文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜(54)

「快楽原則」の抑圧なき文明でフロイト超え

ヘルベルト・マルクーゼ(上)

H.マルクーゼ

 ユダヤ系ドイツ人のヘルベルト・マルクーゼは「ハイデガー・チルドレン」でした。ベルリンとフライブルクの大学でヘーゲルおよびマルクスを研究、師のマルティン・ハイデガーは後にフライブルク大学総長に就任。マルクーゼは1932年にフランクフルト社会研究所に移ります。R・ウォーリン著『ハイデガーの子どもたち』では、政治哲学のハンナ・アーレントらと共に紹介されています。

 エーリッヒ・フロムが学派の社会学・心理学部門として、ファシズムと権威主義的パーソナリティの研究で中心的な役割を果たしますがマルクーゼとアドルノは当初「傍流」でした。アドルノはフロムのフロイト論文を批判、これがマルクーゼの後年のフロム批判の先駆となります。

快楽原則の抑圧から現実原則へ馴致

 ライヒを経由してフロイト精神分析を受容したフロムに比べ、マルクーゼは現象学的哲学が専門で臨床心理の専門家ではありませんが、マルクス主義の立場からフロイト思想との融合を図り、1956年の主著『エロス的文明』で激烈に糾弾します。

 フロイトは抑圧された「快感原則」を「現実原則」に馴致させ文明が発展してきたとしますが、マルクーゼは、フロイト哲学は現実受容の諦めではなく、「(快感原則を断念しない)新たな文明」の地平を切り拓くものと信じたのです。

フロムとフランクフルト学派の齟齬

 マルクーゼにとり、エーリッヒ・フロムらの強調する「愛」「自由」「道徳」の観念なるものはあてにならぬ幻想でしかなく、「快・不快」という次元で社会・文化を捉えると、「道徳」が皮相的・表層的な「抑圧装置」にすぎず、軽侮すべきものと映りました。

 フライブルク大学において現象学派の薫陶を受けたマルクーゼは、フロムらの「新フロイト主義」の立場を「修正主義」として厳しく糾弾。フロムら「新フロイト主義」はフロイトの「科学・生物主義」を批判・克服することを目指しましたが、アドルノがフロムの立場に異論を唱え、それを「総帥」だったホルクハイマーに訴えるという状況がありました。

 フランクフルト学派が「新しいマルクス主義体系」=「学際的唯物論」のプロジェクト『権威と家族』発表間もなく、ナチス政権により「ディアスポラ(離散)」。米国亡命したホルクハイマーとアドルノの「コンビ」によって1940年代に代表作『啓蒙の弁証法』が書き上げられます。マルクーゼは同じく米国亡命しますが、主著『エロスと文明』を書いたのは1950年代のことでした。

秩序崩壊を診断するフロイト哲学の本質

 「文明は人間の本能を永久に抑圧することである、というジークムント・フロイトの提唱は、今日までそのまま受け取られてきた」という書き出しで始まるのがマルクーゼの『エロス的文明』(南博訳)です。

 そしてさらに、「人間の本能的な欲求を自由に満足させることは、文明社会には許されないものであり、つまり、満足を放棄し、それを我慢することが、進歩の前提であるとされる。フロイトは『幸福は文化価値ではない』といった。幸福は、フルタイムの職業の規律に従い、一夫一婦制の性の規律を守り、現存の法と秩序に従属しなければならない」と続けています。

 マルクーゼはフロイトを「人間についてのひとつの理論、厳密な意味での、ひとつの『サイコロジー(心の科学)』を発展させた。この理論によって、フロイトは、彼自身を、哲学の偉大な伝統と水準に、位置づけたのである」と評価。

 そして、「フロイトは、彼自身の哲学(精神分析の背景にある思想)を、良心的に彼の科学(精神分析の技術)から区別した」にもかかわらず、と新フロイト主義者たち(フロム、サリバン、ホーナイら)が「フロイトの哲学の大部分を否定した」とフロイト後の状況を非難します。

