山本直英氏への公開質問状──【実態編】(「世界思想」1993年12月号)

「性解放」への裏に共産主義思想
伝統的家庭制度の破壊への真意を問う。

国際勝共連合

 平成4年(1992)4月より本格的な「性教育」が始まった。 各種マスコミにも取り上げられ、一つのブームとなった観がある。なかでも注目を浴びたのが、山本直英氏を中心とする〝人間と性〟教育研究協議会であった。全国の自治体をはじめ、PTAなどが主催する講演会で、山本氏や協議会のメンバーは引っ張りだこであったという。本連合はこれまで、山本氏の「性教育」の根底となっているもの、その目指すものの危険性を指摘してきた。それは「共産主義的性解放思想」であり、「伝統的家庭制度の破壊」と言わざるをえないものであるからだ。 ここに 「公開質問状」をもってその真偽を明らかにし、日本の教育が誤った方向に向かうことを回避したいと考える。

【序文】

 あなたが編著者となり、監修者となっている性教育「副読本」を読みました。 そして、さらに数多くのあなたの著書を読みました。 また、あなたの意見や論文を載せている新聞や雑誌(その中には「赤旗」、「文化評論」なども当然含まれています) を可能な限り読みました。 その結果、あなたの性教育は左翼思想に基づく「性解放」をめざすものであり、イデオロギー色の極めて濃いものであることがわかったのです。
 それゆえに、本連合としても地域活動を通じてその危険性を訴えてきたのです。当然、同調してくれる人々も多くでてまいりました。
 ところがあなたが、主催するセミナー等において、あからさまな反論を繰り広げておられることを知ったのです。その内容は批判のための批判としか言いようのないものであり、極めて説得力のないものであるといわざるを得ません。しかも、あなたの反論の仕方は、本質的なものにふれず、マスコミを利用して悪印象を与えようとする「左翼扇動家」らしいやり方に終始しております。
 それゆえに、文書を通じての言論を戦わせることによって、双方の主張を明確にしたいと考えたのです。本連合としても、不毛な言論戦に終わることなく、より建設的な成果が得られることを心から期待しております。

1. コンドーム中心のエイズ防止教育は 無責任ではありませんか。

 あなたと私たちの、性に関する考え方は「極と極」といえるほどの違いがあります。 そこで初めからその相違点を持ちだしたのでは「議論が噛み合わなくなる恐れがありますので、まず一致点を取り上げつつ、質問を試みたいと思います。
 あなたも、性教育を受ける中・高生が自分で願わない妊娠をしたり、性病、特にエイズに感染することは避けなければならないと思っておられるようです。 そこで、自ら「避妊をしない性交はない」といわれ、そこで最も強く勧めておられるのが、ほかならぬコンドームですが、果たして、その欲しない妊娠やエイズ感染の防止にどれほど有効だと判断しておられるのか、まず伺いたいと思います。

 避妊の問題については、結婚して常時コンドームを使用している夫婦の場合でも、恐らくは滑りや破損によって、失敗率が2%から17%あると報告されています(井坂弘毅「学校保健ニュース第948号付録」、2頁)。
 報告する産科医によってその率は異なっていますが、失敗ゼロという報告例はどの国にもありません。とすれば、10代の性交の場合でも、 コンドームをつけていても同様の失敗があると考えなければなりません。
 妊娠の場合には、胎児の生きる権利を奪うたいへん残虐な方法ですが、妊娠中絶という逃げ道があります。しかし、エイズ感染の場合には、コンドームを使用して性交した本人が、発病後2、3年で殆ど確実に死亡するのですから、 その場合、 コンドームをつければ大丈夫だと確言した人の責任を回避する道はありません。
 あなたはどういうわけか、自説に不利な科学的資料を完全な形では公開されておりませんが、1992年末の時点では、エイズについて次のようなことがわかっています(北村敬 「エイズからあなたを守る本」 朝日ソノラマより抜粋)。

