“東洋のネルソン”
日本の世界史への登場、それは1904(明治37)年、当時世界最強と謳われた、ロシアのバルチック艦隊を撃破した時だろう。明治維新からわずか40年。日本は大国ロシアを敵に回し、危急存亡の危機に立った。運命の5月26日未明。東郷は「敵艦見ユ……本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」と、大本営へ打電。
「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」
旗艦「三笠」はZ旗を揚げ、バルチック艦隊に向け突進。敵前大回頭という捨て身の奇策。敵弾は、最先頭の「三笠」に、雨あられと集中。次々と被弾。艦は損壊、死傷者続出するも、砲弾が炸裂する艦橋に身をさらし、ひたすら沈黙して応射させぬ東郷。肉を切らせて骨を切る、薩摩武士魂。距離5000m、完全射程内。連合艦隊の砲が一斉に、火を吹き、バルチック艦隊は壊滅。
このニュースは世界を駆け、“東洋の小国の勝利”は、欧米列強の圧政下にあった諸国、民族に計り知れない勇気を与えた。東郷は“東洋のネルソン”と喧伝され、フィンランドでは東郷の名を冠したビールが造られ、トルコでは子供にトーゴーと名づける者が続出し、道に“トーゴー通り”とつけるなど、その熱狂ぶりは大変なものだった。
その後、「三笠」は、記念艦として保存された。だが太平洋戦争後、軍国主義の象徴とされ「受難」の憂き目に遭う。ボロボロになった「三笠」を嘆き、戦災で消失した東郷神社と共に復元させたのは、皮肉にも日本海軍を全滅させた米国のニミッツ元帥であった。それなのに東郷らが命がけで守った日本では、今日、忘れられつつある…。
横須賀にある「三笠」の前に、今も東郷像が、超然と立っている。