令和3年。今年は政治の年だ。今秋、衆議院議員の任期が満了となり、それまでに総選挙が行われる。
4月には前哨戦の衆参の補欠選挙、7月には首都決戦の東京都議選もある。新型コロナ禍と東京五輪の帰趨(きすう)も政治を揺るがす。バイデン米政権は果たして自由陣営の旗手たり得るのか。わが傍らには巨悪の共産中国と北朝鮮、ロシアが虎視眈々(こしたんたん)と日本をうかがう。
こんな情勢だから、かつての国家指導者の言を思い出す。
「戦争によって父母や子どもたちが味わった悲惨と不幸を思う時、戦争に勝者も敗者もない。だから戦争の悲劇を何としても避ける。それが私の義務だ」
戦後、日教組は「子供を戦場に送るな」と盛んに叫んだ。共産党を始めとする共産勢力は、古くは自衛隊創立、日米安保条約改定、近くは安倍前政権が取り組んだ安保関連法(集団的自衛権の部分的行使)や特定秘密保護法(国家機密の漏洩防止)、改正組織犯罪法(テロ準備罪)に反対した。
安保関連法を巡って野党は「あらゆる手段で阻止する」(岡田克也・民主党代表=当時)と気勢を上げ、朝日新聞は「戦争法」とのレッテルを貼り、「戦争させない」「子どもを殺させない」といったスローガンを掲げる反対デモをけしかけた。いずれも「戦争の悲劇を何としても避ける」を大義名分にした。
チェンバレンの「前轍」踏むな
さらには「戦争放棄」の現行憲法が平和を守ったとか戦争を防いだと主張した。だが、世界でそんな主張を認める識者は誰も居まい。
それは空想だからだ。
戦後日本の平和を守り、戦争を防いだのはまごうことなく自由陣営の軍事力であり、抑止力だ。日米安保条約を基軸にする日米同盟だ。それが現実だ。
今年1月、核兵器の開発、保有、使用を禁じる核兵器禁止条約が発効した。
これを受けて左翼野党勢力は「核禁止条約に日本も加われ」「世界唯一の被爆国である日本は核廃絶に背を向けるな」と叫んでいる。ここでも「核の悲劇を何としても避ける」が大義名分だ。
だが、それは空想だ。
核禁止条約が発効しても核廃絶は進まない。それが世界の現実だ。
条約に全核保有国が反対しているばかりか、中国やロシア、北朝鮮は核軍拡に血道をあげている。
だから現実には「核の悲劇」を防ぐのは核抑止力だ。綺麗ごとで平和は来ない。
ところが、野党はどうか。
最大野党の立憲民主党は1月下旬、昨年9月の結党後初となる定期党大会を開き、「政権の選択肢となって自公政権を倒し、立憲民主党を中心とする新しい政権をつくる決意だ」(枝野幸男代表)と息巻いた。
ならば、政権の選択肢とはいったい何なのか、その中身を枝野氏は提示しない。
そうであるなら、我々が彼に替わって明言しよう。それは現実か空想か、抑止か融和か、そのいずれかの選択である、と。
先に紹介した国家指導者の言とは誰のものかと言うと、1930年代の英首相チェンバレンだ。
彼は「戦争の悲劇を何としても避けたい」と考え、ナチス・ドイツのチョコスロバキア・スデーテン占領を容認するミュンヘン協定を結んだ。それ以上の領土拡大をしないとする条件を付けて譲歩したのだ。
だが、ヒトラーは逆にこれを英国が大陸に干渉しないメッセージと受け取り、大戦の火蓋を切った。
これが歴史に残る「チェンバレンの融和外交」だ。
抑止すべきときに融和し戦争を招いた。
国際政治学者のジョセフ・ナイ氏は第2次世界大戦を「抑止の失敗の産物」と指摘している(『国際紛争 理論と歴史』有斐閣)。
チェンバレンは融和で「平和への義務」を果たせなかったのだ。
現下の国際情勢をみれば、共産中国がナチス・ドイツ同様の、いやそれ以上のジェノサイド(大量殺害)をウイグル、チベットで進め、ゲシュタポに輪をかけた弾圧社会を作り、南シナ海に人工島を築いて軍事基地化し、国際海洋法を踏みにじって領有を唱えている。その毒牙を東シナ海、沖縄・尖閣諸島に向ける。
こんなときに「国際協調と専守防衛を貫く」(立憲民主党綱領)といったチェンバレン流の融和を信奉する容共政党に政権を委ねるわけにはいかない。
「寸土を失うものは、全土を失う」。
その意気をもって日本を守ろうとしない輩に政治リーダーの資格はない。
思想新聞【オピニオン・主張】政権選択は「抑止力」で問え(掲載のニュースは本紙にて)
2月15日号【中国】海洋秩序の破壊狙う「海警法」/ ウイグル女性への中国の性虐待暴く 英BBCによる被害女性の貴重な証言 /【主張】政権選択は「抑止力」で問え