A、1987年のアメリカの記録では、実際に、病状としてでてきたエイズと診断された患者の80%が2年以内に、90%が3年以内に死亡している。
B、エイズ感染者の少なくとも10%が3年以内に、20〜30%が5年以内に、50%が8年以内に発病している。
C、エイズは人間の免疫システムそのものを破壊するものであり、それを治療する方法は世界中どこにも発見されていない。
D. エイズ感染の媒体となるのは血液、精液、膣分泌液の三つである。したがってその経路は血液感(開発途上国での輸血、麻薬の注射の回し打ちなど)、 母子感染性的接触の三つに限られる。
 さて、コンドームを使用してエイズを完全に防げるかということですが、避妊のためにコンドームを常用した場合の失敗率(男の精液が間違って子宮に達する率)と同程度のエイズ感染がありうると推定されます。
 さらに、1989年に出たアメリカ・ニューイングランド医学雑誌によれば、コンドームを常用していた夫婦のうち、一方がエイズ陽性(感染者であった場合、2年以内に10%の未感染者に感染したという直接の証拠もあります(ニューイングランド医学雑誌、1989年)。
 さらに、血が出るほどのディープキスやオーラルセックスをした場合も、当然のことながら感染します。
 実際、NHKテレビで、コンドームでエイズが防げるという指導をしていた北沢杏子氏も、コンドームを使えば95%予防できると発言していました。これは、コンドームを正しく使っても5%、すなわち22人に1人はエイズに感染する危険性があることを意味します。 この1人は早ければ5年以内、長くても13年で90%以上死亡するというのが現在の科学的見解なのです。
 本当に生徒の生命を大切にするなら、たとえ自分の主義に反していても、「結婚以前には性交をするな。結婚の際、双方がエイズその他の性病に感染していないことを確認の上、配偶者とだけセックスをすべきである。それ以外にエイズを防ぐ方法はない」と忠告すべきであると考えますが、いかがでしょうか。
 現に、あなたが「性革命」の進んだ国として認めておられるアメリカでのことですが、ニューヨークの市教育委員会は1992年夏、学校でエイズ教育をする者には、「全員、禁欲が婚前のエイズに対する最も適切な防備であることを強調する」という誓約に署名させるという決議をしたのです。

 以上の論点をふまえ、質問いたします。

一、あなたの性教育によって、青少年が「きちんと正しく」 コンドームをつけて性交したのにエイズに感染し、死に至ってしまった場合、 その責任は誰にあると考えるのでしょうか。
二、素朴な疑問として、コンドーム以外のもっとも有効な感染防止の方策は「性行動の抑制」が第一であることは言うまでもありません。 にもかかわらず、 あなたはそのことを主張しておりません。 何故でしょうか。
 それはあなたのもっておられるイデオロギーのためでしょうか。 それとも、あなたは人間と性教育研究所の開設のいきさつについてふれるなかで、「教員中心の団体で一番の問題だった運営資金約1千万円は、避妊用品メーカーなどを口説いて、協力を得た」(朝日新聞、1992年6月7日付)と述べております。
 さらに、雑誌「ヒューマンセクシュアリティー」にも大きな広告が掲載され続けていますが、それ故に、コンドームの危険性を指摘することが出来ないのでしょうか。
 明確な回答をお願いします。

「赤旗」で紹介される山本直秀氏

2. アメリカやスウェーデンは学ぶべき性革命の先進国なのでしょうか。

 あなたは、アメリカやスウェーデンを、性革命が進んだ国であると讃え、その点で非常に「遅れている」日本を、ヒューマン・セクソロジー教育で啓蒙し、早急に進歩発展させなければならないと考えておられるようです。
 あなたの編著による高校用性教育副読本『青年のためのヒューマンセクソロジー』の教師用指導書には、アメリカで1960年代から70年代にかけて起こった爆発的な「性革命」が、何よりも輝かしい模範のように取り上げられていますが(143頁)、そこには次のようなことが列挙されております。

A. ポルノグラフィの解禁
B. 女性の家庭からの解放と社会的進出
C. ビルの普及
D. 妊娠中絶の自由化
E. 離婚の社会的承認
F. 未婚の母の社会的承認
G. 同棲の流行
H. フリーセックスの主張
I. 夫婦交換(スワッピング)や乱交パーティーの登場
J. ホモセクシュアルの社会的承
K 家族制度そのものの否定

