共産党は「日本」を敵視。いわば反国家的団体

本記事は元共産党員からの情報提供に基づき作成しました
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日本共産党の暗部、血塗られた歴史を紹介する。これらは紛れもない事実であり、共産党は決して隠すことはできない。共産党のこうした過去の武装闘争、警察官の殺害、警察署や交番の襲撃、警備員やアメリカ将校への暴力を忘れてはならない。共産党が「破壊活動防止法」の調査対象団体公安調査庁ウエブサイトであり続ける明確な理由でもある。

それでは、歴史的事実の数々をご覧ください。

「銀行強盗」日本共産党の組織的犯行

銀行強盗「共産系が資金集めの犯行」

「銀行襲撃のギャング 全部三人捕縛さる 共産系が資金集めの犯行」(東京朝日新聞夕刊、1932年10月11日付)

警察官を襲撃、銃を奪い次々殺害してしまう

警備課長を射殺(白鳥事件=札幌市)

「警備課長を射殺 札幌市内で共産党のテロか」(毎日新聞、1952年1月22日付)等
Wiki「白鳥事件」
警官5人に暴行、拳銃を奪う(田口村事件=長野県南佐)

「日本共産党員ら七名逮捕 南佐で十数名が警官に暴行」(信濃毎日新聞、1952年2月5日付)
Wiki「田口村事件」

「五警官暴行 拳銃奪う 長野で共産党員を逮捕」(読売新聞夕刊、1952年2月4日付)
Wiki「田口村事件」
巡査を殺害(練馬事件)

「印藤巡査殺しは共産党のテロ 更に五名を検挙」(読売新聞夕刊、1952年2月19日付)
Wiki「練馬事件」

「印藤巡査殺しの主犯 共産党北部軍事委員長の矢島勇と判明」(毎日新聞夕刊、1952年6月7日付)
Wiki「練馬事件」
日本の警察組織 「警官テロは、日本共産党の工作」

「日共の警察工作? 相次ぐ警官テロ重視」(朝日新聞、1952年2月5日付)
駐在所を襲撃

「小河内駐在所襲う 山村工作隊か、十一名」(朝日新聞、1952年4月7日付)

党組織へ逆らった共産党員をリンチ・殺人

日本共産党党首「宮本顕治氏がリンチ致死事件」

「私刑には宮本が直接手を下す 最高指導者と判る」(読売新聞、1934年1月17日付)
Wiki「日本共産党スパイ査問事件」
日本共産党における「査問」はリンチの別名。小畑達夫の死亡についても、宮本顕治らによる、「スパイ査問」による殺人とされている

「宮本はこうして殺した 袴田氏が『リンチ』の詳細語る」(サンケイ新聞、1978年2月2日付)
リンチ事件で共産党員が軒並み逮捕

「リンチ共産党の全貌 本日記事解禁」(東京朝日新聞、1934年5月22日付)

「日共のリンチ暴露 二回、毒を盛られる 脱党の青年奇怪な告白」(読売新聞、1952年8月11日付)

「神奈川で日共のリンチ “私は殺される”と脱党者の訴え」(読売新聞夕刊、1952年9月4日付)

「女工を監禁、査問 日共リンチ団16名を検挙」(朝日新聞、1952年10月22日付)

日本共産党リンチ殺人事件言論裁判

「思想新聞 号外ビラ」配布が発端で裁判に

「共産主義は悪魔の思想/マンガ:実録 宮本リンチ殺人事件」(思想新聞号外ビラ。1978年6月)

日共の提訴に対する「反訴」のビラ
「国際勝共連合 共産党を名誉毀損で訴える」(思想新聞号外ビラ。1980年2月)

「日共リンチ殺人事件言論裁判 共産党が判決目前で取り下げ」(思想新聞、1989年1月5日)
(Wiki 日共リンチ殺人事件言論裁判)

暴力革命(「暴力」明記した「51年綱領」

日本共産党の「武装方針」が明記された確たる証拠ー秘密出版物「球根栽培法」

「われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない。」(「球根栽培法」)
火炎瓶闘争など日本共産党の武装方針について示した秘密出版物。『球根栽培法』は内容を擬装するための書名。ガリ版刷りで数回発刊された。後に新左翼諸セクト内でも『球根栽培法』のコピー版が出回り、武装闘争の指針となっていた。 1951年10月に発行

