信教の自由 国際基準から乖離した日本

「世界思想」9月号の特集「信教の自由 国際基準から乖離した日本」から総論部分をお届けします。

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 1980年代、夫妻で伊勢神宮を訪れたユダヤ人神学者のリチャード・L・ルーベンシュタインは、その静謐な空気にうたれ、「自然の中に神がいる。ユダヤ教と同じものを感じる」と述べたという。一神教、多神教を問わず、神聖なものへの畏敬の念は人類共通の感覚だ。災害や戦争などに直面して、愛する者たちの無事を願い、切実に祈る心も変わらない。「人間らしさ」の中核には「宗教性」がある

 サミュエル・ハンチントンが『文明の衝突』(1996年)で論じた7~8の現存する文明は、それぞれキリスト教、仏教、ヒンドゥー教、イスラムなどの宗教を基礎として発展してきた。倫理道徳、芸術、食習慣、政治、経済のあり方に至るまで人間生活のあらゆる側面に宗教の影響は及んでいる。

 しかし、現代文明の先頭を走る西側先進国においては、「反宗教」ともいうべき空気が充満しつつある。わが国も同様で、特に安倍晋三元首相の事件後、宗教に注目が集まったが、それはもっぱら否定的な意味である。

 近年、日本では、宗教は貴重な社会資本というよりも、社会問題を生みだす病理現象のように扱われることが一般的になってしまった。ドラマや映画で登場する宗教は、「怪しげな占い師」や「テロを起こす秘密組織」などのステレオタイプで描かれる。

宗教の社会的価値

 宗教はあらゆる社会現象と同じく、正負の両側面を持つ。宗教者が絡む社会問題は印象に残りやすいが、実際には宗教が社会にもたらす肯定的な影響の方がはるかに大きい

 東日本大震災では、宗教団体や、関連するNGO、NPOなどが活躍した。多額の寄付や物資の支援、被災地での奉仕活動に加えて、被災者の心の傷に寄り添う活動も展開された。現在まで10年以上、支援を継続している団体もある。こうした長期的な奉仕活動は宗教ならではの強みだろう。

東日本大震災の被災地で活動するボランティアの若者たち

 国際的にも「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」としての宗教の意義は高く評価されており、国連も宗教および宗教を基盤とする組織(FaithBased Organization =FBO)との連携を重視している。洋の東西を問わず、学校や病院建設、貧困者等の弱者支援で宗教が果たす役割は非常に大きい

 実際に宗教は利他的な活動を促進する。米ピュー研究所の調査(2014年)で過去1週間にボランティアに参加した割合を調べたところ、宗教的な人が45%に達する一方、そうでない人は27%で、大きな差がついた。別の調査(17年)では、米国でホームレスに提供された寝床のうち、58%が宗教関連団体によるものだった。

 さらに宗教、特に宗教団体の役割として見逃せないのがコミュニティ形成機能である。わが国では地域共同体の中心に寺社があり、季節ごとの祭りがその求心力を高めてきた。都会への人口移動で、檀家や氏子の減少など地方の空洞化が進む一方、都市部での受け皿となってきたのが新宗教だ。

 これには「孤独な若者がターゲットにされた」という悪意に満ちた見方もあるが、むしろ若者の孤立を防いだという肯定的な評価もある

 宗教は単に信者同士の関係を深めるだけでなく、親族や隣人との交流も促進する。先に挙げたピューの調査では、少なくとも月に1、2度、核家族以外の親族と交流する割合が、宗教的な人は47%で、それ以外が30%だった。

 宗教に所属しない割合が急増する先進国では、「孤独」が社会問題化している。日本でも「誰とも交流しない」割合が男性で2割近く(17%)に達し、OECD(経済協力開発機構)諸国で1位となっている。孤立化が進む背景には、宗教の衰退も少なからず影響しているだろう

 また、児童虐待や「子供の貧困」も深刻化しているが、宗教コミュニティには、同世代や異なる世代との交流を促進する機能があり、子育て家庭をサポートする役割を担っていることも多い。「宗教二世問題」として、宗教が児童虐待を促進するかのようなイメージが流布されているが、あまりにも一面的な見方である。

