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	<title>制作実績 &#8211; 国際勝共連合公式サイト｜共産主義に勝利し自由と平和を守り抜く｜勝共連合</title>
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	<description>国際勝共連合（勝共連合）は、日本で1968年に創設され、56年の歴史を誇る保守系の政治団体です。 「共産主義は間違っている」をスローガンに勝共運動を国内外で果敢に展開し、日本の行くべき正論を提示し続けます。</description>
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	<title>制作実績 &#8211; 国際勝共連合公式サイト｜共産主義に勝利し自由と平和を守り抜く｜勝共連合</title>
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	<item>
		<title>文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜（46）</title>
		<link>https://www.ifvoc.org/work/marx-group46/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[政弘菅野]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 31 Mar 2026 01:18:41 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[「民主主義＋社会主義」Ｗ革命を企図 パルミーロ・トリアッティ（下） クレムリンの闘争が第２ステージへ 　レーニン亡き後のクレムリンにおける権力闘争は、ソ連のみならず、書記長に納まったトリアッティのイタリア共産党（ＰＣＩ） [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span style="font-size: 24pt;">「民主主義＋社会主義」Ｗ革命を企図<br />
</span></h2>
<h3><span style="font-size: 18pt;"><strong>パルミーロ・トリアッティ（下）<br />
</strong></span></h3>
<h5 class="style5b"><span style="font-size: 12pt;">クレムリンの闘争が第２ステージへ<br />
</span></h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　レーニン亡き後のクレムリンにおける権力闘争は、ソ連のみならず、書記長に納まったトリアッティのイタリア共産党（ＰＣＩ）をはじめコミンテルン加盟諸国の共産党指導部にも甚大な影響を与えました。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　クレムリンではスターリンがトロツキーとジノヴィエフを追い落とすと今度は、ジノヴィエフ失脚後にコミンテルン（第３インター）議長に収まったソ連共産党きっての理論派ブハーリンとスターリンとの路線対立が表面化します。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　しかもコミンテルン加盟諸国の信任が篤かったのはむしろブハーリンの方で、伊共産党としてもグラムシ逮捕もありトリアッティが書記長となり、盟友アンジェロ・タスカ（一八九二〜一九六〇）をコミンテルン本部に派遣しました。トリアッティは当初、個人的にも関係の深かったブハーリンを支持していました。ＰＣＩ代表のタスカには、「あくまでＶＫＰ（ソ連共産党）内の権力・路線闘争であり、問題に深入りはしない」と指示しました。が、　ブハーリンの敗北が決定的となり、トリアッティはタスカに対し、スターリンに恭順の意を表するように書面で指令を出すもタスカはブハーリンとの誼みからこの説得を拒否、ついに１９２９年２月、ＶＫＰでブハーリン派を糾弾する決議が採択され、ブハーリンは失脚。そしてコミンテルンの指令で翌年タスカはＰＣＩを除名となりました。</span></p>
<h5 class="style5b"><span style="font-size: 12pt;">スターリン主義にあらずんば共産主義者にあらず<br />
</span></h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　山田薫氏の前掲書では、トリアッティは後年、スターリン指導部の誤りを認めつつ、「なぜ抵抗しなかったのか」との問いに、「そんなことをしたら、私は殺されていただろう。歴史は、死ぬか、あるいは党を守るために生きるか、いずれがましであったかを問うだろう」と答えを引き、「当時はスターリン主義者でなければ、少なくともそれを装わなければ、共産主義者であることは不可能であり、ボルシェヴィキ的前衛とは異なる社会主義的発展を観念化することも不可能であった」と論評しています。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　このようにして独裁者の地位を固めたスターリンは１９３０年代から、ソ連国内はもとよりコミンテルン加盟国に至るまで徹底的な粛清を行いました。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　このように、「スターリンの腰巾着」と見られ、日和見主義者と見られたトリアッティですが、独自路線を打ち出すまでには、１９５３年のスターリンの死まで待たねばなりません。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　１９３５年の第７回コミンテルン大会でしたが、実はこれが最後のコミンテルン大会でした。同大会においてトリアッティは、「反ファシズム」の旗下に「人民戦線」路線を貫くというコミンテルンの方針を積極的に立案・提言化します。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　しかしあれほど大きな影響力を持ち、世界を席巻したコンミテルンは、第２次世界大戦終結前の１９４３年、突然解散したからです。</span></p>
<p><a href="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/03/marx46-1.jpg"><img fetchpriority="high" decoding="async" class="aligncenter wp-image-17093 size-full" src="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/03/marx46-1.jpg" alt="" width="1040" height="1076" srcset="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/03/marx46-1.jpg 1040w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/03/marx46-1-290x300.jpg 290w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/03/marx46-1-990x1024.jpg 990w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/03/marx46-1-768x795.jpg 768w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/03/marx46-1-980x1014.jpg 980w" sizes="(max-width: 1040px) 100vw, 1040px" /></a></p>
<h5 class="style5b"><span style="font-size: 12pt;">ソ連スパイの巣窟化ルーズヴェルト政権<br />
</span></h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　これは当面の敵ナチス・ドイツとその同盟国に対する戦いをスターリンは重視し、ともかく米国、なかんずくルーズヴェルト大統領との関係構築に細心の注意を払ったのでした。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　その中から終戦後の青写真を描き、その戦後体制でソ連が強力な権限を賦与されること（国連での拒否権を持つ常任理事国となることなど）を確約させた上で、共産主義イデオロギーによる国際組織「コミンテルン」の解散を認めたのです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　ルーズヴェルト政権にはともかく政権中枢にソ連スパイが数多くいました。クレムリンばかりではなく、中国共産党と毛沢東にべったりの親中共産勢力が、戦後の日本をすら動かすことになるのです。</span></p>
<h5 class="style5b"><span style="font-size: 12pt;">コミンテルンの解消とコミンフォルムへ<br />
</span></h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　米国はソ連のコミンテルン解散で、得をしたと思っていたはずです。すなわち、ソ連が世界革命を名実ともに諦め、一国社会主義の道を突き進むにすぎないと見くびっていたのです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　ところが、それは米国の希望的観測に過ぎませんでした。というのも、終戦後直ちにスターリンは新しい共産主義理念による国際組織「コミンフォルム」（共産党国際情報局）を結成したからです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　このコミンフォルムを中心として、ＮＡＴＯ（北大西洋条約機構）に対抗した「ワルシャワ条約機構」が結ばれることになり、ここに本格的な「冷戦時代」が到来することになったのです。この「コミンフォルム」にはもちろん、コミンテルン時代の各国共産党も参加しました。トリアッティの率いていたイタリア共産党もその例に漏れません。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　しかし、１９５０年代からすでに、コミンフォルム加盟諸国は「民族自決」など完全に無視するソ連の武断統治のやり方に疑問を抱いていました。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　その後スターリンの死によって求心力が低下し、コミンフォルムはスターリン批判と共に１９５６年に廃止ということになります。</span></p>
<h5 class="style5b"><span style="font-size: 12pt;">スターリンだけでないソ連帝国体質<br />
</span></h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　トリアッティが新しく打ち出した「構造改革」論は、世界の左翼人士たちに少なからぬ衝撃をもたらしました。１９５３年のスターリンの死で、スターリン批判が「解禁」され、「デタント（雪解け）」の時代を迎えます。ところが実際には、専制独裁者が替わったとはいっても、一九五六年の「自由」を希求するハンガリーの人々の「反乱」は、フルシチョフの命令の下にソ連軍の戦車によって武力弾圧（ハンガリー動乱）。まさにこれが「ＮＡＴＯ対抗」を謳った「ワルシャワ条約機構」すなわち「ソ連型帝国主義」の本質でした。<br />
</span></p>
<h5 class="style5b"><span style="font-size: 12pt;">「民主主義＋社会主義」Ｗ革命を企図<br />
</span></h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　レーニンの率いるボリシェヴィキが成し遂げた「ロシア十月革命」は、マルクスの「予言」（高度に発達した資本主義社会において社会主義革命が必然的に起こる、とした説）とは異なる結果をもたらした「故事」を引きながら、今度はレーニンの理論的言説にも「修正」が加えられることはあっても可ではないか、というトリアッティの「言い訳」は、責められるべきものではなく、同じ「社会主義」への道を歩もうとする点で、選択肢の一つだ、というものでした。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　こうした考え方は、冷戦の真只中においては、ソ連を「共産主義国家の総本山」と見たり、少なくとも一目を置く「スターリニスト」と呼ばれたソ連擁護派（日本では共産党）や、「世界革命」を唱えたトロツキーを評価し「反ソ・反スターリニズム」をスローガンとした「トロツキスト」勢力はともに「暴力革命」を否定することはありません。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　もちろん、ここでトリアッティも「暴力革命」を全否定するわけではありません。キューバ革命でのカストロ政権登場も積極的に評価しました。</span></p>
<h5 class="style5b"><span style="font-size: 12pt;">議会的手段による社会主義達成の夢<br />
</span></h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　 「イタリアが議会的手段で社会主義に到達する可能性」に、トリアッティは、次のように答えています。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　「社会主義的改造に反対している諸政党の中には、反民主的手段をもって、労働また民主運動の抑圧をもってまたファシストがなそうと試みたように公然たる暴力をもってさえ、進歩を阻止しようとする潮流が優勢となることはありうる」</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　この言を踏まえ、山崎功・著『パルミーロ・トリアッティ その生涯と業績』では次のように述べます。</span><br />
<span style="font-size: 12pt;">　　　　◇</span><br />
<span style="font-size: 12pt;">　つまり相手が暴力に訴えるならば、それに応じる用意があるということである。……民主主義が徹底し、国会がそれを正当に反映する鏡であることが条件であり、さらに共産党が強力に組織され、また社会主義のためにたたかう諸政党が行動のうえで統一されることも条件となっている。これらの条件が実現されたとき、議会利用の可能性が生じるのであり、しかもなおかつ、これを阻止する反対勢力が、暴力の行使に及ぶという情勢が生じるならば、そのときには、その情勢に対応する措置をとるということなのである。</span><br />
<span style="font-size: 12pt;">　　　　◇</span></p>
<h5 class="style5b"><span style="font-size: 12pt;">ブルジョア民主主義と社会主義の同時革命<br />
</span></h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　「暴力革命」を留保しつつ、「レーニンの修正」をトリアッティが試みたのは、「民主主義・社会主義革命」であるというのです。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　「それはイタリア社会の経済構造および政治構造の二重性、南部農業の後進性と北伊工業の進歩性との対立、前者の後者に対する従属、後者の前者の搾取による繁栄、このうえに樹立された政治構造の複雑性、それからも生じている階級構成の特殊性、それらにからむ教権世界の支配、などに特徴づけられた状況から決定されたものであった。それは『資本主義的旧指導階級に対する闘争には、労働者階級と農民大衆との階級的政治的同盟が確立されるべきであったが、この分析は、労働者級と農民の中に、民主主義・社会主義革命の原動力を明らかにした。……後進地域の状態の中に、わが国の歴史的諸条件をはっきり見た。この諸条件こそは、この階級的同盟に特殊な内容を与えるものであり、……この階級的同盟の幅を、都市中小ブルジョアジーの広範なグループさえも包含するところまで広げる』ものとなる。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　ここでは、ブルジョア民主主義革命と社会主義革命とが同時に遂行されねばならぬのであり、両者の段階的対置はありえない。一方における民主主義革命への推進こそが他方における社会主義革命の成功を助成し、民主主義的任務も社会主義的任務も両者の同時的革命でしか遂行しえぬとする不可分の統一性は、イタリアの現在の歴史的局面によって与えられたとしている。それは労働者・勤労者階級の民主主義政府確立の闘争のための局面である」</span><span style="font-size: 14pt;">（『生涯と業績』）。</span></p>
<h5 class="style5b"><span style="font-size: 12pt;">フランス革命とロシア革命の経緯<br />
</span></h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　すなわち、「構造改革路線の本質」とは、ズバリ「ブルジョア民主主義革命と社会主義革命の同時遂行」ということになるわけです。もっとも、ロシア革命やフランス革命の経緯を見ても、最初期には「ブルジョア革命」として始まり、それが暴力や恐怖政治による社会主義ないし共産主義による革命へと変貌したということが言えましょう。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　この点において、トリアッティは歴史をよく見ていたと言えます。しかし注意すべきは、民主的方法で権力を手にしても、「革命」は終わりではありません。それが「暴力的手段への留保」につながり、あくまで「共産主義革命」への道程に過ぎないと位置づけていることが窺えます。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">（「思想新聞」2026年3月15日号より）</span></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜（45）</title>