 これらを述べた「序論」で決定的なのが、「フロイトの哲学」の本質が、「秩序の崩壊を全体として診断することを目指す理論」で、その理論的「発展」を、「治療上の実践理論」によって妨げられてはならない、とクギをさしました。

 実際、フロイトは元来は「精神科医」であり、解剖学とヘッケルの「系統発生学」、ダーウィニズム(進化論)を範として自らの打ち立てた精神分析学を「深層心理の解剖学」たらんとしたのです。

 それでも、フロイトの大胆不敵な種々の言説(文明論)に「哲学的原石」を見たマルクーゼは、より深くフロイト思想を敷衍していった中でマルクスとの「融合」を企てたと言えます。

 しかし、訳者の南氏も、マルクーゼによる独断的なフロイト解釈は、「ひいきの引き倒し」でフロイトを擁護しすぎていると「訳者序」で指摘しています。

 

フロイトの文明論をマルクスで処理

 マルクーゼは本論の冒頭で「フロイトによれば、人間の歴史は抑圧の歴史である。文化は、人間の社会的な存在だけではなく、生物的な存在も制約し、人間存在の一部分だけではなく、本能の構造それ自身をも制約する。その制約こそが進歩の前提なのである」と述べ以下のように続けます。
     ◇
「人間の基本的な本能は、自然の目標を追及するのに任せておけば、すべての永続的な結合と維持に反するだけではなく、統一を破壊してしまう。コントロールされないエロスは、その恐ろしい満足を追い求めるところから生まれてくる。それはどんな場合にも満足のための満足を求めることであり、それ自身が目的になってしまった満足である。だから本能を、目標からそらし、目的とするところを禁じる必要がある。文明は、欲求の全面的な満足という原本的な目標を効果的に禁止するときから始まる。

 本能のさまざまな姿は、文明における心的構造のさまざまな姿である。動物にもみられるような動因は、外界の現実に影響されて、人間の本能となる。本能が生体の中でしめる本来の「位置」と、その基本的な方向は、変わらないが、その目的と、あらわれかたは、変わってゆく。精神分析のあらゆる概念(昇華、同一化、投射、抑圧、取り入れ)は、本能が変化することを意味づけようとしている。しかし、本能とその要求および満足を左右する現実は、社会的・歴史的世界である。動物としての人間は、その本性が、根本的に変えられるとき、はじめてひとりの人間という存在になる。その場合、本能の目標だけではなく、その目標に達するための原則である本能の「価値」も、変化をこうむるのである。その支配的な価値体系の変化は、仮に、次のように定義できるだろう(別掲図参照)

 フロイトは、この変化を、快楽原則から現実原則への変化として記述した。心的構造を、この二つの原理で解釈することは、フロイト理論の土台であり、その二元論的な概念の内容は、いろいろに変わったけれども、その点だけは変わらずに残っていた。それは、大体(完全にではなく)、無意識の過程と意識過程の区別に対応する。個人は、いわば、ちがった心的過程と心的原理に特徴づけられた二つの違う次元にまたがって存在している。この二つの次元は、発生的・歴史的に違うと同時に、構造の上でも違っている。快楽原則に支配される無意識は、「より古い原本的な過程、つまり、それだけが唯一の心的過程であった発達段階の名残りである」。それは、「快楽を得るために」だけ追及をつづけ、「心的活動は、不快(「苦痛」)をもたらすどんなことからも、退却する」。しかし、無制限の快楽原則は、自然の環境、人間の環境と衝突するようになる。ひとは、自分の欲求を完全に、苦痛なく満足させることは不可能であるという、痛ましい事実に気がつくようになる。そうしてこの失望を経験した後で、新しい心的機能の原則が、勢いを得るようになる。現実原則が、快楽原則を凌ぎ、人間は、一時的で不正確な破壊の快楽をあきらめ、遅延し、制限する代わりに「安全を保証された」快楽を選ぶようになる。
     ◇
 フロイトは、本能を恣にする「快楽原則」が破壊的だから、その抑制により文明が進歩したと見ます。ところがマルクーゼは、快楽原則の抑圧なき文明を弁証法的に模索するのです。

(「思想新聞」2026年7月15日号より)

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