「世界思想」12月号の特集「国家と宗教の関係を問う〜有識者シンポジウムから」の一部をお届けします。
「国家と宗教―その関係を問う」をテーマとするシンポジウム(主催:一般社団法人富山県平和大使協議会、後援:UPF-Japan)が10月11日、富山市内の会場で開催された。司会はノンフィクションライターの窪田順生氏。パネリストの德永信一弁護士と仲正昌樹金沢大学教授が、世界平和統一家庭連合(家庭連合=旧統一教会)に対する解散請求、信教の自由、政教分離などについて熱く語った。要約を紹介する。
解散命令請求急ぐ政府・野党・メディア全てで当事者排除の異常
窪田 私がなぜこの問題に関わるようになったかと言うと、報道が偏っていると感じたからです。私は若いころからテレビ、新聞、週刊誌で記事を書いてきましたが、その中で報道が偏るという現場をたくさん見てきました。いまジャニーズ問題が盛り上がっていますが、私は週刊誌記者のときはジャニーズ事務所から嫌がらせを受けたこともありますし、露骨に差別されたNG記者でした。いまは教団の取材をしていますが、現役信者から話を聞いていると言うと、メディアの友達からは「そんなこと取材しなくても分かるだろう。鈴木エイトさんが言ってるだろう」と言われます。でもその内容は実は元信者や家族の証言だったりするのです。その記者本人には悪気はないんでしょうが、このように情報が偏っているのです。いまマスコミは明後日にも解散命令請求が出ると言っています(※10月13日、文部科学省が解散命令を東京地方裁判所に請求)が、この状況をどう考えているのかをお2人に伺いたいと思います。
德永 政府が解散命令請求をするということは、警察や検察が逮捕し、起訴することと同じです。検察が起訴したら、日本では99・9%有罪です。社会の人々は、ごく一部の例外があることは分かっていつつも、検察が起訴したのであれば多分事実なのだろうという推定を持って動くのです。地方公共団体はそのような蓋然性に基づいて犯罪者扱いしてくるでしょう。
仲正 私が関心があるのは、質問権行使の過程において、永岡前文科大臣が、私たちは被害者ですと言っている元二世の人たちから話を聞いたということです。それでは現役の二世信者から話を聞いたのかといえば、その痕跡はゼロです。この問題に多くの法律家が、特に反対派の側で関わっているはずですが、現役で信じている人の話をなぜ聞かないのかという問題提起を誰もしないのはおかしいと思います。
対比のために1つ例を挙げれば、2002年にボストンのカトリック教会で司祭が少年にいたずらしたことが報道されました。こうしたことは、カトリックのいたるところで起こっているとされます。しかしあのとき、カトリックをつぶせという声は上がりませんでした。統一教会とジャニーズ事務所双方を糾弾している人たちに、あなたたちの基準だったらカトリックをつぶさないといけないと思いますかと聞くと、「そんなバカなことはない」と答えるでしょう。なぜかと言えば、カトリック教会は2000年の歴史がある世界最大の教団なので、一部に不埒な聖職者がいたとしても、真面目に信仰しているたくさんの信者がいるので、教団を存続させる価値があるし、可能だと、自然と判断するからです。
統一教会には霊感商法や高額献金などの看過できない問題があると言われているけれども、日本だけで数万人規模の信者がいます。いろんな立場の人がいます。過去に起こった霊感商法や高額献金の問題が集中していた時代にまだ教会にいなかった人、まだ生まれていなくて、現在信仰を持っている人もいるわけです。そういう人たちのことを考えていないのかということです。
私は文化庁に対して、統一教会の実態について本格的な社会学的調査をやれとまでは言いません。しかし、組織性・継続性があるという場合、どれくらいの期間、教団全体のどのくらいの人たちが問題となっている行為に関わっていたのかを調べないといけないと思います。法の下の平等とか、適正手続きという観点からしても、不利益手続きをやるときには、ちゃんと当事者から話を聞かなければならないのに、その手続きを誠実に履行していません。その点で決定的に間違っていると思います。
これから、若い信者さんは就職とか、大学院を目指したりするのが難しくなると思います。そういうことを役人は考えていないのかと問いたいです。解散させるにしてもちゃんと調べて、これだけのことがあったから、君たちがまじめに信仰生活を送りたいだけだと分かっているが、仕方なく解散させるのだと、データに基づいて納得させる根拠をちゃんと示さないといけません。窪田 なぜこのタイミングで解散請求なのかについてはどうでしょうか。
德永 これほど急いでいるのはなぜなのかを考えると、私はその動機は政府というよりは、朝日や毎日やその他のマスコミに、さらに立憲民主党や共産党にもあると思います。どういうことかというと、後藤徹さんの事件が最近初めてテレビに出ました。後藤さんは12年5カ月にわたって長期間監禁され、いわゆる脱会屋による強制改宗を受けていた人です。そして拉致監禁した人々を訴えて、裁判で拉致監禁の事実を認めさせ、脱会屋の宮村峻氏や反対牧師、関与した家族から2200万円の損害賠償を勝ち取ったのです。これはとんでもない人権侵害であり、そして最高裁判決がすでに出ているにもかかわらず、ほとんど触れられずに闇に葬られた人権侵害です。このことを黙殺してきた責任をこれから負うかもしれないと怯えている人たちがいるのです。
1つはマスコミです。ジャニーズ問題の核心は、確かにジャニーズ事務所の子供たちは酷い被害を受けたと思いますが、それに対するマスコミの対応が問われているのです。ジャニー氏の性加害が事実だったことは、2004年の最高裁判決で確定しています。これまでジャニーズ事務所が我が世の春を謳歌していた間、被害者の声がメディアで報道されず、抑え込まれていたということこそが、本当の人権侵害の闇なのです。