		<link>https://www.ifvoc.org/work/marx-group45/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[政弘菅野]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 16 Mar 2026 15:50:49 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[クレムリンの闘争と盟友との対立 パルミーロ・トリアッティ（中） 　前回は「構造改革路線」を理解しやすくするために日本の旧民主党政権における事例を挙げました。イタリア共産党（ＰＣＩ）が１９４０年以降採った「社会主義へのイタ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span style="font-size: 24pt;">クレムリンの闘争と盟友との対立</span></h2>
<h3><span style="font-size: 18pt;"><strong>パルミーロ・トリアッティ（中）<br />
</strong></span></h3>
<p><span style="font-size: 12pt;">　前回は「構造改革路線」を理解しやすくするために日本の旧民主党政権における事例を挙げました。イタリア共産党（ＰＣＩ）が１９４０年以降採った「社会主義へのイタリアの道」が、ある意味でかなり現実路線でしたが、それはコミンテルンを中核とする「正統派マルクス主義」たる「ソヴィエト＝ロシア・マルクス主義」とは明らかに方向性を異にしています。</span><span style="font-size: 12pt;">。</span></p>
<h5 class="style5b"><span style="font-size: 12pt;">グラムシの革命戦略をさらに「薄める」<br />
</span></h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　トリアッティの構造改革路線は、ユーロコミュニズムという思想潮流の必然的帰結と言えそうですが、重要なのは、トリアッティの打ち出した理論が、盟友グラムシを敷衍したと見なすなら、それは「マルクス主義の変質」というよりむしろ、グラムシの革命戦略論が薄められたにせよ、「革命への過渡的なアプローチ」と見なすべきでしょう。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">「社会主義へのイタリアの道」の主張は、実にシンプルで明快です。すなわち、マルクスの予言した「資本主義の終焉」は迎えておらず、しかも「帝国主義」も残存する。その現状をはっきり認識しているのが、トリアッティの分析です。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　このトリアッティの「宣言」は、レーニンが革命的現実をマルクスの体系の中で捉え、「マルクス＝レーニン主義」というドグマを構築したのに対し、トリアッティら構造改革路線は、マルクスの「予言」や「教説」に現実を押し込めることはなかったものの、「我々はイタリア社会の経済諸構造を大きく修正させるために、民主主義の領域で労働者大衆及び勤労者大衆の行動と闘争とを発展させようとしている」という基本路線を呈示し、暴力革命による「ボリシェヴィズム」とは異なる方法論を採ろうとしたわけです。しかし、かといって人民民主主義やボリシェヴィズムそのものを否定したわけではなく、「異なる社会主義への道」ということでした。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　ただ、日本共産党の言う「民主主義」と、社民党の言う「民主主義」、民主党の言う「民主主義」というのは実は微妙にニュアンスが異なると言えます。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　日本共産党では「民主集中制」と呼ばれるように、中国共産党と同じくプロレタリアートの民主主義、つまり「人民民主主義」を意味しています。これが「プロレタリア独裁」の素地になります。しかし、トリアッティや社会民主主義ではより大衆を重視し、ブルジョワジーを打倒すべき存在として敵視するのは変わりませんが、漸進的に克服すべきものと見なします。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　さて、戦後ヨーロッパで独自の「ユーロコミュニズム」路線をいち早く取ったのがイタリア共産党と言え、東側諸国のいわば「閉鎖的な暗さ」とは異なっているような印象を受けます。ところが、実際には、スターリン全盛の時代には、トリアッティらも過酷なサバイバル・ゲームを生き残っていかなければなりませんでした。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　その一端として現れたのが、「グラムシ書簡事件」です。トリアッティは早世したグラムシの遺志を引き継ぎ伊共産党を牽引していったと言えますが、コミンテルンの問題に関し実はトリアッティはグラムシと対立したことがありました。</span></p>
<p><a href="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/03/marx45-1.jpg"><img decoding="async" class="aligncenter size-large wp-image-17065" src="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/03/marx45-1-1024x968.jpg" alt="" width="1024" height="968" srcset="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/03/marx45-1-1024x968.jpg 1024w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/03/marx45-1-300x284.jpg 300w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/03/marx45-1-768x726.jpg 768w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/03/marx45-1-980x926.jpg 980w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/03/marx45-1.jpg 1040w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></p>
<h5 class="style5b"><span style="font-size: 12pt;">コミンテルン分裂を危惧したグラムシ<br />
</span></h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　１９２０年のミラノのアルファロメオ工場の労働者評議会による占拠事件、21年の社会党（ＰＳＩ）の脱退と共産党（ＰＣＩ）結党、22年のムッソリーニ政権の誕生と続き、26年のリヨンでの党大会直後にソ連に出国しコミンテルンのＰＣＩ代表となります。このコミンテルンとの関係から、トリアッティの「したたかな政治家」というキャラクターが醸成されたと見てよいでしょう。そこで山田薫著『イタリア共産党と戦後民主体制の形成　トリアッティの政治戦略の展開』では次のように記述されます。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　　◇</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　１９２６年夏、ＶＫＰ（ソ連共産党）内部の権力闘争に勝ったスターリンやブハーリンらは、トロツキーやジノヴィエフらの反対派を党内の役職から解任し、あるいは除名した。この問題をめぐり、トリアッティとグラムシとの間に対立が発生する。トリアッティは主流派を支持していた。一方グラムシは、（ＰＣＩ政治局の名で）10月14日付の在伊ソ連大使館に宛てた書簡において、ＶＫＰがレーニンの影響の下で「……革命の原動力」と称賛しながらも、トロツキーら反対派を中傷から弁護する態度を表明。さらにグラムシは、トリアッティに宛てた書簡で前述の書簡をＶＫＰ関係者に直接見せないように要望したが、トリアッティはそれを裏切る形で交友関係のあるブハーリンに見せて……ブハーリンとＶＫＰ政治局は、ＰＣＩがトロツキー的路線に基づいているという疑惑を深めた。トリアッティは、グラムシの書簡がＰＣＩ政治局の名で出されたことで、ＰＣＩの前途を懸念していた。彼は、グラムシへの返信において、ＶＫＰ指導集団内に発生した分裂を現実として認識し、勝者と敗者との区別を明確にすべきであり、敗者の手助けをするようなことは厳に慎むべきだ、と強い調子で忠告した。これに対し、グラムシの返書は非常に辛辣な論調を帯びており、ＶＫＰの統一を無傷のまま保つのは……一応認めながらも、このことは「ソ連の同志たちの政治的良心を喚起すると共に、彼らの態度が取り返しのつかない事態を招きつつある危険性を精力的に訴えることが我々の絶対的義務だ」。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　　◇</span></p>
<h5 class="style5b"><span style="font-size: 12pt;">グラムシを売った？　トリアッティの保身<br />
</span></h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　この間のクレムリン内部での闘争とＰＣＩ（伊共産党）執行部を図式化したものが、別掲のチャートになります。グラムシの書簡はコミンテルン最高指導部が分裂含みの内部抗争を行っている事実を危惧したものですが、あえてこれをグラムシの要望に反しブハーリンに見せたことで、トリアッティは自身がトロツキー派に肩入れしているのではという嫌疑を免れるための、いわば自己保身の所業と見なせなくもありません。実際にこの後、ＰＣＩ関係者は、疑心暗鬼となったクレムリンからは苛烈な制裁を受けることになるのです。トリアッティにとりともかく「勝ち馬」に乗ることが先決だったのです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">（「思想新聞」2026年3月1日号より）</span></p>
<p><a href="https://www.ifvoc.org/work/marx-group46/"><span style="font-size: 12pt;">続きを読む、連載46へ</span></a></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜(44)</title>
		<link>https://www.ifvoc.org/work/marx-group44/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[政弘菅野]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 21 Feb 2026 12:43:01 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[「市民自治」という名の“置き土産” パルミーロ・トリアッティ（上） 　（１８９１〜１９３７）の盟友であり、グラムシ没後、イタリア共産党の最高指導者として、ユーロ・コミュニズムにおける「現実路線」の牽引者となった人物こそ、 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span style="font-size: 24pt;">「市民自治」という名の“置き土産”</span></h2>
<h3><span style="font-size: 18pt;"><strong>パルミーロ・トリアッティ（上）<br />
</strong></span></h3>
<div id="attachment_17045" style="width: 160px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx44-4.jpg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-17045" class="wp-image-17045 size-thumbnail" src="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx44-4-150x150.jpg" alt="" width="150" height="150" srcset="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx44-4-150x150.jpg 150w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx44-4-300x300.jpg 300w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx44-4-120x120.jpg 120w" sizes="(max-width: 150px) 100vw, 150px" /></a><p id="caption-attachment-17045" class="wp-caption-text">パルミーロ・トリアッティ</p></div>
<p><span style="font-size: 12pt;">　（１８９１〜１９３７）の盟友であり、グラムシ没後、イタリア共産党の最高指導者として、ユーロ・コミュニズムにおける「現実路線」の牽引者となった人物こそ、パルミーロ・トリアッティ（１８９３〜１９６４）です。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　トリアッティはグラムシ獄死後の１９４０年代にいわゆる「社会主義へのイタリアの道」を説き、「世界の共産主義運動はソ連型の社会主義に従って各国の革命を推進する」と「コミンテルン」式態度にあえて距離を置き、自国の（イタリアの道）改革を主張する路線で、「現状の社会が抱えている問題は表面的な制度や事象のみならず社会そのものの構造にも起因するものであり、その社会構造自体を変えねばならないとする」立場を明らかにします。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　これはいわゆる「構造改革路線」と呼ばれるもので、「社会民主主義とは異なるも暴力革命という手段を取らず、長期的な社会変革を目指す点で社会民主主義に近い」と見られる政治的立場です。</span><br />
<span style="font-size: 12pt;">「構造改革路線」という時、日本に置き換えて想起する向きは少なくないかもしれません。故安倍晋三元首相が「悪夢の民主党政権」と呼んだ、２００９年秋から３年半続いた旧民主党政権の政治スタンスこそが、まさに「構造改革路線」そのものだったからです。</span></p>
<div id="attachment_17046" style="width: 160px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx44-3.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-17046" class="wp-image-17046 size-thumbnail" src="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx44-3-150x150.jpg" alt="" width="150" height="150" srcset="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx44-3-150x150.jpg 150w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx44-3-300x300.jpg 300w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx44-3-120x120.jpg 120w" sizes="auto, (max-width: 150px) 100vw, 150px" /></a><p id="caption-attachment-17046" class="wp-caption-text">アントニオ・グラムシ</p></div>
<p><span style="font-size: 12pt;">　</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　旧民主党政権や旧社会党を知らずとも、２０２６総選挙で公明党と「中道改革連合」を結成し高市自民党に惨敗した旧立憲民主党の「前身」と呼べる政党です。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　実際、旧民主党の中枢にいたのが鳩山由紀夫、菅直人、枝野幸男、岡田克也、小沢一郎、野田佳彦各氏。このうち最も意識的に「構造改革路線」による政策を採ったのが菅直人氏です。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　元共同通信記者の古沢襄氏の「杜父魚文庫ブログ」によれば、まさにトリアッティ理論の日本受容をめぐる旧社会党の群像が比較的詳しく書かれています（「杜父魚ブログ」２００９年９月７日付参照）。60年安保闘争時代の政治部記者だった古沢氏の証言は貴重で、「トリアッティの構造改革論」と題された記事には、「トリアッティ〜江田三郎〜松下圭一」という明確な系譜、すなわち旧社会党から民主党政権への「思想的血脈」が明らかにされているのです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　というのも、菅直人元首相は自著で「松下（圭一）理論を現実の政治の場で実践する」（『大臣　増補版』）と明記。首相所信表明演説でも、「松下思想は私の政治理念の原点」と掲げたように、松下圭一法政大名誉教授の「不肖の弟子」と称するほどの確信犯的「構造改革派」だったからです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　特に菅内閣は、東日本大震災後の対応の拙劣さや安全保障への対応等で国民に「ダメ出し」されたわけですが、菅氏や官房長官を務めた仙谷由人氏ら民主党の「松下圭一スクール」は、その学派的政策を迷惑千万な「置き土産」にしているのです。それがすなわち、「市民自治」という考え方です。</span></p>
