普遍基本法原理を至上視するが…
松下圭一の構造改革理論 (上)
戦後日本と構造改革と松下圭一の憲法観
前回も言及したように、トリアッティの率いるイタリア共産党が日本の左翼リベラル界隈(特に戦後日本の)にもたらした重要なものは、「構造改革(改良)」路線です。それはかつて第2インターでベルンシュタインらが提出した「修正主義」の烙印を押され「正統派」に否定された歴史的経緯をふまえ、周到かつ慎重に理論構築しようと試みたのです。
戦後日本をプロデュースしたと言えるGHQ(連合国軍総司令部)による占領政策とこれに絡むコミンテルンの意を受けたOSS(戦略諜報局)による意思も含む歴史観と共産主義的政策に、戦後日本は翻弄されてきたともいえます。それはトリアッティの構造改革論を打ち立てた無関係の話ではないからです。
実はそれを代表しているのが、松下圭一・法政大名誉教授(1929~ 2015)の理論です。トリアッティの稿でもふれたように、旧民主党政権、とくに「菅直人│仙谷由人政権」で目指したものが実は、松下圭一教授の「構造改革路線」であったことは、周知の通りです。
2015年に85歳で死去した松下圭一法大名誉教授は、福井市生まれで第四高等学校から東大法学部へ。東大では戦後の政治学の頂点に君臨したリベラル知識人の丸山真男の門下生となり、長らく法政大教授を務め、日本政治学会理事長や日本公共政策学会会長を歴任しました。ゴリゴリのマルクス主義イデオロギーとは毛色の異なる「大衆社会論」を唱え、旧社会党の江田三郎(江田五月元参院議長の父)らの主張した「構造改革」路線のイデオローグ(理論家)として知られてきました。
社民連、さきがけ、そして民主党政権
1977年、社会党左派と対立して離党した江田三郎と五月父子、市川房枝の薫陶を受けた菅直人氏らが「社会市民連合」を結成、田英夫らの「社会クラブ」と合流して1978年に「社会民主連合」(社民連)が結成されたが、武村正義、鳩山由紀夫元首相ら自民党左派が立ち上げた新党さきがけに菅直人氏が加わり、やがて後に社会党の後身である社会民主党の右派らが合流して旧民主党を結成した(1996年)。
かつて2009年秋の総選挙を受けた「政権交代」から3年半に及んだ旧民主党政権、特に菅直人政権の社会民主主義的「リベラル路線」で登場した「新機軸」と称された政策は、ことごとく松下圭一の「提唱・造語」にあると言っても過言ではありません。
しかしながら、松下圭一が憲法をどのように捉え、「市民自治」「地域主権」「国会内閣制」「シビル・ミニマム」「新しい公共」を説いているのか、見極める必要があります。その意味で、これまで述べた戦後の憲法制定過程の内容に照らし合わせ、松下の著書からその内容を探ってみたいと思います。
松下圭一の著書の中でも『市民自治の憲法理論』(岩波新書)を菅直人元首相がバイブル視していましたが、ここでは冷戦崩壊後に書かれた松下の『政治・行政の考え方』(岩波新書)に沿って松下理論の憲法観を紹介してみましょう。
同書の第一章は「日本国憲法の50年」と題するもので、まず「私は〈政治文書〉である憲法の聖典化に反対なので、憲法については、いったん、その『文章』と『意義』とをきりはなして考える必要がある」とし「憲法とは、いわば国レベルの政治・政府の基本構成をかたちづくるために、市民がつくる社会工学的設計図です。天皇制絶対国家を権威づけるために、憲法という『いかめしい』言葉が使われてきましたが、今日では、国の基本法と言いかえた方がよい」と見ます。
この部分からして既に松下理論の特異性がにじみ出ています。つまり、「国レベル」での政治の基本構成というにもかかわらず、「国民」が登場せず、替わって「市民」が活躍します。
また、憲法学者の専門意見は参考意見にすぎないとし「私たち市民は、個人として、日常の生活を基盤に、自治体、国については直接、国際機構では間接に、政治・政府の基本テキストを自由に策定、運用、解釈すればよい」と考えています。
「世界共通文化」でも解釈は恣意的?