それと同じ構造が拉致監禁問題にもあります。被害者の人数は推定で4300人。これだけの人を拉致監禁して、自ら選択した信仰を暴力的な手段で棄てさせるということがこの日本で起こり、最高裁の判決が出たにもかかわらず、それを一切報道しなかった。しかも、それに関わった主犯格である宮村という脱会屋を、立憲民主党は党の勉強会で講師として招いて講義を受けているわけです。
この問題がこれから明るみになって社会的に認知された日に、立憲民主党は真っ先に追及されます。この問題を葬った責任がこれから問われる。それを潰すにはどうするか。統一教会の解散命令請求を一刻も早く出して、「反社会的団体」だということにしてしまわなければまずいと考える人たちもいるという話です。
劣化する左翼とメディア
德永 私は裁判を担当することで「国家と宗教」という問題に関わることになりました。その裁判は、富山市、富田林市、大阪市、大阪府、北九州市などの地方議会で、家庭連合と関係を断つ決議がなされたことが問題となっています。公の機関である地方公共団体が、私的な宗教団体に対してそのような扱いをするというのは、「村八分」です。それが、宗教に対する差別でなくてなんなのだというのが、私の素朴な感想です。
もう1つ担当している裁判に、世界平和女性連合(女性連合)を原告としたものがあります。私が女性連合の方々とお付き合いを始めて分かったことは、信仰の力というのはすごいなということでした。彼女たちがやっているボランティア活動は、世界の果てまで出かけて行って、女性の活躍の基盤を作ったり、国づくりのお手伝いまでしているのです。普通の女性が、まったく言語もできない状態で地の果てまで飛び込んでいって、そこであげている成果を直に聞いていると、これが宗教の力なのかと思って感心したわけです。
そういう女性連合に対しても、家庭連合と同様に「反社会的団体」というレッテルが貼られています。「ボランティア活動を仮装」して信者を獲得するための「隠れ蓑みの」だという声明文を記者会見で公表したのが、全国弁連の弁護士たちです。このような事実と異なる悪質な誹謗中傷は放っておけません。
仲正 いま起きている大騒ぎの原因は、実際の統一教会の百倍くらいの大陰謀集団として描かれていることにあると思っています。メディアも世間の人と同じように誇張したイメージで見ているわけですが、いまのマスコミ人は昔に比べると現実との接点が薄くなっていると思います。ネットで情報収集しているからです。率直に言って、統一教会の現役信者は、知らない人にとって、「危ない」、「接触するのは怖い」存在でしょう。しかし、昔のメディアの人はまず会いに行って、どういう人間かを確かめるのが、
モラルというより、習性になっていました。
これは左翼に関しても同じです。昔の左翼はもっとちゃんと戦っていました。私が東大の原理研究会(CARP)にいた頃は、民青とか反原理共闘の学生たちと実際に面と向かって遣り合っていました。いまよりリアルに接点があったんです。敵だと思っていても、人間同士が面と向かってしょっちゅう論争したり小競り合いしていれば、だんだんと相手の人間性が分かって来るんです。私がCARPにいたころ、記憶では反原理共闘のメンバーが原理講義を聞きにこちらに訪ねて来たことが2回くらいありました。昔の左翼には、それぐらい敵のことを知らないといけないという身体感覚があったんです。それが今は失われていて、メディアで統一教会を批判している人たちは、恐れて中に入って行こうとしない。メディアは左傾化していると言われますが、実は左翼としての信念がないんだと思います。
德永 僕が許せないのは、全国弁連の弁護士たちがヨーロッパの宗教状況に関してテレビで嘘を拡散していることです。彼らはフランスの反カルト法を日本のモデルにすべきだと言っていますが、フランスの反カルト法は結局機能せず、ターゲットにしていたエホバの証人を叩くことはできなかった。エホバの証人はドイツやフランスで裁判に勝ち続けています。ドイツは宗教公認制をとり、公認宗教には様々な保護があります。エホバの証人は公認宗教の申請をし、いまはすべての州で公法上の法的地位を勝ち取っています。紀藤弁護士は日本は遅れているというのですが、フランスの反カルト法の流れは20年前の話であり、魔女狩りだという批判を受け、既に頓挫しています。むしろ現在のヨーロッパは多宗教が共存し、多様性の尊重という掛け声の中で、異端に優しい社会を目指しているようです。欧州が移民を受け入れた結果、イスラム教が進展してきたことと無関係ではありません。もっとも宗教的偏見がなくなったわけではなく、反カルト法は宗教的不寛容と排外主義の象徴となっています。
仲正 私が1番許せないのはマインド・コントロール(MC)論です。法学部的に言うと、MC状態というのは、その人物に責任能力、行為能力がないと認定することです。ジャーナリストもお役人も、この人たちは責任能力がなく、MCで同じことを言うように仕込まれているだけなので、個別に話を聞く必要はないと思っているんでしょうが、その論理でいくと、統一教会の人が裁判などや公の討論などでどんな証言をしても、「それはMCで言わされていますね」と却下されることになります。MC論は言論弾圧の手段として最適です。そんなことが当たり前になって一番困るのは誰でしょうか。いま統一教会を批判している左翼の人たちこそ一番困るのではないか。統一教会を潰せば、彼らの身にいつかは降りかかってくると私は思います。
◆2023年12月号の世界思想 特集・国家と宗教の関係を問う〜有識者シンポジウムから
基調講演1 混乱する政教分離の議論 欠落する「公共」「民主主義」の社会的コンセンサス
基調講演2 政教分離は信教の自由を守るための制度的保障