■道路に行き倒れらしい男が倒れています。すぐ来てください。
共産党員が起こした有名な事件に練馬事件があります。1951年、練馬区で発生した警察官の襲撃・殺人事件です。
事件当日の夜10時過ぎ、練馬区のある駐在所に学生風の男がきて、次のように話しました。「道路に行き倒れらしい男が倒れています。すぐ来てください」
勤務中の印藤勝郎巡査が男とともに駆け付けましたが、その後、連絡が途絶えます。心配した妻が別の警察署に通報し、暗闇の雨の中、周辺を探しましたが見つかりません。巡査が発見されたのは翌朝7時過ぎ、頭などを強く殴られて死亡し、拳銃も奪われていました。なお、警察署にきた男の住所、氏名は偽りでした。
事件の背景:共産党員の警官への逆恨みか
事件の直前、近くの工場では労働争議が発生していました。会社側と労働組合が争っていたのです。その際、労働組合で内部分裂が生じ、暴行傷害事件が起きました。この事件で、印藤巡査は小林という一人の人物を逮捕しました。
その後、逮捕に逆恨みした共産党員によって街中一帯に印藤巡査を脅迫するビラが貼られます。
「暴力団印藤を町から追放しろ」
「資本家と結託している印藤を葬れ」
「印藤ポリ公、我々の力を覚えておけ」
印藤巡査の遺体発覚後、警察はこの脅迫ビラを作った5人を逮捕しました。彼らははじめ、黙秘を貫いていましたが、やがて一人が犯行を自白しました。事件の首謀者は「共産党北部地区軍事委員長」の矢島勇、そこに10人の若者らが集まり犯行を実行したことが明らかになりました。
事件の真相:警官を取り囲み、鉄パイプや角棒でメッタ打ち
真相はこうです。一人が嘘をついて印藤巡査を誘い出し、もう一人が麦畑で倒れているふりをします。巡査が覗き込んだところで残りのメンバーが後ろから襲撃。全員で取り囲んで鉄パイプや角棒でメッタ打ちにしました。首謀者の矢島は行方不明でしたが、後に別の交番襲撃事件で捕まり、逮捕されました。
この事件の背景には日本共産党が1951年の第5回全国協議会で発表した「51年綱領」があります。この中で、「日本の解放と民主的変革を平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがい」「武装の準備と行動を開始しなければならない」とする暴力革命路線が正式に採用されました。
練馬事件が起こったのもこの後です。日本共産党は同事件をはじめ白鳥警部射殺事件、大須騒擾事件などの多くの事件を起こし、国民の反感を買いました。翌年の衆議院総選挙では全議席を失い、暴力路線を隠す「ほほえみ路線」に変更することになります。
【第四章】日本共産党とは
①世界革命組織の日本支部として誕生
…ソ連が日本で共産革命(クーデター)を起こすために創設
②殺人などの暴力的破壊活動を全国展開
…日本共産党の黒歴史 ー 日本で犯した殺人・強盗事件の数々を忘れてはならない
③最も過激な改憲勢力
…「憲法全条文を守る」は大嘘。彼らが画策する驚愕の改憲内容とは
④さよなら、日本共産党
…共産党は世界中で解散(非合法)がスタンダード。日本共産党も解党すべきだ