「記号学」から「構造主義」へ
R・ヤコブソン と C・パース
ヤコブソンと「プラハ言語学サークル」

ロマン・ヤコブソン
ソシュールの手を離れた記号学の体系は、大まかな構造主義的潮流として現代思想に流入していきます。しかしバルトを中心とした「ラングの専制」という「反権力へのイデオロギー」は、マルクス主義に飽き足らぬ知識層へと染み渡っていったのです。それがポストモダン思想がもてはやされたゆえんです。
ソシュールの打ち立てた「記号学」の体系は、かくして主としてフランスを中心とした現代思想に大きな影響を与えました。今回は記号学(記号論)と言語学のその後の展開について見てみることにします。
ソシュールから構造人類学を樹立し「構造主義の父」となったレヴィ=ストロースまでの流れを見ると、この両者を結びつけたのが、若くして革命前夜のモスクワ大学で「モスクワ言語学サークル」を主宰したロマン・ヤコブソンです。
ロシア革命直後の内戦で混乱するソ連を避けハプスブルク=オーストリア帝国から独立して間もないチェコに渡り、今度はプラハで1926年に発足した「プラハ言語学サークル」に、ニコライ・トルベツコイらと共に参加。この「プラハ学派」は、ソシュール言語学・記号学影響の下で、言語の本質は音の弁別性にあるとする「音韻論」を展開し、言語学の新しい地平を切り拓きます。
レヴィ=ストロースとチョムスキー
そしてさらにナチス・ドイツにチェコが併合されるとユダヤ人迫害の手を逃れ1941年、ヤコブソンは米国に渡ります。その米国ニューヨークで亡命学者の受け皿となっていた「高等研究自由学院」に移り、1942年、同じく米国で文化人類学の「修行中」だったレヴィ=ストロースに、ソシュール記号学と音韻論を手ほどきしたのが、ヤコブソンでした。このヤコブソンはその後ハーバード大学の教授となり、同じロシア系ユダヤ人の言語学者ノーム・チョムスキーを指導し、やがてチョムスキーはヤコブソンのライバルでもあったL・ブルームフィールドにも師事し、いわゆる「生成文法理論」を引っさげて一躍、言語学界の寵児となります。
今日、チョムスキーは学者としてよりも、マイケル・ムーアと共に9・11テロ後の米国の安保政策を批判する急先鋒として知られていますが、もともとベトナム戦争の際にも過激な反戦運動を支持しているほどの「反米」社会主義者であり、近年では学術論文よりも圧倒的に政治論文の方が多いと揶揄されるように、専ら政治活動家のようになっています。
意味と価値において基準となる差異概念
さて、記号学がこうした内容を説くだけのものであれば、それは何も唯物論や言語原子論のようなものとは趣きを全く異にする思想として、別段目くじらを立てる必要もないでしょう。
しかしながら、如何せん、ソシュールは言語学の領分を遥かに踏み超え、自らの言語学を中核に据えた「普遍的な学問体系としての記号学」の樹立を企図したのです。先にも触れましたが、その上で重要な役割を担ったのが、「差異」の概念とそこから生じてくる「価値」の考え方なのです。
「記号の恣意性」を説いたソシュールの思想体系は、言語のみならず、文化全般というものが、「絶対」「不変」「普遍」「当為」とは対極にある「恣意的なもの」と見なすことで、その文化の持つ様々な意義や価値を解体するよう結果的に仕向けることになりました。それがポストモダン思想に直結するのです。
母語に誇りをもつアイデンティティ
さて、ソシュール思想に関して、「ラングの専制」という内容を先述しました。後の記号論における中心的な役割を果たしたフランスの構造主義哲学者ロラン・バルトが、その「課題」を引き継いだのです。
そもそもフランスは、母国語に対する誇りと愛着が人一倍強く、フランス語がフランス人としてのアイデンティティの主要素となっているほどです。このため、同じフランス語を使いながら、フランス人として生きるよりスイス人としての誇りを貫いたソシュールと、厳格でより美しいフランス語を使いこなすことが求められたフランス人のロラン・バルトとの出自的背景の違い、つまり、厳格なフランス人としてのアイデンティティを求められたバルトの方が、より「ラングの専制」を身をもって実感したということなのです。
反体制のイデオロギーとして肥大化

フランスの象徴の一つであるノートルダム大聖堂
ここで現在の言語をめぐる考え方を見てみましょう。例えば日本では文科省の国語審議会が、「日本語の乱れ」について指摘すれば、時折報道されますが、多民族国家フランスの場合は日本よりもっとセンシティブで「言葉の乱れ」には今日でも非常に敏感です。いいか悪いかはともかく、「標準語」ないしは「スタンダードな国語」というものが存在しています。
そうした状況が例えば、「専制」という強い表現はともかく、「ラング=国語」が「支配」(広く遍く通用しているという意味で)していることがなければ、つまり「標準」が示されなければ、例えば「国語」という試験科目などは成り立たなくなります。これをよく考えると、「スタンダード」を「支配」と捉えれば、教育は成り立たず、したがって言語の混乱、すなわち『旧約聖書』創世記の「バベルの塔」の物語が現実のものとなるのです。
そう考えれば、「ラングの専制」に対する果敢な「抵抗」というものは、結局のところ何を意味するでしょうか。紛れもなく「言語破壊」ということになるでしょう。
標準語としての「ラング」を含む言語とは、そもそも「自分以外の他者とコミュニケーションできてなんぼ」のものなのです。その「専制」に抵抗したからといって、「他人に分からない言葉」を発したり、「他人に分からない文字」を書き連ねたりすることは、まさに独我論の世界であり、周囲からは狂人や変人扱いされるでしょう(他者に理解されることなしに自己顕示すらできないのです)。一部、諜報機関など、組織内部しか分からない言葉や文字(並び)を扱う場合もありますが、大多数の一般人には関係のない話です。
こうした言葉の本義からすれば、「専制を超克できない」と言って悩む方がむしろ狂っている、あるいは病んでいると言うべきでしょう。本当にそうしたいのであれば、ほとんど解読できないインカ文字やマヤ文字などで書き記すか、自分だけの文字を「発明」し、それを信奉者に流布すればいいだけの話です。
つまるところ、ことほどさようにロラン・バルトに至って記号学はますますイデオロギー的に肥大化していった、と見なさざるをえません。
米哲学者パースも独自の記号論提唱
さて、ヤコブソンですが、いわゆる「記号論」ではソシュールの影響ばかりではなく、プラグマティズムの創始者でもある米国の哲学者チャールズ・S・パース(1839〜1914)が独自に展開した「記号論」をも高く評価し、影響を受けています。パースの記号論は、「人間の認識は記号過程」というもので、思考とは、まず何かを指し示す記号が現れ、それを別の何かを示す記号に変換する過程と捉え、「すべての存在は記号である」とする独自の実在論的な世界観を開陳しています。
このほか、ヤコブソンらと共に「プラハ言語学サークル」に参画した「ソシュール直系の言語学者」とも言えるエミール・バンヴェニストや、この「プラハ派」による「音韻論」に対抗して、デンマークにおいて「言語素論」を展開するなど独自にソシュールの記号言語学の可能性を模索した「コペンハーゲン言語学サークル」のルイ・イェルムスレウなども「記号論」の系譜に連なり、R・バルトに影響を与えました。
(「思想新聞」2025年6月1日号より)