大江益夫氏『懺悔録』、国際勝共連合にまつわる事実無根の記述について

8月20日に出版された樋田毅著『旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録』(光文社)に関して、当連合の声明(8月10日)、当連合代理人弁護士による通知書(8月15日)を公開してきた。

本書には当連合にまつわる事実無根の記述が多数散見されるため、以下に列挙し、事実を提示する(事実無根の箇所には下線)。

大江益夫氏は「国際勝共連合の渉外局長」ではない

まず、本書で大江氏は「国際勝共連合の渉外局長(の要職)」を務めたことになっている(本書pp.92、101、102、106、162、165、196)。

しかし、大江氏が1979年に当連合の渉外局長に就任した事実はなく当連合本部の役職に就いた事実はない。1979年当時の渉外局長は、故・久井俊一氏であり、その下の渉外部長は横田浩一氏(当連合の現在の会長補佐)であった。

また、大江氏によると、1979年当時の当連合の「事務総長」が宮下昭彦氏となっているが、この点も事実に反する。当時の当連合の機関紙「思想新聞」からも明らかなように、宮下氏が事務総長を務めたのは1981年10月からである。

さらに、当時の辞令は、当連合の会長からなされたものであった。よって、1979年に大江氏が、事務総長でもない宮下氏から「人事」を受けたとする証言は事実に反する。加えて、大江氏が当連合の「渉外局長」はおろか、当連合の役職に就いていなかったことは、当時の複数の責任者らの証言などからも明白である。

本書には、大江氏が当連合の「渉外局長」という「要職」に就いていたからこそ、知り得たかのような情報が様々書かれているが、このような大江氏による‟経歴詐称”を一つ取ってみても、大江氏の証言の信憑性、真実性が全くない

第6章「幻のクーデター計画」について

懺悔 その8

「国際勝共連合には、表向きの勝共運動とは別に、隠れた任務がありました。その隠れた任務を担っていたのは、私が仮に〝武闘派〟と呼んでいる人たちでした。彼らは銃を使った射撃・武闘訓練などに励む一方で、ソ連、中国、北朝鮮などの政府の関連機関に身分を隠して潜り込み、情報収集活動にも従事しました。(中略)ソ連などの侵略が始まった時に備え、強力な政府を樹立するためのクーデター計画の準備にも関わりました。三島由紀夫氏の『楯の会』と同様に、非合法的な危険な取り組みを続けてきたことは、やはり懺悔に値します」(p.92)

当連合には「表向きの勝共運動とは別に、隠れた任務」など存在しない

また、当連合の一員が「ソ連、中国、北朝鮮などの政府の関連機関に身分を隠して潜り込み、情報収集活動にも従事」したなどという事実もない。当時の大江氏が「クーデター計画」なるものの「準備にも関わ」ったというが、当連合がいかなる「非合法的な危険な取り組みを続けてきたこと」などない

自衛隊工作は、おおっぴらにはできないことなんです」(p.105)

私たちの自衛隊工作が自衛隊側の警戒心を強めた結果だと思います」(p.106)

当時、大江氏に限らず、当連合の一員が自衛隊員と接していたことはあろうが、当連合による「自衛隊工作」とする表現は全く事実に反する

「そうした(ソ連などの)侵略が現実化した時、自民党政府では頼りにならない。だから、一時的であっても、自衛隊と組んで臨時政権を樹立する必要があると考え、その方法を真剣に研究していたのです。そうした関係で、私たちは自衛隊の元幹部の選挙を応援したのです。源田実氏、さらに堀江正夫氏の選挙を応援しました」(p.102)

源田氏や堀江氏の選挙を応援したのは事実だが、それは「自衛隊と組んで臨時政権を樹立する必要があると考え」たからではなく、大江氏の単なる思い込みに過ぎない

「私が1979年に国際勝共連盟(原文ママ)の渉外局長に任じられた後の初仕事は、参議院選全国区に立候補した堀江氏の選挙応援でした。私たちは三つの遊説隊をつくり、私は第一遊説隊の隊長を務めました」(p.102)

堀江氏の参議院議員選挙全国区比例は1977年である。1977年当時、大江氏は確かに「遊説隊の隊長」を務めているが、それは勝共連合の「渉外局長に任じられた後の初仕事」ではなかった(もちろん、渉外局長に「任じられた」事実もない)。

 

――改めて聞くが、国際勝共連合には幻のクーデター計画があったと考えていいのか?

