「思想新聞」10月15日号から連載【共産主義「定点観測」】の記事を紹介します。
前回はジャニーズ事務所の故ジャニー喜多川元社長の性加害問題に絡んだ記者会見をめぐる一連の報道について、日本よりも世界の方が若年の性犯罪問題に厳しい対応であることを紹介した。
ところが、メディアについては報道が事務所の問題点であることを知りながら、ジャニー喜多川元社長について「忖度」され故意にと言ってもいいほどスルーされてきた事実がある。
それが今年の英BBCによる「J─POPの捕食者秘められたスキャンダル」というドキュメンタリー番組での報道をきっかけに、完全に流れが変わったと言えるのに、メディア各社はそれでも消極的だった。
それはジャニー喜多川氏の性加害問題の根が深すぎたとも言えるだろう。だが、メディア側が言い逃れできないのが、ジャニー喜多川氏による「性加害問題」をめぐる文藝春秋社との裁判(1999年に事務所側が『週刊文春』の報道は名誉毀損だとして提訴した訴訟は、ジャニー氏の性加害問題について事実認定される確定2審判決が出たのが数年後)では、「性加害」は認定されたが、裁判結果も文春を除き報道されず、「暴露本」により「都市伝説」として扱われてきた。
メディアの「道義的責任」は?
今日では「報道しない自由」と開き直る向きがあるがそれはジャーナリズムとは言えない。そうしたマスコミ、メディアの「反省なき驕り」のようなものが、10月はじめのジャニーズ事務所の2度目の記者会見に現れたように見える。つまり会見をアレンジした業者が記者の「NGリスト」および「OKリスト」を用意し、記者会見そのものが怒号で混乱する場面や、会見後にジャニーズ事務所側の「対応のまずさ」が大炎上し、NHKでの「暴露スクープ」に始まり、各テレビ局がそれに追随するといった状況がそれだ。
もちろん、ジャニーズ事務所が創業者の性加害問題を引きずり、それを反省し解体的出直しを図ろうとすることに厳しい目を向けるのは当然で、本来なら創業者が生前に罪を償うべきことであったということは言えるだろう。
だが、それをメディア各社が半ば「共犯」とは言えないまでも、互いに利用してきたような立場にあり、いわば「スネに傷」あるような立場でありながら、「裁く」側に回るというような状況は、釈然としないものを感じる。こうしたメディアに携わる人々がよく口にする「道義的責任」はどうなのかと。そう考えると、かつての朝日新聞の「サンゴ捏造事件」やテレ朝「椿事件」、TBSの「オウム報道」事件など、各メディアからすれば自戒とすべき事件の数々が脳裏に浮かぶ。
「拉致監禁」を隠蔽したい疑惑
ユーチューバーの三津間弘彦氏によると、①ジャニーズ事務所の問題を全く取り扱ってこなかったマスコミの癒着と瑕疵を指摘されたくない、ジャニー喜多川氏に責任の全てを押しつけて幕引きを図りたい事情②人権侵害・ハラスメントの言葉で性加害を認知できなかったことを正当化③癒着の疑惑とマスコミ関係者への調査が行われていない——といった問題点を指摘。
その上で、同日に行われた会見で旧統一教会の拉致監禁問題の被害者である後藤徹氏の12年間監禁状態に置かれ棄教を迫られた事実が明るみに出ることを隠蔽したい疑惑も強調した。
地上波ではTBS「サンデージャポン」で太田光MCが米本和弘氏の本を元に旧統一教会の拉致監禁問題を指摘し、番組内外で有田芳生氏や紀藤正樹氏が「拉致監禁ではなく脱会説得」と訂正させた。これは「拉致監禁」だとディプログラミング(強制改宗)側からすれば都合が悪いからだ。
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の「たとえこの構築物が最高に素晴らしい驚異をもたらすために、たったひとりの涙という代償しかいらないとしても、そんな代償を払うことを拒絶する」を援用し哲学者ヴェイユが「ひとりの子どもが流す涙を埋め合わせると称するいかなる理由も、わたしにこの子の涙を受け入れさせられない」と述べ、その例外を「神による超本性的愛」とした。
「被害者救済」の名の下に「カルト信者の涙など無視できる」という理屈が通らないのも明らかだろう。
【思想新聞月10月15日号】「ナゴルノ」と台湾 中露の影響力低下明らかに