安倍晋三元首相の「遺志」成就を誓う

 安倍晋三元首相の非業の死から1年が経った。この1年、「安倍晋三」という重石がとれた左翼勢力は、まるでわが世の春と言わんばかりに氏を貶めること(すなわち安倍政治の否定)に躍起となってきた。共産主義を信奉するマスコミ人、弁護士、政治屋、学者、宗教人らはその本性を露わにして殺人犯を「英雄」のごとく奉っている。まことにもって世は終末である。国を憂うる良識ある国民は「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」の言葉を想起するときである。日本を滅ぼそうとする共産勢力の闊歩を許さず、安倍氏の「遺志」を顕現せねばならない。

  「遺志」とはいったい何か。それは「日本を取り戻す」ことである。取り戻すべき日本とはいかなる日本か。安倍氏は戦後生まれの初の宰相となった平成18年、第1次安倍政権の所信演説においてこう語っている。

 「日本を、世界の人々があこがれと尊敬をいだく、そして子供たちの世代が自信と誇りを持てる『美しい国、日本』とするために全力を尽くす」(同年9月26日)

安部晋三元首相の1周忌法要に参列した岸田文雄首相

安倍氏の初心は美しい日本創建

 安倍氏のこの「初心」を刮目すべきである。美しい国を目標に据えるのは、戦後日本がそれと真逆にあったからだ。つまり、美しくない、言い換えれば醜くかったということだ。極論すれば、歴史と伝統を顧みず、人権と個人至上の鵺のようなエセ日本人となり、自国の守りを他国の青年の血にゆだねても恥じず、国際社会の平和創出にも汗を流さそうとしない卑劣な国である。

 このような国を世界の人々は憧れるわけがない。尊敬もされない。神を畏れない国。仏心を抱かぬ国。それが戦後体制すなわち「戦後レジーム」だ。それは敗戦直後の軍事占領下で俄に作文され、日本の歴史と伝統を抹殺しようとした「マッカーサー憲法」の所産だ。それゆえに「戦後レジームからの脱却」とは自主憲法制定にほかならない。

 もとより政治は現実的な営みである。現在の改憲論議は新たな憲法の制定や逐条的改正論でなく、言ってみれば「付けたし改憲論」だ。自主憲法制定を党是とする自民党ですら、自衛隊の明記と緊急事態条項の創設、参議院選挙区の改正、教育環境改善の「付けたし」の4項目改正にとどまっている。これはこれで必要な現実的な対応ではあろうが、安倍氏にとっては「わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山」の心境ではなかったろうか。

 とは言え、付けたし改憲にせよ、逐条改憲にせよ、改憲には「精神革命」が必須である。このことは自衛隊を憲法に明記することを考えれば一目瞭然だろう。

 現行法でも自衛隊の任務は「我が国の平和と独立を守る」ことでり(自衛隊法第3条)、自衛隊に入隊した国民は「服務の宣誓」を行うことが定められている(同53条)。宣誓は「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」である。

 はっきり言えば、戦争になれば死ぬことを恐れず任務を全うするという誓いだ。個人を犠牲にして他者のために死も厭わない。そのことを自衛官に求めている。現行法でもそうだが、自衛隊を憲法に明記するということは、国民全体がその覚悟を共有することを意味する。国を守るために、国民を守るために死ぬことは名誉である。肉体の生よりも尊い魂の「生」がある。自衛隊の憲法明記は、そういう意味だ。国民皆がその覚悟を示すことなのである。

 元来、国を守るのは国民すべての義務である。第2次大戦の敗戦国のイタリアは憲法に「祖国の防衛は市民の神聖な義務である」(52条1項)と明記する。国防義務の憲法明記は世界の常識であるからだ。義務とは「何をしなければならないか、何をしてはならないか」すわなち「よいこと」「わるいこと」を自覚し行動する責務のことを言う。 

 国を守ることに日本国民はその覚悟を示す、すなわち道徳規範を共有するのが改憲の内的意味なのだ。それゆえに改憲には「精神革命」が必須となるのである。

改憲は道徳基盤造成の精神革命

 古来、道徳に基づかない法は存在しない。民主主義国家にあっても統治システムが異なるのは、法が人為的加工的に作られるものでなく、人々が持つ本来的な道徳規範に支えられて成り立つからである。憲法は英語で「コンスティテューション(constitution)」と言うが、これは体質という意味があるように憲法は国の体質、いわゆる国体を体現するものなのだ。

 英国は成文憲法をもたないが、それは祖先から相続してきた目に見えぬ法(コモン・ロー)や世代を超えて生命を得ている慣習・習俗、あるいは貴族制度、教会制度、そして国家といった多年にわたり根本的に保持してきた、蓄積されてきた叡智をもって「憲法」とするからである。

 わが国は明治維新後、「近代国家」を目指して成文憲法をもって国体を明確にしたが、その営みは敗戦で絶たれたといっても過言ではない。歴史的な道徳観、国家観を国民的共通基盤にしなければ、改憲の意味がないのである。

 精神革命なくして「美しい日本」は取り戻せない。それが安倍晋三氏の「遺志」であると我々は考える。1回忌に当たって精神革命の貫徹を誓いたい。

【思想新聞月7月15日号】ワグネルの反乱 プーチンの権威失墜/真・日本共産党実録

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