命が尽きてしまう前に娘を救いたい―との願いも叶わず、北朝鮮に拉致された有本恵子さんの母・嘉代子さんが94歳で亡くなった。
恵子さんは英国留学中の1983年に消息不明となり、88年に石岡亨さん、松木薫さんと3人で北朝鮮で生活しているとの手紙が北海道の石岡さんの実家に届いた。その情報を元に北朝鮮にパイプを持つ神戸が地盤の土井たか子社会党委員長らを訪ねるも、相手にされず逆に朝総連にリークされ、あげくは荒立てるなと後に社民党に釘を刺される。
97年に横田めぐみさんが脱北工作員により北朝鮮に拉致されたとの証言を受け、拉致被害者家族会が結成、救う会と共に救出運動が始まった。
政治家が誰も相手にしなかった時、親身に対応したのが安倍晋太郎事務所で、安倍晋三首相は当時秘書官だった。2002年、官房副長官として小泉首相訪朝に同行した拉致被害者帰還の立役者。そんな人をもってしても、救出が一向に進まないと批判の声は小さくない。それだけに訃報に際した首相の「痛恨の極み」発言は重い。
恵子さん拉致実行犯の八尾恵元店主が土下座で謝罪すると、嘉代子さんは「よう話して下さった」と許し、子供を北朝鮮に置いてきた加害者を気遣う優しく、器の大きな「母」だった。
かつて拉致救出集会で「運動を通じ日本人の素晴らしさを理解した」と改憲にも触れ立派な主権国家に戻ってと嘉代子さんは訴えた。
その想いは安倍首相の改憲への執念にも現れている。
思想新聞【風声】2月15日号より(掲載のニュースは本紙にて)
2月15日号 【北朝鮮】 三重苦で体制崩壊の危機 新型肺炎感染が止め刺す / 《日本を揺るがすチュチェ思想》元共産党員のジャーナリスト 篠原常一郎氏 / 主張「感染症にも緊急事態条項が必須だ」