思想新聞7月1日号に掲載されている主張を紹介する。
1971年に警察官が殺害された渋谷暴動事件の容疑者が6月、46年ぶりに逮捕された。共産主義極左集団「中核派」の活動家、大坂正明容疑者(67)で、彼は中核派の非公然活動家らによって組織的な支援を受け逃走し続けてきた。現在も極左集団は公然、非公然で国家転覆活動を繰り広げており、わが国の平和と安全、国民の生命を脅かしている。警戒を怠るべきでない。
大坂容疑者は71年11月14日午後3時ごろ、東京都渋谷区神山町の路上で、仲間と共謀して機動隊員らに火炎瓶を投げ付け、鉄パイプで殴るなどして、新潟県警から派遣されていた中村恒雄巡査(当時21、殉職後警部補)を殺害した。それも鉄パイプで殴り倒し、ガソリンを衣服から体に注ぎこんで火をつけるという残虐極まりない殺害方法だった。その場所は、JR渋谷駅から東急本店通りを経て、松涛1丁目と神山町の境の東神山町交差点付近で、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)本部の斜め前に当たる。
その傍に慰霊碑が立てられており、「沖縄返還阻止闘争警備において、渋谷区神山地区の警備活動中に殉難した故中村警部補をここに顕彰する」と記されている。中村警部補は地区住民の生命と財産を守るためにまさに体を張って警備に奮闘した。我々はここに改めて哀悼と感謝の意を表したい。
渋谷暴動を正当化 今も「沖縄闘争」
慰霊碑に記されているように渋谷暴動は共産主義集団の「沖縄闘争」の一環として引き起こされたものだ。その発端は1971年6月に日米間で調印された沖縄返還協定である。これに反対する左翼勢力は同年11月10日に沖縄でゼネストを決行、それに呼応して中核派は渋谷駅周辺で、鉄ハイプや火炎ビンで警官らに襲いかかった。
沖縄県民はこうした悪辣非道な反対闘争に屈せず、沖縄返還協定に基づき翌72年5月15日に無事、悲願の本土復帰を果たした。だが、共産主義集団は現在もなお「沖縄闘争」を継続している。
とりわけ、中核派は渋谷暴動事件を正当化し、機関紙『前進』(2017年6月8日号)では「大坂同志へのデツチあげ弾圧」と強弁し、「怒りをこめて徹底的に粉砕しつくそう」と主張している。
さらに「渋谷暴動の偉大な地平」と称し、沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移転を阻止しようと、過激な「辺野古闘争」を展開している。革マル派や革労協など極左各派も同様である。
警察庁の松本光弘警備局長は今年3月、参院内閣委員会で、「(沖縄米軍基地の)反対運動を行っている者の一部には極左暴力集団も確認されていると承知している」と、初めて極左集団の沖縄闘争に言及したが、治安当局は本土復帰前から極左集団の沖縄闘争と戦ってきている。
極左集団がどのような思想をもっているのか、再確認しておく必要がある。中核派は正式名称が「革命的共産主義者同盟全国委員会」であるように、紛れもなく共産主義を信奉する集団だ。
わが国の共産主義組織はレーニンが創設したコミンテルン(国際共産党)日本支部である日本共産党から始まり(1922年7月15日創立)、戦後は火炎ビン闘争(52年)やフルシチョフのスターリン批判(56年)、さらに中ソ対立(60年代)等々の国際共産主義の動きと呼応、あるいは反発して日本共産党と路線対立したグループが次々と分派を結成し、極左集団を形成した。中核派もそのひとつである。
共産主義は「国家権力」の打倒を掲げ、そのために暴力を辞さない。日本共産党も根は同じである。同党は宮本顕治元委員長が唱えた「敵の出方論」(平和革命になるかどうかは敵の出方による)を今なお放棄しておらず、公安調査庁は調査対象団体に指定している。武装闘争の危険性がある共産主義集団は少なからず存在しているのだ。
反原発闘争などの大衆運動にも浸透
もうひとつ見逃してはならないのは、共産主義集団は日本共産党がそうであるように、大衆運動や微笑作戦を巧妙に展開し、浸透工作を続けていることだ。極左集団は「組織の維持・拡大をもくろみ、暴力性・党派性を隠して大衆運動や労働運動」に取り組んでいると警察白書が指摘している。
その大衆運動のひとつに反原発闘争があり、中核派は「すべての原発いますぐなくそう!全国会議」(NAZEN)を組織し、市民運動を装っている。2013年の参院選東京選挙区で「反原発」を掲げて当選した俳優の山本太郎氏は同会議から組織的支援を受け、公安当局から国会に極左集団の橋頭堡を築いたと警戒されている。
さらにもう一点、忘れてはならないのは、大坂容疑者は逮捕されたが、よど号ハイジャック事件(70年)や三菱重工業本社爆破事件(74年)などで未逮捕者が多数いることである。よど号事件の魚本(安部)公博容疑者は北朝鮮の工作機関の手先となり、有本恵子さん拉致に関与したとして国際指名手配されている。
その意味で渋谷暴動事件の大坂容疑者逮捕は共産主義集団による公安事件の解決の一歩にすぎない。警戒を怠ってはならない。