世界思想5月号を刊行しました。今号の特集は「3・11から10年 憲法改正で緊急事態に備えよ」です。
ここでは特集記事の一部 【「緊急事態条項」明記は世界の常識 】 についてご紹介します。
世界中の憲法に「緊急事態条項」が明記されているのに
未曽有の被害を生んだ東日本大震災から10年が経つが、日本国憲法は依然として何も変わっていない。
改憲の議論すら進んでいない。
震災では多数の犠牲者が生じたが、その一因は間違いなく緊急事態条項を欠く憲法にある。
世界のほぼすべての憲法に緊急事態条項がある。
左派系イデオロギーが支配する法学会では、同条項は「内閣独裁権条項」(木村草太・首都大学東京教授=憲法学)などと厳しい批判にさらされる。しかし、仮にそうなら日本以外の世界中の国が独裁国家になってしまう。日本の法学者らはそれほどまでに現在の世界を悲観しているのだろうか。
その一方で、彼らは時に、世界の法制度を日本より優れているものとして引用する。こうした不都合な矛盾を黙殺する彼らの主張はおよそ学術的でない。国家権力を敵視する左派系イデオロギーを展開しているだけだ。
緊急事態条項とは、戦争や災害などの国家的緊急事態に際して、政府が平常の統治秩序では対応できないと判断した場合に、緊急事態宣言を発令して憲法秩序を一時停止し、非常措置をとる規定である。
新型コロナウイルスのパンデミックでは、多くの国が外出禁止令を発令した。しかし命令は移動の自由、経済活動の自由など、憲法上保障される多くの重要な権利を制約するため、通常の憲法秩序では発出できない。
緊急事態条項は必要だ。たとえばパトカーや救急車などの緊急車両は、緊急時に道路交通法を一部守らなくてもよい。国民の生命や身体を守るために、通常の法秩序を超える権限を与えられているからである。
緊急事態条項もこれと同様で、通常の憲法秩序では国民の生命・身体・財産を守れない状況になったときに、国民を守るための権限をあらかじめ規定しておく。いわゆる「想定外」の事態に法的枠組みをもって対応するための規定なのである。
有事を想定して備えることが国家の責任
実はこの議論は憲法9条の議論と酷似している。すなわち国民の生命等が危ぶまれる事態を具体的に想定するのか、それとも「そんな事態は起こらない」と言い張るかの違いが、議論の大前提にあるのである。
奇しくも東日本大震災では、福島原発による被害拡大の背景に安全神話があった。想定外の事態に遭遇し、現場には非常灯すらなく暗闇の中で作業が続いた。それと同様の誤りを憲法学者らは犯しているのかもしれない。
新型コロナウイルスは世界の常識すら変えている。
今こそ緊急事態条項の創設について、国を挙げて真剣に議論すべき時であろう。
Leaflet – 日本の憲法を考える。