 このうち、 スワッピングや乱交パーティーには、「合意のもとに、複数の夫婦がそれぞれ夫と妻を交換しあい、セックスを楽しむというもの」などと、ご丁寧に解説までついています。

 さて、これらの一体どこに見習うべきものがあるのでしょうか。 私たちは非常に疑問に思います。 ポルノグラフィの解禁、未婚の母や同性愛者の社会的承認、フリーセックスの主張、スワッピング乱交パーティーなどは、普通の健康な感覚の持ち主であれば、だれしも顔をしかめることではないでしょうか。この感覚は、「遅れている」「未熟」なものだと言い切り、無視するのですか。
 このようなことを列挙して、教師を踏み絵にでもかけようとするつもりなのか、あなたは「是非や善悪の価値判断を授業者から示すことは避けるべきである」(144頁)と指示されております。

 あなたは、「権力」以外は、いかなるものも「他者に害をもたらさず、本人が悩まない限り異常としない」①という原則を貫くつもりでしょうか。それは教育者として致命的な誤りを犯しているといわざるをえません。というのは、このような乱れた性にうつつを抜かす親に育てられた子供達への配慮が根本的に欠如しているからです。
 あなたが平然と「子供にとっては父であり、母であっても、両親にとってはそれ以前に一人の男、一人の女です」 ②。 両親が離婚するときは親も普通の心の状態ではなく、経済面、生活面でも大変なのだから、 「子」供もそこを理解し、協力してあげて「ほしいと思います」 ②と、弱い立場の子供に一方的ともいえる譲歩を求めているのには驚きます。 両親が揃っていないことがどんなに子供達にとって不幸であるかを再認識すべきであると考えます。

 滅びゆくアメリカに警鐘を乱打して一躍ベストセラーとなったアラン・ブルームの『アメリカン・マインドの終焉』には次のように書かれています。
「子供は親から『親にも自分の人生を生きる権利があり、漫然とした生活よりも充実した生活を楽しみたい。しかし離婚してもお前を愛する気持ちは変わらない』と繰り返し聞かされるだろう。しかし子供はこんなことばなど全然信用しない。彼らは、自分には親の献身的な気遣いを受ける権利があると考えており、親は自分のために生きなければならぬ、と信じている。子供は、両親が自分の意志で別れるのは、両親が死ぬよりも一層不幸だと感じる。というのも、まさにそれが意志によってなされたからである」③。

 あなたにはこの深刻な子供の気持ちがおわかりでしょうか。1992年に出版された『離婚を経験した子供達は語る』(サイモンド・アンド・シュースター社)には、大人の側からの観察ではなく、 子供自体の絶叫が数多く記録されています。ぜひ一度読んでいただきたいものです。
 今のアメリカは、「性革命」の子供の世代に当たります。 スローガンが現実となった今、余りのひどさに、さすがのアメリカでも最近では性革命、性教育は全くの失敗であったという反省が一部に強まり、再び純潔教育をめざす動きが猛然と起こりつつあるのです。
 「週刊朝日」1992年1月17日号には、アメリカのウーマンリブは今や家庭破滅、ホームレス、非行の原因だと非難を浴びるようになったという記事が掲載されております。
 そのリード文には「子供や夫を犠牲にして良いのか、離婚は時代遅れではないのか。一時代もてはやされた女性革命への自問がアメリカで始まっている。テレビで人気ナンバーワンの女性キャスターは妊娠を宣言し引退、有能なキャリアウーマンも次々と育児に専念する。 家庭回帰は「足を引っ張る裏切り者」などといわれたあの非難の声は、聞こえてこない」とあります。
 もう一つの「性革命」の先進国といわれるスウェーデンも同様の動きが起きています。
 『エイズからあなたを守る本』(朝日ソノラマ 166〜167頁)には次のように記されています。
 「行き過ぎた快楽礼賛の風潮は、1980年代に入って大きく退潮に向かいました。 エイズの流行が認識され、そのもっとも大きな原因が行動上の無防備なセックスであることがわかったからです。性欲と、それが充足される場合の快楽とは、人類が子孫を作り、続いて行くために与えられたということが再確認されました。そしてセックスを単なる快楽の手段として楽しむことは、多くのSTD(性行為感染症)家庭の崩壊、子供を育てる努力の放棄等のおそるべき災厄をもたらす、という認識が生まれたのです。 このような反省は、北欧から始まりました。 そのため、かつてはフリーセックスの先進国のようにいわれた北欧諸国は、今や本来の良識に戻った極めて静かな社会になっています」④。
 このように、性解放の考え方に基づく性教育は多くの問題が指摘されているのです。

