プーチン露大統領によるウクライナ軍事侵略は我々に貴重な教訓をもたらした。今年2月で2年を経たが、侵略戦争は終わりを知らない。祖先が築いた麗しき祖国は戦車のキャタピラで、あるいはミサイルで、ドローン爆撃で破壊され、夥しい数の国民が殺され、蹂躙されている。その悲痛な声を日本国民は我が事として心に刻むべきだ。
「武器を我らに」ウクライナの叫び
例えば、2022年にノーベル平和賞を受賞したウクライナの人権団体「市民自由センター」代表、オレクサンドラ・マトビチュクさんの声である。「攻撃を受けている側が武器を置いても、平和が訪れることはない」「武器を使ってでも、法の支配は守らなければならない」「占領は戦争の一形態であり、強制移送、拷問、性的暴力、アイデンティティーの否定、強制的な養子縁組といった暴力が続いている」
マトビチュクさんは「独裁者は強さだけを尊重し、弱さに対してはさらなる攻撃を仕掛ける。対話は弱さとみなされる」と断じ、自由や人間の尊厳を守るために戦い続ける必要性を強調している。「平和を守るために武器を我らに!」と声を挙げているのだ。これは朝日新聞のインタビュー記事である(24年2月24日付)。空想的平和主義者の朝日よ、そして全ての左翼よ、この訴えに真摯に耳を傾けよ。
さらに聞くべきはウクライナの国際政治学者、グレンコ・アンドリーさんの声である。「この戦争はウクライナにとって、国と民族の存亡をかけた戦いでもある。ロシアが戦争に勝った場合、独立したウクライナの存在を認めないだろう。そして高い確率で、ウクライナ民族そのものを亡くす政策をとると予想される」「もしウクライナが敗北し、滅亡すれば、世の中の独裁侵略国家は『他国を征服しても、国際社会は反応しない。征服は普通にできることだ』と確信し、侵略や征服が繰り返されるようになる」(産経新聞2月25日付)
日本国民よ、この警告を肝に銘じよ。だからこそ我々はウクライナを勝利させねばならない。それには「武器を彼らに!」である。今、ウクライナがロシアの軍事攻勢に押されているのは武器が足らないからだ。(本音では)日本に対して対戦車砲や防空ミサイルなどの供与を求めている。
ところが、日本はそれに応えない。英国、イタリアと共同開発する次期戦闘機の第三国への直接輸出についても左翼勢力は「平和主義が崩れる」(朝日)などと頓珍漢な反対論を唱えている。話はあべこべだ。「平和を守るための武器」は大いに輸出すべきなのである。
スウェーデンとスイスを見よ。スウェーデンはウクライナ戦争を教訓に北大西洋条約機構(NATO)に加わったが、戦後長く、両国は中立国だった。そのために努力を重ねた。スウェーデンは徴兵制、スイスは国民皆兵で両国は世界有数の武器輸出国を誇った。平和を守るために兵器は必須で、かつ自国で調達しなければならなかったからだ。それで武器製造に注力し大いに輸出した。
その理由は①兵器の量産によってコストは下がり国民の負担が軽くなる②それが自国の防衛産業の育成につながり、自衛力が保持される③自国の安全保障上、重要な地域での勢力均衡(抑止力)に貢献し平和を守る④輸入資源確保に武器供与が決め手になる│というものだった。
武器輸入国は兵器に欠かせないメンテナンスや部品提供の必要性から供給国と同盟関係を深め、決して弓を引かない。逆に防衛装備を提供しなければ、その国を信頼していない証拠と解され、友好関係が崩れていく。だから「平和を守るための武器」は大いに輸出して同盟諸国を広げることは国益のみならず世界平和に適っているのだ。
一国平和主義の悪弊を解き放て
これでは日米同盟に支障をきたすというので83年に中曾根康弘内閣は日米間で一部を緩和し、日本の技術で開発された兵器は日米間で使用できるようにした。その後、共同開発は世界の潮流となり、日米間に限定できなくなった。戦闘機や艦船の開発には巨額の資金と最新技術が必要で、複数の同盟国が結集し開発するようになったからだ。それが世界の潮流だ。
2014年に安倍晋三内閣は武器輸出三原則に代えて、新たに「防衛装備移転三原則」を定めたのはこのためだ。平和貢献や国際協力の積極推進、わが国の安全保障に資する場合は認める、ごく当たり前の原則だが、左翼の「専守防衛信仰」に配慮して様々な足かせが嵌められた。それが災いのもとだ。今回の戦闘機の輸出規制もそうだ。
「平和を守るための武器」の輸出を当たり前にしなければならない。それが日本の平和を守る道だ。ウクライナの教訓を忘れるべきでない。
【思想新聞 3月15日号】 アメリカ大統領選・民主、共和両党指名候補がほぼ確定/真・日本共産党実録/文化マルクス主義の群像/朝鮮半島コンフィデンシャル