勝共連合、共産党の「最終決戦」へ(1)

 日本共産党の志位和夫委員長は10月27日、次のようにツイートした。「田原さん『共産党からすれば統一教会と最終戦争だ』。志位『長い闘いだった。彼らが反共の先兵として最初に牙をむいたのは1978年の京都府知事選だった。2000年の衆院選では膨大な規模の反共・謀略ビラがまかれた。今度は決着をつけるまでとことんやりますよ」。これは明らかな「宣戦布告」といわねばならない。共産党の「意趣返し」の策動にこれ以上振り回されてはならない。

 志位氏のツイートは「サンデー毎日」(11月6日号)に掲載された田原総一朗氏との対談内容を要約したものだ。実際は以下の通りだ。
「自民党は統一教会を反共、反動の先兵として利用し、統一教会は、自民党を自らを庇護する広告塔として利用し、日本から金を巻き上げる反社会的活動をやってきた。両者の持ちつ持たれつが問題の本質だ。
 長い闘いだった。振り返れば、彼らが反共の先兵として最初に牙をむいたのは、革新府政を7期28年務めた蜷川虎三京都府知事の後任を選ぶ1978年の知事選だった。保守VS革新の大激戦になり、この時に前面に立って謀略的な反共攻撃をしたのが勝共連合だった。(革新側敗北)
 最近でいうと2000年の衆院選だ。1998年参院選で共産党が大躍進、820万票とった。この勢いをおさえようと、衆院選では選挙戦に入って膨大な規模の反共・謀略ビラがまかれた。出所不明だったが、改めて勝共連合の年譜を見たら『共産党攻撃の大量宣伝をやった』と書いてある。今度は決着をつけるまでとことんやりますよ」

「馬脚」現した志位ツイート

 志位氏は宗教法人「統一教会」(現世界平和統一家庭連合)と政治団体「国際勝共連合」を意図的に区別しない。勝共連合は旧統一教会のダミー団体との印象操作をするための謀略的言い回しだ。自民党との関係は相互に利用しあう持ちつ持たれつの関係というが、本質は共産革命から日本を守るということに尽きる。救国救世の同志関係なのだ。

 「2000年の謀略ビラ」についてずいぶん怨みを持っているようだが、勝共連合は「出所不明」のビラなど撒いていない。思想新聞の号外で啓蒙を行っている。要するに他団体のビラが圧倒的に多かったということだ。

 志位氏は、「今度は決着つけるまでとことんやりますよ」と明言した。「馬脚」を現したといわねばならない。安倍晋三元首相が凶弾に倒れるという戦後最大の政治テロが起こった。山上徹也容疑者の逮捕直後の供述で旧統一教会への怨みが語られた。怨みを持たれるその宗教団体とはいかなる団体なのか。全国民、否、全世界の注目が集まる中で旧統一教会批判が展開されていった。

 30年、40年前の出来事や「霊感商法」問題など、今は行われていない事案を連日報道し、「反社会的団体」との言葉も飛び交った。もちろん、「社会的問題があると指摘されている」(岸田文雄首相)ことの実態が明らかであり、現実に団体本体に関わる刑事事件などがあるとすれば批判され、公的機関による対応がなされるのは当然である。しかしあるのは「反対派」による一方的、それも過去のおどろおどろしい印象操作された事例による攻撃である。

 そのようなメディアに押されて自由民主党は「関係を断つ」と明言するに至り、その措置は弊連合をはじめとする他の関連団体にまで及んだのである。

 「思想・信条の自由」に対する重大な侵犯行為と指摘する声もある中で、政府機関が調査・検討会を立ち上げ、ついには臨時国会での首相所信表明演説にまで「旧統一教会」との固有名詞が登場したのである。

 これら異常事態の背景の一つは、日本共産党の「最終戦争」があったのだ。「この機に乗じて」宗教法人格剥奪・解散へ持ち込もうとしている。それが「とことんやりますよ」ということなのだ。

 勝共連合は共産党の宣戦布告を「歓迎」する。この異常事態の背景に共産党の勝共連合に対する「意趣返し」があったことを自ら証明したのだから。共産革命から日本を守ろうとするすべての人々と連帯して、一歩一歩前進し戦い抜くのみである。

