文化マルクス主義の群像~共産主義の新しいカタチ~(21)

動物と同じ次元で人間捉える

 

ダーウィニズムとその周辺

 1858年にリンネ学会で「自然淘汰(選択)説」として「進化論」が発表された論文は、チャールズ・ロバート・ダーウィンとアルフレッド・R・ウォレスの共同のものでした。

ウォレスに先を越されまいと出版へ

チャールズ・R・ダーウィン

 進化論は、現存生物が共通の生物を基盤に長い時間をかけ分岐した、と考えます。18世紀フランスで博物学者ビュフォンが初めて進化の可能性に言及、前回触れたJ・B・ラマルクが①用不用説②獲得形質遺伝——の観点から具体的に進化を唱えました。学界で嘲笑されたラマルクを評価したのが、ダーウィンの祖父のエラズマスでした。

 孫のダーウィンは大学卒業後に英海軍の軍艦ビーグル号に乗船。ガラパゴス諸島などで動植物に触れた経験が研究人生の核に。次いで植物の品種改良の現象やマルサスの『人口論』などにヒントを得て、1838年頃に「自然選択」説の原理に到達するも、20年間公表しませんでした。

 ところが58年、マレー諸島で調査研究を行っていたウォレスから、自分と同じ自然選択説を唱える論文を送られ、意見を求められたダーウィンは驚愕。地質学者ライエルの仲裁により発表された両者の論文は、曰くつきでした。

 ウォレスに先を越されることを恐れ、ダーウィンは、急いで著作を執筆し出版したのが『種の起源』です。

ダーウィンの一族が優生学に関わる

 千葉聡・東北大教授の『ダーウィンの呪い』(講談社現代新書)ではこのダーウィンの『種の起源』や自然選択説が、今日まで影響を与える「優生学」「優生思想」に繋がってきた歴史的負の事実を記述しており、それが一種の「呪い」であることを見事に言い当てています。

 とはいえ、直接ダーウィン自身が「優生学」を樹立し、それを「公衆衛生」の政策として立案したわけではありません。
「優生学」を立ち上げたのは、ダーウィンの従兄弟であるフランシス・ゴルトンとその後継者であるカール・ピアソンでした。ゴルトンもピアソンも元々は統計学を研究していました。そしてややこしいことに、ダーウィンの子や孫たちが微妙に絡んでいるのです。

 軍人だった子のレナードは後に優生学会の会長を務め、第1回優生学会議で「私たちの目標、すなわち将来の人種的資質の向上は、勇気をもって取り組むにふさわしい崇高なものである。(中略)進歩の機構として、自然選択の盲目的な力に代わる自主的な選択が必要である。人類はこれまで進化の研究から得たあらゆる知識を、将来の道徳的および肉体的進歩を促進するために利用しなければならない」と述べ、「進化は劣化を伴う可能性のあるプロセス」であるから、「自然選択が人間の進化に及ぼす悲惨な結果を想定し、それを見過ごさぬよう、人間の介入が必要である」と主張し、自然選択は「劣化」の可能性を人為選択による人類の改良で防ごう」と考えたのです。さらに孫で米国のマンハッタン計画に参加した核物理学者のチャールズ・G・ダーウィンも、引退後に優生学の研究を行いました。

 そしてゴルトンの後継者であったピアソンについて注意すべきは、マルクス主義の強烈な信奉者であったことです。ベルリンやハイデルベルクなどドイツ留学でマルクスに傾倒し、『資本論』の英訳をマルクスに申し入れたほどです。

ダーウィンに秋波送るマルクス

 しかしダーウィンとマルクス=エンゲルスとの邂逅で、むしろ秋波を送ったのは、マルクス=エンゲルスでした。エンゲルスは『種の起源』が出版されると、読後感をマルクスに手紙を書き送りました。

「いまちょうどダーウィンを読んでいるが、これはなかなかたいしたものだ。『目的論』はこれまである一面にたいしてまだうちこわされていなかったが、これがいまなしとげられた」(大月書店『全集』29巻) 

 また、W・リープクネヒトの「マルクスの伝記的回想」によれば、「マルクスはダーウィンの研究の重要性を最初に認めた人々のうちの一人であった。……それ(『種の起源』)を世に問うたとき、私たちは何ヶ月ものあいだダーウィンと彼の科学的な成果の革命的な重要性以外には何も話さなかった」と記すほど魅了されたのです。とは言え、ダーウィンとの「接点」をより追求したのはやはりエンゲルスの方でした。

「自然は弁証法の試金石である。そして、近代の自然科学は……自然ではけっきょくすべてが形而上学的ではなく、弁証法的におこなわれているということ、自然は永遠に一様な、たえず繰りかえされる循環運動をしているのではなく、ほんとうの歴史を経過しているのだということを証明した、とわれわれは言わなければならない。この点ではだれよりもさきにダーウィンの名をあげなければならない。彼は、今日の生物界の全体が、植物も動物も、従ってまた人間も、幾百万年にわたっておこなわれた発展過程の産物であるということを証明することによって、形而上学的な自然観に最も強力な打撃を与えたのである」(『全集』19巻)

