■ マルクスの怨念
共産主義思想を体系化したのはカール・マルクスという人物です。それで共産主義思想には、マルクスの思いや人生観が色濃く反映しています。むしろ彼の価値観を正当化するために作られた理論であるというべきものです。
ではマルクスは、どんな価値観をもっていたのでしょうか? 端的に言えば「怨みと復讐」です。つまり共産主義思想は、「怨念の思想」とでもいうべき理論なのです。
マルクスは1818年、今のドイツにあたるプロイセン王国で生まれました。当時のヨーロッパは、産業革命によって農業中心の社会から、工場労働を中心とする資本主義社会に移行しつつあるときでした。まだ労働者の権利を守る法律などはなく、むしろ国家やキリスト教会が資本家と結びつき、富を独占していた時代でした。労働環境は極めて劣悪で、失業、飢餓、疾病、犯罪などの惨状が広がっていました。
こうした時代背景のもと、マルクスはユダヤ人の家庭に生まれました。両親ともに熱心なユダヤ教徒の家系でした。
当時のヨーロッパでは、ユダヤ人は厳しい差別にあっていました。キリスト教社会であるヨーロッパでは、ユダヤ人は「イエスを殺した罪深い民族」と見られていたからです。実際マルクスの父は優秀な弁護士でしたが、「キリスト教に改宗しなければ失職する」という制度ができたため、仕事を追われそうになりました。結局家族全員でキリスト教に改宗しましたが、おそらく熱心な信仰を持つ母と、現実に責任をもつ父との間で、大変な不和があったことでしょう。
マルクスは幼少のころから、キリスト教徒からは「ユダヤ人だ」と言って軽蔑されました。またユダヤ教徒からは「裏切り者の家族だ」と言って排斥されました。家に帰れば両親がもめています。こうしてマルクスは、「自分は誰からも必要とされていない」「どこにも自分の居場所はない」との思い、孤独感、劣等感、人間不信などを抱きながら成長しました。
マルクスが19歳のときに書いた「絶望者の祈り」という詩があります。長めの詩なのですが、少し解釈を加えると以下のような内容が書かれています。
神は俺の人生から何から何まで取り上げた
残されたのは運命の呪いだけだった
神の世界はみんな、みんななくしてやる
しかしそれでもまだ一つだけ残るものがある
それは神への復讐だ!
俺は誓う、堂々と神に復讐する
つまりマルクスの中には、まず「神と社会への復讐」という目的があったのです。そしてそれを果たすため、マルクスは虐げられていた労働者を利用しようと考えました。こうして書き上げられたのが共産主義思想です。すなわち共産主義思想とは、労働者を説得し、暴力革命へと向かわせるためのものなのです。
共産主義思想では、支配者階級に属すれば誰もが悪です。その人が善良で、どれだけ労働者に尽くしてきた人であっても関係ありません。逆に労働者が支配者階級を倒すのは常に善です。その思いがどれだけ自己中心的で、私怨に満ちていて、凶悪なやり方であってもかまいません。これで平和が訪れることは決してないでしょう。
平和を謳いながら暴力を振りかざす、この矛盾はなぜ生じたのでしょうか。それは、マルクスの目的は正しかったが理論構築が不十分だったからなのではありません。マルクスの目的そのものが問題だったのです。
それでは本特集の最後に「日本のリベラルは、共産主義者であること」をはっきりと指摘しておきたいと思います。
【第一章】共産主義とは何か
(プロローグ)
①資本主義との比較
…共産主義が実現すると国家が消滅する
②共産主義の排他的暴力性
…“暴力革命が唯一の選択肢だ!”と訴え続けたマルクス
③共産主義の人間観
…働かざる者食うべからず!? 人間の本質は労働か
④共産主義の階級闘争史観
…なぜ共産党の人は話が通じないのか
⑤マルクスの怨念
…神と社会への復讐を果たすまで闘争は終わらない
⑥日本の「リベラル」とは、共産主義者である
…「左翼」とは呼ばれたくない人たち