勝共運動には三段階のプロセス

  日本共産党は「勝共」は、反共ではない「滅共」であると「しんぶん赤旗」で定義している。理解が浅い。勝共の意味を説明する。これまで、勝共運動にも三段階のプロセスがあると繰り返し訴えてきた。

 「勝共運動の三段階論」は1989年11月に「ベルリンの壁」が崩壊した際、今後の共産主義に対応する為に、当時の韓国・国際勝共連合理事長、李相憲氏が文鮮明総裁の指導のもとにまとめたものだ。

 ①第一段階は「防衛」だ。勝共運動の第一段階は、共産主義が攻勢期にあるとき我々はその脅威から自由世界とその国々、そして地域、人々を守らなければならない。この段階で安全保障が重要な課題となり、勝共思想の啓蒙と国際的連帯をもって共産主義勢力に対峙してきた。そしてついに「冷戦の終焉」、1991年12月のソ連共産党解体とソ連邦崩壊、東側陣営の解体を実現したのである。

 ②第二段階は「解放」だ。「共産主義」からの解放である。ここからが真の勝共運動といっても過言ではない。共産主義勢力が後退しつつあるとき、我々の方から積極的に働きかけるのだ。それが「解放」の意味である。

 90年代の初め以降、大勢として第二段階に入ったといえよう。ゆえに文鮮明総裁は「世界平和連合」を創設され91年11月、同連合総裁として北朝鮮・平壌を訪問し金日成主席と会談し「非核化」「離散家族の再会」「平和事業協力」などを柱とする合意文書をまとめられたのである。対峙しているばかりでは「解放」できない。民間交流や経済援助などに関わり、それを通じて価値観の転換に導くのである。情勢は生き物であり常に変化する。当時は北朝鮮の非核化から南北統一に向かいうるチャンスでもあったのだ。

 ③第三段階は「統一」。解放を進めていき共に生きていく価値観を共有することができれば、共同体の創設が可能になる。これは朝鮮半島においては南北統一であり、中国においては中国共産党独裁体制からの転換であり、それを通じての真のアジア共同体の道が開けることになる。そして、人類一家族世界を創建するのだ。

 勝共とは共産主義に勝つこと、共産主義に勝ることを意味する。それは搾取や抑圧、差別のない自由で平等な共同体、マルクス・レーニン主義では実現不可能なその共同体を実現して見せることが「勝共」なのである。

 国際勝共連合は勝共理論を思想的基礎とする同志が結集した独立した政治団体である。日本の自由と安全を脅かす国際共産主義勢力に断固として対決し、これを克服するために果敢に戦う組織である。それは「反共」にとどまるものではなく、それよりももっと積極的な「勝共」運動である。

 勝共連合の目標は①人類に災厄をもたらす共産主義と対決し、勝共思想によってこれを超克するために戦う②勝共思想により国民を啓蒙し、国民と共に共産革命から祖国日本を守る③日本の優れた伝統精神の継承と自由民主主義の健全な発展を希求且つ擁護し、もって物心共に豊かな自由日本の繁栄に寄与する④わが国のみならず自由主義諸国民との連帯を維持、強化に努め、国際共産主義勢力の拡大を防ぐ⑤愛と和と信義に基づく平和で自由な世界実現をめざし、そのために貢献する―ことなのである。

 勝共連合は発足以来、共産主義勢力68~69年にかけ共産党の教科書である『共産主義読本』を痛烈に批判した。共産党は「狂信とデマの勝共連合」と中傷したものの、『読本』批判には応えられず、同書は遂に絶版においこまれた。

 1971年12月14日に開催された勝共中央大会において日本共産党、日本社会党、朝鮮総連、日中日朝議員連盟に対する「公開理論戦」開始を宣言し、さらに翌年4月、「世界勝共大会」で12項目の「日本共産党への質問状」を発表。これを宮本顕治委員長(当時)に送付し、公開理論戦を求めた。(続く)

1972年、日本共産党などへの「公開理論戦」を求めた

【思想新聞11月15日号】愛知・勝共研修会/朝鮮半島コンフィデンシャル/共産主義「定点観測」

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