<p><a href="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx44-0.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-large wp-image-17050" src="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx44-0.jpg" alt="" width="800" height="268" srcset="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx44-0.jpg 800w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx44-0-300x101.jpg 300w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx44-0-768x257.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /></a></p>
<h5 class="style5b"><span style="font-size: 12pt;">形を変えて現れた《江田ビジョン》<br />
</span></h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　古沢氏は、民主党政権の登場で、「日本の構造改革論は共産党内の理論闘争に敗れ、社会党内でも敗北する憂き目に遭っている。しかし、この流れは民主党の旧社会党グループに受け継がれ、今では《江田ビジョン》が形を変えて復活しようとしている。その内容はトリアッティの《戦う構造改革》とはほど遠いが、イタリアやフランスに根付いた社会民主主義に近いものがある」としています。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　北欧的な社会民主主義と言えば、「理想の福祉国家」とのイメージが強いでしょう。そしてマルクス主義の代名詞とも言える「暴力革命」の否定（ないしは放棄）という考えで、実は多くの人々が「安心」し、「人畜無害」のように思っているのではないでしょうか。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　しかしながら、「市民自治」の考え方は今日、現実的に「自治基本条例」として成立し、多くの地方自治体で「まちの憲法」の名の下に知らない間に「地方議会」や「首長」の権限をすら脅かすものになろうとしています。すなわち、「市民自治」と言えばいかにも「民主主義の鑑」のように思われるものが実は、特定の思想を持ち一般市民を装った「プロ市民」組織に権限を与え、正統な民主的手続きを経て選ばれた「議会」や「首長」を上回る権限を与えかねない恐るべき怪物と化す││そこに実はマルクス主義独特の「戦略」が横たわっているのです。<br />
</span></p>
<hr />
<p><strong><span style="font-size: 12pt;">【トリアッティの構造改革論】</span></strong><br />
<span style="font-size: 12pt;">　（【杜父魚ブログ】09・９／７）</span><br />
<span style="font-size: 12pt;">　構造改革論は…イタリア共産党のパルミロ・トリアッティが唱えた理論。…戦後、日本共産党の佐藤昇氏がトリアッティ理論を紹介して、導入されたが、党内の理論闘争に敗れて、多くの構造改革論者が脱党した歴史がある。このグループが、社会党の江田三郎、成田知巳氏らの理論的な支柱となった。…江田氏は自民党の三木・松村派という社会党からみれば右にウイングを広げた政界再編成を目指して、政権奪取を目論んだ。「江田ビジョン」…は①アメリカの平均した生活水準の高さ②ソ連の徹底した生活保障③イギリスの議会制民主主義④日本国憲法の平和主義…という国民には分かりやすく新鮮な響きを持っている。</span><br />
<span style="font-size: 12pt;">　日本の構造改革論は共産党内の理論闘争に敗れ、社会党内でも敗北する憂き目に遭っている。しかし、この流れは民主党の旧社会党グループに受け継がれ、今では「江田ビジョン」が形を変えて復活しようとしている。その内容はトリアッティの「戦う構造改革」とは、ほど遠いが、イタリアやフランスに根付いた社会民主主義に近いものがある。</span><br />
<span style="font-size: 12pt;">　逆に左派社会党の理論は、社会党の消滅によって力を失っている。民主党は自民党的なものと、社会民主主義的なものの混在した政党である。参議院で過半数を得ていない現在、社民党や共産党の影響を少なからず受けざるを得ない。</span><br />
<span style="font-size: 12pt;">　いわば過渡期にある政党といっていい。それが保守政党に回帰するのか、ある程度は社会民主主義的なものを残して発展するのかは、これからの課題といえる。江田氏はどういう想いで民主党の大勝利をみているのであろうか。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">（「思想新聞」2026年２月15日号より）</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;"> <a href="https://www.ifvoc.org/work/marx-group45/">続きを読む、連載45へ</a></span></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜（43）</title>
		<link>https://www.ifvoc.org/work/marx-group43/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[政弘菅野]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 01 Feb 2026 15:11:40 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[マルクス主義と共産党の「死」を宣告 ルイ・アルチュセール（下） 　アルチュセールは晩年、マルクスの経済決定論を否定したベンヤミン思想に接近し、さらにマルクス思想が共産主義社会実現への終末的目的論という観念論だと批判し、や [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span style="font-size: 24pt;">マルクス主義と共産党の「死」を宣告</span></h2>
<h3><span style="font-size: 18pt;"><strong>ルイ・アルチュセール（下）<br />
</strong></span></h3>
<p><span style="font-size: 12pt;">　アルチュセールは晩年、マルクスの経済決定論を否定したベンヤミン思想に接近し、さらにマルクス思想が共産主義社会実現への終末的目的論という観念論だと批判し、やがて「マルクス主義と共産党の死」を宣告することになるのです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　アルチュセールは晩年、論文「限界の中のマルクス」で、マルクスとマルクス主義の思想及び運動の歴史的文脈の中で「マルクス主義と共産党の貧困」を徹底的に露わにすることによって、そこから新たな思想的展望を開こうとしました。それはマルクスの「歴史的功績」に対する賛辞は惜しまないものの、「あたかも死者の遺産を調べて財産目録を作っているかのようだ」（『アルチュセール全哲学』）と今村仁司が述べるように、「マルクスの限界性」についても率直に認めたものでした。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　さらに今村は「マルクスの思想と科学的研究が人類にもたらしたものは大きい。それは言うまでもない。しかし哲学者としてのマルクスに対して、アルチュセールが哲学者として対面するときには、『マルクスの哲学』なるものへの彼の懐疑はますます大きくなる。マルクスの『哲学』ですら疑われるのだから、当然ながらもっと強い意味で、諸々の共産党への懐疑と批判は過酷なまでに厳しくなる」と続けます。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　そしてアルチュセールは 「『共産党宣言』『資本論』の大切な部分のマルクス主義は死んだ。資本主義論や階級闘争論の知は残るとしても、その他の部分は死滅した。すべての共産党も死んだ」と決定的な文言を残しているのです。</span></p>
<h5 class="style5b"><span style="font-size: 12pt;">共産主義と冷戦崩壊の序章にも<br />
</span></h5>
<p><a href="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx43-4.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-large wp-image-17016" src="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx43-4-1024x761.jpg" alt="" width="1024" height="761" srcset="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx43-4-1024x761.jpg 1024w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx43-4-300x223.jpg 300w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx43-4-768x571.jpg 768w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx43-4-980x728.jpg 980w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx43-4.jpg 1040w" sizes="auto, (max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></p>
<div id="attachment_17017" style="width: 248px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx43-1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-17017" class="wp-image-17017 size-medium" src="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx43-1-238x300.jpg" alt="" width="238" height="300" srcset="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx43-1-238x300.jpg 238w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx43-1.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 238px) 100vw, 238px" /></a><p id="caption-attachment-17017" class="wp-caption-text">エピクロス</p></div>
<div id="attachment_17018" style="width: 278px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx43-2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-17018" class="wp-image-17018 size-medium" src="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx43-2-268x300.jpg" alt="" width="268" height="300" srcset="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx43-2-268x300.jpg 268w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/02/marx43-2.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 268px) 100vw, 268px" /></a><p id="caption-attachment-17018" class="wp-caption-text">デモクリトス</p></div>
<p><span style="font-size: 12pt;">　今村は結局、「アルチュセールの構造的マルクス主義」という思想は、「アルチュセールの思想」ではあるけれど、つまるところは「マルクス主義」とは似て非なるものであることを言いたかったのでしょうか。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　さしずめ、「正統派マルクス主義」からすれば、アルチュセールは「転向者」に映ることでしょう。その意味でアルチュセールは（「正統派マルクス主義」に比べると）まだしもドグマやイデオロギーに囚われていなかった、逆に言えば、「アルチュセールの知的真摯さ」を傍証していると言えるかもしれません。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　旧ソ連の共産主義は「スターリニズム」と呼べるものであり、それと反目する形で登場した中国共産党の「毛沢東主義」（マオイズム）も「大躍進」「文化大革命」の失敗と毛沢東の死、「四人組」失脚によって、「目からウロコ」が落ちたような思いだったのかもしれません。それに加えフランス、ドイツ、日本を含む六〇年代末の「世界同時革命」の挫折という時代背景も大きかったと言えるでしょう。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　アルチュセールの「すべての共産党は死んだ」という衝撃的な記述にはそうした時代背景を感じさせますが、未発表の「限界の中のマルクス」が書かれた１９７８年の時点ではソ連はブレジネフ体制のまま、中国は鄧小平による「改革開放」が始まっていませんでした。その意味でアルチュセールの記述は、後の「冷戦崩壊」をも予感させる幾分予言的な意味を帯びていると言えるかもしれません。それでもアルチュセールは当時、フランス共産党に対し、「プロレタリアート独裁」を放棄することに反対し続けたと言います。その意味でアルチュセールは「マルクスによらざる共産主義」「マルクス主義ドグマを離れた唯物論」を模索したと言えそうです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　アルチュセールの論文「限界の中のマルクス」は生前は発表されませんでしたが、以降、最晩年は「マルクス主義のドグマ（教説）を離れた唯物論」の可能性を模索するようになり、対話集『不確定な唯物論のために』として結実します。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　この「不確定な（偶然性の）唯物論」とは何か。アルチュセールは『不確定な唯物論のために』で次のように述べるのです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　「『真の』唯物論＝マルクス主義に最も適した唯物論＝不確定な唯物論」だとして、「エピクロスやデモクリトスの路線」の伝統の中にマルクスを位置づけているのは、「合理論的伝統のうちにあるいっさいの唯物論と同様、…必然性と目的論の唯物論、つまり、観念論が偽装した形式である唯物論」に反対している、というのです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　そこでアルチュセールが強調するのは、「フォイエルバッハに関するテーゼ」（「哲学は世界を様々に解釈してきたにすぎない。重要なのは世界を変えることである」）でした。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　こうして哲学とは結局、「体制（権力）側」のものとなり、「日和見主義者は権力の手先」という、共産主義イデオロギーの呪縛を踏襲することを意味します。実はこのイデオロギーこそ、「賛同しない者は全て敵」と見なす戦闘的唯物論の論理に他なりません。ここから設計主義に基づく社会主義体制の過誤が繰り返され、その犠牲者が死屍累々と横たわるのです。この点を、アルチュセールは一切指摘しません。</span></p>
<h5 class="style5b">機械論的設計主義を免れても無政府状態</h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　　アルチュセールは目的論を否定し真理性をも否定するに至り、「唯物論的な諸哲学は、理論に対する実践の優位を主張する」「絶対的な真理とは……最初から存在せず、偶然的な実践の積み重ねにより、生成する《真理めいたもの》が後付けされる」としました。しかしながら、真理や目的論を排除して「構想」も認めないなら「無政府状態」に陥りやすくなる。これがまさにアルチュセールの難点と言えるのです。<br />
