麻生発言の真意 「持続可能な社会保障の為に、少子化問題に正面から向き合うべきだ」
麻生太郎副総理兼財務相は2月3日、地元・福岡県内での国政報告会における講演で、日本が中長期的に抱えている問題として少子高齢化問題にを挙げて持論を展開した。
そして、自身が生まれた頃と比べて「平均寿命が30歳長くなったのは素晴らしいことで、国民皆保険のおかげだ。だが、その皆保険も現在は、16歳から64歳の人たち6人で、1人の65歳以上の高齢者を支えている。今は間違いなく高齢者の比率が高くなっている」「年を取ったやつが悪いみたいなことを言っている変なのがいっぱいいるが、それは間違いだ。子供を産まなかった方が問題なんだから」と語り、全世代型社会保障制度の必要性について訴えた。
ところが、この発言が「とんでもない妄言」だとして、マスメディアやネット上で「炎上」。
野党による、本質を伝えない「批判=都合の良い切り取り」
翌4日の全閣僚が出席して行われた衆議院予算委員会で、立憲民主党会派の大串博志氏が「多様な生き方が認められないといけない。不妊治療をし、辛い思いをしている人もいる。極めて感度の低い、不適切な発言だ」と批判し、麻生氏に謝罪と撤回を求めた。
これに対して麻生氏は、「高齢化や長寿化が問題というよりは、少子化の方が社会経済の活力や社会保障、財政の持続可能性の脅威になると申し上げた」と説明した上で、「全体を聞いて頂ければその趣旨はご理解頂けると思っているが、発言の一部だけが報道された。誤解を与えたとすれば、発言は今後気をつけたいし、撤回したい」と釈明、陳謝した。
大串議員の他にも野党は揃って批判の大合唱だ。余談になるが、そもそも大串氏は希望の党から 2017年総選挙で当選し、共同代表選挙に立候補して玉木雄一郎・現国民民主党代表に敗れた。国民民主党には参加せず、旧民進党系無所属の会を経て立憲民主党に合流した御仁だ。
これまでも大串氏は国会で、稲田防衛相に対する追及などで安保音痴ぶりをさらけ出しているが、今回の「麻生氏追及」でも、麻生発言の大局を捉えようとせず、批判に都合のよい枝葉の部分だけを切り取って断罪する、「ストローマン(ワラ人形)論法」によって、ディベートにだけ勝とうという、実に浅薄な「批判のための批判」にしかなっていない。
野党政治家も、社会保障の全体像をどう捉え、どう対策するかを発言すべきだ
麻生発言もお世辞にも「キレイな言葉」と言えず、相変わらずの「べらんめえ調」だが、
その本質は、「日本の国難」として位置づける少子高齢化への対策を政治家としてどう認識するのか、という点で決して間違っていない。
むしろ大串氏はじめ、野党の政治家らは、社会保障の全体像をどう捉え、どう対策を考えようとしているか、そのビジョンが全く存在しない。
現実問題として、子を産まなければ人口が増えない。人口が増えない状態のまま同じ行政サービスを続けようとすれば、税負担はどんどん重くのしかかってくる。だから、子を産み育てたい、と若い世代が思うインセンティブを与える政策が求められているのだ。子を産む産まないを決めるのは女性の権利(「リプロダクティブ・ライツ」)だ、とフェミニストは強調してきた。昨年、杉田水脈議員の「生産性がない」発言でも物議を醸したが、「リプロ」とは直訳すれば「再生産能力」なのだ。
麻生発言は、誰か特定の個人の生き方を非難しているわけではない。この発言の批判のやり方は、まさに「文化共産主義」とも言うべきフランクフルト学派の「批判理論」そのものだ。フランクフルト学派のアドルノは「アウシュヴィッツの後で詩作することは野蛮だ」との言葉を残し、文藝を「反戦」の文脈で捉えるように仕向けようとした。
例えば、世間で「父の日に感謝を」という時、「母子家庭が排除されてる」と勝ち誇ったように言い募る連中だ。このような論法が文化・伝統を破壊させる道具にされてしまっている。こうした議論からは建設的な政策論など一切出てこない。そんな議論にばかり頼っている野党になぞ、国民の支持を受けることができないゆえんである。
思想新聞「文化共産主義に警戒を」2月15日号より(掲載のニュースは本紙にて)
2月15日号 「虐待から子供たちを守れ」家庭教育支援条例の制定を急げ/ 東アジアと日本守る栃木大会300人 / 主張「核抑止力を構築し平和を守れ」 etc