思想新聞5月1日号の【共産主義の脅威 シリーズ】「蘇る「性解放」勢力 ~性教協の逆襲~」を掲載します。かつて学習指導要領を逸脱した「過激な性教育」でバッシングを受けた「性教協」が再び、公教育の場で性教育を実施していますが、本当に大丈夫なのでしょうか。過激な性教育は、学習指導要領にしたがって性教育をしようとする教職員をも妨害しているとも言えます。性教協が、いかなる思想想団体なのか、ご確認下さい。
性教協が主導した「性(解放)教育」は国会でも問題視された。
「エロス・コンミューンの実現」を掲げる性教協が、子供たちに与える悪影響を強く懸念する
1992年、小学校高学年から「性教育」が導入され、「性教育元年」と呼ばれたが、その旗振り役となったのが山本直英(1932~2000)が設立した「人間と性」教育研究協議会(性教協)である。
山本は生前、「いつ、どこで、誰とセックスするかは子供が決める問題」「人類が21世紀にかけるユートピアは、『エロス・コンミューン』の実現にある」と断じ、性と婚姻関係を切り離す「自由恋愛」(フリーセックス)を勧奨。人間を動物次元に貶めるような「性器教育」の推進を主張していたのだ。
ところがさる3月、東京都足立区の区立中学校で、「人権教育、性に関する学習」が行われた内容に関し、東京都議会文教委員会で質問に立った古賀俊昭議員が、問題視。これを受けた都教委は学習指導要領にない「性交」「人工中絶」「避妊」などの言葉を使った点を「不適切」とし区教委に改善を求め指導。だが、これに対し性教協では都教委や古賀氏に「教育への不当な介入」だとし区教委への「指導中止」を申し入れ、これを朝日新聞が報道した(4月7日付)。
だがこれは「不当な介入」と呼べるものなのか。古賀氏は恋愛やデートどころか、避妊するための具体的なピルの入手方法とかコンドームの使い方など、中学生に教える内容としてふさわしいのかと保護者目線から疑問を呈したものである。しかも、古賀氏は性教育そのものを否定しているわけではなく、「結婚や家庭を築くことで新しい生命が誕生する神聖なこと」という発言をしており、極めて真っ当な考え方である(都議会議事録)。
むしろ問題は、性教協が中心になって進めている「人権教育」に名を借りた「性交・避妊教育」は、恋愛や結婚という将来を見据えた「人生教育」ではなく、「性交すれば赤ちゃんができる」ことが社会問題になることを避け単に「避妊」すれば解決する、だから中学生も「性的自己決定権を行使せよ」という人間を動物次元に貶めた「唯物論的還元主義」から行われてしまっているのだ。
では性教協などはなぜ「家庭・夫婦を中心とした性倫理」を忌み嫌い、「コンドーム避妊教育」を行うのか。「避妊具さえ使えばエイズなど性感染症も防げるし、青少年の性犯罪も減る」と主張し、「コンドーム教育」に血道をあげている。その山本グループに資金を提供したのが、日本のコンドーム・メーカーであり、山本は会の発足にあたって1千万円を受け取ったと告白した(朝日新聞1990年6月)。
さらに山本は生前、「科学的性教育のパイオニア」として共産主義者・山本宣治の日本の家族の在り方について述べた、「家族は私有財産制の一変形であり、夫という占有者が妻となづくる家畜を養い、これを性的快感を得るための機械」だとする思想を受け継いでいることを自任している(『各種性教育探検論』)。
こうしたマルクス主義に基づく「家族破壊の論理」が根底にあり、純潔教育や道徳教育が「体制順応型の性教育」として敵視し、そこから「解放」されることが「性的自己決定」だと理屈づけしているのである。
だが実際には、父母の築いた家庭の中で成長した子供たちは、結婚し家庭を築くのが幸福の源泉であり、普通の生き方だと学習する。それに「階級闘争」を持ち込むのは馴染まない。
そうした社会実験でかつて失敗したのが、ルカーチが文教大臣を務めた共産主義ハンガリーであり、初期ソ連社会で女性政策をリードしたコロンタイによる家族解体推進政策であった。
若者の性的自己決定論はまた、ニィルの「サマーヒルスクール」などのフリースクールにおける「性解放」がいかに悲惨な帰結をもたらすかを教えてくれる。だから「学習指導要領」になくても教えていいという論理は、青少年の保護から大きく逸脱するものである。
その意味で、古賀都議の質問や都教委の指導は極めて妥当なものだ。コンドーム教育よりもむしろ、SNSなどから性犯罪に巻き込まれそうになったらどうすべきかを、まず教えるべきであろう。
思想新聞掲載のニュースは本紙にて ーー
3月1日号 巻頭特集「北の非核化、拉致解決で結束確認 / NEWS「茨城 安保フォーラム」/ 主張「イラク日報」諸悪の根源は憲法9条だ etc