</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">（「思想新聞」2026年２月1日号より）</span></p>
<p><a href="https://www.ifvoc.org/work/marx-group44/"><span style="font-size: 12pt;">続きを読む、連載44へ</span></a></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>文化マルクス主義の群像～共産主義の新しいカタチ～（42）</title>
		<link>https://www.ifvoc.org/work/marx-group42/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[政弘菅野]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 15 Jan 2026 00:06:48 +0000</pubDate>
				<guid isPermaLink="false">https://www.ifvoc.org/?post_type=work&#038;p=16926</guid>

					<description><![CDATA[「問いの体系」と「認識論的切断」 ルイ・アルチュセール（中） 　アルチュセールはマルクス主義哲学を「認識論的切断」という概念で捉え直すことで「構造主義的マルクス主義」という「ポストモダンなマルクス」の可能性を引き出しまし [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span style="font-size: 24pt;">「問いの体系」と「認識論的切断」</span></h2>
<h3><span style="font-size: 18pt;"><strong>ルイ・アルチュセール（中）<br />
</strong></span></h3>
<p><span style="font-size: 12pt;">　アルチュセールはマルクス主義哲学を「認識論的切断」という概念で捉え直すことで「構造主義的マルクス主義」という「ポストモダンなマルクス」の可能性を引き出しました。</span></p>
<h5 class="style5b"><span style="font-size: 12pt;">プロブレマティックとは「思考の図式」<br />
</span></h5>
<div id="attachment_16928" style="width: 160px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/01/marx42-2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-16928" class="wp-image-16928 size-thumbnail" src="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/01/marx42-2-150x150.jpg" alt="" width="150" height="150" srcset="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/01/marx42-2-150x150.jpg 150w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/01/marx42-2-300x300.jpg 300w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/01/marx42-2-120x120.jpg 120w" sizes="auto, (max-width: 150px) 100vw, 150px" /></a><p id="caption-attachment-16928" class="wp-caption-text">ガストン・バシュラール</p></div>
<p><span style="font-size: 12pt;">　マルクス史家のマクレランは「『認識論的切断』という概念は、フランスの科学哲学者、ガストン・バシュラールから借りたものであるが、それは、時を同じくしてトーマス・クーンが詳しく展開していた科学的パラダイムという観念にほぼ相当するものである。アルチュセールによれば、マルクスの初期の著作と後期の著作は、二つの別個の問題設定を含んでいる。問題設定とは、『それに固有の主題の客観的な内的参照体系、与えられる答えを支配している問いの体系』である」（『アフター・マルクス』）と述べます。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　確かに科学哲学者バシュラールの「認識論的切断」は、クーンが主張した概念「科学的パラダイム」「パラダイム転換」に相当します。ここでいう「問題設定」＝「問いの構造」（プロブレマティック）とは、「それに固有の主題の客観的な内的参照体系、与えられる答えを支配している問いの体系」とアルチュセールは定義づけています。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　このアルチュセール自身の記述を踏まえ、今村仁司は「ひらたく言えば、どのような思想もその内部に自覚されざる『思考の図式』を抱えており、その図式は思想家の思考に対して深いところから（つまり知らぬ間に）方向を与えるばかりでなく、用語ないし言葉の意味までを徹底的に方向づけ規定する。このような思考の図式を『問いの構造』と呼ぶのである」（『アルチュセール全哲学』）と解説しています。</span></p>
<div id="attachment_16927" style="width: 160px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/01/marx42-3.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-16927" class="wp-image-16927 size-thumbnail" src="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/01/marx42-3-150x150.jpg" alt="" width="150" height="150" srcset="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/01/marx42-3-150x150.jpg 150w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/01/marx42-3-300x300.jpg 300w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/01/marx42-3-120x120.jpg 120w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2026/01/marx42-3.jpg 391w" sizes="auto, (max-width: 150px) 100vw, 150px" /></a><p id="caption-attachment-16927" class="wp-caption-text">トーマス・クーン</p></div>
<p><span style="font-size: 12pt;">　こうしてアルチュセールは、「マルクスは、歴史理論（史的唯物論）を築くことによって、ただ一つの同じ動きの中で、それ以前に彼が持っていたイデオロギー的な哲学的意識と断絶し、同時に新しい哲学（弁証法的唯物論）を築いた」（『マルクスのために』）と見立てることで、「（若い）ヒューマニズム」というイデオロギーを克服したマルクスが、「マルクス主義者」となりえた境地を『資本論』に見たのです。</span></p>
<h5 class="style5b">イデオロギーからの解放のプロセス</h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　その「マルクスのイデオロギー克服」について、マルクス主義全体の中で占める「哲学」の地位の低下は、特にロシア革命以後に顕著に見られた中で、アルチュセールはマルクス主義思潮におけるいわば「哲学の復権」を企てたと言えます。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　社会主義体制下で「ルイセンコ主義」や「大躍進」など「イデオロギーの下僕となった疑似科学」の横行に代表されるように、マルクス主義・共産主義思潮を哲学的次元から立て直そうと試みたのが、アルチュセールでした。そのための「イデオロギーからの解放」というプロセスを、今村は次のように述べています。</span><br />
<span style="font-size: 12pt;">　　　◇</span><br />
<span style="font-size: 12pt;">　マルクスの言説から、いくつかの要素を取り出して、それらを観念論と唯物論に振り分ける操作がある。そうした操作は、マルクスの思想の「源泉」や「先駆者」を語ったり、あるいは反対に、観念論的でありながら「既に唯物論を先取りしていた」といった、「後に発芽し開花するであろう萌芽」論を語ったりする。……アルチュセールはこうした歴史の書き方を「前未来形で書く歴史」と呼んでいる。このような読み方にはいくつかの前提が隠されている。<br />
</span><br />
<span style="font-size: 12pt;"><strong>１・要素還元的前提</strong>。あらゆる理論体系や思想は要素に還元できると主張する。それは分離された要素を、先駆者と後継者、観念論と唯物論に割り振り、相互の比較が可能と考える。</span><br />
<span style="font-size: 12pt;"><strong>２・目的論的前提</strong>。目的＝終わりから遡及して理論や思想を裁く。歴史の中で複雑な条件を受け止めながら進行する思考の過程を無視して最初から「ゴール」を設定している。</span><br />
<span style="font-size: 12pt;"><strong>３・観念の自律性の想定</strong>。これは思想が自分自身の内部だけで自己了解を遂げうると前提している。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　これらの前提を持つ読み方は、一言で言えば、<strong>目的論的読み方</strong>と言える。それは、諸要素が全体の構造の中で持つ意味を無視して、単独に取り出したり、割り振ったりできると信じている。決してゴールなど予定されえないのに、独断的なゴールを設定するところから、こうした無理がまかり通る。決して自己の外部に出ることなく、観念の内部で自己了解を遂げて、思想の自己内発展のモデルを作り上げる操作、それがイデオロギーの特徴である。これを退ける時、新しい読み方が可能になる。（『アルチュセール全哲学』）</span><br />
<span style="font-size: 12pt;">　　　◇</span></p>
<h5 class="style5b">マルクス自身が独断的ゴールを設定する</h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　さて、以上の今村の記述は、「もっともだ」と思うかもしれません。確かに「読み方＝解釈」の違いが、マルクス主義における「哲学の悲劇（あるいは苛酷な運命）」を招いてきたのではないかと。ところが、私たちの知る限り、今村＝アルチュセールのいう「目的論的読み方」に立っているものこそ、実は「マルクス主義」自身である、と言えるのではないでしょうか。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　今村は「マルクス主義の哲学は、他の諸々の思想類型をブルジョワ的だと批判し告発する批判主義的思想ではない」と弁明しますが、これはプルードンの『貧困の哲学』を揶揄したマルクスが『哲学の貧困』を著したように、プルードン批判のためなら何でもありという「戦闘的アジテーター」というのが、残念ながらマルクスの本質と言わねばなりません。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　さらに、「目的論的読み方」の前提の二番目にある「最初から独断的なゴールを設定している」のは、マルクス自身と言えるのです。すなわち、プロレタリアートによる暴力革命によって社会主義社会、共産主義社会が実現するというのは、ある種の「終末的ユートピア論」であると言え、まごうことなく「予定調和的な目的論」のはずです。「いや違う、この点はヘーゲル哲学からの受け売りにすぎない」と弁明されるかもしれませんが、この点こそが、いわば若者たちを「革命幻想」へと駆り立てていった左翼の「イデオロギー」であったことを指摘せねばならないでしょう。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">（「思想新聞」2026年1月15日号より）</span></p>
<p><a href="https://www.ifvoc.org/work/marx-group43/"><span style="font-size: 12pt;">続きを読む、連載43へ</span></a></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>文化マルクス主義の群像～共産主義の新しいカタチ～（41）</title>
		<link>https://www.ifvoc.org/work/marx-group41/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[政弘菅野]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 16 Dec 2025 06:35:11 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[20世紀最後の重要なマルクス解釈に ルイ・アルチュセール（上） 構造的マルクス主義の共産党員 　ロラン・バルトに続き、「構造主義四天王」の一人とされるルイ・アルチュセール（1918〜90）を採り上げます。アルチュセールの [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span style="font-size: 24pt;">20世紀最後の重要なマルクス解釈に</span></h2>
<h3><span style="font-size: 18pt;"><strong>ルイ・アルチュセール（上）<br />
</strong></span></h3>
<h5 class="style5b"><span style="font-size: 12pt;">構造的マルクス主義の共産党員<br />
</span></h5>
<div id="attachment_16889" style="width: 199px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/12/marx41-1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-16889" class="wp-image-16889 size-medium" src="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/12/marx41-1-189x300.jpg" alt="" width="189" height="300" srcset="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/12/marx41-1-189x300.jpg 189w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/12/marx41-1-645x1024.jpg 645w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/12/marx41-1.jpg 700w" sizes="auto, (max-width: 189px) 100vw, 189px" /></a><p id="caption-attachment-16889" class="wp-caption-text">ルイ・アルチュセール</p></div>