 以上の内容をふまえ質問いたします。

 一、アメリカやスウェーデンなど「性革命」の進んだ国の現状を見るととても賛美できるものではありません。何よりも子供にとって悲劇です。にもかかわらず、 あなたは、輝かしい模範として日本も見習うべきだという主張を、今後も変えるつもりはないのでしょうか。 としたら、その根拠を教えてください。
 二、「性革命」の進んだ国であるスウェーデンでは、性教育において露骨な表現のイラストなどの使用を差し控えるようになったり、また、アメリカでは性行動の抑制を指導する。運動が起きつつあります。それは性解放の考え方と運動に対する反省といえます。
 にもかかわらず、性器、性交教育をあえてする理由、根拠を教えてください。

3.「生命尊重」に関する教育をなぜ軽視されるのですか。

 昭和61(1986)年度3月、文部省が作成した「生徒指導における性に関する指導」においては次のように述べられています。
「学校教育は、生徒の人格の完成、豊かな人間形成を目的とし、生命尊重人格尊重、人権の尊重など民主主義の基本的な理念である人間尊重の精神に基づいて行われるものである。したがって、性に関する指導も人間の性を人格の基本部分として生理的側面、心理的側面、 社会的側面などから総合的に捉え、科学的な知識を与えるとともに、生徒が生命の大切さを理解し、また人間尊重、男女平等の精神に基づく正しい異性観を持ち、望ましい行動をとれるようにすることにおく」(6〜7頁、(1)性に関する基本的な考え)

 さらに同指導書の26〜27頁、「一、人間の性についての基本認識」においても次のように述べられています。
「(2)人間の性は、生命を再生産するもの、即ち、次の社会を担う人格を生み育てるものである。人間の社会は、絶えず次の世代を再生産することによって支えられている。したがって、性を自己中心的にみるのではなく、自分が過去、現在、未来へと連続する生命の大切な接点の役割をはたしていると言う自覚を持つことが必要である」
 このように、特に「生命尊重」教育の重要性が述べられております。

 ところが、「生命尊重」の教育について、あなたは「健康教室」(増刊号1992年7月号、50頁)に「私はちっとも反対じゃありません。 大賛成です。 人間の共通の根底にあるものですから……」と述べながら、同じ頁に「今さら生命尊重に反対する人がいるんですか、と私は言いたい。言わずもがなの倫理じゃないですか」、また「人権意識の未熟さから、人権侵害の無関心から「生命の神秘」とか「生命尊重」というつかみどころのない言葉でごまかさないで……」 「母性強調路線」「赤ちゃん誕生万歳路線」(同49頁)とあります。
 そして、学校に配布されている「生命尊重ビデオ」に対しても、「これは『生命尊重派』『プロライフ派』ですね」ときめつけ、さらには「これは中絶反対のキャンペーンの内容」「中絶反対のイデオロギーにドッキングする考え方」と批判しております。
 しかし、「生命尊重」の教育は、このように色分けして非難すべきものなのでしょうか。私たちは、「生命尊重」の精神を養うことこそ、現代社会にとって、最優先課題であると考えております。 潤いが失われ、枯渇した社会(関係性の喪失した社会)に生きる青少年にとって、「生命尊重」ということが果たして「いわずもがなの倫理」として片づけられてもよいものかどうか、重大な疑問を感じます。