「労働者や農民の軍事組織をつくるにはどうすればよいか」(「球根栽培法」)
中核自衛隊の結成を呼びかけている。
「暴力革命」の実態が次々と露わに

「日共非合法化を考慮 いまや犯罪団体 二、三月ごろ闘争激化」(夕刊読売、1951年1月6日付」

「暴力革命狙う共産党 新編成で軍事訓練 非合法組織は約七割」(毎日新聞、1952年2月12日付)

「日共軍事組織の全貌わかる 全国を六ブロック 遊撃行動に重点」(読売新聞、1952年3月17日付)

「火炎ビン製法など-武器製法の教科書「栄養分析表」-日共押収文書から発見」(朝日新聞、1952年4月12日付)
「栄養分析表」=日本共産党が非合法軍事組織の確立に向けて1951年10月に発行したとされる爆弾の製造方法を記した教本。同様の性質をもつ文書として『工学便覧』『料理献立表』『Vノート』『ビタミン療法』等と称されるものがある他、中核自衛隊の組織と戦術を記した秘密文書『球根栽培法』がある。

「暴力行為全国に続発〝日共の拡大神経戦〟」(朝日新聞、1952年4月3日)

「日共・新武器製造を指令 催涙ガス・手しゅう弾」(日本経済新聞、1952年7月3日付)

「日共で毒ガス戦術 濃ければ人も殺す」(毎日新聞、1952年4月7日付)

「日共山村工作隊手入れ 元早大生ら23名検挙」(朝日新聞、1952年3月29日)
(wiki 山村工作隊)

「【曙事件】「日共党員が集団暴行 コン棒で殴る蹴る 一家六人袋叩き 曙村の山林工作隊 非協力地主へ報復(山梨時事新聞、1952年6月1日付)
(wiki 曙事件)
「血のメーデー事件」

「警官隊と大乱闘 死者三 負傷数百 百名を検挙 日共の計画的騒擾」(毎日新聞、1952年5月2日付)
(wiki 血のメーデー事件)

【血のメーデー事件】共産党機関紙「アカハタ」の記事
「人民広場血のメーデーを忘れるな! 愛国者を犬死させるな!」(アカハタ、1952年5月5日付)
「五・三〇事件(人民広場事件)」

「五・三〇記念日遂に流血 約四百名 板橋で交番を襲撃」(毎日新聞、1952年5月31日付)
(wiki 人民広場事件)

「愛国大衆・新宿を制圧 武装警官隊と戦いつつ大会を強行」(アカハタ、1952年6月14日付)

共産主義国家、ソ連・北朝鮮は同志


「スターリン首相 きょう七十歳誕生日 平和の巨大な柱 かがやける革命の業績」(アカハタ、1949年12月21日付)
収容所送り1800万人「粛正の独裁者」スターリンを、「平和の巨大な柱」、「人類の偉人」と褒め称える。

「スターリンの遺志受けつがん  人類の偉人を失う」(アカハタ、1953年3月9日付)

「日本に潜る赤い朝鮮人 日共と金日成が指令」読売新聞(1952年3月30日付)
日共と同様、破防法の調査対象団体である「朝総連」は、日本における暴力革命の“同志”であることを暴露した記事。

「日本に潜る赤い朝鮮人 日共と金日成が指令」読売新聞(1952年3月30日付)
資金源は、北朝鮮・中国からの麻薬密輸

「日共は‟麻薬屋”である 厚生省と国警係官が実態を暴露」(毎日新聞、1951年10月3日付)

「日共資金に麻薬 米代表、中共の密輸非難」(読売新聞、1952年5月6日付)

「日本共産党=反国家的団体」動画集

 

 

 

 記録映像「日本共産党の暴力革命」
(出典:YouTube

「共産党は非合法では?」浜田聡議員(2023年3月6日参議院予算委員会)

 

日本共産党の100年の歴史を、「革命史」の視点から簡単に振り返る年表です。

コミンテルンの日本支部として設立され、特に戦前の「32テーゼ」や宮本リンチ事件、戦後間もない「51年テーゼ」はその凶暴性、残忍性を露わにした時代です。その「罪業」と向き合わず、謝罪することも自己批判もなく、「61年綱領」以降、現在までも「敵の出方論」を「秘密の教義」として隠し持っているがゆえに、「破防法調査対象団体」に指定されているのです。