文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜(50)

代議政治を骨抜きにする自治基本条例

松下理論と「市民自治」

  松下圭一法政大名誉教授が提唱し、旧民主党政権(特に鳩山由紀夫・菅直人両内閣)で突如湧き出てきた「新しい公共」「国会内閣制」「地方主権」の概念は、実は恐るべき国家解体思想を胚胎したものです。特に「市民自治」理論を地方自治体に埋め込んだものが「自治基本条例」であると言え、かつてのソビエト共産主義体制、すなわち共産革命に直結する道を開く危険なものだったのです。

維新の会と地方政治改革と地域主権

 自民党と連立与党として高市早苗政権を支えるのが「日本維新の会」。同党はかつて橋下徹元大阪市長と石原慎太郎元東京都知事が共同代表を務めた頃は、政界再編の波と相まって躍進ぶりが際立ちましたが、もともとは地域政党「大阪維新の会」が中核となりました。

 江戸時代は幕府直轄地(天領)だった大坂が「都」に名乗りを上げ、旧来からの東京への対抗意識とも相まって、「地方の反乱」に火を点けたと言えます。さらに名古屋を核とする中京圏では、河村たかし名古屋市長(当時)が地域政党「減税日本」を率い、官僚主導の「中央集権」体制に「NO」を突きつけました。政権交代時の民主党も官僚主導の中央集権型行政を転換することをマニフェストに掲げていました。

 確かに、「殖産興業」と「富国強兵」をスローガンとした明治以来の日本は、一種の「封建的連邦国家」と言えた江戸幕藩体制時代に比べると強力な中央集権国家でした。いつの間にか旧大蔵省をはじめとした中央官庁が予算や事業認可の権限を武器に地方行政を牛耳るような事態に陥っていました。

 この弊害をなくそうと橋本龍太郎内閣の時に省庁再編が行われるも、本質的な「構造改革」はなされず、痺れを切らしたのが橋下氏の「維新旋風」でした。

 民主党政権でも「公務員改革」をマニフェストに掲げたものの、実際にはほとんど何も変わらず、掛け声ばかりが目新しい「地域主権」が叫ばれるようになったのです。まさに「地域主権は下からの共産革命」(嶋田陽一氏「リバティ」参照)と言えるのです。

国家による掠取と称し市民立法を正当化

 さて、故・松下圭一法政大名誉教授の著『市民自治の憲法理論』は、そのタイトルに表れるように、「市民」が至るところに頻出します。その目指すところは「市民立法」という語に顕著に表れています。

 通常、「立法府」と言えば、「司法・立法・行政」すなわち、「三権分立」という場合の「三権」のうちの一つで、「国会」がそれにあたり、日本国憲法でもその旨記載されています。ところが、松下の場合、現在の「国会は真の民主主義を体現してはない(官僚主導による国家主義に掠め取られている)」(『政治・行政の考え方』)と断じて、この「立法権を市民の手に取り戻すこと」をしきりに息巻いています。

 しかし、これは松下理論に基づく「国会内閣制」と同様に、一種の「解釈改憲」にほかなりません。つまり、表では「護憲」を後生大事に唱えながら、その一方で、裏では密かに憲法の構造を「骨抜き」にすることが目論みられている事実は、指摘しなければなりません。

誤った民主主義を盲目的に信仰

 かつて古代ギリシャのアテナイで行われた民主主義政体は直接民主政であり、長谷川三千子・埼玉大名誉教授は『民主主義とは何なのか』で、今日「民主主義の語源」とされる「デモクラティア」は「善い意味」では使われず、むしろ宗教的伝統を重んじた「イソノミア」という概念が尊ばれていたと指摘しました。日本国憲法下の日本は、これまでなかったかのごとく「民主主義」ばかりが強調され、その理想形態として「直接民主政」がもてはやされました。

 この点はかつてジャン・ジャック・ルソーが私有財産制度廃止と直接民主政を理想とした思想内容が、ロベスピエールらによってフランス革命の理念として受肉化されたのです。

 この「ルソー主義信仰」とも呼べるものが、植木枝盛や板垣退助らの旧土佐藩士を中心とした自由民権運動以来、連綿として続いているとも言えます。この「直接民主政」をいわば、現代において実現させようとしたものこそ、松下圭一による「市民立法」の考え方だと言えるでしょう。

 松下圭一はルソーの直接民主政治論を次のように理想視していました。
     ◇
 市民立法という考え方は、自治体、国を問わず代表機構としての長・議会を否定ないし無視するのではなく、基本の代表民主制度を踏まえ、かつそのバイパスとして直接民主制度の開発を意味します。つまり、代表民主制を基本とするにもかかわらず、市民立法のパイプの〈多元化〉とみなすべきです。そのとき……市民みずからによる条例、国法、ときには国際法の立案・作成あるいは選択となり、アクチュアルな市民主権の発動となるわけです。……代表民主政治においては、ルソーが述べたように選挙のときのみ市民が主権をもつのではないならば、各政府レベルにおけるこの日常の政治ないし立法への市民参加が代表民主政治の土台なのです」(松下圭一『政治・行政の考え方』)
     ◇
 仮に、全国民が「市民代表」として国政にしろ地方政治に参加したとします。国会というものは、ご存じのように、審議が深夜にまで及び、採決が真夜中に行われることも珍しくありません。これ一つとっても、直接民主政の難しいゆえんなのです。