 「コンクリート詰め女子高生殺人事件」、「連続幼女殺人事件」、「札幌両親殺害事件」、「山形マット殺人事件」等々、昨今における青少年犯罪の特徴は凶悪化の一途をたどっています。
 またこれらの犯罪少年のみならず、〝いじめ〟、校内暴力、家庭内暴力等々、一般の青少年の意識の根底に共通にみられるものは、「生命尊重」意識の欠如ではないでしょうか。

 人間を一つの「もの」としてしか見えなくなっています。 したがって他人の痛みを自分の痛みとして感じられなくなってきているのです。 だからこそ「生命尊重」の教育は今日的緊急課題として要請されなければならないのです。「人権尊重」さえ教育すれば片づけられる問題ではなく、問題はもっと本質的な生命に対する畏敬、生命の尊厳性に対する認識の問題なのです。
 1992年12月6日、札幌市内で両親をサバイバルナイフで殺害した中学3年生の少年は、ノートに犯行計画の心境を次のように記していました。
 「お前ら、勝手にセックスして、 俺を産んでおいて、そのくせ離婚するなんて許せない……」

 この少年の手記にみられることは、明らかに、自分自身の「生命の尊厳」を見いだせなかったと言うことです。なぜならば自分の存在が単に両親のセックスによる快楽の産物としてしか認識されなかったからなのです。
 子供にとって自分の誕生が望まれ、期待された両親の愛の結晶として認識されたときはじめて、自己存在の理由と根拠を確実に受け取り、生きる力を与えられるのではないでしょうか。
 故に「性」は、あくまでも尊厳あるものでなければならないと思います。そして両親の「性」は彼らの生命に代えても、かけがえのない子供のために投入された愛即ち「尊厳ある愛」に基づいたものでなければ、子供の本心は納得しないでしょう。

 したがって「生命尊重」を教えることは生命の尊厳性を教えることであり、「性の尊厳性」 「愛の尊厳性」を教えることにつながるのではないでしょうか。これこそ、今日の子供達の飢え渇く心にとって、最も必要なことであるはずなのです。
 あなたはよく「子供のニーズ」を強調されます。 しかし、ポルノ情報の洪水の中で影響を受けた子供達の声ではなく、もっと奥深い子供達の心の叫びがあなたには聞こえないのでしょうか。〝時代と子供のニーズ〟は性器や性交に関する科学的知識ではありません。〝本当のニーズ〟とは、〝生命の尊厳性〟であり〝性の尊厳性〟〝愛の尊厳性〟ではないでしょうか。

 以上の内容をふまえ、質問いたします。

 一、「生命尊重」 教育の徹底は、極めて今日的課題です。 しかし、あなたはその強調が「人権意識」の未熟さからきているとの認識であり、「ごまかし」であると断定しております。明らかな「生命尊重」教育の軽視であると考えますが、いかがですか。
 二、 このようなあなたの姿勢に重大な疑問を抱かざるを得ませんが、「生命尊重」教育の軽視が、ある特殊なイデオロギーや、個人の「人権」を守るためであるとしたら全くの主客転倒ではないでしょうか。「生命尊重」教育と「人権尊重」教育とに関する明確な見解をお聞かせ下さい。

山本直秀氏の著書および同氏が監修者となっている「副読本」、同氏の論文を載せた雑誌など

4. あなたは本当に子供の立場に立っているのですか。(「生徒指導における性に関する指導」〈昭和61年3月、文部省〉から逸脱していませんか)

