沖縄のメディア偏向 歪曲される「民主主義」

「琉球新報・沖縄タイムスを正す県民・国民の会」が訴えるように、沖縄メディアへの批判は絶えない(写真)

沖縄メディアによる信じがたい「印象操作」の実態

 

 当然の判断である。

 菅義偉官房長官が玉城デニー沖縄県知事と会談し、基地問題について協議開始を合意する一方で、工事の継続を明らかにしたことだ。

 工事は正当な手続きに基づき合法的に行われている。埋め立て承認撤回についても国土交通相によって効力停止の判断がなされた。今や工事を止める正当な理由を見つけるのが難しい状況である。

 

 ところが在沖縄紙の沖縄タイムズは、驚くべきことに菅氏を厳しく批判した。11月7日の社説の冒頭で、次のように述べている。

 「協議は開始するが工事は止めないというのは、右手で握手しながら左手で殴るようなものだ。県民に寄り添うとしながら、民意を踏みにじる蛮行である」

 あえて「殴る」という暴力的な表現を使い、さも政府が横暴であるかのような印象を与えている。これは印象操作だ。

 

 そして政府の対応が「民意を踏みにじる蛮行」であることの根拠として、玉城氏が県知事選で8万票の大差で当選したこと、そして4年前に翁長雄志氏が約10万票差で大勝したことを挙げた。なぜ4年前の選挙結果を示すのか意味不明だが(では、その前の選挙結果は示さないのか)、その後に安倍晋三首相が所信表明演説で「常に民意の存するところを考察すべし」と語ったことを引用し、「選挙結果と民意に耳を傾けるのなら、工事を中断した上で話し合いに応じるのが筋である。それが民主主義の当然のルールだ」と結論付けた。

 

 この主張は完全に筋違いだ。翁長知事時代に法廷闘争で福岡高裁が示したように、知事には工事を止める権限がない。安全保障問題は国の専権事項だからだ。だから県知事選の結果は工事中断の理由にはならない。これを「民主主義の当然のルール」というのは詭弁に過ぎない。二つの異なる事実があたかも因果関係にあるような印象操作を行い、さらに「殴る」という表現で二重の印象操作を行う。「言論の自由」を標榜するメディアの言説とは信じがたい内容である。

 

 社説の最後は次のように結ばれている。

 「辺野古への新基地建設は沖縄だけの問題ではない。国民全体に突き付けられた安全保障と地方自治に関する重要な課題である。国民がわが身に照らして、この現実を判断する時だ」

 同紙はかねてから基地問題を、「政府による沖縄の不当な支配」と歪曲して報道してきた。政府=支配者、沖縄=少数民族=被支配者という、共産主義思想の階級闘争論に基づく構図である。これをさらに「地方自治に関する重要な問題」として国家全体の問題として拡大させようというのだ。

 

策が尽きた基地反対派の戦略は「民主主義」という言葉のごり押し

 

 責任転嫁も甚だしい。察するに基地反対闘争の行き詰まりが明らかになってきたため、いよいよ論理破綻を覚悟で政府と差し違えるつもりなのではないか。

 

 琉球新報も似たような論調だ。「軍事的に見て(米海兵隊が)沖縄に常駐する必然性がないことは専門家の常識だ」などとうそぶいている。「専門家」とはいったい誰か。防衛白書には米海兵隊の抑止力が日本の安全保障上必要不可欠であることが具体的に説明されている。同紙がいう専門家とは、平和を唱えれば平和が訪れると信じる「思想」研究家なのではないか。

 

 こちらの結びは次の通りだ。

 「はっきりしていることは、『沖縄でなければならない』という思考停止と差別を政府がやめない限り、沖縄の抵抗は続くということである」

 上述の福岡高裁の判決は、沖縄の「地理的優位性」などに触れ、軍事的にも「辺野古が唯一の解決策」であると判断した。これを「思考停止」というのは日本の司法制度に対する挑戦でもある。

 玉城氏は会談の後、JNNのインタビューに答え、やはり民主主義という言葉を連呼した。質問を投げかけたアナウンサーも同じだ。どうやら策が尽きた彼らの最後の戦略は、民主主義という言葉のごり押しらしい。

 

 彼らにとっては不都合だろうが、ある事実を認識してもらいたい。それは安全保障を預かる国政選挙において、国民は民主主義に基づき安倍政権を支持したことである。

思想新聞「文化共産主義に警戒を」11月15日号より掲載のニュースは本紙にて)

11月15日号 米中間選挙、トランプ氏「大成功、歴史的快挙」と評価/ 国際勝共連合創立50周年記念大会 / 主張「米国のINF条約破棄を歓迎する」 etc

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