世界思想6月号を刊行しました。今号の特集は「コロナショックが問いかけるもの」。
ここでは特集記事の一部 「感染防止と経済立て直し 長期戦視野に官民連携の強化図れ」についてご紹介します。
新型コロナ問題で、メディアは連日のように政府批判を繰り返している。しかし批判に一貫性はなく、場当たり的なものが多い。緊急事態だからこそ、メディアは冷静かつ必要な情報を伝え、不必要に国民を惑わすべきではない。
ここでは、これまでの政府の対応や日本の危機管理体制について客観的に考えてみたい。
政府の対応は憲法に依存する
海外では米国をはじめ、外出禁止命令が出されている国も多い。仏国では悪質な違反者には40万円以上の罰金が科されるという。
日本でも3月下旬、都市が封鎖されるとの憶測が広まった。小池百合子東京都知事が記者会見で、「(事態の推移によっては)ロックダウンなど、強力な措置をとらざるを得ない」(3月23日)と語ったのがきっかけである。
しかし日本では、外出禁止命令や都市封鎖はできない。憲法に緊急事態条項がないからである。「移動の自由」や「営業の自由」が憲法で保障される一方、憲法にこれを禁じる明文がない。だから憲法違反になってしまうのだ。
そのため日本では、外出禁止は「命令」ではなく、店舗の営業も「禁止」ではない。いずれも「要請」であり「自粛」である。強制力はないのだ。
先日も立憲民主党の高井崇志議員が風俗店を利用して話題になったが、営業を続けていた風俗店についてはあまり話題にならなかった。医療従事者らが必死の活動を続ける中、こうした非協力者に対しては「自粛」を求め続けるしかない。これが日本の危機管理の実情なのである。
端的に言えば、日本の危機管理は国民の自主性に依存しているのだ。
どれだけ感染者が増え、死者が増えようとも、どれだけ深刻な経済危機に陥ろうとも、一握りの身勝手な国民が「要請」に協力しなければ、危機管理ができなくなってしまう。これが現行憲法の結論なのである。
政府は特措法を改正して緊急事態宣言を発令できるようにしたが、この点についても誤解が多い。特措法はあくまで新型インフルエンザに対応するためのものであり、海外のように国家的な緊急事態に対応するためのものではない。だから強制は、医療品の提供などに限られる。
後述するが、政府が緊急事態宣言の発令に慎重だったのは、実質的な効力がさほどなかったからである。
仮に今後、日本の事態収拾のスピードが海外に比べて遅れれば、一層の政府批判がなされるだろう。しかし政府としては、憲法の範囲内でしか行動できない。もしも強権を発動しない政府を批判するならば、その原因である憲法をこそ問うべきである。
ちなみに共同通信が4月に行った世論調査では、憲法への緊急事態条項新設に賛成する割合が51 %と半数を超えた。
憲法は前文で国際社会への信頼を謳う。そして今回、危機管理においては国民の自主性を最大限に信頼していることが明らかになった。危機管理において、どの程度、国民を信頼すべきなのか。より深刻な事態に陥っても国民の生命と財産を守ることはできるのか。今回の件を通して十分に吟味すべきであろう。
クラスター特定で感染拡大防止に集中
先進国で感染者が増える傾向にある中、日本の感染者数の割合は他国に比べるとかなり少なく、驚異的ですらある。決して油断すべきではないが、この事実は踏まえておくべきだ。
日本の感染者が低く抑えられている最大の理由は、「クラスター対策」に集中した日本政府の戦略にあるだろう。政府は、「国民の不安」にまんべんなく対応するよりも、感染者集団である「クラスター」を特定し、その感染経路を絶つことに集中した。
一部では、「熱があったのに検査してもらえなかった」という批判もある。しかし「不安だ」という人をすべて検査すれば、医療現場は間違いなくパンクする。仮に陽性が判明しても、重体にならない限り隔離して安静にするしかない。だから政府としては、限られた資源を最大限に活用するために、「国民の不安」以上に、実質的な感染拡大の防止に集中したのである。
緊急事態宣言がなかなか発令されなかった理由も、感染者数が増えても感染経路が明らかだったからだ。
一方、4月8日に宣言が発令されたのは、感染経路が不明な感染者が増え、もはや通常の体制では拡大防止が不可能と判断されたからである。
この判断が本当に正しかったのかはわからない。前例のない事態にあって、最善の方法など誰も知りえないからだ。
しかし、現時点における日本の感染者の少なさは正当に評価するべきだ。「検査数が少ない」との批判もあるが、死者数が少ないのもまた事実である。政府の判断は、現状の危機管理体制の下、かなり奏功したといえるだろう。
いずれにせよ新型コロナとの戦いは、長期戦になる。感染者の爆発的な増加を押さえて医療現場を守るとともに、経済の立て直しも図らねばならない。誰が政権の座にあっても困難な取り組みだ。
専門家の知見に基づいて、実効性のある対策を積み重ねていくほかはない。メディアも批判のための批判で不安を煽るべきではなく、国民も自覚ある行動を心掛けるべきだろう。
政府と国民が協力し、一日も早く通常の生活に戻れるよう祈るばかりだ。
(「世界思想」6月号から抜粋)
Leaflet – 日本の憲法を考える。