「世界96聖人」唯一の日本人
アメリカの歴代大統領が、歴史的決断を下す時、必ずひざまずき祈ってきた「ワシントン・キャセドラル」の大伽藍。大統領を見つめるのは、壁面一杯に刻まれた「世界96聖人」の群像。その中に唯一の日本人の姿がある。教育者・新島襄である。
天保14年(1843年)、新島襄は上州・安中藩士の長男として、江戸屋敷で誕生。時は風雲急を告げる幕末。蘭学や英学を受け、秘密裏に漢訳聖書を読み神とキリストを知る。見つかれば家族全員磔にされる恐れのあった発禁書の王座が聖書。近代日本建設には、海外で学ばねばならぬと痛感。21歳の時、函館から決死の出国を敢行。
「生命に拘わる国禁をも恐れず、遂に万里の外に跋渉す…全く国家の為に寸力を尽くさんと存じ、衷心燃ゆるが如く、遂にこの挙に及び候」
日本脱出を試みた吉田松陰らが処刑された「安政の大獄」から、わずか5年後のことだ。1年半にわたった航海の後、アメリカに上陸。その3年後、日本では大政奉還が行われた。
新島を助けてくれた船長の計らいで、中学で学び、2年後キリスト者となる。成績優秀だった新島は、名門アーモスト大学に入学。あらゆる学問、知識を吸収し、人間愛の教育を受ける。函館脱出から10年、32歳の冬に帰国。
新島は勇躍、欧米に勝るとも劣らぬ近代国家建設に邁進。まず確固たる精神の確立をしなければならぬとし、国民の知識と財産、そして自由と良心の「四大元素」の実現を訴えた。その中心は良心。
基点は「真理はあなたがたに自由を与える」(ヨハネ伝)と説いたキリストに置き、学校建設に奔走。しかしキリスト教への迫害や偏見は、ことの外強かった。
「一度戦って負けてもやめてはならない。…刀折れ矢つきてもなお、やめてはならない。骨が砕け、最期の血の一滴まで流してはじめてやめる」
幾多の困難を乗り越え、ついに帰国1年にして京都に「同志社英学校」を創設(明治8年)。第一期生、わずかに8名。新島はキリスト教の精神で、飲酒、喫煙等を禁じた厳しい規律のもと、学生を愛する一方、叱る愛で、一国の良心たる人物の育成を目指す。門下からは、思想家、学者、文化人、政治家などの多くの逸材を輩出した。
明治23年、大学の完成を待たず、「平和、喜び、天国」とつぶやき、47歳の若さで昇天。不幸にも日本は、新島が重視した「良心」を欠落さたせまま近代化した。倫理観の薄い今日の日本の若者は、アメリカから聖人とされた新島の悲願が、未だ達成されずにいる姿といえようか。