<p><span style="font-size: 12pt;">　ロラン・バルトに続き、「構造主義四天王」の一人とされるルイ・アルチュセール（1918〜90）を採り上げます。アルチュセールの思想を一言で表すと「構造主義的マルクス主義」とされます。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　アルチュセールはそもそも、若い時分からマルクス主義に傾倒し、しかもフランス共産党の有力党員という「正統的なマルクス主義者」だったからです（しかし後に、「プロレタリア独裁の放棄」をめぐり党執行部と対立し離党する）。アルチュセールの翻訳・研究の日本での草分けとして知られる今村仁司（元東京経済大教授）は『アルチュセール全哲学』（講談社学術文庫）で、20世紀西欧のマルクス主義的潮流と、アルチュセール哲学の占める位置について論じています。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　それを簡単に要約すると、20世紀のマルクス主義思想の潮流にはまず２つの重要な解釈があることだというのです。すなわち、第２インターナショナル（国際社会主義者組織）による主導で主流派だった「経済法則中心の客観主義」に対し、ロシア革命の刺激によってルカーチが『歴史と階級意識』を引っさげて「主体主義」を唱えたのがまず第一の解釈によって、「ユーロ・コミュニズム」が成立します。その「主体性」の強調がサルトルの実存主義において「一つの頂点」に達したものの、やがて「革命主体」という理念が色褪せると、今度は主観主義と客観主義の両者を批判し、「新しいマルクス主義」像を追究しようとした第２の解釈こそが、アルチュセールの思想というのです。その概略を述べるなら、「20世紀における重要なマルクス解釈は、ルカーチに始まり、アルチュセールに終わったと言えよう。しかしアルチュセールの歴史的意義は、ルカーチからサルトルに至る主体的マルクス主義が客体主義や経済主義へのアンチテーゼでしかなかったのに対し、主体主義と客体主義がともに近代の哲学的イデオロギーであることを指摘しつつ、マルクスの哲学と科学が、近代哲学の土俵を投げ捨てて、新しい問いの構造に基礎をおく画期的な思考の軌道を設定したと言い切ったところにある」</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　さらにそこで、アルチュセール哲学の位置について今村はこう述べます。「マルクス主義の歴史は、アルチュセールの仕事と共に、振り出しに戻ることになった。その意味は、マルクスをマルクス主義の占有物から解放して、マルクスの仕事を、西欧形而上学の歴史の流れの中に位置づけ、それとの対決の観点から、新しく見直すことができるような枠組みを作ったことにある。ハイデガーがニーチェを西欧形而上学の流れの中に位置づけて読み直す作業をしたのと類似した仕事を、アルチュセールはマルクスの仕事について実行したのである。アルチュセールのおかげで、マルクスは哲学史上の決定的人物になった。……彼の仕事を媒介にして、ありうべき多くの解釈の可能性が我々に開かれることになった」。（『アルチュセール全哲学』）</span></p>
<h5 class="style5b">新しいマルクス主義の可能性を模索</h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　つまりこれは何を意味するのでしょうか。もう少し整理してみれば、「構造主義の父」と呼ばれるレヴィ＝ストロースは、サルトルらの標榜する「実存主義的マルクス主義」への強烈なアンチテーゼ（否）として、構造人類学を引っさげてアカデミズムに登場しました。そこで「マルクスは旧い」というイメージが広がる中で、サルトルはレヴィ＝ストロースを「ブルジョアの走狗」呼ばわりし、論争を挑みました。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　そこで、サルトルやレヴィ＝ストロースの「次の世代」であるアルチュセールが、いわば「マルクス主義の復権」を企てた、と見てよいでしょう。ベトナム戦争さなかの米国の大学のキャンパスで「アイドル」となっていたのが、「３Ｍ」と呼ばれたマルクス・毛沢東・マルクーゼらの思想であり（ブキャナン『滅びゆく西洋病むアメリカ』、ブルーム『アメリカン・マインドの終焉』）、その意味でアルチュセール思想が六〇年代に登場したことは、実存主義ではないマルクス主義の可能性という需要に適ったものだったと言えるかもしれません。</span></p>
<h5 class="style5b">構造主義思潮育成の揺籃となる</h5>
<div id="attachment_16931" style="width: 235px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/12/marx42-1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-16931" class="wp-image-16931 size-medium" src="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/12/marx42-1-225x300.jpg" alt="" width="225" height="300" srcset="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/12/marx42-1-225x300.jpg 225w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/12/marx42-1.jpg 500w" sizes="auto, (max-width: 225px) 100vw, 225px" /></a><p id="caption-attachment-16931" class="wp-caption-text">「高等師範学校」エコール・ノルマン・シュペリオル</p></div>
<p><span style="font-size: 12pt;">　アルチュセールは、多くの知識人を輩出するフランスの名門「高等師範学校」（エコール・ノルマル・シュペリオル＝ＥＮＳ）に入学するも、第２次大戦が勃発し従軍。ドイツ軍の捕虜として５年間、収容所生活を送ります。この学業生活の中断はアルチュセールに少なからぬ影響を及ぼしました。実際、捕虜時代に最初の精神疾患により治療を受けることになります。王党派のカトリック信仰をもっていましたが、精神の病が何度もアルチュセールを襲い、「信仰の危機」を迎えるのです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　戦後、「ＥＮＳ」に復帰したアルチュセールは科学哲学者ガストン・バシュラールの指導で学位論文（ＤＥＳ）を完成（「ヘーゲル思想における内容について」）。実はこの師バシュラールの影響が後のアルチュセール思想に色濃く現われることになります。</span><br />
<span style="font-size: 12pt;">その翌48年、アルチュセールは哲学教授資格試験（アグレガシオン）に合格し、母校ＥＮＳ（高等師範学校）の復習教師に就任。ここでアルチュセールは、数多くの講義をこなし、さらに次世代の思想家たちを育てました。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　その指導を受けた中には、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズ、アラン・バディウといった錚々たる顔ぶれが並んでいます。特にフーコー、ドゥルーズ、デダと言えば、「構造主義」「ポスト構造主義」における中心人物の代名詞としても知られます。その意味で、アルチュセールとＥＮＳは「構造主義学派の揺籃」となったと言えるでしょう。さらに後年、パリ精神分析学協会を飛び出したジャック・ラカンを招いたのも、アルチュセールでした。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">（「思想新聞」2025年12月1日号より）</span></p>
<p><a href="https://www.ifvoc.org/work/marx-group42/"><span style="font-size: 12pt;">続きを読む、連載42へ</span></a></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜（40）</title>
		<link>https://www.ifvoc.org/work/marx-group40/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[政弘菅野]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 27 Nov 2025 03:29:59 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[善悪の彼岸とは何か インテルメッツォ 　　ロラン・バルトの記号論は、「テクストの生成」と「作者の死」の考え方から、著作権というものは何かを考えさせ、「オープンソース」の発想につながることを述べました。 無神論者＝リベルタ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span style="font-size: 24pt;">善悪の彼岸とは何か</span></h2>
<h3><span style="font-size: 18pt;"><strong>インテルメッツォ<br />
</strong></span></h3>
<p><span style="font-size: 12pt;">　　ロラン・バルトの記号論は、「テクストの生成」と「作者の死」の考え方から、著作権というものは何かを考えさせ、「オープンソース」の発想につながることを述べました。<br />
</span></p>
<h5 class="style5b"><span style="font-size: 12pt;">無神論者＝リベルタンとしてのサド<br />
</span></h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　しかしながら、バルトは「革命のエクリチュール」を唱え、その著書『サド、フーリエ、ロヨラ』は特にポストモダン思想に強い影響力を残したサドとフーリエを採り上げた点で侮れません。「無神論者＝リベルタン」としてのサドの、道徳価値の転倒を説くニーチェすら超える「悪徳」賛美は、「革命的エクリチュール」展開の上で格好のテクストでした。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　このうちサド、つまりサド侯爵については、「リベルタン（〝リベルタン〟は16〜17世紀の無神論的自由思想家の意味から転じて、18世紀には性的放蕩者の意味）＝無神論」が実は、サドの思想の中核と考えられています。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　ここで想起されるのが、いわゆる「ユーロコミュニズム」としての地位を確立したフランクフルト学派の創始者であるホルクハイマーとアドルノの共著『啓蒙の弁証法』です。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　実は、この『啓蒙の弁証法』で比較対照する思想としてイマヌエル・カントにおける「啓蒙」の考え方と、サド侯爵の「道徳の彼岸」、言い換えると「悪徳の栄え」です。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　この「道徳の彼岸」という意味では、『善悪の彼岸』を書いたニーチェの思想が想起されますが、ニーチェよりも遙かに善悪観を解体し、悪に積極的な意味づけをしているのです。この点が、さらにバルトの後に哲学者としてはより高名であり、21世紀の現代への影響が大きいのがミシェル・フーコーです。フーコーに至ってはサドをより思想的「革命家」として評価しているのです（ジェンダー論、ＬＧＢＴ思想のの理論的支柱と言えます）。</span></p>
<p><a href="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx40-1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-16862 size-large" src="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx40-1-1024x421.jpg" alt="" width="1024" height="421" srcset="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx40-1-1024x421.jpg 1024w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx40-1-300x123.jpg 300w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx40-1-768x316.jpg 768w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx40-1-980x403.jpg 980w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx40-1.jpg 1040w" sizes="auto, (max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></p>
<h5 class="style5b">善悪の彼岸説くニーチェ思想</h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　サドの思想は、自らの快楽のためなら殺人すら正当化できるもので、ある意味で「究極の自己中心思想」と言えます。このサドほどではないにせよ、ニーチェはキリスト教会を「奴隷道徳」だと断じ、可能な限り「自己肯定」の世界観を説くのです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　例えば、キリスト教が「隣人愛」を説くのに対し、ニーチェは「遠くにある者」にはその「愛」は届かないとして、叙事詩の主人公ツァラトゥストラに「遠人愛」を説かせます。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　しかし、「あらゆる価値の転倒」や「善悪の彼岸」を唱えたニーチェですら、サドのような露骨な「悪の正当化」は主張しませんでした。サドは「悪徳の栄え」をも書いたように、「悪徳＝犯罪」こそが社会を変革する、と考えました。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　バルトは、作中で拷問の末に人々が虐殺されるという場面は、現実のサドの姿ではない、とわざわざ「弁護」しています。確かにサドが獄中生活を送った咎は「淫蕩」であって、殺人ではなかったかもしれません。</span></p>
<p><a href="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx40-2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-large wp-image-16863" src="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx40-2-1024x422.jpg" alt="" width="1024" height="422" srcset="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx40-2-1024x422.jpg 1024w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx40-2-300x124.jpg 300w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx40-2-768x317.jpg 768w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx40-2-980x404.jpg 980w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx40-2.jpg 1040w" sizes="auto, (max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></p>
<h5 class="style5b">悪徳こそ社会変革するとのサド思想</h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　しかしながら今日、現実世界の「快楽殺人」はほぼ、その犯罪者自身の「性的サディズム」との相関関係が指摘されます。法の理念とは「社会正義の実現」にあるはずですが、サドはこれに全く反しているのです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　つまり、このように見ると、ニーチェにおいても自己肯定が肥大することによって「他者への配慮」は疎んじられることになります。つまり「偽悪趣味」とは言い過ぎかもしれませんが、やはり「自己中心的」と言わざるを得ません。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　キリスト教をはじめ、多くの宗教は「利他性」や「奉仕」を強調しています。しかしニーチェやサドはこれらを否定する思想です。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　やはりリンゼイが宗教を基点として民主主義を二つの方向性に持つ思想の系譜を説いたことがここでも当てはまりそうです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">（「思想新聞」2025年11月15日号より）</span></p>
<p><a href="https://www.ifvoc.org/work/marx-group41/"><span style="font-size: 12pt;">続きを読む、連載４１へ</span></a></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜（39）</title>
		<link>https://www.ifvoc.org/work/marx-group39/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[政弘菅野]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 04 Nov 2025 21:02:53 +0000</pubDate>
				<guid isPermaLink="false">https://www.ifvoc.org/?post_type=work&#038;p=16825</guid>

					<description><![CDATA[テクスト論とオープンソースの衝撃 ロラン・バルト（下） 　ロラン・バルトはエクリチュール（言葉遣い）と「作者の死」について、「テクストは様々な文化的出自をもつ多様なエクリチュールによって構成されている。そのエクリチュール [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span style="font-size: 24pt;">テクスト論とオープンソースの衝撃</span></h2>
<h3><span style="font-size: 18pt;"><strong>ロラン・バルト（下）</strong></span></h3>
