信教の自由は民主国家の根本的価値

 

「世界思想」8月号の特集「信教の自由は民主国家の根本的価値」から総論部分をお届けします。

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 今日、信教の自由と基本的人権の尊重は、民主主義の根幹をなす普遍的価値として広く世界的に認知されている。しかし、これらの価値が出現したのは近代になってからであり、それが社会に定着したのは、長い時間と多くの苦難を経た後であった。そして、近代社会の基本原則ともいうべきこの価値を生み出したのは、イスラム教文化圏でもなく、仏教文化圏でもなく、ヒンドゥー教文化圏でもなく、キリスト教文化圏であった。

 その意味で、キリスト教は人権思想の揺籃としての役割を果たしたのであり、今日においても、人権状況において模範的な国はキリスト教を文化的背景とする国が多い。これはキリスト教の根本思想の中に人権思想の根拠となる教えがあるからであり、またキリスト教自体が「信教の自由」や「基本的人権」という思想を確立し、また受容していく上で多くの試行錯誤と苦しみを経験し、多くの失敗の中から学んできたからにほかならない。

キリスト教精神に基づいて形成された人権思想

 人権思想の本質とは、「人権は国家や政府によって国民に与えられるものではなく、それ以前に、天賦の権利として一人ひとりの人間が生まれながらにして持っているものである」と捉えるところにある。もし人権が国家や政府によって国民に与えられるのであれば、それは国家や政府の事情によって剥奪できることになってしまう。したがって、国家や政府の設立以前から人間が持っており、誰にも剥奪することができない「天賦の権利」が人権なのである。このように、人権を主張するためには何らかの「超越的原理」を必要とするのであり、キリスト教における神はまさにその役割を果たしたのであった。

 近代的な人権思想を表現した最初の文書としてよく取りあげられるのが「フランス人権宣言」(1789年)である。同宣言はその第一条において、「人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する」と謳っており、これは「自然権思想」と呼ばれる考えである。フランスの人権宣言は、啓蒙思想を背景として作られたものであるため、人権は「生まれながらにして持っている権利」として規定されており、誰が人権を与えるのかについては述べられていない。

 しかし、この文書のルーツをたどれば、その思想は無神論的な立場から来たものではなく、キリスト教精神に基づくものであったことが分かる。フランス人権宣言を起草したラ=ファイエット(1757〜1834:アメリカ独立戦争に単身参加したフランスの政治家・軍人)は、アメリカ合衆国で自由主義の精神の洗礼を受けた人物であり、アメリカ独立宣言を参考にしてこの文書を起草したのである。いわば、フランス人権宣言はアメリカ独立宣言を世俗化したものだった。

 アメリカ独立宣言(1776年)は、「すべての人間は平等につくられている。創造主によって、生存、自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられている。これらの権利を確実なものとするために、人は政府という機関をもつ。その正当な権力は被統治者の同意に基づいている」と謳っている。ここでははっきりと、人権が「創造主によって」人間に与えられたものであることが述べられており、キリスト教信仰に基づく人権思想であったことがはっきりと分かる。

個人の良心が民主主義の基礎

 そして、アメリカ独立宣言の思想的背景をさらにたどっていけば、イギリスの名誉革命(1689年)を理論的に正当化したジョン・ロックの「自然法理論」に、さらにはイギリスの清教徒革命を導いたクロムウェルの思想にまでさかのぼることができる。A・D・リンゼイは、その古典的名著『民主主義の本質―イギリス・デモクラシーとピューリタニズム―』の中で、近代民主主義の源流は、17世紀のイギリスにおけるピューリタニズム、すなわちクロムウェルの思想の中にあると述べた。

 クロムウェルの思想の本質は、「人は貧富、能力、学識の差に関わらず、生きる権利を持っている」という、人間平等の原理にあったとリンゼイは分析する。これは科学的理論でもなければ常識からくる教えでもない。人間平等に対する神秘的確信、生きんとする情熱と力であり、その意味ではまさに「信仰」にほかならなかった。リンゼイは、「民主主義とは信仰を意味します。しかしそれは、理性に基づいた信仰でなければならないのであります」と述べている。なぜなら、「人間は不平等」が現実であった当時のイギリス社会を変革していく力が、まさに熱狂的なキリスト教信仰だったからである。

 クロムウェルの思想は、個人の良心が民主主義の基礎であると位置付けている。これはすなわち、人間は誰しも良心を通して神の声を聞くことができるので、各人が良心に従って議論をするとき、そこに神のみ旨が現れるという考え方である。これが議会制民主主義の理論的根拠である。貧富、能力、学識の差に関わらず、一人に一票の投票権が与えられるのも、個人の良心を通して神が働くということを信頼しているからに他ならない。

 このような宗教的・道徳的原理の源流をさらにたどっていけば、「万人祭司」を説いたルターの宗教改革(1517年)にまで行きつく。司祭のみが神の声を聞くことができ、人々は司祭を通してのみ神につながることができるというカトリックのヒエラルキーを否定し、万民が神の前に平等であり、誰もが良心を通して神の声を聞くことができるという宗教改革の根本原理こそが、まさに近代民主主義の精神的出発点であった。人権や民主主義といった概念が、キリスト教文化圏において、しかも近代降に出現した理由はまさにここにあるのである。

信仰者たちの犠牲の上に確立された「信教の自由」

左から、カルヴァン、ルター、A・D・リンゼイ

 しかしながら、「宗教改革」によってただちに「基本的人権」「民主主義」「信教の自由」といった概念が確立され、それが社会に定着するようになったかと言えば、それはまったくの間違いである。少なくともルターやカルヴァンは現在の意味での「信教の自由」などという概念は知らなかったし、彼らの生きた時代にもそのような社会は存在しなかった。近代民主主義の源流となる思想を説いたクロムウェルも、実際に行った政治は極めて独裁的であった。彼らはあくまで後にそのような価値観として結実する思想の「萌芽が」を提供したにすぎない。 

 当時の社会情勢では、本当の意味での信教の自由を確立することは不可能であった。ルターの宗教改革は、カトリック教会に反感を持つ諸候達の庇護によってはじめて成功したのであり、ルター派の信仰はその諸候によって全ての臣民に強要され、その領地内で他の信仰を持つことは許されなかった。

 それはツウィングリやカルヴァンなどの運動が成功した地域においても同様であり、その結果として「再洗礼派」など、より急進的な信教の自由と政教分離を主張する「セクト」は、当時の社会からは危険視され、多くの殉教者を出したのである。彼らの主張のほとんどは後の時代になって初めてその正当性を認められるに至った。

 カトリックとプロテスタントの抗争の末に、妥協案として締結されたアウクスブルクの和議(1555年)の原則は、「君主の信ずる宗教が、その領地の宗教となる」というもので、一般市民の信教の自由は認められていなかった。この原則は、1648年のウェストファリア条約によって再確認された。

 このように「信教の自由」と「政教分離」は、宗教改革以後の西欧キリスト教国家において、多くの信仰者たちの血の犠牲の上に初めて確立されたのである。

◆2024年8月号の世界思想 信教の自由は民主国家の根本的価値
Part1 宗教への敵対的な感情はらんだフランス型政教分離
Part2 「礼拝の自由」獲得めぐり多くの犠牲を重ねた英国
Part3 「宗教選択の自由」を重視したアメリカ
Part4 戦争に翻弄された日本の宗教

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