11月2日、東京・新橋の公園に生後間もない女児の遺体を公園に埋めた容疑で、神戸市西区の母親・北井小由里容疑者(23)を逮捕したと警視庁が発表。
事件は昨年11月8日に東京都港区立イタリア公園の植え込みの土中から遺体が発見され、ヘソの緒が付いた生後間もない女児で口にティッシュが詰められ、司法解剖から死産ではなく窒息死と判明。警視庁では周辺住民への聞き込みの他、周辺の防犯カメラに映る3万人弱の動きから手提げ袋を手に公園付近を歩く北井容疑者が浮かび、当時大学4年で妊娠するも出生届が出されず、産婦人科の受診記録から逮捕となった。
北井容疑者は就職活動で度々上京し、航空機で羽田空港に到着した直後に、「空港の多目的トイレで出産し、泣きやまなかったので首を絞めた」と遺棄容疑のほか殺害も認めたという。産婦人科を受診したのは妊娠28週頃で、診察した医師は中絶はできないと説明した(東京新聞)。調べで北井容疑者は母親に対し受診したが妊娠ではなかったとウソをついたという。
赤ちゃんの人権にはノータッチ、大炎上した共産党国会議員の発言
こうした事件の一連の報道を受けて、日本共産党の田村智子参院議員は「トイレで1人で出産、どんなに怖く苦しかったか。出産直後に普通を装い歩き、彷徨い、公園の土を掘り起こす。想像できないほどに辛い、あまりに辛い。望まない妊娠を自己責任として背負い、追い詰められたのではないのか。女性のプライバシーを追うよりも、考えるべき問題に迫る報道であってほしい」とツイート。
この発言が案の定、「殺された子供の気持ちはどうなるの?」「苦しかったのは赤ちゃん。親を選べなく生まれてすぐに母親から殺された」「生まれた赤ん坊の人権は?人権を重んじる共産党とは思えぬお言葉!赤ん坊にも人権はあります」と批判、大炎上。
この田村議員のツイートは、「罪は犯したが更生すれば将来ある若い女性」のプライバシーを露わにする事件報道を非難するという趣旨だろう。
だが、いやしくも国政に携わる政治家であるなら、嬰児の命を奪う前にもっと社会資源、福祉の支援を受けるようアドバイスすべきだ。確かに孤独な環境で一人で悩んでしまうことはいくらでもある。だが親にも相談できないケースなど、いくら望まない妊娠だからといって、小さな命を殺めることは許されない。
そんな時に、共産党、あるいは彼らの信奉する共産主義(唯物論)という「死ねば単なるモノ」という思想の馬脚が見事にあぶり出された。「戦争反対」「核兵器反対」「自衛隊は武器で人殺しの訓練する」という政治スローガンに飛びつくのは、 「命が大事」だからにほかならない。
蔓延る共産主義唯物論で、軽視される胎児の命
しかし、妊婦のお腹の中で生まれようとしている胎児はヒトの生命体ではないのか。
ペットとしてのイヌやネコの生命は愛おしく尊いと思う優しさは、人間には備わっていると思うのだが、田村議員にとっては、望まれずに生まれた嬰児の生命はペットや家畜にも劣るというのだろうか。
例えば、ウシやウマなどは生後数時間で自分の脚で立つことができ、最悪、放っておいても生き残れる。
それに比べヒトは弱い。生き物の中で最も手間が掛かる存在がヒトなのだ。その弱さを全力で守るのが母親の存在だ。そしてその母子を守るのが父親。
そんな生命の基本的なことを教え、社会が支援するのが、「家庭教育支援」という福祉の在り方だ。
人間が大人になり子供を生み育て、親としての務めを果たすという真っ当なライフスタイルを示すことは、極めて真っ当な社会だろう。
だがこうした社会の在り方に疑義を呈し、「政府は介入するな」と「多様な生き方」を主張する、まさに伝統・文化否定の価値観が共産主義唯物論である。
米国では「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大事)」という。だが、「ベイビー・ライブズ・マター(赤ちゃんの命は大事)」ではないのか。
胎児の「命」を大事に思ったからこそ、ドナルド・トランプ米大統領は今年1月、現職として初めて人工妊娠中絶反対集会「命のための行進」に参加し演説した。そんな一面を日本のメディアは歯牙にもかけないのだ。
思想新聞【文化共産主義】新橋事件で炎上した共産党の生命観 11月15日号より(掲載のニュースは本紙にて)
11月15日号 敗者は世論調査機関とメディア「トランプの闘い」は継続する / 若者が改憲実現訴える 東京でオンライン集会/【主張】国難に備え今こそ新憲法の制定を