その答えはイエスです。ただし、それほど具体化したものではありませんでした」(p.111)

当連合に「クーデター計画」など存在しない。当時の(「渉外局長」でもない)大江氏が勝手に「考えてい」たことまでは否定しないが、当連合として「クーデター」を「計画」したことなどない

非合法な「クーデター」を「計画」していたとの記述は、刑法の内乱予備罪・内乱陰謀罪(刑法78条)を犯したとの事実の摘示(ないし意見・論評)に当たる。こうした記述は、当連合に対する名誉棄損になるため、決して看過できない。

「スパイ防止法制定促進国民会議」について

「スパイ防止法制定促進国民会議の幹部会で、首都圏防衛、皇居防衛のための計画を練っていました」(p.107)

上記が当時の「スパイ防止法制定促進国民会議」の「役員会」の一覧表である。このような有識者の「役員会」で、「首都圏防衛、皇居防衛のための計画」を練るなどということはあり得ず、この主張も大江氏の単なる妄想に過ぎない。

また、「スパイ防止法は国会でどうなったか?」との問いに対する説明の中で(pp108~109)、大江氏は、1982年にはスパイ防止法制定促進国民会議の総務部長を退職していることから、年代を間違って語っている1985年当時の事実関係を知らずに、1986年のことを述べている)。

「スパイ防止法案が潰れ、自民党は頼りにならないことがわかった。あとは頼りになるのは、自衛隊しかない。私たちは、こう考えて、自衛隊の現職の幹部や、自衛隊出身の議員への働きかけをさらに強めていきました」(p.109)

このような事実は全くない。大江氏は、1982年4月からは国際ハイウェイ建設事業団で活動するようになったことから、スパイ防止法制定運動にも国際勝共連合の活動にも全く関わっていない。その後、大江氏が勝共連合の活動に関わったのは、2000年以降、実家のある京都に戻ってからである。

第8章「旧統一教会広報部長の時代」

「国際勝共連合には諜報部隊もあって、危険な諜報活動に従事していました」(p.140)

当連合に「諜報部隊」など存在しないし、当連合の一員が「危険な諜報活動に従事してい」たなどという事実はない

第10章「赤報隊事件」について

「私の推測では、そうした(射撃や自衛隊での入隊訓練を積んでいた)武闘派、あるいは武闘派的な人間は四〇〇人ほどいたと思います。(中略)統一教会や国際勝共連合が組織的に事件を起こしたとは思わないが、組織の末端のグループが暴発した可能性があると考えているのです。樋田さんが書かれた『記者襲撃』で、私の盟友だった河西徹夫さんが朝日新聞の取材に対して『国際勝共連合あるいは統一教会が組織として関わっていたという事実はない。当時、国際勝共連合の中枢にいた人間として断言できる。ただし、末端の信者が暴発した可能性までは分からない』と発言していますが、私も彼と同じ意見です」(pp.162~163)

当時、当連合に「散弾銃などの射撃訓練」や「自衛隊での入隊訓練も受けていた」「人間は四〇〇ほどいた」などというのは、大江氏の単なる妄想であり、事実無根である。

また、大江氏が「赤報隊事件」について、「末端の信者が暴発した可能性までは分からない」と考えるのは自由だが、大江氏の勝手な思い込みに過ぎないその後の警察の捜査などからも、当連合が赤報隊事件に関与していなかったことは明らかである。

そもそも、家庭連合の教理研究院による反論文「虚偽に満ちた〝妄想の懺悔録〟」でも指摘されているが、「大江氏本人の本音では〝野村秋介氏やその子分が『赤報隊事件』の真犯人だと思う〟と語っていたとの証言」があるという。

加えて、河西徹夫氏がかつて、樋田氏の著書『記者襲撃』の中で、「組織の末端の信者が暴発した可能性までは否定しない」と発言したことになっている。今回、河西氏に確認したところ、当時も「このように話した覚えがない。フェイクだ」と激しく否定した。この発言は樋田氏が創作したのではないか(第1章のp.21にも同様の記述)。

武闘派のメンバーたちの一部は、ソ連や中国、北朝鮮などの政府の関連団体などに出入りして極秘情報を取る諜報活動も担っていました。(中略)こうした活動をしている人間の存在について、私は多少知っていました。それは、私が国際勝共連合の渉外局長として、自衛隊幹部との付き合いに加え、裏部隊の動きに関わる機会があったからです」(p.165)

第8章でも指摘したように、当連合の一員が「諜報活動」を担っていたという事実はない。また「裏部隊」などと呼ばれるものも存在していない。大江氏は「国際勝共連合の渉外局長」ではなく、そんな大江氏が「多少知ってい」たという話自体、事実無根である

 

以上、当連合にまつわる事実無根の記述を列挙し、事実を提示した。

当連合が創設された1968年から今日に至るまで、当連合内に「諜報部隊」(第8章)や「裏部隊」(第10章)、「秘密軍事部隊」なる組織や、それに類するような組織が存在した事実はないことをハッキリと申し上げる。

 

【参照記事】

大江益夫氏『懺悔録』に対する国際勝共連合代理人弁護士からの通知書を公開(2024年8月15日)

大江益夫氏『懺悔録』に関する国際勝共連合の声明(2024年8月10日)

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で