 宗教は社会問題の病巣ではなく、解決策となり得る存在だ。行政はむしろ、社会問題解決のパートナーとして宗教の積極的貢献を促進すべきである。

「内心」の尊重こそが民主主義の基礎

 さらに言えば、「宗教」への敵対的態度は民主主義の基盤を破壊する。

 そもそも自由世界をけん引してきた英米型の民主主義を築き上げた主役は、「清教徒」など、当時の新興宗教勢力だった。A・D・リンゼイ卿が著した政治学の古典『民主主義の本質』では、民主主義的な議会政治の原型は再洗礼派、独立派、クェーカーなどの「宗教的集い」にあったとされる。

 同書によれば、議会制民主主義の要諦は「多数決」や「同意」ではなく、多様な人々が討論することでより良い決定が成されるという感覚、「集いの意識(Sense of Meeting)」を持つことだ。そこに必要不可欠なのが「神はその共同社会のいかなる人間を通じても語る」という信念である。

 万民が神の似姿であり、神性を分かち合っている。だからこそ、お互いの声に耳を傾け合わなければならない…、その宗教的確信から出てくるのが互いの「内心」を尊重する態度だ。

 「信教の自由」が「第1の自由」と呼ばれてきた理由がそこにある。そこから思想信条、表現、言論、集会・結社の自由が派生し、民主政治のダイナミズムが生まれてきた

 一方で、自由を弾圧する共産主義体制の源流には「反宗教」の啓蒙思想がある。啓蒙は「無知蒙昧な大衆を理性の光で照らす」という意味であり、「内心」の尊重とは対極の「独善性」と「差別意識」が潜む。それを端的に表した言葉が、マルクスの「宗教はアヘン」だ。宗教信者を麻薬中毒者と見なす態度は、反対者を粛清する共産党一党独裁体制を生み出した。

宗教否定は文明の自殺行為

 現在の日本では、新宗教の信者を「マインドコントロール」され、自律的な判断ができない人々と見なす態度が蔓延している。信者の内心を侮蔑し、社会活動から排除する人権侵害が横行する状況は、もはや民主主義国家ではない。東京地検元検事の高井康行氏は、法的根拠なき家庭連合排除の動きに「日本はいつの間に全体主義国家になったんだ」と吐き捨てた(BSフジ『プライムニュース』)。

 この動きが旧社会党・共産党系弁護士によって創設された「全国霊感商法対策弁護士連絡会(霊感弁連)」に主導されているのは象徴的である。「宗教心」という人の内心を冷笑する風潮を放置するなら、早晩、日本の民主主義は破壊されてしまうだろう

 左派勢力が、宗教に対する敵対的な風潮を煽っているのは欧米も同様だ。欧米社会を席捲するキャンセル・カルチャーは、キリスト教的価値観を根こそぎ破壊しようとしている。その結果、深刻な社会の分断が生じているが、問題はそれだけではない。社会の精神的基盤となってきた宗教の破壊は、文明そのものの破壊につながる。

 個人の尊重と公共の福祉を両立させるうえで、歴史上、最も成功した体制の1つが、英米型の自由民主主義であったことは間違いない。そして、その体制を支えてきたのが、道徳的な個人の育成と、利他的コミュニティの形成に貢献してきた宗教である。

 英米型の「友好的政教分離」は、宗教の負の側面である「独善性・排他性」を警戒しつつ、「信教の自由」を保障して、その肯定的な側面を最大限に尊重し、活用してきた。

 信教の自由を否定し、宗教を破壊する動きを食い止めることは、民主主義国家の興亡を決する最大課題なのである。

◆2023年9月号の世界思想 信教の自由 国際基準から乖離した日本
Part 1先進国と新興国のギャップ 中露の侵略を防げ
Part 2 日本的宗教の特質とは何か
Part 3 国際的な人権規範からみた日本の現状
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