わが国の皇室儀式を守り抜こう

 

令和元年 10月22日 「即位礼正殿の儀」を行う天皇皇后両陛下。

 

 天皇陛下の即位の中心儀式「即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀」が10月22日、皇居・宮殿で皇族方はじめ191カ国・地域・国際機関などの元首ら外国賓客、三権の長、各界の代表者らが参列して行われ、陛下は即位を内外に宣明された。心からお慶びを申し上げたい。

 

 即位礼正殿の儀では、帳(とばり)を開けたときに陛下のお姿が初めて見える「宸儀初見(しんぎしょけん)」に感動を覚えた国民は多かっただろう。

 宸儀初見は平安時代前期に編纂(へんさん)された「貞観儀式(じょうがんぎしき)」に記載され、以降の即位の儀式ではこの方式が採られてきた誇りある伝統儀式だ。

 

 天皇陛下はおことばの中で「国民の叡智(えいち)とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします」と述べられた。

 これを受けて安倍晋三首相は寿詞(よごと)で「国民一同は、天皇陛下を日本国及び日本国民統合の象徴と仰ぎ、心を新たに、平和で、希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ時代を創り上げていくため、最善の努力を尽くしてまいります」と誓った。

 

 令和がゆかりある儀式と共に進んでいく。これがわが日本の姿である。

 

 

政教完全分離は世界にない暴挙

 

 ところが、共産勢力は伝統儀式の破壊を目論んでいる。共産党は即位礼正殿の儀を欠席した。

 その理由を「高御座(たかみくら)の上から天皇が即位を宣し、その下で三権の長が『天皇陛下万歳』と声を上げる儀式のやり方は明治時代のやり方を引き継ぐもので、憲法の国民主権、政教分離の原則に反する」(小池晃書記局長)としている。

 これは時代錯誤の反対論だ。180カ国の賓客の誰が国民主権や政教分離の原則に反すると考えようか。一人もおられまい。

 

 

 米国では聖書に手に置いて大統領就任宣誓式が行われ、英国ではマグナ・カルタ以来、アングリカン・チャーチ(英国国教会)を国教に据える。国王の戴冠式も葬儀も、すべて国教会の儀式で行われる。ウェストミンスター寺院には「無名兵士の墓」があり、国賓として訪問した元首らはここに献花する。これらが政教分離違反と批判されることはない。

 

 次には11月14~15日に大嘗祭(だいじょうさい)がある。大嘗祭は天皇陛下が即位後初めて行われる新嘗祭(にいなめさい)のことで、その年の新穀を天照大御神(あまてらすおおみかみ)や天神地祇(てんしんちぎ)に供えられ、国家国民の安寧と五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈られる。これも即位の中心的な祭祀(さいし)だ。平成初めの大嘗祭ではこれをお支えしようと公費である宮廷費が支出された。

 これに対して大嘗祭への公費支出は憲法が定める政教分離に反するとの的外れな批判が一部の左翼学者から出た。だが、憲法7条10号は「儀式を行ふこと」と、儀式を国事行為にあげている。

 儀式とは「一定の規則に従って行う作法」(広辞苑)を言い、伝統儀式がその国の宗教的・文化的背景を持つのは当たり前の話だ。皇室の伝統儀式は神道儀式を抜きにあり得ない。この儀式に大嘗祭が該当しないなら、何が10号の「儀式」なのか不明になる。本来、神道儀式を違憲扱いすること自体がおかしい。

 

 

 どの国でも歴史的伝統行事には宗教的背景がある。

 英国の歴史学者トインビーが指摘するように「文明は偉大な宗教とともに始まった」からだ。

 民主主義国家では信教の自由に反しない限り、宗教との関りを否定しない。それが政教分離の基本的な姿勢である。

 憲法20条は「信教の自由は、何人に対しても保障する」とし、国や自治体は特定の宗教団体に特別の利益や権利を与えてはならないとする。この規定は信教の自由を保障するため、その効果が期待どおりに得られるようにする「目的効果基準」とされる。すなわち、あくまでも信教の自由が目的で、政教の完全分離を目指すものではないというものだ。

 

 三重県津市の地鎮祭をめぐる違憲訴訟で最高裁は「社会事象としての広がりを持つ宗教と国家や公共団体は完全に無縁でありえない」とし、「特定の宗教を助長し他の宗教を圧迫する効果を持つと認められる活動でなければ『宗教的活動』に当たらない」として合憲判断を示している(1977年7月)。

 

 

共産主義の反宗教策動を断固許すな

 
 

 それにも関わらず、なぜ左翼は執拗しつように政教の完全分離を異常なまでに主張し〝宗教狩り〟をするのか。

 

 それは共産主義の生みの親カール・マルクスが「すべての神々を憎悪する」と述べ、「宗教はアヘン」と断じたからである。

 英国の政治学者E・H・カーは、「マルクス主義は、1840年代の初めにその創始者によって採られた立場から、永久に後退しなかった。それはつねに、宗教論争をその本質的な仕事の一つとみなしてきたのである」(『カール・マルクス』未来社)と指摘している。レーニンが「宗教への妥協なき闘争」をロシア革命、そしてそれ以降の共産革命の主題に据えたのはそのためである(『唯物論と経験批判論』)。

 
 共産主義は宗教の抹殺を狙い、天皇制を宗教の頂点に置き、天皇の国事行為から一切の宗教色を一掃しようと企てている。

 

 こうした主張に乗せられ大嘗祭などの神道儀式を憲法違反とすると、今度は天皇制自体が憲法違反だとエスカレートし、天皇否定へと誘導されていく

 これこそが左翼勢力の真の狙いだと知るべきである。

 

 令和の皇室の伝統儀式を我々は守らねばならない。

 

 思想新聞主張 わが国の皇室儀式を守り抜こう 11月1日号より(掲載のニュースは本紙にて)

11月1日号 天皇陛下、内外に即位を宣言 / 【特別寄稿】2020年次期大統領選挙に向けたアメリカ情勢 / 主張 「わが国の皇室儀式を守り抜こう」

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