少子化の加速に歯止めが掛からない。厚生労働省が今年6月に公表した2023年の出生率(合計特殊出生率=女性が生涯で生む子供数)は過去最低の1・20となり、出生数は過去最低の72万7千余人、婚姻数は戦後初めて50万組を下回り約47万組に落ち込んだ。子供が減っていく「衰える日本」はとうてい看過できない。
万葉時代のこの和歌を想起すべきである。「銀も 金も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも」(銀も金も真珠も、何になろうか。大切な宝と言ったら、子にまさるものなどありはしない=山上憶良、万葉集・巻5)。これが古来、日本人の感性であった。
江戸幕末期から明治初めに来日した外国人が驚いたことのひとつは日本が「子供の楽園」(英国の初代駐日総領事オールコックの言)であったことである。歴史家、渡辺京二氏の『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)によれば、幕末から明治初期の日本の街頭には子供たちが溢れていた。
英国の女性旅行家イザベラ・バードは駕籠や馬に乗って日本中を巡ったが、子供だけでなく親にも目を向け、日光では「これほど自分の子供たちをかわいがる人々を見たこともありません」と感嘆している(『日本紀行』講談社学術文庫)。しかも可愛がるのは自分の子供だけでなく、「他人の子供たちに対してもそれ相応にかわいがり、世話を焼きます」と述べている。
最大の「感動」は出産・育児と知れ
日本人の最大の感動は子供との生活にあったのである。今年3月に亡くなった鈴木健二氏(元NHKアナウンサー)は「人生に何も『感動』を持たない人は、生きる屍です。『感動』のみが、人を向上させます」の語録を遺しているが、子供が減っているということは、それだけ日本人の感動が減ってきたということに他ならない。ここが少子化問題の核心である。「家族」に対するインセンティブを高めねばならないのである。
ところが、戦後体制は家族に対するインセンティブをひたすら引き下げてきた。日本の弱体化を目指した連合国軍総司令部(GHQ)は、日本の家族制度は天皇が家長で国民が赤子の関係とし、それが軍国的国家体制を作り出してきたと決めつけて「イエ制度」を崩壊せしめようとした。それで「個人の尊重」をことさら唱え、家族を顧みない戦後憲法を押し付けたのである。
左翼勢力はGHQの尖兵たらんとし、たとえば仏教大学教授の若尾典子氏などは、明治近代国家は国家暴力(軍事力)と夫=父の家父長的暴力の2つの「暴力」で維持されていたとの珍論を展開し、我らの祖父や曾祖父をすべからく暴力主義者と断じ、ひたすら日本の家族を貶めようとしてきた(『国家がなぜ家族に干渉するのか 法案・政策の背後にあるもの』本田由紀・伊藤公雄編著=青弓社)。
こうした暴論を排除し、家族の価値を取り戻そうとする動きは1970年代後半に初めて起こった。非行や自殺、いじめなど荒れる子供が社会問題化し、家族崩壊の危機感が高まったときである。
時の宰相、大平正芳氏は自らの内閣の目玉政策として「家庭基盤の充実」策を打ち出し、自民党内に「家庭基盤の充実に関する特別委員会」を設置。1979年には「対策要綱」をまとめ「家庭時代の幕開け」を宣言。「家庭の日」の祝日化や、教育や青少年、税制、社会保障、住宅など多面的な「家庭基盤充実」策の実現を目指そうとした。その要綱の冒頭はこう語る。
「家庭は社会の基本単位であり、我々がよりよく生きるための生活共同体であり、人間の精神と身体、性格はここで培われ、人間の活動力と創造力はここで生まれる。すなわち家庭は、二十一世紀を担う子供が生まれ、育てられる厳粛な場であり、家族の今日の労苦はこれをもって癒され、明日の活動力はここから生まれる」
家庭こそ感動の源泉であると宣言したのである。これに対して左翼勢力から「私事の家庭に政府は介入するな」との罵声を浴びせられ、大平氏は病魔に倒れ結局、日の目を見なかった。80年代には朝野ともバブル経済に酔い、個人の欲望が重視され、バブル崩壊後も家庭は顧みられなかった。
国家的危機克服へ憲法に家族条項を
この後、もう一度、家族を顧みる機会があった。97年に神戸少年事件など少年凶悪事件が相次ぎ、親子の絆や家族のあり方が問われたときである。産経新聞は翌98年5月に「改憲に『家庭教育』を含めたい」との社説を掲げ、憲法に家族や家庭教育の条項が欠いていると論じた。
また読売新聞は2004年5月に「憲法改正2004年試案」を発表し、「家族は『社会の基礎』」とし、「少子高齢化社会の到来、『家族の崩壊』現象を始め社会のゆがみ」を正すために家族条項を憲法に設けるべきとした。
だが、それもつかの間、その後はジェンダーフリー、それに続くLGBT等々のエセ人権に屈し、誰も家族の価値を言わなくなり、超少子化社会に陥ったのである。我々は少子化を克服し国民の「感動」を再び呼び覚ますために「家族の価値」の復権を強く主張する。
【思想新聞 7月1日号】 岸田政権を振り返る 党や国より自己保身の政権だった/真・日本共産党実録/文化マルクス主義の群像/共産主義定点観測