「天安門事件、忘れるな」六・四天安門事件30周年記念大会

 

思想新聞 6月15日号 を刊行しました。今号のトップ記事は「日米同盟は対中同盟に深化する」です。

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5月31日、東京都文京区内の文京区民センターにおいて、「六四天安門事件30周年記念集会」が開催された。「冷戦崩壊の年」となった1989年6月4日、北京の天安門広場に集結した胡耀邦を追悼し中国政府に民主化を求める学生・市民たちが、戒厳令下「人民解放軍」に発砲され、多数の死傷者が出た事件から30年を迎えた。この事件の犠牲者を追悼し共産中国の民主化実現を求める集会には数百人が集結した。中国共産党の問題と民主化について3人の当事者・専門家の演説要旨を紹介する(文責編集部)

 

日米同盟で中国共産党帝国の打倒を!

 

国際政治学者

藤 井  厳 喜 氏

 

 

 我が国の最大の安全保障上の脅威は、言うまでもなくチャイナ(中国共産党政権)だ。

 

 昨年の10月4日に米国のペンス副大統領がほぼ「宣戦布告」と言える演説を行い、これによって時代は大きく転換した。

 

 米国とチャイナの経済戦争は、米国が勝つに決まっている。チャイナには切るカードがなく、米国にはカードが沢山ある。でも米国には不利な状況が一つある。チャイナは独裁政権で、米国は民主的な政権ということだ。少しでもチャイナからの輸入に依存したり、あるいは利害関係者がいると、経済制裁を長く持続させることが難しくなる。

 チャイナの共産党独裁政権は、人類共通の敵と言っていい。単に民主化運動の敵であるだけではなく、日本の安全保障上の最大の敵であること、臓器移植、臓器売買の問題や、チベット・ウイグル・モンゴルなど少数民族への弾圧問題を考えると、まさに人類共通の敵たる最悪の政権だ。

 

 ところが、これを大きくした責任は、日本にも欧米にもある。近代化・経済成長へ力となった先進国は、他ならぬ日本だった。これは田中角栄政権の国交正常化に始まり、夥しい資本を投入し、多くの技術を与えてしまった。米国は、80年?90年代の日本のバブル絶頂期に、安い労働力で日本の製造業を叩くため資本と技術を与えた。

 だから、89年のまさに天安門事件の時に、ソ連邦がその前後に崩壊している。完全に崩壊したのは91年12月だが、89年の段階ですでに共産主義・社会主義のやり方はもう通じないということが明らかになった。その時点で帝国としてのソ連体制は崩壊した。この時に中共も崩壊すべきはずが、鄧小平らの狡猾な外交にすっかり騙された。

 2,000年の米大統領選でブッシュ・ジュニア当選時、米国のエスタブリッシュメントはコンゲージメント(軍事面では封じ込め、経済的に寛容政策)を続ければやがてチャイナは変わるとの幻想を抱いていた。

 ところがトランプ政権はそうした考え方を改めた。米国の技術や資本を利用しチャイナが世界最大の帝国主義・軍国主義国家となり米国の覇権が奪われる、との認識から方向転換した。

 米中が協力して日本を締め上げるようなことになれば、日本はもたない。それどころか、あと10年もすれば経済力も米国を上回り、世界が中華覇権主義に呑み込まれることになったろう。その意味で米国は土壇場で覚醒してくれた。つまり、チャイナが世界のすべての民主国家にとり脅威であることに米国が気がついたということだ。

 

 だから日米同盟を強化して、中華帝国主義を打ち破ることは人類的な使命だ。

 そうしてこそ日本は真正な民主国家となれる。でないとアジアはまた暗黒の世界に沈むことになる。

 

中国共産党政権独裁体制を改め中国の民主化を願う人々が結集した集会

中国共産党政権独裁体制を改め中国の民主化を願う人々が結集した集会。       主催は中国の民主化運動を進めている『民主中国陣線』等、3団体。

 

 


中国経済の現状と民主化の行方 

 

エコノミスト

夏 業良氏

 

 

 過去20年の間に、中国は余分に利益を獲得し、米国製品に関税をかけ保護してきた。2001年、中国はWTO(世界貿易機関)加盟時に、関税引き下げを約束したが守らなかった。