<p><span style="font-size: 12pt;">　ロラン・バルトはエクリチュール（言葉遣い）と「作者の死」について、「テクストは様々な文化的出自をもつ多様なエクリチュールによって構成されている。そのエクリチュールたちは対話を交わし、模倣し合い、いがみ合う。しかし、この多様性が収斂する場がある。その場とは、これまで信じられてきたように作者ではない。読者である。（略）テクストの統一性はその起源にではなく、その宛先のうちにある。（略）読者の誕生は作者の死によって購われなければならない」（「作者の死」）と述べました。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　このバルトの「テクストの生成」と「作者の死」の考え方は、書物や芸術作品など「作者により生まれたもの」が、「読み手や鑑賞者によって編み上げられるテクスチャ（織り物）」と見なす考え方で、一種の「存在＝生成論」と見なせますが、これを、内田樹氏が「オープンソース」としてのリナックス登場の背景について説明しており、一部紹介しました（『寝ながら学べる構造主義』）。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　冒頭のバルトの記述は、ほとんどそのままインターネット・テクストに当てはめられるとし、リナックスという「オープンソース」の登場の衝撃について「音楽や図像についてコピーライト（著作権）の死守を主張している人たちがいますが、その人たちもむしろ自分の作品が繰り返しコピーされ、享受されること（前回述べたようにベリオの作品がマーラーの交響曲をそのまま引用した例など）を『誇り』に思うべきであり、それ以上の金銭的なリターンを望むべきではない、という新しい発想に私たちはしだいになじみつつある」とバルトの思想と内田樹氏は重ね合わせます（『寝ながら学べる構造主義』）。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　ところが、バルトのテクスト論は確かにそうかもしれませんが、あえて言うならばむしろマルクス主義の労働価値説と最もかけ離れているものこそ、「オープンソース」の発想なのです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　このオープンソースのオペレーティング・システム（ＯＳ）のうち、特にリナックス（Linux）は元々、フィンランドのリーナス・トーバルズ氏が「誰でも参加でき自由に改造できるＯＳ」を提唱し、世界中のコンピュータオタクが参加し驚くべき進化を遂げました。アップルのパソコンＭａｃ搭載のＭａｃＯＳと同じＵＮＩＸ（ユニックス）系と言われるＯＳです。特に最近では、グーグルの開発したＣｈｒｏｍｅＯＳを搭載した「クロームブック」はＣＭでも知られ、ウィンドウズ搭載のパソコンより低スペックですが手頃な値段で手に入る機種としてかなり浸透してきました。このクロームＯＳもリナックスベースのＯＳです。また、スマートフォン業界では、アップルiPhoneと２分するのが「アンドロイドＯＳ」機種で、このアンドロイドもリナックスの一種です。つまりスマートフォン界ではＵＮＩＸ系がデファクトスタンダードなのです。</span></p>
<div id="attachment_16828" style="width: 1034px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx39-01.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-16828" class="wp-image-16828 size-large" src="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx39-01-1024x384.jpg" alt="" width="1024" height="384" srcset="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx39-01-1024x384.jpg 1024w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx39-01-300x113.jpg 300w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx39-01-768x288.jpg 768w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx39-01-980x368.jpg 980w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx39-01.jpg 1040w" sizes="auto, (max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a><p id="caption-attachment-16828" class="wp-caption-text">リナックスの画面（左）とクロームブック</p></div>
<h5 class="style5b"><span style="font-size: 12pt;">水道哲学と対極にあるウィンドウズ<br />
</span></h5>
<p><a href="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx39-02.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignleft wp-image-16827 size-medium" src="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx39-02-300x175.jpg" alt="" width="300" height="175" srcset="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx39-02-300x175.jpg 300w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/11/marx39-02.jpg 600w" sizes="auto, (max-width: 300px) 100vw, 300px" /></a></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　　ウィンドウズというＯＳブランドをパソコンの「デファクトスタンダード」（事実上の世界標準）に仕立て上げたマイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ氏は世界一の大富豪となりましたが、リナックスの創始者リーナス・トーヴァルズ氏は、そのような道を拒絶し、「オープンソースのカリスマ」として「尊敬される名誉」を選んだとするのが内田氏の見立てです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　ただし、これをもって「だから資本主義＝悪なのだ」という単純な図式に陥ってはいけません。ウィンドウズが莫大なコスト（開発費や人件費）をかけているから「価値がある」のであり、リナックスは開発者が手弁当でやっているから「価値がない」という論理はあてはまりません。開発者に報酬という対価が与えられるか、「趣味」ないしは「奉仕」（ボランティア）として開発に携わるかは、労働価値説では説明できません。リナックスの開発者はプログラム開発を「強制」されているわけでも、「契約労働」しているわけでもありません。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　むしろ松下幸之助の「水道哲学」のようなものに近いかもしれません。ＩＴというインフラを水を飲むように当たり前のものにする、という使命感のほうが近いわけです。マイクロソフトのウィンドウズは確かにＰＣやインターネットを全世界の人々にとって身近なものにした、とは言えます。ところが、マイクロソフトは水のように安価にすることによって大量生産するという「水道哲学」の発想とは全く異なります。独占ないし寡占状態をまずつくり出し、大量生産して価格を抑えることもせず、一貫して自らが価格の生殺与奪を握りました。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　古いバージョンについて無料にするといった戦略もなく、ただ新しいハード（ＰＣ）には新しいＯＳを搭載させるべくＰＣベンダー（製造メーカー）各社に、日本ではリナックス搭載ＰＣを発売しないよう「囲い込み」を図ったのです。それは企業として当然のことなのかもしれませんが、まさに「水道哲学」とは対極にある企業思想と呼んでかまわないでしょう。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　確かに、リナックスは当初、コマンドが複雑でウィンドウズやマックＯＳのようにマウスで視覚的直感的に操作できるＧＵＩ（グラフィカル・ユーザ・インターフェイス）環境ではありませんでしたが、その後、恐るべき進化を遂げＧＵＩ環境ではウィンドウズを凌ぐほどになりました。</span></p>
<h5 class="style5b">共産主義体制下では生まれない理由</h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　重要な点は、こうしたリナックスなどの「オープンソース」のソフトウェアは、社会主義体制下では、決して生まれない、ということです。なぜでしょうか。それは、まったくのフリーウェア（無料ソフト）にするのも、マイクロソフトに対抗しウィンドウズと拮抗した有料ＯＳとするのも、まったく作者の「自由意思」に基づいているからです。資本主義という経済活動が自由な発想と意志が保障され尊重されて初めて効力を発揮するものであり、「ボランティア」とはもともと「自発的な」の意味を持っているように、自発性のない社会は、カール・ポパーも指摘するように、「全体主義への道」であり、「開かれた社会の敵」と断じてもかまわないでしょう。だからこそ、キリスト教などの宗教的な社会規範をバックボーンに持つ文化では、資産家などによる慈善活動のボランティアや寄付行為が珍しくないのです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　バルトは確かに、従来のマルクス主義が階級闘争を措定し、打倒すべきだとした資本主義の後に到来すると見た「終局形態」としての「オープンソース」のような考え方を予見していたのかもしれません（「作者の死」と「テクスト論」）。</span><br />
<span style="font-size: 12pt;">しかし実際には、マルクスの時代には思いもよらなかった事態が展開しているのが現代なのです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　ではリナックスなどのオープンソースは、まったくのボランティア事業なのでしょうか。ビジネスモデルとしては成立しえないものなのでしょうか。確かに、オープンソースそのものは「無償公開」が原則であり、「コピーライト（著作権）」に対抗して「コピーレフト」と称したりもします。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　ですが、その答えは「否」です。つまり「オープンソース」から派生し、別の付加価値が加えられたものは、実際、商業ベースに乗っていたりするのです（前述のクロームブックやアンドロイドのスマホなど）。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　例えば、日本語ワープロソフトのシェアは、かつてはジャストシステムの「一太郎」の独壇場でした。ＮＥＣのパソコンがまだ「ＰＣ│98」と呼ばれていた時代のことです。もともとＭａｃ向けのビジネスソフトとして登場した「ワード」（表計算では「エクセル」）はウィンドウズ95以降、次第に形勢が逆転し、今や世界標準となりました。</span></p>
<h5 class="style5b">自発性を重んじる開かれた世界観</h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　このように「自発的」か「自発的でない」かは、ある意味で社会の「自由度」をはかる重要な「目安」ないし「指標」（メルクマール）となっています。しかも、レヴィ＝ストロース的な「贈与」という文化人類学的な考え方からすれば、自らの「仕事」に対して「労働としての対価」を求めない「オープンソース」の発想は、まさに「下部構造としての経済活動」という「マルクス主義の常識」の埒外にある「贈与」に当たると言えるでしょう。というのも、別掲カコミに示したように、バルトは「秩序」という語に「警察的」「権威」「弾圧」といった極めて政治的な価値観を援用して記述しています。それはフランクフルト学派の立場とも重なっています。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　その意味で、バルトはやはり「マルクス主義というイデオロギー」「階級闘争というドグマ（教義）」の呪縛から逃れられなかったのではないでしょうか。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　今日的な「著作権の全能性」に対し明確に「否」を唱えたのがバルトというなら、「自分の作品が繰り返しコピーされ、享受されることを『誇り』に思うべきであり、それ以上の金銭的なリターンを望むべきではない、という新しい発想」（『寝ながら学べる構造主義』）は、既にマルクスの呪縛から解き放たれていると言えるかもしれません。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　これがマルクス主義の立場なら、こう考えるでしょう。本来なら自分が汗を流した「労働」の結果、音楽や図像、プログラムやソフトウェアなどの作品が生まれたとすれば、当然その「労働」に見合った対価を獲得せねばならない。そうでなければ、それらはそれを利用する人々により「搾取されている」と捉えることになるでしょう。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　しかし、「コピーライトの全能性」を持つ作者とその作品を享受する利用者との関係というのは、「搾取と被搾取の関係」「階級闘争」に還元できません。ルカーチ流に「階級意識」から生まれ出るものは、法で縛ろうと自由意思に委ねようと結果は変わりません。これが「宿命論的世界観」の限界で、それを超克するのが「開かれた自由な世界観」と言えるでしょう。</span><br />
<span style="font-size: 12pt;">ト学派のスタンスとも重なっているように思われます。</span></p>
<hr />
<p><span style="font-size: 12pt;"><strong>【権力･体制の「エクリチュール」】</strong><br />
<strong>　本来的にマルクス主義的なエクリチュール（マルクスやレーニンのエクリチュール）と勝利を収めたスターリン主義のエクリチュール（人民民主主義のエクリチュール）とを列挙することができるし、また、確かに、トロツキー主義的なエクリチュールとか、たとえばフランス共産主義のものである戦術的なエクリチュール（《人民》ついで《健全な民衆》の《労働者階級》に代えての使用、《民主主義》とか《自由》とか《平和》などという辞項の故意の両義性）とかが存在する。</strong><br />
<strong>　それぞれの体制が自分のエクリチュールを所有しているということに疑いはないが、そのようなエクリチュールの歴史は、まだこれから作成されるべきものである。エクリチュールは、語り（パロール）の顕著にアンガジェした形式であって、貴重な両義性によって、権力の存在と外見とを、すなわち権力がそれであるものと権力がそれであると思われたいと望んでいるものとを、同時に含んでいる。そんあわけで、政治的なエクリチュールの歴史は、社会的な現象学の最良のものとなるであろう。例えば、〈王政復古時代〉は、階級的なエクリチュールを練り上げたのであり、そのおかげで、弾圧は、古典主義的な《自然》からひとりでに出現する断罪として、即座に持ち出されていたのだ。すなわち、要求を掲げる労働者は、つねに《個人》とかストライキ破りとか《穏健な労働者》とかであって、裁判官たちの奴隷根性は、そこでは、《司法官の温情あるいは心遣い》となっていた（今日、類似の手法によって、ド・ゴール主義は共産主義者たちを《分離主義者》と呼んでいる）わけである。了解されるとおり、ここでは、エクリチュールは良心として機能しているのであって、行為の弁明にその現実の保証を持ち出すことによって、事象の始源とその最も遠く離れた転変とを詐欺的に合致させることを使命としているのだ。しかも、エクリチュールに関するこのような事象は、すべての権威的な体制に固有のものであって、警察的なエクリチュールと呼ぶこともできるようなものである。例えば、《秩序》という語の永久に弾圧的な内容は周知の通りなのだ。（『零度のエクリチュール』）</strong><br />
</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">（「思想新聞」2025年11月1日号より）</span></p>
<p><a href="https://www.ifvoc.org/work/marx-group40/"><span style="font-size: 12pt;">続きを読む　連載40へ</span></a></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜（38）</title>
		<link>https://www.ifvoc.org/work/marx-group38/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[政弘菅野]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 07 Oct 2025 22:56:26 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[スターリン戦争の欺瞞冷笑するバルトーク ロラン・バルト（中） 　　ロラン・バルトはソシュールの記号学（論）を敷衍・駆使した構造主義哲学者ですが、当初は文芸批評家として知られました。ここで記号論での「術語」を確認すると、「 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span style="font-size: 24pt;">スターリン戦争の欺瞞冷笑するバルトーク</span></h2>
