文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜(45)

クレムリンの闘争と盟友との対立

パルミーロ・トリアッティ(中)

 前回は「構造改革路線」を理解しやすくするために日本の旧民主党政権における事例を挙げました。イタリア共産党(PCI)が1940年以降採った「社会主義へのイタリアの道」が、ある意味でかなり現実路線でしたが、それはコミンテルンを中核とする「正統派マルクス主義」たる「ソヴィエト=ロシア・マルクス主義」とは明らかに方向性を異にしています。

グラムシの革命戦略をさらに「薄める」

 トリアッティの構造改革路線は、ユーロコミュニズムという思想潮流の必然的帰結と言えそうですが、重要なのは、トリアッティの打ち出した理論が、盟友グラムシを敷衍したと見なすなら、それは「マルクス主義の変質」というよりむしろ、グラムシの革命戦略論が薄められたにせよ、「革命への過渡的なアプローチ」と見なすべきでしょう。

「社会主義へのイタリアの道」の主張は、実にシンプルで明快です。すなわち、マルクスの予言した「資本主義の終焉」は迎えておらず、しかも「帝国主義」も残存する。その現状をはっきり認識しているのが、トリアッティの分析です。

 このトリアッティの「宣言」は、レーニンが革命的現実をマルクスの体系の中で捉え、「マルクス=レーニン主義」というドグマを構築したのに対し、トリアッティら構造改革路線は、マルクスの「予言」や「教説」に現実を押し込めることはなかったものの、「我々はイタリア社会の経済諸構造を大きく修正させるために、民主主義の領域で労働者大衆及び勤労者大衆の行動と闘争とを発展させようとしている」という基本路線を呈示し、暴力革命による「ボリシェヴィズム」とは異なる方法論を採ろうとしたわけです。しかし、かといって人民民主主義やボリシェヴィズムそのものを否定したわけではなく、「異なる社会主義への道」ということでした。

 ただ、日本共産党の言う「民主主義」と、社民党の言う「民主主義」、民主党の言う「民主主義」というのは実は微妙にニュアンスが異なると言えます。

 日本共産党では「民主集中制」と呼ばれるように、中国共産党と同じくプロレタリアートの民主主義、つまり「人民民主主義」を意味しています。これが「プロレタリア独裁」の素地になります。しかし、トリアッティや社会民主主義ではより大衆を重視し、ブルジョワジーを打倒すべき存在として敵視するのは変わりませんが、漸進的に克服すべきものと見なします。

 さて、戦後ヨーロッパで独自の「ユーロコミュニズム」路線をいち早く取ったのがイタリア共産党と言え、東側諸国のいわば「閉鎖的な暗さ」とは異なっているような印象を受けます。ところが、実際には、スターリン全盛の時代には、トリアッティらも過酷なサバイバル・ゲームを生き残っていかなければなりませんでした。

 その一端として現れたのが、「グラムシ書簡事件」です。トリアッティは早世したグラムシの遺志を引き継ぎ伊共産党を牽引していったと言えますが、コミンテルンの問題に関し実はトリアッティはグラムシと対立したことがありました。

コミンテルン分裂を危惧したグラムシ

 1920年のミラノのアルファロメオ工場の労働者評議会による占拠事件、21年の社会党(PSI)の脱退と共産党(PCI)結党、22年のムッソリーニ政権の誕生と続き、26年のリヨンでの党大会直後にソ連に出国しコミンテルンのPCI代表となります。このコミンテルンとの関係から、トリアッティの「したたかな政治家」というキャラクターが醸成されたと見てよいでしょう。そこで山田薫著『イタリア共産党と戦後民主体制の形成 トリアッティの政治戦略の展開』では次のように記述されます。

  ◇

 1926年夏、VKP(ソ連共産党)内部の権力闘争に勝ったスターリンやブハーリンらは、トロツキーやジノヴィエフらの反対派を党内の役職から解任し、あるいは除名した。この問題をめぐり、トリアッティとグラムシとの間に対立が発生する。トリアッティは主流派を支持していた。一方グラムシは、(PCI政治局の名で)10月14日付の在伊ソ連大使館に宛てた書簡において、VKPがレーニンの影響の下で「……革命の原動力」と称賛しながらも、トロツキーら反対派を中傷から弁護する態度を表明。さらにグラムシは、トリアッティに宛てた書簡で前述の書簡をVKP関係者に直接見せないように要望したが、トリアッティはそれを裏切る形で交友関係のあるブハーリンに見せて……ブハーリンとVKP政治局は、PCIがトロツキー的路線に基づいているという疑惑を深めた。トリアッティは、グラムシの書簡がPCI政治局の名で出されたことで、PCIの前途を懸念していた。彼は、グラムシへの返信において、VKP指導集団内に発生した分裂を現実として認識し、勝者と敗者との区別を明確にすべきであり、敗者の手助けをするようなことは厳に慎むべきだ、と強い調子で忠告した。これに対し、グラムシの返書は非常に辛辣な論調を帯びており、VKPの統一を無傷のまま保つのは……一応認めながらも、このことは「ソ連の同志たちの政治的良心を喚起すると共に、彼らの態度が取り返しのつかない事態を招きつつある危険性を精力的に訴えることが我々の絶対的義務だ」。

  ◇

グラムシを売った? トリアッティの保身

 この間のクレムリン内部での闘争とPCI(伊共産党)執行部を図式化したものが、別掲のチャートになります。グラムシの書簡はコミンテルン最高指導部が分裂含みの内部抗争を行っている事実を危惧したものですが、あえてこれをグラムシの要望に反しブハーリンに見せたことで、トリアッティは自身がトロツキー派に肩入れしているのではという嫌疑を免れるための、いわば自己保身の所業と見なせなくもありません。実際にこの後、PCI関係者は、疑心暗鬼となったクレムリンからは苛烈な制裁を受けることになるのです。トリアッティにとりともかく「勝ち馬」に乗ることが先決だったのです。

(「思想新聞」2026年3月1日号より)

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