世界思想10月号 特集「明治維新150年」

世界思想10月号を刊行しました。今号の特集は「明治維新150年」です。

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【特集Ⅰ】維新は「奇跡」に非ず

 150年前の10月23日、元号が「明治」と改められた。260年続いた徳川幕府のみならず、800年続いた武家政治の終焉でもあった。紛れもない「転機」であったが、今また日本はある意味で少子化と安全保障という国難に直面している。「近代化」のプロセスのみならず、日本の国を形づくってきた「国柄」とともに考えてみたい。
江戸時代を封建・暗黒と貶すマルクス史観からの脱却

 日本は150年前、明治維新により近代化し、欧米列強に伍ごする大国となり、今日、主要国首脳会議(G7)で唯一の非西欧国としてその座を占めている。その奇跡的成功は世界で研究され、発展途上国の手本とされている。

 近代の始まりだったフランス革命以降、ロシア革命を見るまでもなく、封建体制からの大転換する際、旧体制の王族など皆殺しにされるのが世界の常識。それが大きな犠牲を出さずに政権が転換し、「支配者」だった徳川慶喜は殺されず、侯爵や貴族院議員に叙された。

 約300の藩、200万人の武士を武装解除させ、その特権を廃藩置県で1日にして消滅、一挙に「四民平等」社会へ「無血」で移行。そんな例は世界史になく、まさに明治維新は、「世界史の一大奇跡」と呼ばれている。

 

植民地下の人々に勇気与えた明治の日本

 明治維新が成された19世紀後半は、世界の大半が西欧によって植民地化されていた時代。唯一の非白人種が植民地化されなかったばかりか、維新から僅か40年で世界最強とされた露を破ったことに世界は驚愕。「白人は征服されぬ」という信仰が砕かれたからだ。

 反面、数百年に渡り西欧の植民地とされていたアジア・アフリカなどの有色人種に計り知れない勇気と希望を与えた。西欧人は「500年かけて成し遂げた発展過程を一足飛びに跳び越え、西欧がやっと19世紀になって勝ち取ったものを、一挙に横領しようとしている」(E・ベルツ)と怖れた。

 西洋人は「我々の猿真似をしただけ。我々の支援で近代化された」とし、日本の学者もそれに同調した。戦後、「全ての歴史は階級闘争の歴史」(『共産党宣言』)としたマルクス主義が闊歩。「搾取する者(権力者=悪)と搾取される者(民衆=善)とに分け、両者の闘争の中で善が必ず勝つ」(評論家・加地伸行)と、江戸時代は幕府が人民を収奪した「封建・暗黒時代」と日教組は生徒に教えた。

 ところが今日、それらの史観は誤りだったことが明らかになっている。「西欧から500年遅れの奇跡」ではなかった。維新前夜、坂本龍馬が言ったとされる「日本の夜明けぜよ」(本当は時代劇『鞍馬天狗』の台詞)が暗示する「江戸時代暗黒説」は事実に反していた。むしろ逆に西欧に先駈さきがけた「民主国」の土台があって「近代化」が成されたのだった。

 

ケネディが範とした江戸時代の民主政治

 1961年、米国大統領に就任したケネディは、日本で最も尊敬する政治家は誰かと問われ、「上杉鷹山」と答えた時、日本の記者団は誰も知らなかった。「国家が自分の為に何をしてくれるかではなく、自分が国家の為に何ができるか」と演説したケネディは、鷹山に民主政治を学んだのだった。

 2014年、娘キャロライン前駐日米大使は、米沢を訪れ鷹山との関係を証した。
 その米沢へ140年前の明治初期に訪れた旅行家イザベラ・バードは「美しさ、勤勉、安楽さに満ちた魅力的な地」と感嘆。「アジアのアルカデア(桃源郷)」と『日本奥地紀行』に記している。

 江戸時代の農民は、貴族や大地主から搾取され、鞭で叩かれる農奴とは全く違い、自立した存在だった。大切な食料生産者として確固たる地位が与えられ、庄屋や地主の横暴の犠牲になることはほとんどなかった。村には「寄合い」という議会があり、年貢を作柄、地味、灌漑効率などを考慮した作柄で決められ、最大限の公正を期す、民主的な運営がなされた。

 「鎖国時代に1500回の農民一揆があった」などと教育されているが、実際は年貢軽減のため近郊の村と協議した事も数えられ、暴力沙汰は稀だった。百歩譲り250年間に1500回=年間6回とすると、全村で約6万3千だったから、一揆は1万件に1回に過ぎず、驚くべき農民の満足度の高さを示していた。

 それは江戸時代の旅行ブームが証明している。村役人に届ければ通行手形が貰え、全国の神社仏閣を回り、農家を視察して情報を仕入れ、技術の均質化が成された。旅行者は多い年で約1千万人、総人口の3分の1もいた。

 費用は全村で積み立てて村人全員で協議し、旅行者を決めるなど民主的に行われた。当然、費用の計算、見聞した情報を記録する読み書き算盤能力が必要で、西欧の農奴が文盲の時代、どの村にも寺子屋があり、誰もが文字を使えた。

 幕末の識字率は何と70~90%で、同時代の英大都市でも20?30%、パリでは10%だった。日本を訪れた歴史家シュリーマンは「全ての日本人は読み書きできた」と驚き、戦国時代に訪れたフロイスは「学ぶ事にかけては天賦てんぷの才のある者ばかり」と記している。

 

鎖国時代の日本人の知恵が21世紀の地球救う

 江戸期を通して田は2倍、収穫は4倍に増え、江戸を世界最大の都市へと繁栄させていた。人口だけでも約150~200万人と世界最大の都市で、欧州最大のロンドンが約70万人だった。米総領事・ハリスは「人々は皆清潔、食料も十分あり幸福そうでどの国にも勝る正直な黄金時代を見る思い」と記した。欧州では糞尿が路上に捨てられた時代、汲み取りが集めて農家の肥料とし、屑屋は紙屑を集めて再生されたリサイクル社会だった。

 江戸初期に3年間日本に滞在したドイツ人医師ケンペルは「習俗、道徳、技芸、立居振る舞いの点でどの国民にも勝り…生活必需品は有り余る程豊富であり、国内には不断の平和が続き世界でも稀にみる程の幸福な国民」と記している。

 欧州で舞台芸術、絵画、音楽などの芸術が、王侯貴族など支配層の独占だった時代、歌舞伎などの芸能も、浮世絵も庶民のものだった。為替や変動相場制など、世界最先端の通貨・金融制度が確立されており、日本が迅速かつ完璧に近代化したことは当然だった。

 「極端な貧富の差もなく…限られた資源の中で平和に暮らした鎖国時代の日本人の知恵は、21世紀の地球全体にとっても、大いに重要」(松原久子『驕れる白人と闘うための日本近代史』)。明治維新150年を顧みる所以だ。

 


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