<h3><span style="font-size: 18pt;"><strong>ロラン・バルト（中）</strong></span></h3>
<p><span style="font-size: 12pt;">　　ロラン・バルトはソシュールの記号学（論）を敷衍・駆使した構造主義哲学者ですが、当初は文芸批評家として知られました。ここで記号論での「術語」を確認すると、「ラング」は母国語のこと、「スティル」とは「スタイル」、「エクリチュール」とは「言葉遣い」ですが、内田樹氏は「エクリチュールとスティルは違います。スティルはあくまで個人的な好みですが、エクリチュールは、集団的に選択され、実践される《好み》」と解説（『寝ながら学べる構造主義』）。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　バルトはマルクス主義における文化・芸術上の理念である「社会主義リアリズム」とは異なる形での「革命的なアンガージュマン（社会参加）のエクリチュール」を模索するのですが、その一方「作者（著作権）の死」をも主張することになります。つまり文学作品などは作者の手を離れれば、生成する「テクスト（織物）」という考え方です。そこで引用などの概念も改めることになります。</span></p>
<h5 class="style5b"><span style="font-size: 12pt;">バルトークのオケコンとショスタコーヴィチ<br />
</span></h5>
<p><a href="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/10/marx38-3.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignleft wp-image-16739 size-medium" src="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/10/marx38-3-300x192.jpg" alt="" width="300" height="192" srcset="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/10/marx38-3-300x192.jpg 300w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/10/marx38-3.jpg 600w" sizes="auto, (max-width: 300px) 100vw, 300px" /></a></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　ここで想起したいのが、ハンガリーの作曲家ベラ・バルトークのエピソードです。バルトークはブダペスト音楽院教授からナチス台頭後、米国に亡命します。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　米国で貧窮に喘いでいたバルトークを助けたいと、指揮者Ｓ・クーセヴィツキーは、手兵ボストン交響楽団のために委嘱した作品が、今日「オケコン」として広く知られる「管弦楽のための協奏曲」です。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　しかし白血病に冒されたバルトークは曲の完成・初演しほどなく他界（１９４５）。このバルトークの傑作で諧謔的に引用されるのが、ソ連の「体制派作曲家」、Ｄ・ショスタコーヴィチの交響曲第７番です。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　ソ連と親和性が高かったＦ・ルーズベルト米政権では、レニングラードをナチスの手から守った《大祖国戦争》を描いたとされるこの曲は、トスカニーニやストコフスキーら名指揮者により、70分強の大作ながら頻繁に演奏。第５交響曲でソ連政府に「社会主義リアリズム」を体現した作品とされ、「ソ連を代表する作曲家」を確立したショスタコーヴィチでした。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　しかし、米国内の「ソ連＝正義」という空気一色にもかかわらず、バルトークは冷やかに見ていました。なぜならナチスの侵略から祖国を守ったはずのソ連は、バルト三国やポーランド、ルーマニア、フィンランドなどをドイツと分割しようとしたのです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　つまり「祖国を侵略から守る戦争」とは全くソ連のプロパガンダに過ぎませんでした。ハンガリーも元々、ロシアやトルコといった大国の脅威にさらされてきたのです。「祖国防衛戦」を謳ったともてはやす米国を、バルトークは壮大な茶番に映り、自作品の中で「小国の悲哀（エレジー）」と並べて配置しシニカルに批判したと言えましょう。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　バルトークは戦後のヤルタ体制の下で辛酸を嘗めた祖国の運命をもはからずも「予言」したことになるかもしれません（戦後東欧圏に組み込まれ、民主化を求めたもののソ連軍によって武力鎮圧されます〔「ハンガリー動乱」〕）。</span></p>
<h5 class="style5b">ショスタコーヴィチと「ジダーノフ批判」</h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　今日では、ショスタコーヴィチが最も忠実に「社会主義リアリズム」という芸術上のイデオロギーに基づいて作曲した作品としてはオラトリオ「森の歌」がよく知られています。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　この「森の歌」が創作された背景は、１９４８年に「ソ連の芸術家らが西欧モダニズムに毒されている」という共産党中央委員だったジダーノフによる批判により一種の「文化革命」が起こったことにありました。この「第９事件」によってショスタコーヴィチは再び「ブルジョワ（走資派）」のレッテルを貼られて冷遇されることになります。それを打開したいとの意図の下で創作されたのが「森の歌」で、歌詞がスターリン賛美となったのはやむをえなかったと言えるかもしれません。ソ連という共産主義体制の下で生き残ろうとしたショスタコーヴィチのような芸術家は、ある意味苛酷なものでした。しかしこうした「社会主義リアリズム」賛美は、冷戦時代にあって日本をはじめ多くの西側諸国における左翼人士らによって片棒を担がれてきたのです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　さて、ロラン・バルトは「政治的なエクリチュールについては、より真実である。そこでは、言語のアリバイは、同時に、威嚇であり、称賛なのだ。現に、権力なり戦闘なりこそが、エクリチュールの最も純粋な範型を生み出しているのである」と『零度のエクリチュール』に記したように、「政治的」「マルクス主義的」「革命的」と各々のエクリチュールを述べています。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　さらに「このようなプチ・ブルジョワ的なエクリチュールは、共産主義的な著作家たちによって、再び取り入れられた。それというのも、指し当たっては、プロレタリアートの芸術的な規範は、プチ・ブルジョワジーのものと異なっていることはできない（これは、教説に合致する事象でもあるが）からであり、また、社会主義リアリズムの教条そのものが、宿命的に、慣例的なエクリチュールへと強制するからである。…そんなわけで、フランスの社会主義リアリズムは、芸術のあらゆる意図的な標章を無節度に機械化しつつ、ブルジョワ的な写実主義（リアリズム）のエクリチュールを、再び取り入れたのだ」と社会主義体制の中の「社会主義リアリズム」を批判し、むしろ西側の左翼ヒューマニズム的な「プチブル的エクリチュール」の方がむしろ、かえってマルクス主義的に言えば「唯物弁証法」に適っているという論旨を展開しているのです。</span></p>
<h5 class="style5b">社会主義リアリズムと「作者の死」</h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　ロラン・バルトは作品が作者の手を離れた瞬間、「《作者》は死ぬ（消滅）」と述べます（「作者の死」）。しかしこれは、作者が物理的・身体的に死を迎えるという意味ではありません。<br />
ある作品Ａがあり、作品Ａを部分的に引用して別の作者による作品Ｂが出来上がった場合、著作権の問題はどう扱われるのかというものが問われてくるでしょう。ロラン・バルトと「社会主義リアリズム」の問題について言及します。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　「模倣と創造」という考え方があります。「オケコン」にはショスタコーヴィチの第７交響曲の主題が諧謔的に引用されるも、これはいわゆるショスタコーヴィチの著作権を侵害する「盗作」にあたりません。このバルトークの場合は引用が主題の一部であり、作品引用の意図が明確で、バルトークの作品としてのオリジナリティは保たれています。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　ところが、現代イタリアの作曲家ルチアーノ・ベリオの「シンフォニア」の場合、問題はもっと深刻で露骨です。この作品の第３楽章は実はＧ・マーラーの交響曲第２番《復活》第３楽章がそのまま引用され、さらにストラヴィンスキー、シェーンベルク、ベートーヴェン、ドビュッシーなどの作品を細切れにして繋げた「コラージュ」で、現代音楽では特に知られた作品です（ニューヨーク・フィルの委嘱作品として作曲された）。しかし、そうしたコラージュ作品というものが果たして「作曲行為」と呼べるのかという根源的な問いを振りまきある種のスキャンダルを呼びました。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　ところでショスタコーヴィチの名誉のため言えば、第９番の後の「第10番」は、スターリンの死後発表され、反スターリン的な「最高傑作」という評価の高い作品となっています。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　さて、ベリオの「シンフォニア」のようなコラージュ作品には果たして「著作権」を主張する「資格」があるのでしょうか。もちろんベートーヴェンやモーツァルトなど、死後１世紀以上も経っている作曲家の作品に１次的な「著作権」は存在しないでしょう。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　明確に「原曲」があるにもかかわらず、それには著作権が存在しないため、歌の著作権がその歌手ないしグループにあるとなると、「そもそも著作権っていったい何なの？」という釈然としない疑問に戸惑うことも出るかもしれません。</span></p>
<div id="attachment_16740" style="width: 1034px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/10/marx38-1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-16740" class="wp-image-16740 size-large" src="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/10/marx38-1-1024x699.jpg" alt="" width="1024" height="699" srcset="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/10/marx38-1-1024x699.jpg 1024w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/10/marx38-1-300x205.jpg 300w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/10/marx38-1-768x524.jpg 768w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/10/marx38-1-980x669.jpg 980w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/10/marx38-1.jpg 1040w" sizes="auto, (max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a><p id="caption-attachment-16740" class="wp-caption-text">ハンガリー動乱で引き倒されたスターリン像</p></div>
<h5 class="style5b">テクストの生成と作者の死の意味</h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　このような「著作権をめぐる問い」に対して一つの解釈を与えるのが、バルトの「テクストの生成」と「作者の死」の考え方です。そこでは、書物や文書、芸術作品など「作者によって書かれたもの」とは、「読み手（ないしは鑑賞者）によって編み上げられるテクスチャ（織り物）にほかならない」と見なす立場で、一種の「存在＝生成論」と見なしてよいと思われます。こうした立場は、例えばハイデガーやフッサールの現象学、西田幾多郎といった思想にも通じる世界があると指摘できましょう。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　これを、内田樹氏が「オープンソース」としてのリナックス登場の背景を説明しています（『寝ながら学べる構造主義』）。</span><br />
<span style="font-size: 12pt;">　　　　◇</span><br />
<span style="font-size: 12pt;">　インターネット上でのテクストや音楽や図像の著作権についていろいろな議論が展開していますが、バルトは今から40年前に、既に「コピーライト」というものを原理的に否定する立場を明らかにしています。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　作品の起源に「作者」がいて、その人には何か「言いたいこと」があって、それが物語や映像やタブローや音楽を「媒介」にして、読者や鑑賞者に「伝達」される、という単線的な図式そのものをバルトは否定しました。…「コピーライト」あるいは「オーサシップ」という概念は、その文化的生産物が「単一の産出者」を持つ、という前提がないと成り立ちません。「作者」とは、何かを「ゼロ」から創造した人です。聖書的な伝統に涵養されたヨーロッパ文化において、それは「造物主」を模した概念です。誰かが「無からの創造」を成し遂げた。そうであるなら、創造されたものはまるごと造物主の「所有物」である。そう考えるのはごく自然なことです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　近代までの批評はこのような神学的信憑の上に成立していました。つまり、作者は作品を「無から創造」した造物主である、と。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">（「思想新聞」2025年10月1日号より）</span></p>
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]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜（37）</title>
		<link>https://www.ifvoc.org/work/marx-group37/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[政弘菅野]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 20 Sep 2025 14:20:01 +0000</pubDate>
				<guid isPermaLink="false">https://www.ifvoc.org/?post_type=work&#038;p=16629</guid>

					<description><![CDATA[反権力としての「ラングの専制」 ロラン・バルト（上） 　構造主義・ポスト構造主義・ポストモダンと称される思想群には、総じて「反西欧」「反コギト中心主義」などといった共通するトーンを帯びていることがわかります。そしてそれは [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span style="font-size: 24pt;">反権力としての「ラングの専制」</span></h2>
<h3><span style="font-size: 18pt;"><strong>ロラン・バルト（上）</strong></span></h3>
<p><span style="font-size: 12pt;">　構造主義・ポスト構造主義・ポストモダンと称される思想群には、総じて「反西欧」「反コギト中心主義」などといった共通するトーンを帯びていることがわかります。そしてそれは「個人的原子論」とも言うべきものに彫琢されて姿を現します。ロラン・バルトの「構造主義的記号論」も、その典型例と言えます。</span><span style="font-size: 12pt;">。</span></p>
<h5 class="style5b"><span style="font-size: 12pt;">無ポストモダン思想に共通するトーン<br />
