■ 日本共産党の黒歴史 ー 日本で犯した殺人・強盗事件の数々を忘れてはならない

 

われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない

   戦後に至り、日本共産党が国会で議席を獲得するようになると、革命は暴力的にではなく、民主的に行うべきだとの意見が強まりました。議席を獲得したのだから、選挙で多数を占めることで共産主義を実現しようというわけです。

   ところがソ連がこの方針を否定しました。そして徳田球一氏、野坂参三氏(ともに当時は日本共産党の衆議院議員)らをモスクワに呼びつけると、暴力革命路線に徹するよう、路線変更を迫ったのです。

   こうしてできたのが1951年綱領でした。綱領には、「日本の解放と民主的変革を、平和的手段によって達成しうると考えるのは間違い」であるとはっきりと記されました。また第5回全国協議会(1951年10月開催)では、「われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」が決定されました。

 記録映像「日本共産党の暴力革命」
(出典:YouTube

共産党の方針を受け、鉄パイプを使い警察官を集団で殴り殺す

   こうして全国の共産党員が、「革命を成功させるのは今だ」と考えて多くの暴力的破壊活動を起こしました。たとえば練馬事件詳細はこちら)です。練馬警察署のある巡査が、「行き倒れている人がいる」と言われて現場に駆けつけ、介抱しようとしたところに10人の共産党員らが襲い掛かりました。彼らは鉄パイプなどを使って巡査を殴り殺し、傷害致死罪などで実刑判決を受けました。他にも白鳥警部射殺事件(※1)大須騒擾事件(※2)など、多くの事件が発生しました。

   こうした過激な武装闘争路線は、当然国民から非難されるようになりました。そして1952年10月に行われた衆議院選挙では、共産党の候補者が全員落選しました。当然の結果と言えるでしょう。

   ショックを受けた日本共産党は路線を変更しまいました。いわゆるソフト路線です。しかしその本質が変わったわけではありません。警察庁が発行する「警備警察50年」には、「暴力革命の方針を堅持する日本共産党」とはっきりと書かれています。また公安調査庁は、日本共産党を破壊活動防止法の調査対象団体に指定しています。彼らのソフト路線、ほほえみ路線に騙されてはいけません。

【第四章】日本共産党とは 
世界革命組織の日本支部として誕生
…ソ連が日本で共産革命(クーデター)を起こすために創設 

殺人事件を含む暴力的破壊活動を全国展開
…日本共産党の黒歴史 ー 日本で犯した殺人・強盗事件の数々を忘れてはならない
最も過激な改憲勢力
…「憲法全条文を守る」は大嘘。彼らが画策する驚愕の改憲内容とは
さよなら、日本共産党
共産党は、世界の民主主義国で壊滅。それでも、日本で存在できているのはなぜ?

※1 白鳥事件・・1952年1月21日、札幌市内の路上で、市警警備課長・白鳥一雄さん(当時36歳)が射殺された
※2 大須事件・・1952年7月7日、名古屋市大須で共産党員・在日朝鮮人ら暴徒約1000人が警察や一般車両等を火炎瓶攻撃した

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