■ 共産主義の人間観
なぜ共産主義は世界中に広がったのか? なぜ犠牲が拡大したのか? これが重要な問題です。
実はこの最大の理由は、共産主義が科学的な理論であるかのように見えるところにあります。共産主義は「いろいろな考え方の一つ」ではなく、自然科学の法則に裏付けられた「科学的真理」であるというのです(もちろんその理屈はデタラメばかりです)。
その一つに、「人間をどうとらえるか」という理論があります。これを人間観といいます。たとえば皆さんは、人間には誰にでも人権が保障されることを知っているでしょう。ではサルにはなぜ、人間と同じ人権が認められないのでしょうか。サルと人間との違いは何なのでしょうか。会話ができるということでしょうか。理性の程度でしょうか。では理性的でない人には人権は保障されないのでしょうか。このように人間観の問題は、理屈っぽくて少し難しいのですが、社会のあり方に密接に結びつく非常に重要な内容です。
この人間観についてマルクスは、「人間はサルが労働によって進化して誕生した」といいました。詳細は、マルクスの友人であるエンゲルスの論文、「猿が人間になるについての労働の役割」に書かれています。大まかに説明すると次のようになります。
あるときサルの中に木から降りたものが現れた。彼らは手が自由になり、その空いた手で道具を使った。これが最初の労働である。彼らは道具を使うために、コミュニケーションを必要とした。叫び声がやがて言語となり、言語を使うことによって脳が発達した。そうして誕生したのが人間である。だからサルと人間の違いは労働するかどうかにある。すなわち、人間の本質は労働である。
もちろんこの論理に科学的な裏付けはありません。むしろ言語を使うには発達した脳が必要ですから、科学的には誤りです。自転車のペダルをいくら漕ぎ続けてもオートバイにならないのと同じ理屈です。
話を元に戻すと、マルクスはここから次のような理論を導き出しました。人間の本質は労働である。人間の本質的な喜びとは自発的な労働の喜び、そして労働の成果(生産物)を使用者に与え満足する姿を見る喜びである。ところが資本主義社会では、労働は資本家によって強制され、生産物は資本家に奪われる。また資本家は労働しない。だから資本主義社会は人間らしさを奪う社会である。
この「人間らしさが奪われている」ことをマルクスは「人間疎外」といいました。資本主義は人間らしさを奪う社会である。だから倒さなければならないというわけです。
こうしてマルクスは、資本主義の打倒は労働者の解放、すなわち人類の解放であると訴えました。またその後、労働者を真に代表するのは共産党のみであり、共産党に反対する人々は人類の敵であるとされました。共産党政権下で大量の犠牲者が生まれたのは、こうした理論があったからです。
では、「正義の革命」と称して大量虐殺を行った共産主義者らは、本当に自由と平等の社会を目指していたのでしょうか。私にはそうは思えません。何しろ自分に反対する人々は、「労働者の敵、人類の敵」といって処刑してもよいのです。
おそらく彼らの心の中には、富をもつ者への嫉妬心、権力を手にしたいという支配欲、邪魔者は排除しようという自己正当化など、よこしまな思いに満ち溢れていたのではないでしょうか。その思いを実現するために、多くの人を虐殺したのではないでしょうか。何をしても「人類の解放」といえばすべてが許される。そうした共産主義の理論が人間の悪魔性を引き出したのは、ある意味当然のことでした。
では、こうした人間観を信じる共産党の人たちは歴史をどのように捉えているのでしょうか。
【第一章】共産主義とは何か
(プロローグ)
①資本主義との比較
…共産主義が実現すると国家が消滅する
②共産主義の排他的暴力性
…“暴力革命が唯一の選択肢だ! ”と訴え続けたマルクス
③共産主義の人間観
…働かざる者食うべからず!? 人間の本質は労働か
④共産主義の階級闘争史観
…なぜ共産党の人は話が通じないのか
⑤マルクスの怨念
…神と社会への復讐を果たすまで闘争は終わらない
⑥日本の「リベラル」とは、共産主義者である
…「左翼」とは呼ばれたくない人たち