 以上、エンゲルス『空想から科学への社会主義の発展』を引用しながら、小谷汪之・都立大名誉教授は「エンゲルスは長くダーウィンへの関心を持ち続けた。それは、彼が自然(生物界)の進化と人間の社会の歴史とは同一の弁証法によって貫かれているのではないかという見通しを持っていたから」と指摘します(「ダーウィンと唯物論」)。

ダーウィニズムを喧伝したヘッケル

 しかしながら1871年、『種の起源』に続く『人間の由来』を書いたダーウィン(C・R)は、多数の証拠を提示して人間と動物の精神的、肉体的、行動的連続性を示し、ヒトは動物であることを論じ、「人間はその体の中に未だつつましい祖先(動物)の痕跡を残している」と書き、さらに72年の『人間と動物の感情表現』では、「道徳だけでなく感情も、進化の過程で動物から引き継がれたもの」と論じました。

 この観点からダーウィン進化論の「伝道者」となったのが、ドイツの生物学・解剖学者であったエルンスト・ヘッケル(1834〜1919)です。

 動物由来の人間への「連続性」について、長らく、雄弁に示す「証拠」とされてきたのが、ヘッケルが1874年に「発生学」の教科書に掲載した「動物の胚の図」です。

 しかし実は、現在ではこの「胚の図」がインチキな「想像図」であったことが明らかにされ、生物学の教科書から削除される事態が起きました。実際の生物の発生は上図の表に提示した通りになります。

 ではなぜ、ヘッケルはこのように事実とは異なる「胚の図」を捏造したのでしょうか。ヘッケルは「個体発生は系統発生を繰り返す」とし、「胚(胎児)の発生過程は、進化の道筋を示している」と唱えて掲げたのが、生物の発生(初期の胚)を表した図です。ところが、ライプツィヒ大学のW・ヒスという発生学者により、2人の科学者の胚の絵を併せて偽造したものであると暴露されました。

 すると、ヘッケル自身も図の「偽造」を認めた上で、「(胚の絵が)あまりに不完全で、つながった発達経路を復元するには、仮説によりギャップを埋め、比較で欠所を再構築するほかない」と言い訳しています。

 しかし、この「胚の図」が、「胎児はまだ魚の段階にあるのだから、それは魚を切って出すようなもの」という理屈が、堕胎を是認する者たちに利用されてきたとも言えます。「何百万という無力な、生まれる前の子供たちの殺戮に対する、あるいは少なくとも、それに疑似科学的な根拠を与えたことに対する責任は、この発生反復説というたわごとにある」(ヘンリー・モリス)と非難する学者がいるのです。

無から生命創造唱え人種差別へ

 このヘッケルの問題はこれだけではありません。さらに「人種の優劣」を示唆するような表を描いたことも、実は「優生学」や人種差別的思想を正当化する「根拠」にされてきたことは否めません。

 具体的には、リチャード・ワイカート著『ダーウィンからヒトラーへ』で暴かれたヘッケルの『創造の自然史』の口絵がそれです。
 この口絵についてヘッケルは次のような説明を与えています。

「最も高度に発達した動物の心と、最も発達していない人間の心との間には、ほんのわずかの量的な違いがあるだけで、何ら質的な違いはない。そしてこの違いは、最も低い人間と最も高い人間の心の差よりもはるかに小さい。あるいは最も高い動物と最も低い動物の心の差よりも小さいと言ってよい」

 これはつまり、「人間とサルとの間には明確な一線がなく、血族的に連綿とつながっている」とするもので、この絵で言えば、「最下等人間」と「最高等サル」の違いは、1(白人=コーカソイド)と6の差よりも小さいとの意味。この見立てこそ、まさに人種差別を正当化する「理屈」となってきたのです。

 しかし、この見立てが「未開文明」への軽侮や、「優生学」と称して障害者への「断種政策」が躊躇いもなく行われてきた「理屈」なのです。かつてナチスドイツが「劣等民族」の烙印を押したユダヤ人に対して行った「ホロコースト」の「前段」として、障害者を強制的に安楽死させた「T4作戦」が行われました。

 ドイツの前に「優性政策」が奨励されたのは米国で、障害者の「強制断種」政策が当たり前のように行われ、日本でもハンセン病患者らの断種政策が行われてきたのです。

 これとほぼ同じことが、現在でも行われています。中国のウイグル、チベット自治区において、「中国人」への強制「改造」政策が進められています。女性たちは強制的に移住させられ、漢人と結婚させられる。男性は強制収容所送りに。

 ところで、ウォレスはダーウィンの人間感情や精神も動物に由来するとしたことに反発し、精神と肉体は別と考え、降霊術など精神世界への探究も試み、完全に袂を分かちました。

 一方、ヘッケルは生物と無生物も連続性があると考え、その「中間存在」を唱えました。その影響でミラーという学者が無機物から生命が誕生する実験を行い、失敗しています。

(「思想新聞」2024年12月1日号より)

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