 古代ギリシャで哲人ソクラテスは、アテナイ市民に対して様々な論争をして歩いたと言われますが、そういったアテナイ市民たちは「スコーレ」(暇)があったから可能でした。

忙しい現代に巣くう「プロ市民」

 翻って、現代の私たちは、すべてそのような「暇」を持っているとは言えません。「世帯主」として家計の屋台骨を支える成人男性にとっては特に、「代議制民主主義」こそ、有り難い制度になっていると言えるでしょう。こうした意味で「市民代表」としてしばしば地方政治に参加する向きには、しばしば「プロ市民」と呼ばれる「職業活動家」の存在が出てきます。彼らは仮に選挙で勝てなくとも、「市民代表」として一定の影響力を政治に与えることができるのです。

 このために彼らはいくらでも市民団体や「○○評議会」、NPO法人などを「設立」しては「市民代表」として政治に関わろうとします。もちろん、中には、純粋な動機でそうした組織を造ったりもするのでしょうが、そうではない悪質な輩が存在することに留意すべきでしょう。

 かつてロシア社会民主党に所属したレーニンは、労働者などの評議会(協議会)=ソヴィエトを効果的に用いて、ツァーリ帝政末期に開設された国会(ドゥーマ)を機能停止させ、「全ての権力をソヴィエトに」置くことを唱えました。このように、暴力「革命」によって国会を機能不全に陥らせ、その一方で、評議会組織をそれに代替させる。これが、共産主義者の手法であることを、私たちは歴史的な教訓とすべきでしょう。

 このレーニンが手兵とした「ソヴィエト」の手法を、現代に甦らせたものこそ、松下の「市民自治」理論を地方自治体に埋め込んだ「自治基本条例」だと言えます。別掲図のように、ソヴィエト(評議会)の役割をまさに「市民による協議会」が担う相似的なものであることを物語ります。そして実際、カコミに挙げた条例が、2001年に北海道ニセコ町の「まちの憲法」として作られ、それを松下自身が礼賛しています。

 さらに、松下圭一の弟子筋の菅直人元首相の選挙区を継いだ弟子の松下玲子前衆院議員が武蔵野市長時代の2021年に外国人投票権を認める住民投票条例案を市議会に提出し否決されていますが、こうした人々はまさに松下理論の申し子と言っていいでしょう。


「自治基本条例」に胚胎する共産主義

 1960年代に飛鳥田一雄横浜市長(後の社会党委員長)は革新自治体を政府に対抗する「革命の砦」にすると豪語した。…首長を獲っても議会与党が少数であることが多く、行動が制約された。そこで「住民参加」の名のもとに「街づくり評議会」や「住民参加委員会」といった会議(ロソビエト)が組織された。ロシア革命では上図のように政府や議会とは別の権力機関(ソビエト)を作って革命に導こうとした。それを目指したが、70年代に革新自治体ブームは終わってしまった。…首長が保革の誰であっても、また議会がどの党派に握られていてもソビエトが生き残れる仕組みを作ろうと考え…条例を作る。言ってみれば自治体にソビエト遺伝子を埋め込む。それが自治基本条例の狙いである。

 市民派(左翼)学者が全国の自治体に働きかけ01年に北海道のニセコ町で制定されて以降、全国に広がってきた。そのニセコ町長だった逢坂誠二氏(現衆院議員)は鳩山政権では地域主権担当の首相補佐官となり…菅政権では地方自治体に直接関わる総務大臣政務官となっているのだ。…自治基本条例を要約すると、次のようになる。

 ①地方分権や地方自治を口実に「地域の憲法」としての自治基本条例が不可欠だと吹聴②自治体に「自治基本条例策定検討委員会」を作らせる③検討委には住民参加の名の下に「公募市民」(プロ市民=左翼が公募で入り込む)を中心に据え、学識経験者(左翼学者)や自治体職員(自治労活動家)で構成させ、議員を意図的に加えない④町内会や青少年育成団体、市政協力員、地域防災組織、PTAなど既存の地域住民団体を排除し「公募市民」と左翼学者らで条例案作りをリード⑤条例を自治体の憲法と位置付け「最高法規」と称する⑥「協働」の美名で執行機関と議会を相対化(形骸化)⑦将来にわたり左翼が自治体を支配するため条例改廃まで審議させる「自治条例推進委員会」といった推進機関を設置⑧議会を骨抜きにする常設型の住民投票制を導入⑨NPO(実際は左翼集団)への予算投入などの支援を義務づける——というのが自治基本条例の骨子である。

 これが首長選挙や議会選挙で多数派になれない共産主義勢力が考えついた地方自治を乗っ取る仕組みである。(『世界思想』2011年4月号)

(「思想新聞」2026年5月15日号より)

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