</span></h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　この「共通のトーン」とは、「反西欧（＝「反キリスト教」）」「反コギト（思惟する自我）＝反形而上学」「反理性主義」で、これはどんな構造主義関係の入門書・参考書にも共通して強調される特徴です。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　確かに、この「共通のトーン」にあるのは、人間個人の「決断」と「主体性」が特筆大書された「実存主義思想」の対極にあるものであることが窺えます。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　ここで考えたいのは、前回も触れた宗教をめぐる「二つの民主主義の流れ」の模式図で表わされた「差異」が現代にまで洋の東西を問わず、国家・社会に影響を及ぼす可能性です。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　レヴィ＝ストロースが否定したのは、あくまでサルトルのマルクス主義的実存主義であり、マルクスの考え自体の全否定ではなかったのです。このため、東洋的なマルクス主義（例えば毛沢東主義）が、ソ連主導マルクス主義（スターリニズム）に対し不満を抱く勢力の受け皿となりました。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　その毛沢東流のマルクス主義（マオイズム）を信奉したのが、構造主義的マルクス主義者でフランス共産党員であったアルチュセールです。彼らにとってマルクス主義は「西欧」よりも、アジアやアフリカなどの「第三世界」で輝きを増す「真理」と映ったのです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　ところがその一方、マルクスの思想こそ実は「過った民主主義」つまり「全体主義」（ファシズムと共産主義）へと帰結するイデオロギーと考えたのが、先に紹介し「二つの民主主義の流れ」を説く政治学者Ａ・リンゼイでした。この考えに近いのが、実は宗教哲学者マルティン・ブーバーの「我と汝」の考え方です。</span></p>
<h5 class="style5b">ポストモダンと個人的原子論の彫琢</h5>
<p style="text-align: left;"><a href="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/09/marx37-3.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignleft wp-image-16633 size-medium" src="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/09/marx37-3-213x300.jpg" alt="" width="213" height="300" srcset="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/09/marx37-3-213x300.jpg 213w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/09/marx37-3.jpg 473w" sizes="auto, (max-width: 213px) 100vw, 213px" /></a></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　バルトが主張する「ラング（母国語）の専制からの解放」というものは、コミュニケーションから形成される人間の絆を断ち切り、個々人に切り離してしまうことになりかねません。ましてや権力論を唱えるミシェル・フーコーの立場を援用するならば、「母国語」（ラング）は「権力によって恣意的に定められた。従ってそんな権力のルールに従う必要などない」と考えてしまいます。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　かくして個々人が家族や社会から切り離されたいわば一種の「個人的原子論」というべきものが彫琢され正当化されて、それが個人主義的政策に反映していくことになります。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　この「ラングの専制」に対してバルトの唱える「異論」とは、わかりやすい例として挙げれば、「日教組」教師らが唱える「日の丸・君が代の強制は憲法違反」という主張であったり、「入学式・卒業式は国家によるエリート意識植え付けの場であるからこれを粉砕しなければならない」という「入学式・卒業式粉砕闘争」の論理などです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　この「極左」の論理では、「国家機関という装置から自治を勝ち取って大学が存在している」という神話を根拠もなく一方的に信じているにすぎないのです。だからそこには、自分の親が払った税金によって大学が運営されている、という視点が全くありません。</span></p>
<h5 class="style5b">源流としてのマルクス・フロイト・ニーチェ</h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　もっとも、西欧哲　レヴィ＝ストロースの打ち立てた構造主義は、やがて彼自身の思惑と離れ、構造主義からポスト構造主義へと向かうことになります。アラン・ブルームが米アカデミズムに吹き荒れた性解放運動を告発した『アメリカン・マインドの終焉』で強調したのは、マルクス主義、フロイト主義、左翼化したニーチェ主義です。ブルームに加え、内田樹・神戸女学院大名誉教授は「構造主義というのは、…私たちは自分では判断や行動の『自律的な主体』であると信じているけれども、実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです。……これが前-構造主義期において、マルクスとフロイトが告知したことです」（『寝ながら学べる構造主義』）と述べ、さらに「人間の思考が自由ではない」と主張したニーチェを加え、構造主義に連なる３つの源流と指摘します。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　この内田氏の構造主義解釈は、マルクス主義への評価と共に非常に肯定的です。しかしレヴィ＝ストロースに限れば、内田氏の評価は極めて正当なものです。「近親相姦の禁忌」など人類共通に見られる規範習俗、伝統文化の独自性についてレヴィ＝ストロースは尊重しているからです。</span></p>
<h5 class="style5b">コギト神話解体叫ぶ「お一人様」思想</h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　こうした難点というものは、いやしくも「科学」あるいは「学問」というものを標榜した時から、厳しい批判の目にさらされます。それはマルクス主義であれ、現象学であれ、○○思想であれ変わりません。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　「コギト神話解体の系譜」とはニーチェ哲学に起因し、ポストモダンに連なると言われます。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　この「コギト」とは、何度も言うようですが、近世哲学（大陸合理論）の祖とされるデカルト哲学における「われ思う、ゆえにわれ在り」（コギト・エルゴ・スム）の「われ思う（コギト）」からきたものであり、「思惟するこの私」が「私という存在」を保証していたものでした。この「思惟する私」以外のいっさいのものは疑う、というのがデカルトの「方法的懐疑」の立場でした。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　ところがここで問題提起したいのは、「コギト神話の解体」と言いながら実は、コギト中心主義に陥っているのが、ポストモダン思潮ではなかったでしょうか。なぜなら、人と人の「つながり」「関係性」というものを切り離し、捨象したところに残ってゆくものは、つまるところ「独我論」でしかないからです。</span></p>
<p><a href="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/09/marx37-2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-large wp-image-16631" src="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/09/marx37-2-1024x849.jpg" alt="" width="1024" height="849" srcset="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/09/marx37-2-1024x849.jpg 1024w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/09/marx37-2-300x249.jpg 300w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/09/marx37-2-768x637.jpg 768w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/09/marx37-2-980x812.jpg 980w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/09/marx37-2.jpg 1040w" sizes="auto, (max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></p>
<h5 class="style5b"><span style="font-size: 12pt;">「我-汝」vs「我-それ」のブーバー流世界観<br />
</span></h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　さて、宗教哲学者マルティン・ブーバーはこうした状態を、「われ—それ」の世界観と述べました。現代風に言えば、「おひとり様の世界観」ということになるでしょう。これに対し、自分が呼べば応え反応してくれる、関係性を重視した人間観・世界観を、ブーバーは「われ—なんじ」の世界観と呼びました。「おひとり様」とは反対に、「同伴者のいる思想」ということになるでしょう。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　ホッブズ〜ベンサム〜マルクスという「過てる民主主義の系譜」からは、全体主義と独裁が出現しても、「利他性」「自発的善」というものは決して導き出されることはありません。</span></p>
<h5 class="style5b">自発的善と利他性保障する正統民主主義</h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　その一方で、ピューリタニズム〜カント〜ウェーバーという「正統的民主主義の系譜」からは人間の利他性への信頼というものが明確に存在しています。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　現代は宗教不信の時代と言われます。オウム真理教やイスラム原理主義勢力によるテロ、直近では旧統一教会問題でますます拍車が掛かっています。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　しかしながら宗教は、この利他性と自発的善のゆえにピューリタニズムによる近代民主主義の源流となったと言えます。逆に洋の東西を問わず、こうした利他性と自発的善が保障されなければどんな宗教であっても結局、人々の間に受け容れられないのではないでしょうか。つまるところ人間の信ずる信仰・信条・信念は、「内なる精神の自由」によってしか動かないからとは言えないでしょうか。</span></p>
<h5 class="style5b">日本の因果応報思想的な「贈与の円環」</h5>
<p><a href="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/09/marx37-1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-large wp-image-16632" src="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/09/marx37-1-1024x881.jpg" alt="" width="1024" height="881" srcset="https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/09/marx37-1-1024x881.jpg 1024w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/09/marx37-1-300x258.jpg 300w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/09/marx37-1-768x661.jpg 768w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/09/marx37-1-980x843.jpg 980w, https://www.ifvoc.org/wp-content/uploads/2025/09/marx37-1.jpg 1040w" sizes="auto, (max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a><span style="font-size: 12pt;">　レヴィ＝ストロースにとってサルトルのマルクス主義実存哲学こそ真っ向から対立した「天敵」です。しかしソシュール記号学を構造主義的立場で引き継いだロラン・バルトは、サルトルの「アンガージュマン」思想を文学領域におけるマルクス主義として展開しようとしたのです。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　ポストモダンと称される構造主義・ポスト構造主義思潮における柱の一つ、「反（または脱）コギト中心主義」「コギト神話の解体」という考え方が実は、「コギト」（思惟する私が存在を規定し、保障する）の枠組みから抜け出ることができていない、それはなべて「われ-なんじ」の世界観ではなく、「われ-それ」の独我論（お一人様）的世界観を体現していると指摘できます。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　そうした構造主義思潮のうち、例外として注目に値するのが、「贈与の円環」という一種の「利他的世界観」です。これはたとえて言えば、「情けは人の為ならず　身に廻る」（世話尽）と因果応報的思想にも通じる世界があると言えます。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　そしてレヴィ＝ストロースによる新しい切り口（「贈与の円環」という行動様式）は、ロラン・バルトにおいて充分に活かされているとは到底言えず、むしろサルトルが依拠したところの、マルクス主義的実存哲学の方向へと「退化」したと言えるかも知れない、と述べました。</span></p>
<h5 class="style5b">戦後の若者の桎梏となったサルトル</h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　実際、バルトのマルクス主義とサルトル思想からの影響はどのようなものだったか。「戦後民主主義」が、日本のみならず世界的なマルクス主義と実存主義思潮の伸張によって肥大化されていった渦中に、サルトルのアンガージュマン（社会参加＝企投）が鎮座し、左翼労働・学生運動を扇動していきました。しかもそれはさながら日教組が「国旗・国歌の強制」だと騒擾する以上に、社会に生きる若者にとって「傍観」「日和見」を許さぬまさに苛酷な「強制」（あるいは桎梏）となったのが、このサルトルの詭弁だと言えます。</span></p>
<h5 class="style5b">トロツキストにマルクス主義を指南</h5>
<p><span style="font-size: 12pt;">　バルトは、スイスのサナトリウム（療養所）で同室になったジョルジュ・フルニエ（義勇兵としてスペイン内戦に参加後、抗独レジスタンス運動に参加したトロツキスト）が、「バルトにマルクスやトロツキーの思想を手ほどきしたというのです。サルトルがスターリンを批判し毛沢東主義になったように、バルトも、スターリンと袂を分かちスターリンに追放・暗殺されたトロツキーの思想的影響を受けたことが窺えます。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;"><strong><span style="font-size: 14pt;">【資料】ソシュールからバルトへ受け継がれた「ラングの専制」</span>　</strong></span><br />
<strong><span style="font-size: 12pt;">　「ラング（母国語）の専制。この問題が終生ソシュールを苦しめた。『言語学でなし得ることの大きな空しさがわかった』という言葉は切実だ。この問題が容易に解決の道が見出せないことは、次のロラン・バルトの文章からも理解できるだろう。バルトは、ソシュールの困難を同様に自覚した一人である。『権力が……持続し遍在するのは、権力が、社会の枠を越えたある組織体に寄生しているからである。その組織体が、単に政治の歴史や有史以後の歴史だけでなく、人間の来歴全体と密接に結びついているからである。人間が存在して初めて以来ずっと権力が刻み込まれているこの対象こそ、言語活動（ランガージュ）である&#8211;あるいはもっと正確には、言語活動の強制的表現としての言語（ラング）である』（『文学の記号学』）」（別冊宝島『現代思想・入門』より）</span></strong></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">（「思想新聞」2025年9月15日号より）</span></p>
<p><a href="https://www.ifvoc.org/work/marx-group38/"><span style="font-size: 12pt;">続きを読む、連載38へ</span></a></p>
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