 「生徒指導における性に関する指導」(昭和61年3月、文部省)の中には性に関する指導の目標として次のように書かれています。
「家庭や社会の一員として、必要な基礎的な事項を習得させる。 現在及び将来における家庭や社会の一員として、例えば現在の家庭での子供としての立場において、また将来夫や妻となり、更に父親、母親となったとき、自らの役割を果たし、適切な行動がとれなければならない。このように現在及び将来の家庭生活、 社会生活において男性または女性の役割等、性的な諸問題について適切な意志決定や行動選択が出来るよう必要な知識能力、習慣を養う必要がある」(7〜8頁)
 これに対し、あなたの小学校用副読本『ひとりでふたりでみんなと』(教師用指導書、55頁)に「自分がどうしても望まない状態で結婚を続けるより、離婚する勇気を認める」、また中学生用副読本『おとなに近づく日々』(53頁)には「ところでどんなに愛し合って結ばれた夫婦でも、さまざまなことが原因でうまくいかなくなることがあります。結婚は離婚によって解消されます。離婚には法律上、協議離婚、調停離婚、裁判離婚等がありますが、ほとんどの人は2人で話し合って決める協議離婚を選んでいます」と述べられております。
 そして欄外に「協議離婚」の項目をあげ「夫婦が話し合って、合意の上でする離婚。 理由は何でも良く、離婚届を役所に提出すればよい」とご丁寧にも離婚の方法まで記述されているのです。
 さらに同頁には「確かに親の離婚は子供にとっても辛い体験です。 しかし、子供にとっては、父であり、母であっても、両親にとってはそれ以前に一人の男、一人の女です。 二人の間で愛が壊れてしまっているのならむしろ、そのことを子供に話して新しいスタートをきることの方が子供にとっても良い影響を与えると思うのですがいかがですか」とあります。
 あなたが「生徒指導における性に関する指導(昭和61年3月、文部省)」(以下「指導」と記します)の作成協力者の一人であったとはとても信じられません。 「指導」の基本理念は、普通に読む限り、家庭の維持を前提として、「自らの役割を果たし、適切な行動がとれなければならない」とするものです。
 ところが、あなたの主張は、「指導」を前提としているとはいえ、「子供にとっては、父であり、母であっても、両親にとってはそれ以前に一人の男、一人の女です」と言いきり、子供に理解を要求するのは、明らかに「指導」からの逸脱と言わざるをえません。
 とにかく、あなたが本当に子供の立場に立っているのかどうか疑いたくなるのです。特殊なイデオロギーが先行していて、子供の立場がすっぼりと抜け落ちているように思われてならないのです。これらの疑いは「子供を育てる人が親でなければならないと言うことはありません」(52頁)とのあからさまな表現に接すると、もはや取り除くことができないものになるのです。
 この世の中には確かにさまざまな理由で両親と一緒に住めない子供たちもいます。しかし、子供にとっては何よりも両親と一緒に住むことが一番幸福であることは洋の東西を問いません。「子供を育てる人が親でなければならないということはありません」などという表現は一般化されるべき、教育されるべき内容ではないはずなのです。 子供にとっての親の重みは強調し過ぎることはないでしょう。親は子供を養育する義務(精神的側面および肉体的側面)があり、子供は親から保護(精神的側面及び肉体的側面)を受ける権利があるのです。

米国の性教育を紹介する山本氏(「朝日新聞」1988年7月4日付)

