、非白人なんです。彼らが、実に有色人種も含めた、人類の普遍的な価値として、自由と民主主義という価値観をこの国に、この世界に定着させるために、その役割を歴史上に果たしてきたんです。すなわち、今日私たちが享受している自由と民主主義は、これは、欧米によってこの世界に定着したものでなく、世界の人々の犠牲と熱心によって導かれてきた。
そして、あまり名前を言うとご迷惑になるかもしれませんが、先日新聞でも紹介されていましたが、ある方が言っておられました。ガンジーにしても、マンデラにしても、あるいはキング牧師にしてもそうだが、彼らが命を賭して運動した、その彼らの根底に一体何があったのか、そこには「宗教的信念」があったのでございます。
この地に、理論でいうところの自由と民主主義、その価値を真に私たちに定着させるためには、命を賭そうとする、信仰にも似た、信念に後ろ支えされなければ、私たちの自由と民主主義の価値、平和の理想というものは人類に定着しないのでございます。(拍手)
日本は、この西欧と非西欧、G7とグローバルサウス、この間に立って、私たちがこれだけ多くの犠牲を払って、歴史的教訓として得た、自由と民主主義の価値観を、専制主義的な国々によって壊されてしまうことを避けるために、今一度、グローバルサウスの国々を人々に対して、自由と民主主義で立ち上がろうということを言わなくてはいけないのでございます。(拍手)
まさに21世紀に入って日本が、特に安倍政権下で行ってきたことは何か。「メガ自由貿易圏」の創設、「環太平洋経済パートナーシップ協定」、「地域的な包括的経済協定」、そして、「日本EU経済連携協定」、こういった「メガ自由貿易圏」というものを世界に広げるに当たって、日本が大きなその役割を果たしてきた。そのことが、グローバルサウスの国々を、この自由貿易の懐の中に入れて、同じ価値観のもとに、この地球に自由と平和を実現しようじゃないかということを訴えるに当たって、日本がリーダーシップを示すことができるということを、安倍晋三が私たちに教えてくれたのでございます。(拍手)
そして、私たちの運動を創設された文鮮明総裁、韓鶴子総裁。今や他界された文総裁に成り代わって、私たちの運動をご指導される韓総裁は、2019年、日本は名古屋に訪問されまして、ここで国際会議を主宰され、基調講演をなさる中で、「太平洋文明圏時代」というものを訴えられました。これは、欧米中心の大西洋文明に代わる、人類普遍の価値を創出する新しい平和文明を、日本と韓国とアメリカを基軸にした、この太平洋圏、インド太平洋圏にある価値観を共有する国々が、力強く、これを推進していかなくてはいけない。その先頭に立って、世界の中で日本が輝くことを期待すると言って、日本の私たちを激励してくださったのでございます。(拍手)
文総裁・韓総裁は、厳しいお話もされますが、しかし、その本心にあって、日本に対する愛情を私たちに常に示してくださいました。「日本よ、世界から尊敬され、世界から愛され、世界から歓迎される国になろうではないか」と、いつも私たちに世界に目を向けて、「日本の国のためを超え、日本の国のためにも、世界のために生き切る日本人として世界の人々から愛される皆さんになろうではないか」と訴え続けてくださったのでございます。(拍手)
そして韓総裁は、このような平和運動の基礎が、単に国と国との関係に留まらず、その礎として、平和運動の基礎が、家庭から出発しなくちゃいけないということを強調されました。すなわち、「家庭は愛の学校である」。「人格を訓練する、道場である」。それでもって私たちは、人間関係の基礎を知っていくのだと。そこに私たちは、人のために自らを犠牲にすることを学び、愛する人に、より美味しいものを食べてもらってもなお喜ぶことができる、親に対する、兄弟に対する愛情を学ぶことができる。そういった道徳心溢れる心が、気持ちが、家庭から世界に広がっていく時に、真の平和文明が生まれるのだということを、韓総裁は私たちに訴えられたのでございます。(拍手)
しかるに皆さん、今日私は、「国難突破! 勝共決起大会2024」、ここに皆様と共に、「国難」をいかに突破すべきか、「日本の針路」とは一体どうあるべきかという結論を申し上げるに際しまして、二つの内容を強調したいのでございます。一つは、日米韓、これを基軸としたアジア太平洋地域の平和と繁栄を誰かがではなく、日本が先頭に立って、これを積極的に貢献していく国家像、それこそが日本の行くべき針路なのでございます!(拍手)それは西欧と非西欧を結び、自由と民主主義の価値を誰か特定の人たちのためだけではなく、真に人類普遍の価値として、このアジア太平洋圏をその端緒として、地球全体に平和文明を定着させる使命が日本の国にあるのでございます!(拍手)
さらにもう一つ、人格の成熟、そして人格の完成の基地、愛の学校、社会道徳の訓練場として、家庭とその家庭の絆を守る、そのような運動を展開して、この国のあり方を守ることこそが、愛国運動でなくして一体何が愛国運動でありましょうか?(拍手)
私たちに迫り来る危機の本質の中に、縷々申し上げて参りました、文化に浸透した共産主義、あるいは、専制主義的な体制を主導する体制共産主義があることを申し上げました。この共産主義を克服することこそが、日本の国難を突破することなのでございます。(拍手)
しかるに今日、私たちは改めて、勝共運動を貫徹し、日本を守る決意をするのでございます!(拍手)皆様、今日のこの勝共決起大会、私たちは、ここに勝共運動は、内外の迫り来る共産主義を克服する、救国救世・愛国運動であるということを確認いたしましょう!(拍手)皆様、最後までご清聴ありがとうございました! 決意をして、頑張って参りましょう! ご清聴ありがとうございました!
以上
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