■ 勝共理論 - 人間疎外論
共産主義思想には人間疎外論という哲学理論があります。哲学理論でありながら、経済理論と密接に結びついているので厄介です。
「疎外」というのは、「人間が本来の人間らしさを失っている」という意味です。人間らしさを失っていれば、どれだけ頑張っても本当の喜びは得られないということになります。これは哲学的なテーマです。人間はいかに疎外から解放されるのか。そして真の人間性を取り戻すことができるのか。これが人間疎外論の趣旨です。そしてマルクスは、真の人間性を取り戻すには資本主義社会を打倒する以外にないと結論づけました。具体的には、資本主義社会には以下に示す「四つの疎外」があると述べました。
第一は「労働者からの労働生産物の疎外」です。いくら労働者が商品を生産しても、それは労働者のものにならずに資本家のものになってしまう。そしてそれがまた新たな資本を形成する。結局は労働者がまた支配される。つまり労働者は熱心に労働するほど、ますます虐げられるようになるというのです。このことをマルクスは、「資本とは吸血鬼のようである」と言いました。資本(=私有財産)が、労働者の労働を吸収しながら増殖していくという意味です。また、この疎外が他のあらゆる疎外を生み出す元凶でもあるとも言いました。
第二は「労働者からの労働の疎外」です。本来は人間にとって労働は自発的であり、喜びであるはずだが、資本主義社会における労働は資本家のものであり、強制的である。そのため喜びがなく、苦痛となるというものです。
第三は「類的本質からの疎外」です。これらの疎外によって人間は、人間の類的な(人間らしい)生活である「自由なる創造活動」が営めなくなるというものです。もちろんこの前提には、「サルが労働によって人間になったのだから人間の本質は労働である」という理論があります。
そして第四は「人間からの人間の疎外」です。資本主義社会では、労働者と消費者が対立関係にあるため、消費者が労働生産物によって喜ぶ姿を見ることができない。だから労働の喜びを感じることができないというものです。
さらにマルクスは、労働者だけでなく、資本家も真の人間らしさを失っているといいました。資本家は多くの財産を得て快適な生活を送っているように見える。しかしそれは外見にすぎない。彼らも真の人間性を取り戻すためには労働者にならなければならないというのです。
以上が人間疎外論の概要です。この理論に基づけば、資本主義を打倒しない限り人間は人間らしく生活することができません。こうして革命絶対論が正当化されることになりました。
では批判と代案です。まず、1917年にロシアで共産主義革命が初めてなされて以降、共産主義国家で「人間が人間らしく生きる」という社会が実現したことは一度もありません。実際には、共産党という新たな特権階級の出現、激しい人権弾圧が生じ、時には何万というたくさんの命が「共産主義に反する」という理由だけで消されてしまいました。
では人間疎外論は何が間違っていたのでしょうか。まず、疎外の本質を捉え間違えました。「人間が人間らしく生きる」というのは人間の精神的な問題です。ところがマルクスは、その原因を物質である「資本」にすべて押し付けました。「資本」こそが人間性を失わせる元凶であるというのです。これでは物事を正しく判断することはできないでしょう。
次に、同じ人間でも労働者は神聖視し、資本家は敵視したことです。労働者といえども権力を独占すれば、悪の権化と化すのは当然です。共産党による支配で人間らしさが取り戻されるなど、ありえない話だったのです。