さて次に憲法制定過程の「正統づけ」ですが、GHQによる占領憲法は、日本の「講壇憲法学」では「明治憲法の微調整にとどまる時代錯誤性」のため、GHQに拒否されて当然だとする見方です。そしてポツダム宣言と国連憲章に顕れた「民主政治ないし普遍基本法原理」が「世界共通文化」とし次のように述べます。
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憲法制定の詳しい経過は、今日ではほぼ明らかとなっており、1995年の9月には、憲法を審議した最後の帝国議会における芦田小委員会議事録もようやく公開されました。非公開とせざるをえなかったのは、日本国憲法はGHQ案を修正はしますが、実質は原案としていたからです。
個人案は別として、当時、各党はニュアンスの差はあれ戦前をひきついで天皇統治に肯定的でした。日本共産党だけは「人民主権」を掲げたといわれますがまだ骨子だけで、草案は政府案の発表のあとになっています。ただ、高野岩三郎、鈴木安蔵さんらの「憲法研究会」案は、国際水準をほぼ保っていたことが救いで、実質、GHQ案に反映していきます。
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ここで登場したのはやはり鈴木安蔵らの「憲法研究会」案です。
日本国憲法の成立については、「国民主権を起点とするにもかかわらず、天皇主権を掲げる明治憲法の改正手続をふみました。公職追放の衝撃の中で憲法改正を審議する帝国議会の改選は行われましたが、事前の制憲会議、事後の国民投票、いずれにもかけられていません」と述べています。
ここで想起すべきなのが「ハーグ条約(陸戦法規)」で、占領国(軍)は被占領国の憲法を制定することはできないという国際法上のルールです。これは、前段で「普遍基本法原理」「世界共通文化」を至上の法則のように重視しておきながら、この国際法上当然の原則に対しては完全に沈黙しています。
さらに、憲法解釈で「権威」視される宮沢俊義「八月十五日革命説」については次のように述べます。
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この憲法改正手続は明治憲法七三条を使い、天皇による「裁可」でした。GHQも日本国憲法の手続的正統性という理由で、この手続を望んでいたのです。
このため、明治憲法の天皇主権から日本国憲法の国民主権への転換をどう説明するかという難問が起きてきます。日本の憲法学では「革命説」がみられました。だが、実際、革命は起きず、旧支配層が持続する結果、戦争責任が今日も明確にできていないのも、ここに遠因があります。当時の日本支配層の憲法感覚は明治憲法型だったのですから、革命といってもテキストの革命にすぎません。
私には、ポツダム宣言の受諾による明治憲法の「失効説」が必要と思われます。ポツダム宣言受諾後は日本政府はいわば「事務取扱」でした。なぜ、GHQないし連合国がポツダム宣言に基づいて間接統治を行ったかを説明でき……ます。
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このように、松下氏は「明治憲法失効説」による「日本政府=事務取扱」論を主張しています。
ここで不思議なのは、「市民自治」「国(市)民主権」を唱える割に、国や民族の基幹的規範とも言える「憲法」の成立が、「民主的手続」を経ていないことについて「国民投票にもかけられていない」と淡々と事実を伝えるのみで口を閉ざしていることです。それは恣意的なものでしかないことは明らかでしょう。
なお、下記は政治学者・嶋田陽一氏による過激な松下批判の言説です。
「新しい公共」「地域主権」は下からの共産革命
民主党の芯を形成している菅直人・大塚耕平……および仙谷由人/枝野幸男ほか……マルキストたちは、民主党結党以来、共通して堅持している民主党の革命ドグマがある。共産党系の政治学者・松下圭一が過去40年にわたる著作を通じて展開した松下共産革命ドグマである。具体的には『市民自治の憲法理論』『日本の自治・分権』『政治・行政の考え方』『自治体は変わるか』などであり、おおむねこの4冊を民主党はバイブルとしている。
現に、『市民自治の憲法理論』は、菅直人にとって30年以上もの永きにわたって座右の書であった。また、菅直人の著書『大臣』は、松下圭一著『政治・行政の考え方』からのふんだんな盗用が目に付く。松下圭一とは、このように、多くの民主党議員にとって、共産党色を隠したマルクス抜きの〝透明な共産革命〟を理論指導する大師匠である。
だから、マニフェストなど民主党の使う政治用語の多くが、松下圭一の特殊語を若干はデフォルメしているが、実態は松下のそれをそっくり用いている。民主党の『政策集』とは、まさしく「松下圭一+α」と言ってよい。……例えば、民主党のスローガン「官僚主導政治の打破」は、……ジャコバン党独裁体制を、松下が「国会内閣制」と命名したものを、平易に表現し直したもの。もともと民主党の言語「官僚主導政治」自体、松下の「官僚主権国家」の別表現だから、その〝打破〟とは、 松下の「国会内閣制」の実現を意味するのは言うまでもなかろう。とすれば、「官僚主導政治の打破」とは、日本の政体をジャコバン独裁体制にする、という意味である。
このように、松下圭一が考案した共産革命の方法は、1991年までの共産党主流派のそれと比較すれば、大きな特長がある。かつての共産党本部が堅持してきたやり方とは、国家の権力を簒奪・掌握し、〝上からの共産日本づくり〟のみを指向していた。
(嶋田陽一「民主党が奉戴する〝松下圭一イズム〟」『リバティ』2011年6月号参照)
(「思想新聞」2026年4月15日号より)




