 さらに高校生用副読本『ヒューマセクソロジー』(111頁)には「両親が離婚するときというのは、親にとっても普通の状態ではありませんし、その上経済面でも、生活面でも大変なことが多いのですから、子供もそれを理解し、協力してあげてほしいと思います」とし、子供は親の離婚に協力すべきであると記されているのです。それでは親の離婚によって子供が受ける精神的、肉体的苦痛に対してはどう考えるのですか。誰が責任をとるのですか。 子供は親のために一方的に犠牲を強いられることになるのではありませんか。
 あなたは人権教育といいながら、両親の離婚に際しての子供の人権問題は全く無視しているのではありませんか。
「両親にとってはそれ以前に一人の男、一人の女なのです」と、個人の権利を無限に拡大し、父親・母親として、夫・妻としての義務、責任を無限に縮小するならば、結果として家庭崩壊の可能性が拡大することになります。それでもいいと考えておられるのでしょうか。
 『おとなに近づく日々』(教師用指導書、61頁)を見ると、以下のように記されております。 「結婚及び離婚を色々な角度から掘り下げ、客観的に学習することで、学習者の中で、ある固定的な結婚観、離婚観、家族観に揺さぶりをかけ解放したいと考えた」とあります。 これでは「家族「解体主義者」といわれても仕方ありません。
 それだけではありません。あなたは子供の前に新しい生き方として「シングル、同性のカップル、離婚届を出さないカップル、共同体など、様々な形態を当事者の人権として理解させる」「自分自身の生き方を主体的に選びとっていくことができるようにさせる」(同上、61頁、指導上の留意点)と既成概念にとらわれな生き方を提示し、子供達の自由な選択にまかせるよう指導しています。
 そして、欧米の社会が次のように紹介されているのです。
「最近の欧米の家族のすさまじいまでの変容、離婚、再婚、その結果としての混合家族の激増、同棲、結婚拒否(シングル志向)、未婚の母、同夫婦などの激増……」(『ひとりでふたりでみんなと』 教師用指導書、59頁)
 あなたが性革命の進んだ国として賛美している新しい生き方の国の姿です。
 新しい生き方の結果は一言で表現すれば、家庭・家族崩壊でした。 その結果、子供達に何が起こったのでしょうか。 既に報告されているものの一部を列挙してみましょう。
「小学生でも高学年ともなれば、一割以上がマリファナなどの麻薬を経験済み」(1992年1月17日号、週刊朝日)
「中・高校生で妊娠する少女達の数も年に百万人を超す」(同上)
「未婚の母の激増 ここ30年間に彼女達の産む赤ん坊の率は4倍に増え、毎年50万人以上」(「家庭崩壊」文藝春秋社 173頁)
「両親に離婚される子供の数は、毎年30万人を超え、その3分の2が10歳未満」(同99頁)
「児童虐待の件数は、1976年41万3千件、1981年85万1千件、1982年95万3千件」(同173頁)
「性的虐待の件数は10万件(推定は25万件)」(「家庭崩壊」文藝春秋社)
「ホームレスは全米に300万〜400万人」(「反面教師アメリカ」 河合出版)
 このように悲惨な状況が報告されているのです。
 自立と称して、子供達に自由な選択を任せるというやり方は一見非常に民主的であり、子供の自主性を尊重した手法に見えます。しかし、敢えて子供達が不幸に陥る道を「新しい生き方」と定義づけ、一種の逆らえない〝時代の流れ〟であるかのように言うのはいかがでしょうか。
 ことにあなたは、この不安定要因の内在した「新しい生き方」を提案するだけで、その結果について触れていないのは極めて不公平であると思います。
 既に述べたように、欧米諸国は1960年代から、この「新しい生き方」を実験してきました。 記述した状況は、「貴重な実験結果」といえるものです。教育は科学的であるべきとするなら、偏見を持たずに結果を直視すべきです。あなたはその結果に目を背けているように思われてならないのです。あなたが真に子供達の将来について、その幸福を願うならば、明確にそこまで記述し論じるのが教育者としての姿勢ではないでしょうか。

 以上の内容をふまえ質問いたします。

 一、人権尊重を教育の重要な柱とし、社会的弱者の解放を叫ぶのがあなたの基本姿勢であると認識しております。
 ところが、夫婦に愛情がなくなったら離婚するのは当然、子供は理解すべき、と言いきり、苦痛を子供に甘受するように教えるというのは弱者である子供の人権を全く無視しているとはいえませんか。 子供の人権をどのように考えているのか、明確な回答をお願いします。

 二、子供達に「新しい生き方」を教え、あとは子供達の自主的選択に任せるべきというのがあなたの教育観、教育方針となっていますが、それは結果がどうなろうとその責任は子供達がとればいいこと、ということになります。
 それは人間の責任能力の成長過程を無視した極めて危険な考え方ではありませんか。教育は成長の度合いに応じてなされるべきものと考えますが、あなたの見解をお聞かせ下さい。

 三、「新しい生き方」がもたらした家庭・家族崩壊と、そのもとでの子供達の姿をなぜ「副読本」に明記しないのですか。 不公平であり客観性の欠如と考えますが、いかがでしょうか。

(「実態編」につづく「理論編」は1994年1月号に掲載)

<註>
①「青年のためのヒューマンセクソロジー」 一橋出版、97頁
②「おとなに近づく日々」東京書籍、53頁
③アラン・ブルーム 「アメリカン・マインドの終焉」 みすず書房、222頁
④北村敬「エイズからあなたをまもる本」 朝日ソノラマ、166~167頁