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 中国の米国への年間の輸出額は約1500億ドルあまり。米国の中国への大幅六・四天安門事件30周年記念な関税引き上げを宣言した時、中国は報復政策に乗り出したが、その報復の効果は非常に限定的だった。

 米中貿易戦争の勝敗の行方を見た場合、米国が勝つ確率が極めて高い。中国が全面的な報復をすれば自分が破滅の道に向かうだろう。

 米中貿易の背景に、世界第2位の経済大国となった中国は、今最大の圧力に直面している。実際に、市場経済に逆行する習近平の政策で2011年以降、中国の経済は著しく停滞。

 また、労働力の減少も大きな原因だ。失業率の上昇と中国の失業保険、医療保険、年金などは、まともなレベルには達していない。

 

 最後に中国の政治的民主化の行方についてだ。

 中国の政権がもし経済と世界の圧力に耐えられなければ、かつて台湾で蒋経国が行ったように、メディアの多極化と共産党以外の複数政党制度を認める場合。シンガポールや90年代初期の台湾に似た制度だ。

 民主的社会を形成するためには、民主化を要求する抗議団体が自発的に生まれている。彼らが追い求める経済的・個人的な利益、憲法に定められた権利を要求する。そして共産党政権と対立する要求は打ち出さずに、ある程度自由な発言は保証される。もう一つ、思想的に踏み込んだ、新たな思想的改革が必要になる。政権幹部や軍に影響を与え、肝腎な時に彼らの支持をることだ。


天安門事件30周年 今なすべきこと

 

天安門民主大学学長

封 従徳

 

 私は10年前に回想録を書き上げた。

 1989年当時、何が足りなかったのか、そして今後の民主化運動として何ができるか。そのため「六四ファイル」というウェブサイトを立ち上げ、沢山の写真と文書を掲載した。弾圧前、少女が兵士の隣に座り、全く危険を感じていなかった。だがその直後、こうした軍人らが前に座っている非武装の市民・学生に対し、戦車など25万の兵力で襲いかかった。

 

 広場で殺された最も若い犠牲者はわずか9歳だった。当時、赤十字など病院統計で調べると、100あまりの病院に運ばれ亡くなったのは約3千人、負傷者そも数万人にと見られる。

 こうした状況は、当時の北京では至る所で見られた。100万人規模の抗議デモが何回も行われた。そうしていても何も問われなかったのだ。

 私の知る限り、歴史上「六四事件」のようなケースはなかった。私の参加した学生団体の資料が大量にあるが、今聞こえてくる六四虐殺事件に関しての報道は、中国共産党政権が意図的にメディアと世論を操作し、世界のメディアも無意識に影響を受けてしまっている。

 学生組織の最も理性的な声は六四事件後、封印・抑圧された。30年前、私は学生運動司令部の第2責任者だった。当時、ジャスミン革命の方法を想定していた。天安門広場には各大学が代表として旗を立て、各人が故郷に戻り、全国各地で一斉に抗議運動を行うという計画だ。中国共産党の軍隊は、北京に集められるが、全国一斉の抗議デモになると対応しきれなくなる。後の「ジャスミン革命」をもたらした民主運動も、似たような状況だった。我々の大きな過ちは、中共に対し我々の民主化への改革の要求を受け入れさせられるとの誤解を抱いていた。大学教授たちは誤解して、台湾の蒋経国のように、民主的改革が上からできると思い込んだ。

 

 中共は6月4日の大規模な虐殺の後、もう一つの戦争を起こした。私が「記憶の戦争」と呼んでいるものだ。

 その狙いは、自由世界にいる「反対派」に対し、「中共は徐々に改革を行う」という可能性を思い込ませたことだ。独裁体制に反対する勢力は、過激分子であって、穏健派ではないと。

 

 それは中共政権の国民への洗脳の結果でもある。中共政権に要求し民主化が実現できると思いこんだが、25万の軍人を動員し北京市を包囲した。当時、我々は国民の支持を取り付けようとし、100万人以上の規模で抗議デモが何度も繰り返された。だが、その当時、残念ながら我々は軍事クーデタを取り付けることまでは思い至らなかった。

最後までお読み頂きありがとうございました!

 


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