共産党「マルクス未来社会論」は原始共産制へ「先祖返り」

「思想新聞」9月15日号から【特別寄稿】の記事を紹介します。

 日本共産党は最近、「マルクス未来社会論」や「共産主義と自由」を、主に学生や若い党員、民青同盟員らに対し盛んに宣伝している。その背景に旧ソ連、中国の共産主義には自由がないとの通念が今も根強く日本国民の間に存在するからである。その影響で、共産党が党綱領・五で実現を目指す「社会主義・共産主義社会」も自由がないとみられ、このことが党勢後退にも大きく影響しているとの危機感が共産党にある(「赤旗」6月12日付)。

 したがって、共産党の宣伝はこれらのマイナスイメージを払拭する「利潤第一主義の資本主義社会を乗り越えた社会主義・共産主義社会では、生産手段の社会化により、資本による労働者の搾取が根絶されるから、労働時間が大幅に短縮され、自由に処分できる時間が増え、自由な人間性の回復・向上が図られる」(「赤旗」6月26日付)というものである。

 そして、共産党が宣伝する「共産主義と自由」の理論的根拠は「マルクス未来社会論」である。

「マルクス未来社会論」の核心は「共同社会」

 マルクスは、「経済学・哲学草稿」「ドイツイデオロギー」「哲学の貧困」「ゴーダ綱領批判」「共産党宣言」「資本論」などにおいて、資本主義社会以後の「未来社会論」を断片的に語っている。 マルクスの未来社会論の核心は「アソシエーション」(共同社会)である。

 「アソシエーション」とは、自立した諸個人の自由で対等な連合としての共同社会である。

 マルクスは「未来社会」について、「階級と階級対立とを持った旧ブルジョア社会の代わりに、各人の自由な発展がすべての人の自由な発展のための条件であるような一つの共同社会が現われる」(マルクス・エンゲルス『共産党宣言』)と述べている。

 このような共同社会は、旧ソ連の中央集権的な官僚型計画経済とは異なり、旧ユーゴスラヴィアの「労働者自主管理社会主義」に近いとも言えよう。

「未来社会論」の重大な欠陥

 しかし、共産党が「共産主義と自由」の理論的根拠たる「マルクス未来社会論」には重大な欠陥がある。

 すなわち、「自立した諸個人の自由で対等な連合としての共同社会」では、生産手段は社会的所有とされようが、資本主義社会に比べて、経済の成長発展に不可欠な「競争原理」が十分に働かないため、社会の技術革新が進まず、生産性が低下し、勤労意欲も低下し、各人の所得も低下し、社会的蓄積も低下するであろう。

 そのため、経済は長期停滞し衰退に向かわざるを得ないであろう。

 そのような状態になれば早晩経済は破綻し、諸個人は「貧乏の自由」に陥ることにならざるを得ない。 旧ユーゴスラヴィアの「労働者自主管理社会主義」も、労働者による分配重視政策のため社会的蓄積が制約され経済が長期停滞した(小山洋司他著『ユーゴ社会主義の実像』リベルタ出版)。

 さらに、「マルクス未来社会論」では社会保障や安全保障の観点が全く欠落している。 まさに中身のない単なる抽象的な一種の「ユートピア思想」に過ぎないと言えよう。

原始共産制に先祖返りする「未来社会論」

 こう考えると、「マルクス未来社会論」はエンゲルスの「原始共産制」(エンゲルス著『家族・私有財産・国家の起原』、河出書房新社)への先祖返りというべきであろう。 なぜなら、「原始共産制」は「マルクス未来社会論」と同様に、国家がなく、階級がなく、搾取がなく、財産は共有の、平等な社会とされるからである。

 「人民公社」や「大躍進政策」で大量の餓死者や犠牲者を出した毛沢東時代の中華人民共和国や、200万人を虐殺したポル・ポト政権による民主カンボジアはいずれも国家的規模で「原始共産制」を目指したとされている。

 「マルクス未来社会論」すなわち「原始共産制」への先祖返りが人類の進歩に著しく逆行するものであることは明らかである。

(外交評論家 加藤成一)

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